2010年6月24日

あるおしえ

これは奇想天外なアイデアにおもえるだろうから市の教育委員長とかには到底いまんとこ通じないだろうが、今後の市の人口がふえる可能性はゼロでしかもへたに行政が手出しして不自然にふえたらふえたで下愚がふえる(本来は社会淘汰か、生活保護いきの層がふえちゃう)わけで、つまり賃金形態上高いレベルにいる稼ぎ手、人口扶養力が減る社会構成は負けである。
以前より貧乏になった人たちが大量にあふれても幸福なおもむきには思われないでしょう。

でそのアイデアの核心は、「市の教育をぜんぶ英語化する」こと。これは価値あるというか、これしかないと思う。ユニクロがけさの毎日新聞系のニュースで発表した内情だが、これは勝ちたければまねるしかない。
負けてもいいじゃんという人は日本語で教育すればいい。しかし、日本人が英語おぼえたからって日本語でなくなるかって、それはない。俳句さえつくれればいいみたいな話である。
書物そのものが日本語で書かれてる間は文語としての日本語は完全には消えないはずだ。話される確率は減るかもしれないが、われわれのいまでいう古語もそうだったのだから文句は言えない。

 要は進学先をつねに海外に見据えること、しかもできたらイギリスの一流大かアメリカのそれ、以上を目指すには英語堪能が大前提で、これには子供のころから英語で囲う教育環境しかありえない。で、市で校内は英語ですという原則で締めたら数人は救い手がでてくるかも。
それすら出ないならこの地域産で文化教養人はあきらめ、天心の場合みたいに他から輸入してくるしかないだろう。冷酷なようだがこれが真実で、あの統合後磯高生では勝つも負けるも勝負にすらなっていないのですよ。笑われるための勝負ならいいところいくだろうが、それすら本場大阪には数で負ける。つまり現状の生徒では(きわめてまれな一部の突然変異をのぞいて)どうしようもないのだ。

『きたいば市内の教育は英語で』。これはできるだけ急いで採用するをえる。カモメからいきのこるには貝すら歩くので、人が歩かねば話にならない。啄ばまれてからではおそい。がおー