2010年6月26日

教員評価制度での解雇促進は必要不可欠です

クソ高生が反省しているふしはまったくない。またつるんでタバコ。つまり学校教員のレベルが最低級なので、生活指導とか言って人前でdisるとかタバコやってるやついるらしいじゃないか!とかほざいて殴る体育教師(←こいつが最もバカなのだが)とか、そのレベルなのはまちがいない。
あの名実共に最底辺高校生なのだから上等で高貴な理屈でなぜ彼らの行いが非行と呼ばれるのかを理解させたりはできない。現状は郷英どころか迷惑高校であろう。まじで。

そこで提案だが、最底辺高のくせに希望実現とかかっこつけて確立した自主性もない年齢層へ単位制度なんか導入してるくらいなんだから同姿勢で当然できるはずだが、ふつう一流以上の大学には必須の「教員評価制度」を導入して出来損ない体育会系のどうしようもない救えない教員をどんどん解雇してったらどうか。そんなの市内の某学校にはどんどん来ててサイアクだった。
理不尽な暴力しかふるえない歪んだ性格の、あと何年勤続してくるか分らんサイアクのやつらだった。なぜあんなのが教員やってるんだ? というのは教員免許がさほど難しい課程でない国側の制度のゆるみがあるうえ、市の雇用基準が教育なめてるというか安っぽすぎるので底辺教師がくるわけ。
で漸次、試みを市内の小中学までは家庭からの評価書提出の義務と、市議会員か情報公開制度での公的閲覧の原則で広げるといい。そうすれば家庭と子供の連携も緊密になり、地域による教師の評価という点で、現状の学内でどんなクソすぎる自称指導の暴力が日常か(自分がそこで育ったのだからよーく分るクソさ加減だ)を、市でもおおやけにしていけるはずだ。
��これ書いてから思ったが、それでも市民平均のああいうミニスカ放置親レベルでは、ある意味で歪んだ評価がでてくる確率が高い。つまり好き嫌いとか。下らんが、それが民というものの本性でもあるのだから、公開市議会以上、市内外のよく選考した有識者と出てきた評価書を洗い出す手間がいるかも。これをしないと理不尽な解雇が今度は起きる気がするが、何もしない現状の喫煙習慣放置高よりはよくなるはずだ。)
新陳代謝が必須。前から書いてるが最底辺高校しかない市を愧じろって話で、修士は前提、普通にイギリス英語(つまり本場というか本家本元)という国際語を母語としており、可能なら博士号自主退学以上の教員を雇用するがいい。ポスドク問題を注意深く観察していれば、たとえば筑波か仙台あたりになぞそんなのいくらでもあまってる。優遇措置など銘うちゃ3秒でできる仕事量でありこれしか子世代以降の市民の生き残りがないという真理が理解できれば容易だろうに。

この平和ぶった未成年犯罪放置(喫煙教唆の罪も法規範内だ)の極悪社会ではその程度の厳しさがなければ、まじで美人副市長あたり(?)に財政牛耳られて終る。歴史の一般論として言って、滅亡する国はこういう形で後宮的位置づけにある女性の権勢でことごとく判断をまちがえて自滅していくのだ。西太后の朝鮮王朝、邪馬台国の卑弥呼、エジプトのクレオパトラ。数え上げればいとまがない。
要するに、近代のアメリカの女性優遇の行きすぎが支配者の性格を要する政治的思考力に向いていない男女同権をひろげてきたので、これに騙された国は確実に落ちぶれる。一体、史上で成功した政治家の何人が女性だったろうか。それは星屑分の砂の中に埋まったダイヤくらい「ほぼゼロ」なのだ。結論からいえばサッチャーしかいないし、あれも単に能動的な施策っつーより以前のイギリス伝統の放任経済へゆりもどしした田中まきこ的気丈婦なので成功といいきれるか疑問だ。思想を要さないので誰でもできたかもしれない。
それが嘘だと思えば磯原海岸であしたじゅう潮干狩りするがいい。その歴史の重層を、単なる遺伝勘定のみならず十分理解した方がいいだろう。おちてるものといってカモメの屍骸であり、それが厳しい自然の掟というものなのだ。かもめは死ぬ。一刻の猶予もない。