2011年10月10日

高度成長ではしゃいだ報い

こないだ大量にすてられてしまったブラウン管テレビ、あれはチューナーを電機店が大量に卸して、あわせて4000円から一万五千円くらいでセット販売しなおせばそれなりに需要もあったろうし、通販すればかなり広範囲に売れたはず。

 原価がマイナスどころかひきとり費でプラスだったうえその処理費も省略できたのだからおおきなビジネスチャンスだった。
 市内ほかの業者が知恵を回せば、つぎの似た様な機会をいかせるはず。

 なにかしら、高度成長期の世代はscrap&buildが大好きな傾向があるのでほかにも似た「まだ十分使える大量廃棄物」をいくらでもうみだしてくるだろう。新病院建設もその側面がかなりある大規模公共事業だ。
��DPの数値が幸福感よりもすきな人達へはどんな忠告も無意味なのだから、本来の道具を飽くまでつかいこなせるのは(いきのこっていれば)それより上か、ジュニアをのぞく下の世代に多数いるはず。

 これは冗談やカモメ談になってないが、団塊はかれら自身もスクラップされつつあり実際、定年制や年金崩壊でされてるので自業自得ともいえるが、とばっちりをうけたあとの被害がすさまじい(自然破壊によるダメージ量からの治癒不能さ)ので、よりのぞましいのはほかの世代がなんらかのてだてでかれらの横暴粗暴を批判的に囲い込むことだ。当然この市も例外でない。綺麗なすなはまをかえせ、とどれほどカモメ連合が日本人へさけんでも浜通りのあそこいらにゃ二度と入れないのではおはなしにならないのだから。
「パンの耳」という品物があったのだが、そういう考え方は戦中を経験したひとたちが世界を去るにしたがって失われてしまったらしい。

大量生産大量消費にひたりきった団塊の世代の罪深さは、悲惨で深刻な放射能汚染と大量の処理先もない危険きわまる放射能廃棄物、そして被爆による甲状腺などの癌患者やこれからうまれてくるかもしれない胎児被曝で心身不満足な将来世代、しまいには除染されず生態系へ流出したながらく消えない放射能の影響をも一切の電気無駄遣いの果報もなくおしつけられ、負担させられている者にとっていまさら語るまでもないけど。
つまりは、経済率(=複利耐久財/瞬間消費財%)の低さはその社会体制が不完全もしくは未完成だったと示している。この際に生じた浪費はあまりにひどければ公害、すくなくとも迷惑とよばれており、来世あるいはかれらの将来世代へ罪科としてのこされる。この点で、よごしてしまったとりかえしのつかない環境のなかで不幸そうな子供をながめては決して心おだやかに死ねないというのも現世の報いだろう。