この放射性物質降下量の統計リンクをみると、茨城県のひたちなか市はすべての地域で最大な結果となっている。この調査の事実性はわからない(誰が制作したかも不明だがネットの一部に流通している)が、すくなくとも「茨城県民が東京電力株式会社へどれだけ怒っても怒りすぎはない」のが100%まちがいない。
あるネット上に出回っていた資料は次の様なもの(誤字と資料からの引用の不精確さはこっちで修正した)
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放射性物質降下量 3月18日~5月7日までの累積
https://spreadsheets.google.com/spreadsheet/pub?hl=en&key=0AjgQ0pwrXV8YdGJORHAzdi1qMlFldUMwRkl4V3VfN0E&hl=en&gid=0 より
単位はMBq/km^2
1位 茨城県(ひたちなか市) 212728
2位 東京都(新宿区) 84940
3位 山形県(山形市) 68692
4位 埼玉県(さいたま市) 68593
5位 栃木県(宇都宮市) 61348
6位 千葉県(市原市) 45786
7位 福島県(福島市) 24151
8位 群馬県(前橋市) 21846
9位 岩手県(盛岡市) 8216
10位 山梨県(甲府市) 8006
11位 神奈川県(茅ヶ崎市) 5772
圏外 チェルノブイリ 3844
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そもそも震災当日からしばらく、まぎれない歴史の真実として、その会社そのものがこの最大の被災地を無視し停電させようとしたのだ。その時点で桜田門外かって次元の話である。ござる。*1
国の調査結果は暫定基準値でごまかそうとしているが、実際のチェルノブイリ以後では我々のくらしていた「強制退去」の範囲でそこで生産された作物を摂取していた者には多くの障害が発生したのがまちがいないのだから、もはや時代の科学水準から言ってもだましきれるものでは決してない。はっきりしているのは、この暫定基準値とやらがどれほど批判されてもされすぎはなく、そもそも安全性を保証するためのしくみではなく、単に賠償責任を悪意ある資本家が逃れようとする意図で決められているという点である。
だから何世代かかってもかならずや全賠償責任を東京電力株式会社という法人ならびにその業務をうけつぐ法人格に該当する者へ徹底追及しきるべきだ。なぜなら、特にこの資料(ならびに少なくとも各都道府県の発表した計測値)が教える如く、現実にわれわれの郷土はまったく悪意しかない第三者、つまり東京電力株式会社からチェルノブイリ事故をこえたレベルに汚染されたのである。しかも我々には恩恵は何一つも、まったくなくだ。これは完全なる大公害であり、死でつぐなってすら足りない大事件であり大事故、しかも十分な想定できる危機への備えを怠って利潤をおいもとめた悪人らによる人災なのだ。
追記:『国が設定した暫定基準値安全精度の検証』
食品別と放射能別の微差を除いて単純計算では、
500Bq/kg=0.011μSv/kg
(∵http://kamomenome.exblog.jp/14066284/ より
2000 Bq/kg × 2.2×10-8 Sv/Bq = 0.000044 Sv/kg
2000Bp/kg =0.044μSv/kg
∴ 500Bq/kg=0.011μSv/kg )
ここで、一日の摂取kgを2kgと仮定し、われわれ「強制避難」域の一帯に最もありえる危機としてすべて暫定基準値ぎりぎりに汚染されたものだったとすると、1日あたりの内部被曝は0.022μSv。
×365(日) = 8.03(μSv)
かつ、http://overview.blog101.fc2.com/blog-entry-70.html
http://no-micro-wave.seesaa.net/category/9975142-1.html
これらの資料から
