2010年6月28日

田園のまちづくり計略

あれだけの田園面積がさっさと売りに出されたわけは、その方が儲かりそうだからというにすぎない。要は農業の方が儲かればヒトは単純でそっちをやる。つまり中心市街でもなけりゃ田園地帯の方が市の景観でも情趣面でもいいというなら、民主的な市政の工夫でそっちのが儲かるように誘導するしかない。この手は早い方がいいとみた。
どうせ潰れれば荒地になってかえってすべてがわるくなるので、今後も車道沿いの農家が目先だけみて資本家に売る=実質では田園が乱開発でつぶされる可能性が高い。しかも数年で潰れるのは目に見える。国道沿い、中心市街地でも同じ現象が起きたのだから当然予想内だ。飽きればなんの留保もなしに打ち捨てられ、ただの薄汚れた救えない荒地が残される。
まるでこの世知辛すぎる半開社会での、どいなか底辺ミニスカorタバコ高生の端から終ってる末路の様だがそれはいうまい(言っている)。ま、居直って勉強をつづけてくれれば希望もあるはずだ。まれなのぞみと書いて希望。

で、農業でこの辺が儲かるためには一つしか道はなく、それは産直ブランド化だ。しかもそれには筑波とか、茨大農学部がすでにある土浦とか、ああいう高い化け学技術系の発展が約束されてる土地でもいまんとこないから、追い着き追い越すには「めずらしい品種」を育てるしかない。技術は平凡かもだが目の付け所が違う、という意味でのブランド化しかないというわけだ。
ガラス工房とかいうのもそういう地域性というか、こまやかな自然環境のせいで美意識がするどい点を活かしていこうという姿勢がみうけられる。というかそれしか今んとこ発展のための手段もなにもないのだ。磯高は下限がひどいのでたまたま入った秀才は大変だろうが、大抵の大秀才は周辺の別の進学校から都心へ出てってしまうので、やからにでも分る品種改良をみちびくしかない。だから高度な技術よりは、趣味のよさに懸けるしか今のところはない。

 産直というのは、常磐自動車道一本で運ぶにも福島浜どおりから県央と西は栃木までが限度だろう。こないだあおもりの出稼ぎの方がきてたと書いたが、あれは遠出すぎてこの辺の雰囲気が理解できてない感じが失敗っぽかった。梅雨に手作りリンゴjuice売ろうってのが、スーパー間の競争が少ない地域との理由差でもある。
つまりはキタイバの農協がめずらしい品種がありますよ、という売り方でいきのこるのが妥当。市のホムペにあやめを減反でも植えましたという利口な記事が載ってたが、そういうことでしょう。高萩駅前みたいなのが想定内の末路。それ以前にあれらの将来の荒地へどうやって気候に合った特別な品種を育てられるかが優先事項。生花でも当然いいだろうし、なにかバイオマスみたいな分野へ投入する雑穀でもありえる。

とにかく身近に高級な化学農法みたいな知識をもってきてくれる機関が今あるでもないわけで、いわきでは一部にみられる大規模ハウス栽培の導入とかを煽るのも、多分農地面積でいえばいわきや県央以南よりずっと不利なのでありえない。狭い面積ゆえかえって繊細な育て方ができましたみたいな焦点を狙うしかないと見る。

 どうも近代の市史の方角としては美術・芸術関係者が来る機会が多い土地柄みたいだし、転作系なら生花市場をねらうのが理にかなうのではないか。
それならまさに田園としか言えないわけで、咲いてる状態でも綺麗なので、画家も詩人にも大うけなのはまちがいなく、情操教育というもっぱらの磯高生への課題にも合致する。
��ま、花咲いてるだけでは話にならないがなにも咲いてないよりは蜂や蝶みたいなものでましに感じるかも。それならおはなしにならん犬じゃねーんだぞな抱きつき如きを人前で誇示されてもかなわん話なので、詩やら曲やらの一つも高校生の分際でつくりだす確率があるわけ。)
むしろ公園と兼ねてその共有地化した農園内に入るにちょっとした入場料(百円とか。年間パス千円とか)とって常駐管理するとかね。
そういう場所もひたちなか海浜公園の改良バージョンだが、どっかにはありそうなものだ。そうすりゃ開発前提の中心市街地への、遠出客のついでの回遊効果も十分ある。つまり生花市場を兼ねて、ああいう田園地帯をなんらかの広域な構想で守ってく方がいい気がする。

もしほっとけばあのへん高層住宅とか乱立しかねないし、そうなったら日立あたりの山あいみたいなのと変わりなくなってきて、この辺の独自さが保てない。
つーかもともとの考えが綺麗なので自慢できるところを伸ばそうって話だから、このへんを先々に超大都市の仙台超え一大都会にしちゃいたい人には話が通じないかもしんないが、それならそれでどうやって港町系の横浜や神戸や上海のあの規模に勝つかって話だがまるっきり大幅に遅れてしまってるし、人口比の将来予測からしてもよほどの天変地異がなけりゃそれはありえないし、個人的にも嫌。人口がふえれば、今でさえもっと生活排水浄化で川とか海辺をキレイにしたいのにますます汚くなるわけだから。

 育てる品種としてははじめはもとここいらの山奥に群生してた水芭蕉、あやめ、あかねからはじまって菖蒲、かきつばた、或いは市の花のしゃくなげ、或いは県花のバラでこういうのを豊富なイギリス或いは市でつながりあるニュージーランドあたりからえりすぐりでもらってきて(もちろん強壮すぎる外来種は比弱な在来種を駆逐しがちだから、最大限の慎重さと事前研究を前提にして)、いずれは独自品種の確立をめざして徐々に交配の知識へ進む、というこの辺りではないか? 
よくみればいろんな花が咲いてる市なので、海・山・川のコーナーみたいにすれば単にとってきて植えただけでもとても多彩に見えるだろうし、実際におどろくほど多彩なのだ。もともと群生してたのは、ここいらの気候で合ってるから生えてたのだと思う。だからそれをきっかけにするのが賢い。
それとも大昔に誰かがわざわざ植えたということもないのだろうけど。誰かがこういう将来を見越してあそこまで種を持ってったのだろうか? かもめが。という。
 あと滋賀のどっかの女性の市長がいるところで菜種の栽培でバイオマス発電やってたから、「輪作」というアイデアをとりいれれば、いちねんじゅう咲かねばならんもんじゃないのが世阿弥もいう花というものなので「有閑期に菜種」はありだと思う。それで市のエネルギーくらいはタダ同然でまかなえる話にこれからまちが縮小すれば、なると思う。循環型という市の計画にもあってるし。

 が、生花市場にもライバルな既得権が千葉の南房総はじめ結構いるわけで、相当戦略的・計略的というか巧妙にやらないと失敗しておわりだ。市でやるならそれは市民全員に責任かかってくる話で、農協へあらましだけ提案しておわりのが気楽かも。
おもっき市営でやろうとすると、経営的にはほぼ百パー失敗する。甘えるから。つまり必ず経営そのものは、株保有権をのぞいて委託でやらないとゼッタイ長くは続かないはず。青少年の家も経営がうまく行かずに潰れてしまったわけで、これは予言できる。