2012年8月29日

工場のresidence化

いま、工場が市内各地にあるが、これらが不要になるか、売りに出されて廃墟的な景観をもっているばあいもすくなからずみられる。
 これらはレンガ倉庫の要領で、art residence化してしまえばいい。NYでソーホーの再開発がはやったのが一番有名だが、ロンドン五輪もこのたぐいのinner city再開発をねらっておこなわれた。
 市の発展にとってもっともすべきなのは新世代の若者が定着してくれる状況だろう。芸術がこの起爆になるのが世界中でよくみられる。アトリエをかねた倉庫状態のたてやが複数あり、そこを安価で希望者らに開放する。これで工場というかつてなんらかの機能性をもっていた景物が、美観をもたらすものとしても再利用できる。さらにははじめかたづければほうっておくだけなので、手間賃がかからない。

 常磐炭鉱のあとには巨大なコンクリート建造物もみられるばあいがあるが、これらに安全性がある程度検証できるときはおなじことをしていいだろう。

 しばらくまえ、五浦あたりで美大につながりそうな美大芸大生誘致の構想があったみたいだが、アカデミー化というのはフランスのボザールという美術大学組織のころから疑問符されているので反対。美術大学・芸術大学といったart academyは古典芸能と化した死んだ技術をまねさせ、保守させる意味の方がつよくなって、むしろ独創や創造性をおさえこむ傾向がある。
 芸術をもっともよくつくりあげ、つたえるのは徒弟制度というのがおそらく普遍にいえる。
 外来のことばの翻訳なのでわかりづらいが、芸術:artはもともと「わざ」という意味で、職人のしごとと本質は変わらない。大工がどうやってわざをつたえるかをみていれば、技術には慣れとか勘といったある暗黙知がふくまれる。はやくアリストテレスの倫理学にもこのきづきがみられ、カントによっても『判断力批判』に天才自身が手本をみせるべし、という見解がみられる。つまりすぐれた工房があつまっているまち、といった場所が芸術家の創造性をもっともよびさましやすい。機械工業の集積がある日立市からの多珂一帯に於いて、北茨城は芸術の方面に特性が発揮されてきた経験がおおいので、おそらくこういう場所柄に適任とおもえる。