一日の摂取kgを2kgと仮定し、同様に「強制避難」域の一帯に最もありえる危機としてすべて暫定基準値ぎりぎりに汚染されたものだったとすると、1日あたりの内部被曝量は9.8μSv×2kg=19.6μSv こちらの方が厳しい値なので採用し、
×365(日) = 7154μSv = 7.154mSv すなわち 年間に最大7ミリシーベルト の内部被曝がありえる。現実にこの場合は少ないとしてもまったく不注意のままだと起こりえることも確かだろう。国の暫定規制値で想定している年間5mSvは、仮にそのまま20年間生活したときに放射能危機の閾値なしモデルによれば、発癌あやうさの上昇がありえると臨床例からはっきりしている100ミリにいたるという判断(20年間、現地で摂取されるのが今日のままの食品でなければ何とかなる)からきていると考えられる。
追記:『暫定基準値食品を継続的に摂取した場合の(チェルノブイリ事故時では強制避難域にある地域における)健康被害の精度ある数理予測』
http://kamomenome.exblog.jp/13553115/ と http://kitaibaraki-guide.cocolog-nifty.com/blog/2011/09/9-kitashio-c6b0.htmlから、毎時2マイクロシーベルトを通常の空間被曝量とみつもると、この地域での年間被曝量は1.8ミリシーベルトを計測しうる。
=1.8mSv/y
これまでの(すくなくともこの市域の)累積被曝量は http://kamomenome.exblog.jp/14066284/ より、3月14日(月)の午前0時から4月16日(土)の午前0時まで(33日間)で、596.790μSvなので(ここには計測されていなかった3月12日のはじめのメルトダウン時そのものの値が含まれていないのに注意すべきだ。この計算では除くが、のちに(独)日本原子力研究開発機構から発表されたWスピーディの拡散予測データでは厳密には3月12日時点でも周辺住民に被曝量がみつもられるところから、軽視したり無視すべき値ではない。精確な数値が出れば更に加えねばならない)、+0.6ミリシーベルトとして、総被曝量は
=1.8mSv/y + 0.6mSv = 2.4mSV
つまり、前述の年間7mSvという食品による内部被曝量はここに加えられねばならない。
もし年間での変動率をとれば
1.8mSv/y + 7mSv/y = 8.8mSv/y
が、すくなくとも想定できる基本的な年ごとの被曝量(内部被曝を含む)。
仮に現在の暫定基準値のままで通常の食生活を続けて行けば、
100mSv-0.6mSv=99.4mSv
99.4mSv ÷ 8.8mSv/y = 11.295...y ≒ 11y
∴はやくとも11年後には最初の(発癌を含む)健康被害の具体的臨床例が発生する可能性がある。
同様の計算手段でさらに、乳幼児や幼児は4~6倍の被曝による影響があるとしてより厳しくみつもると、
100mSv - 0.6mSv × 6 = 100mSv - 3.6mSv = 96.4mSV
96.4mSv ÷ (8.8mSv/y ×6) = 96.4mSv ÷ 52.8mSv/y = 1.825...y ≒ 2y
つまり、幼児の場合は同様に2年後には最初の(発癌を含む)健康被害の具体的臨床例が発生する可能性がある。
ちなみに幼児において食品のみは外部の汚染されていないものからとりいれ、空間線量のみでの100ミリ超えを予測すると
96.4mSv ÷ (1.8mSv/y × 6) = 96.4mSv ÷ 10.8mSv/y = 8.925...y ≒ 9y
よってこれは現在の状態がつづけば、という仮定だからほかの原発をふくめ再臨界でよりひどい被害をともなったり、あるいは逆に収束しきった場合はのぞくが、既に出生してくらしている幼児と乳幼児についてかれらの9年後には、空間線量のみでも最初の(発癌を含む)健康被害の具体的臨床例が発生する可能性がある。
また96.4mSv ÷ 1.8mSv/y = 53.555...y ≒ 54y ∴成人の場合は54年後には、空間線量のみでも最初の(発癌を含む)健康被害の具体的臨床例が発生する可能性がある。
