2011年9月28日

茨城マキャベリズム論

魅力度を‘愛される’という女性的形質からの評価と解釈するに、マキャベリズムの通り、我々の県政はどちらかといえば政治的優位にあると結論できる。
だからその福井出身の一研究所となのる市井人が調査して毎年発表する確証偏見な調査は、第一に無視してよく、第二にどうしても対処しなければならないなら消極策として「愛されないまでも憎まれることを絶対に避ける」というたちばでいなすべきである。

 県政が何だか対策室までつくってるってはなし。これはよくない。無視した方がいいのだから。根本として嫌われすぎるのは賢明ではない、って判断なんだろうけど、マキャベリズムが現実のあらゆる政治場面で活きている以上それを追求する費用も考慮すべきです。*1
 だから自分がおもうにはあの愛想注力は侍の末裔には無理ってか逆の職能なので(某blogによれば書いてる茨城系男子も自覚してるらしいが)、同じ労力つかうならそれらを完全にコピーライターやらコンサルタントへ外注して、公費を任せられてる防衛者はさっさと防衛力の強化につとめていただきたい。シェルター建設や複数以上の避難路と、国際化された多重な協力関係の構築、そして米軍含め自衛隊などに頼りきらない十二分な武具(戦闘機も情報機器と捜索機関の現代化も含む)や戦時医療の研究開発と輸入。等など。
実際その方が既存の水戸藩的雄藩気質の貫徹でも行革の王道でもあり、‘サブカルでの俗受けあれど比弱で萎えきった、悪い意味で女じみたエコアニとからかわれてきた情けない’日本国全体、乃至有能な中央官僚からみてさえもありがたいに違いない。とか安易に公然いうとヒステリックな江戸っ子マスコミから都知事以外袋にされるからこそっとなのだが。

 最低でも疎まれない品位を保つ程度に芸術家を褒章しておけばよい。その意味ではもともと冷たく皮肉で紳士ぶった尊大な國もしくは著しく残忍か野卑またはフランスやイタリアなど大陸から趣味の格下だとすらながらく思われていた、ショック賞や英国ゴールドメダルをつくりだしたイギリスの近い衰退対策に習うべき点が、水戸っぽは多い。鴎は。

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��1 政治の眼でみれば地味さで葉隠れ佐賀と最下位争いしてくのも面白いはなしだ。実際、その方が暮らし心地がよい、というのが定着している人間には間違いないのだから。人口密度も低くとどまるし、どちらかといえば非観光地の地元客への奉仕地域は客層の質を確保できるためいつも綺麗に保たれる。
 もし不利な点だけ改良したくば、「経済特区」構想によって、たとえだけど水戸市・土浦市・つくば市・日立市、これらのどこか又はすべての一部区画だけは仙台や上海、横浜や西新宿、をこえる都市計画の建築規制のレートをかえた超高層ビル群として解放するとかのはなしではないでしょうか。自分の想定だけど、一応は水戸市に行政区の面で含めるとかの場合も含め、大洗町の付近が適切ではないだろうか。自分が知るかぎり水戸っぽは商都向きの気質ではないにも関わらず県都を今はになっているので、この役割分業から政治都市である水戸と、商業都市系のそれを分離するのが合理だから。こうすればいまの県庁あたりが中間地帯となってどちらの利点も得られる可能性が高い。漁業圏とのすみわけさえできれば。元が商業性の高い都市なので霞ケ浦にほど近い土浦もいいけど、どちらかといえば海運があるとあらゆる利点が高いのも確かではないだろうか。だから土浦辺りはむしろ空港との関連づけによって別の展開をとる方がいい気がする。それに、蓮根畑や一面に広がる田ん圃から眺められる筑波山の首都圏人にとってのリクリエーション効果も入る。たとえばIT関連のじか出荷工場やハイテク産業流通拠点の集積策とか、彼らの職住近接化した田園つきのゆとりある居住区、要は空港(もしイバクー以外でも)にすぐいける利点を最大限にいかす都市計画が必要ではないか。
 横浜や神戸や仙台が、神奈川や兵庫や宮城の公的イメージにあたえる力、これはきわめて大きい。だからシンボライズできる超最先端の超高層群と新規開発のみに特化した一大新都市をどこかへ一箇所集中してつくりあげる、ってのは他から全体を違った眼でみさせ得させると思う。上海がない中国は本当に違う國になる様に。