2010年6月22日

なんかこないだ

これも思い出したが、こないだ天心美術館いったときのはなし。

 あの館内付属きっさってんで、べつに他意ない親子がベランダというかテラスにおかれたあの何気ないテーブルとイスに座ろうとしたら、「注文しないと駄目なんです」的に追い払われてた。しかし、これも高が薄給オバハンバイトだから機転もきくまいといえばそれまでなのですが(県立だけに県が募集し雇ったんだろうか?)、だーれもいないんですよ。お昼すぎもお昼過ぎで、べつに混んでもない。しかも寒空です。
別に決まりだろうがなんだろうが、そこに座ってかるくお食事してもらったところでなにが減るというのだ。そりゃケチ心がへるかもしれない。それに、しょせん箱物予算のうっちゃり先だから収益なぞどうでもいいのかもだが、さすがに冷たいにも程があるではないか。

あの軽装できてたんで地元の方だろうが、もしも、とっても遠くからわざわざ出かけてきた方がああいう扱いされたら、そりゃ「やっぱりね。これだから茨城は」と思うだろう。内心ね。かもめの私すら思った。
実際、なにも損するでもないし(テーブル拭くしごとがそんなに面倒か? 輸入したイスごとぶち壊されそうな客かなんとなく察しはつくだろうに)、むしろ「ほかのお客さんがこられるまでは座って下すってかまいませんよ」というのが税で県民自身が補填してる公営機関なら特にだが、本道ではないんでしょうかい。なにをケチってたのだろうか。 
なんであれ問題が起こればそこで考えればいい話だ。あたまが固まりすぎて機転という考えがない。黄門様にもああいう態度で接するなら理解できるが、それでぺこぺこ、市民にゃ冷遇ときた日にはなんのための民主主義であろうか。お上からさずかってきた空疎な理念で、実感ない田舎市民だと反論されたうぐいすさんよ、それはそうだ。けどあのさみしげな松の鳴る音には分るでしょう。
松籟いわく「貧富で差別するな」と。
 というわけでは決してないだろうが、その後、寒空のした向こうのベンチで食べにくそうにあの野外テーブル席訪問者はこまごまと昼食をしておられた。合掌。別にあの店員おばさんの意図として金目に訴えたわけではないのだろうが、茨城系の人物はかならず頭が固まりすぎてて規則を盲目に守れば自分が安全だと思いこんでいる。個人の自由というものを知らない。ナチスか? 
わざわざ茨城系の人物、というのは、そういう人に県内で特に会いまくってきたからだ。他の地域にはないお堅さである。悪い意味で。
ま、こういうのもぶち切れずにはおかないんでしょうね。だからカモメ語で書いてます。よめたらすごい。

規則厳守にゃいいところもあるんでしょうけど、悪さが際立つ場面だった。要は時と場合によるのだ。

 で、あの見回り員もどうなんだろうと思った。警備員あれだけ配置して、なにかされたんだろうか? さすがに監視カメラつきの隠れ広場でひとときたりとも安心できる者はおるまい。サイショから人を疑ってかかるというのは、キタイバ人がどれだけ性悪かを逆説的に証してしまう。実際ほっといたらあっという間に器物破損されるんでしょうかね?

もしなにも起きたことがないのにあれだけ警備員を「うろうろ」させる経費をつぎこんでるってのは、県の意向なのかもしれないけど、なにかさきゆき不吉である。誰だって憎まれ場所に疑われながらおそるおそる通うなんてことはないだろう。
要は、もっとずっと寛容に運営すべきだろう。
立地は将来崩れおちそうな崖っぷちだが眺望面で持ってる間は、集客したあとでどうもてなすかも重要な気がする。さすがにもと隠居場所だけに、足しげく通うのは難しいので、一回くるごとに相当優遇しないとリピーターはいなくなる。
 赤字でも県が出すって公算なら、その負担はやはり我々の租税だ。浅すぎる。
というわけで、効率的かつ寛容で奉仕精神にあふれた運営をのぞむ。市もその辺りは、程度あれ立地面で管轄させられてるのだから相当仕切るべきではないか。おばさんバイトにせよ、いばらきにありがちな堅苦しすぎるタイプを重鎮化させとくのは半面で問題だ。かもめ的意見でいうと、できたらいわきから採用したらいい。いわきの女性は一般にいばらき系より愛想がいいし(というか心象が厳しすぎずおおらかである)、若干元気すぎるがキタイバ系ほどヤンキー的に気が強いでもない。御三家な藩内にも苦労はあるのだ。