これらの計算結果は、現在の政府方針が賠償責任のがれを優先させ、国民の命をすこしも、あるいはほとんど重視していないという悪質な性質をしめしあわせている。もし本当に子を持つ親なら、この予測をできる能力があれば、すくなくとも幼児については強制避難を宣言するべきだ。*2
さらに、http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%94%BE%E5%B0%84%E7%B7%9A%E9%9A%9C%E5%AE%B3の「蓋然性に関する検討(被曝量と胎児の障害との相関について)」から胎児に生じうる重度の知能遅滞について広島大の例をひけば、暫定基準値ぎりぎりの食事を続けていたという場合を想定すれば4.4%というかなり高い確率がありえる、と考えられる(この調査では5mSvが閾値なのでもしまったく暫定基準値ぎりぎりに達した食品摂取をしなければ0.8%の発生確率。率として3.6%の、胎児の被曝による危機増加があった)。要は、すくなくとも(市内であれ市外であれ)継続的に暫定基準値ぎりぎりの食品を摂取しつづけると、もしそれが妊婦であった場合その出生児には3.6%分の重度の知能遅滞が、人類の過去の経験として発生しうる、といえる。だから逆にいえば、この市内で生活していても初年度である今年に年間2.6ミリシーベルト以下の食品からの内部被曝、そして来年度以降も年間3.2ミリシーベルト以下の食品からの内部被曝にとどめれば、知能遅滞の発生率が特段に上昇する事は経験的かつ過去の臨床例からありえない。*3
さらに安全策をとれば、受胎後0-7週、または26-40週で被爆した人では知能遅滞した新生児発生率の上昇は全く見られなかったという経験から、受胎後8-25週というこの胎児にとって被曝に敏感で重要な期間には妊婦が一切の食物を無被曝のものへきりかえる、という次善のてだてが有効だろう。
こうして、致命的な健康へ及ぼし得る悪因と危険は実は空間線量よりも、‘暫定基準値’という賠償逃れの画策(もし当人ら経産省の高官による確率的危機の軽視がその原因だとしても)であざむかれた汚染食物による内部被曝量だと認識できる。
暫定基準値食品は非人道的な対応である、という面はどれほど強く経産省の事実上の内部組織な状態が続いている原子力安全保安院が非難されても足りない(倫理の堕落という一点へ)し、結局は大公害をおこした主体の東京電力株式会社こそそのすべての賠償責任が追求される相手でなければならない。もし東京電力株式会社さえ自然と人間を(かれらがつくりあげた経済という相互奉仕の為の共通貨幣取引にとっての)めさきの利潤より第一にかんがえるまっとうにして常識ある法人格なら、すべて経産省とその組織の一部であった原子力安全保安院の退廃もみられなかったはずなのだから。ちなみに無限責任会社な以上、かれら法人格を構成するすべての成員(当然、株主総会での経営参与権から株主を含める)の全財産はこの無限責任の範囲に入る。
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��1 まあはっきりいえば某都知事ひとりが震災直後に、悪しき利己本性全開に賤しさ極まりないジャイアニズム示したって話にかぎりなく近い(事実上の首都という大義を悪用して被災地を先に停電させようとした。なおかつ以前から仙台都市圏へ教師の奪取などの悪質な警戒を示しておきながら、かなりの悪意ある文脈から単なる自然災害をおのれの悪徳と生前の悪行悪業にかこつけ天罰とほざいた。それらにくわえ、震災直後からみずからの出身地である神戸市の議員と密着して大阪府知事と、避けようもない東北の天災の弱みに付け込む第二首都構想をその都市圏のみの方向で進めさせようとしてきた)が、それは彼の小説と同じくいつものごとくなのでこの際問うまい。結局、現在の日本最大の商業地としての人口過剰な東京都民の総意へ再三示される残念な民度といおうか文明度、市民度の課題にすぎないので多くの読者もしくはかもめ(ハマっ子ではない)にはいわずもがな。それはそれとして、どちらかといえば真の問題はマスコミのほとんどがこの不善(東京資本の横暴もしくは電気を用いた報道権力の濫用)をすこしも認識できなかったことだ。はなはだしい被災をともなった痛々しい歴史の教訓だが、「ジャイアンに付き従う者はおのずとその従僕となる」のである。
