2012年8月26日

茨城県の将来性

人間は現代で、宇宙進出の途中にいる、ととらえるのが自然だろう。さまざまな商業活動は、おもとして資材をあつめ、この機会をつくりだすのをまっている。

 国際情勢をみると、各国のおもな国土はかぎられてしまい、大戦をさけようとするかぎりそれらのいれかえはないだろうから、もし創世記のとおり「産めよ地に満ちよ」となれば地上をこえてほぼ無限にひろがっている宇宙空間をつかうのが穏当だ。
 茨城県はつくば市、というこの重要な起点を一つもっているのでめぐまれている。おそらくたちいれない福島県の被曝地、はまどおりはそこに人家がつくられないという条件を利用して主要な宇宙stationになっていくだろう。日本国内で実質的に国有化されながら大規模な面積が確保でき、かつ首都圏からaccessしやすいのもよい点だろうから。

 現在、さまざまな商業によって財貨をかせぐ、という資本主義段階のおこないがおおくのひとにみられるが、この成果物がある宇宙技術の個人と企業、またはそれを支援する国家財政にたくわえられた結果、宇宙進出が実際にできる様になっていくだろう。現実に宇宙に長期居住する工学はまだかなり次元がひくくむずかしいとおもわれているが、いずれできるはず。
 しかし、これらの段階になってもまだ防衛権、という側面が人間についてまわるのがわかる。宇宙の広大さからいえば戦闘的な生物もいるだろうし、武力が永遠に否定されることはおそらくないだろう。日本はGHQによって便宜的に無力化されたが、ヤクザつまり暴力団という民間の不法武力組織がいたり、その前座としてみることのできる暴走族とかヤンキーとよばれている集団も国内にはいる。情報攻撃という型ではアノニマスもそうかもしれない。かれらは国内でもっとも大規模な公的武力組織としての自衛隊と警察に対して、無法者というたちばで威力をふるおうとしているのだろう。この実力、というものも冷静にみすえる必要がある。
 日本史をかえりみると、朝廷をふくめ幕府は単に最大の武力組織がになってきた。そして現代の国際社会でもやはりおなじで、人類は力をもちいるはかりごとによって徴税のための市場防衛をおこなってきた。この現実的な見方は、おそらく法や倫理的な説得という部分もいくらかはいりこんだとして、かなりの将来にわたってもそうかもしれない。

 茨城県がおおやけにめざすべきなのは、この武力面の強化といえる。その分だけ県警へ税収の大量配分がなければならない。茨城県は常陸国時代から歴史上、皇室における中央国政へ従順だったので逆らうことはまずありえない。そして大きな目標としては、国政と同等かできたらそれをひきいる単位として、宇宙進出を独自におこなえるだけの資財をあつめること。茨城県が国家のみならず世界にとっても、もっともこころづよい先駆、第一の味方となる様でなければいけない。もっとも平和的にみえる、人口増大のみちすじさえそれなのだから。
 商業活動が正当化できるとしたらこういった大義名分の上で、かもしれない。国民、県民が富み栄える道のりの途上で、その天空の住居地や生活開発に必要なだけの資本があつめられねばならず、さらにこのひとびとをみずからまもるため十分につよい防衛の武力がいる。