この点でも関東圏をこえて人類史の王道を保つ為に、茨城資本が独自のマスメディアを構築し、可能なかぎりその勢力を国際化しておくのが絶対に有力で必需。さもなくばいつでも同じ最悪さが国内で暴走しえるので。なお関西や中京、ほか九州のメディア、あるいは山口県あたりの某資本もこの点では十分な信頼性をもたないか、すくなくとももてていなかった。なぜならほかの下らない番組へはスポンサー契約したり震災直後も平気でかなりくうものにも困りかけていた被災地へ宣伝しておきながら関東の諸番組への冷遇や被災した企業への値切りを平気そうにしたし、それ以前に尊きものをパロディあつかいにからかっているCMを自慢したり、さらには避けようもない公害の犠牲になった善意の農家そのものを揶揄した。かといって東京資本がなにやってたかといえばこっちはこっちで余震に震える死んだ人のいる被災地へAKB選挙ワイドショーを大のおとながみんなでやっててなおひどかった、コメンテーターの悪質なお世辞なんかほとんど死んだ方がいいみたいに見えた。これらのすべては悪徳しか示していないと見えるし、実際に自分の観察が正しければ彼らにはほかの海外(すくなくとも先進国)のマスメディアよりはるかに低い程度のmoralityしかみいだされなかった。辛うじて関西の一部のニュース番組では、中央官僚と中央政府へのほどひどいあてつけや愚弄が徹底したみられた、また近場からきた役者を福島県へ直接配置させ取材した(あるいは当役者からのオファーに着いて行っただけかもしれないが)くらいのはなしだった。
これらの歴史的検証からは、すくなくとも日本国内のどこかしらの他人の資本に頼って公正なマスメディアをつくろうとしてできるものではない。先ずみずからつくりだすにくわえ、海外のマスメディア、特にBBCやCNNとも組み独自の「透明性の高く、偏見の少ない」報道をできる社会体制を築き上げるしか道はない。たとえば茨城新聞すら、現地の市井の一もしくは複数市民とはまったくちがった見方といおうか、当時の新聞をたどればわかるが一週間音沙汰もなかったなにやってんだ市長、税払ってるのはこっちだ、市役所員は市民奉仕そっちのけで保身と官尊民卑でどっち向いてるをなぜだか英雄視させる「事実・客観的真実・真相と異なった」物語みたいな矛盾じみた記事を書いていたのである(おそらく彼ら既存茨城の人口流動性の低さによる環境収容されたいつもの同族意識からの肩を持った偏見で。しかしそれは公正ではないし、かえって相手にもよくないわけだ。「真実の友情とは相手の善を責める事である」)。かれらの実力のなさにくらべて誤解をまねくばかりか真実性をもあまり含んでいない偏見報道によって公式化されれば、すべてはますます危険。震災直後も書いたが、この自治体は高萩市に異論がなければ日立市に編入させた方が善い。職員の知的程度と公僕意識が低すぎるから。勿論、北茨城市そのものには童謡がうまれたことでもわかる平穏素朴な田園都市としての独自のよさがあるが、市役所の職員や高萩署の警察官の低い程度にはその為のすべての条件がととのっていると思えてならない、というかととのっている。たとえば日立北区として広域市政を日立市役所の一部の部署でやってもらうか、すくなくとも日立市役所へその仕事の方向性決定本部、計画局を統合すべきだ。それで役人は自分らよりすぐれた人材をみるにつけすこしは程度が上がるだろうし、日立市そのものにとっては仕事量そのものはどうせ同じ別の市の人たちがやるのだからあまりかわらないが財政規模の拡大によってとりえる選択肢が広がる。
でこれらの実例はすべて資本主義報道の限度、もしくは利潤追求によっては決してjournalist個人の持ち得る強度の真実性を持てないと教える。だから、記者クラブもそこからでて派生していった枝葉のごとき借り物情報では、完全に真相をうがった記事にはならないという集団主義的会社からの報道の仕組みの限界があるわけだ。(当然、当時のツイッターでいくらかみられたことだが、逆にそれを記す個人の質が低い場合は実証的ではないかえってひどい虚偽やかたよった誇張、デマとよばれるだろうそれをもゆるしてしまう問題点があるのだが。)
とかく東京系マスコミではNHKだけは偏った意見や番組を避けていただけいくらかましだったが、残念なことに当時の内閣のひどい状態が反映され、某長官は事実上の虚偽(メルトダウンはしていない)を毎日毎日テレビ会見で流していた。かんがえてもみれば一国の政府、しかも一応は先進国といわれているそこがうそを平気でつきまくったというのがあのときの真実だった(ついた当人の意思にかかわらず)のだから、まことに日本という場所、特に公的機関の紛れ様もない悪質性もしくは愚鈍には注意がいる。なぜ困難な国家試験をへてもそういう体制しかとれないのか、科挙の幣風をまざまざとみせつけるには日中韓の儒教化された国々ほど適切な汚れ役はいないだろう。かれらの中でのよしあしも、また世界規模の政府単位や先進国間では井の中の蛙というわけだ。とはいえフランスやイギリスの官僚制が日本のそれより断然な合理性をもつともいわないが、日本よりはその科挙制からくる特徴が緩和されているのも確からしい(フランスは微妙だが、特にイギリスの内閣と首相直轄機関が学者を外部から招く慣習)。
つまり、その時点の中央政府あるいは国家政府に頼った報道体制はきわめて危険でいつでも情報操作されてしまうというのが歴史の真相だったし、なおかつこの外注はすべてその地域資本、都道府県の偏見に侵され悪用されるのが世界の現実ということだ。アメリカWhite Houseの構築している特定の政府ににぎられるおそれのない独立した情報機器、というものが市民権の意義には絶対に必要だとどれほど強調してもたりない。しかもこうして、日本ではその必要性はかぎりなく高い。
��2 どうしてもできないとき、こどもへ重度の喫煙者かかれらと同居程度の身体の健康への負荷を科している事になる。次のページの「人体に対する影響」を参照せよ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A2%AB%E6%9B%9D。
��3 ちなみに、http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%80%E3%82%A6%E3%83%B3%E7%97%87%E5%80%99%E7%BE%A4によれば、通常ありえるダウン症の発生率は母親の出産年齢が25歳で1/1200≒0.08%、30歳で1/880≒0.11%、35歳で1/290≒0.34%、40歳で1/100≒1%、45歳で1/46≒2.17%という研究報告があるらしい。ここからも3.6%の発生確率の上昇という、5mSvの胎児被曝による閾値からの重度知能遅滞の増加率はかなり大きな健康被害になるのがたしか。それはまちがいなく、公害か人災での賠償や、つぐないの対象となりえるものであり、追跡した県内や市内、ならびに東京を含め東日本一帯在住者への健康調査が必要極まりない。かりにこの3.6%の増加がみられた出生児についてこうして緻密に調査をつづけ責任追及しつづけないと、いまの東京電力株式会社の体質では寡占企業特有の傲りから責任を軽視しかれらへの賠償と、ながらくのこころからの事故への謝罪とその反省と体制改善努力から逃れるだけだ。
さらに、ここで臨床医学的にとっている仮説のたちばは、「経時治癒仮説」か「すこしずつなおる仮説」というべき、年間に5ミリシーベルトへ一度に到達しなければその時点までの傷はからだが癒すはず、なるとある楽観をともなった観測だ。もしそうでなければ、生涯の蓄積率として多くの宇宙や航空従事・医療従事の被爆者はそれが原因でおそらくいままでにも亡くなっているはずだからだ。もし運よくこれらの仮説がこの事故のあとで我々の犠牲によって検証されることになるならば、後世の人類は蓄積線量についての臨床例をその医師行為のなかで応用できる、よりはっきりした知見に近づくだろう。