事実上、経済発展でまちおこし、というのはきたいば的にナシなんじゃないだろうか。そういう方向性はもう諦めていい。だから、カモメとしていえるのは(いえない)かばさんが半分本気でゆってた(ゆわない)、「若者よびこんで勝ち組だぜ路線」はもうありえない。これはおもいきって切ってった方がいいはずだ。
ゼッタイにこのまちの規模では経済発展でウハウハには向いていないし、ありえないうえ、だれもよろこばない。
ぼくはカモメだけにいろんなまちをみてきたが、南の世界は特に人がふえる適所なので必ず経済発展をめざしていく。しかしそれが幸福かといえば、ちがう。かれらとしては「東京と隣町に負けたくない」みたいな考えしかないまま経済発展したがるわけで、まちのビジョンとか住み心地とか景観とかは後手なのだ。
要するに、我々が東京以南と経済規模で張ろうとするのはおもっきしまちがっている。規模じゃなくて、「経済の質」ならまだわかる。
要は個々の家計が豊かになるということはまだ可能で十分ありえるだろう。それには個々の家庭の教養が高ければよい。
それで安易な安物買いをせず、彼らがうまく商売をしているかぎりはとにかく量産量産で行ってる人らよりもまち全体としてみれば豊かな世界になっているふしもあるはずだ。
かば氏が発表してた高精度の予想統計、あと50年後には5000人規模のまちになる、というのはほとんど確かな未来ではないだろうか。
たしかに戦後の成長だけをみてきたひとらには想像つかないだろうが、実際、今後も無人化店舗みたいなのがふえてきまくるわけで今は雇用されてるバイト従業員も全然いらなくなってく。と、農林水産の事業者・工場警備員・教員・専門技能職・役人、大きな数としてはこのあたりしかまず残ってこなくなる。
��第三次産業種は都市部へ集積するので、ここいらでいえば東京か水戸か仙台へと流れ続けて若者ごと地方からはどんどんと消滅する。)
通販と流通の合理化の拡大は特に小売店舗あたりを直撃するので、そういうのはいわゆる再開発ビルみたいなのによりあつまって(いわきラトブみたいに)なんとか生き残りをはかっても厳しいだろう。商店街の会誌とか出してるみたいだけど、今後もっと結束してってもそこの内でも必然の淘汰は避けられない。
で、かもめ的に見えることと言って、南側が勝ち組で他は負けですね、かといえば必ずしもそうならないだろう。数で勝ってるから個々の生活が豊かとは考えづらい。ウサギ小屋に住んで満員電車ってる勝ち組がなんの勝ちなのかフメイである。
だから、きたいば的には市民憲章にもありますが『教養主義まち計画』しか道はないだろうと思う。経済発展路線はすべて失敗する。その路線ではいわきにすら勝てる見込みはない。
しかも技術の日立が隣の隣には控えてるのだから、これも企業規模から言ってもいまさら追いつけるかといって成員の性格から言ってもそんなのやだよ(茨城人的短気さから言ってもコツコツまじめな理工系の好きなタイプばかりとは思えん)、となると思うし、あの高校生らが日立マンになるとしても出世出世で行くとは到底思えない。
まったく井の中の蛙なので高校で遊んでる自覚ないまま勉強しどきの貴重な青春期をテキトーに橋の下でいちゃついちゃった連中が、世界の一流企業の出世頭をめざしたり、めざせる確率すらほとんどないし、冷酷だが学力から言ってもきびしすぎる。アメリカ留学組ばかりで固められたエリート企業のサム○ンがライバルで、つまり「ない」のだ。派遣まっしぐらである。
で、ここまで突き詰めてくれば道はやはり教養主義にあると思う。個々の市民が非常に教養高い場合だけ、経済規模として量ではてんでおはなしにならないが、家計規模では南のどの地域にも負けないことになる…可能性もゼロではない。
で、その戦略というか作戦なのだが、たとえば仙台市なんかおもっきし半分は大学町みたいな大きさなので、東北全体からの求心力から言っても教育事業ではこの市がおっつくつかって、それは突然変異があろうと全体数としては時間がかかりまくるだろう。
きたいば市に通ってる平均的高校生からしても学力面で到底やばいのは目に見える。もちろん例外もあるだろうが、茨城にはほかにも筑波や水戸があるので求心力の面でも現在の条件は不利だ。
ということは、とても巧妙にやらない限り、教養主義化させてくにしても(もちろんそこにしか道はないっぽいので振り返ることはできないわけだが)うまく行くとは限らない。
かもめ的には5000人規模になったときに、過半が教養層な場合だけ、このまちというか市は成功したことになると思う。そんなことがありえるかって、そりゃやり方次第である。最大限に教養を尊びそういうのをもたらす人(知識文化人)を優遇すればいい。
で、教養が高いという意味でだけ優秀な若者がなつかしさ(というかどこより優遇される好条件)のあまり再帰してくれれば、全体の経済規模ではおはなしにならない小国だが、個々の家計ではほかの地域よりずっと豊か、という未来がありえる。それ以外は失敗した未来ということだろうと思う。かもめ的にはね。
結論をいえば、超利口にやるしかないし、それには学問芸術文化教養の担い手を盛り立てまくるしかない。そういうのに惹かれて寄ってくる精選された文化教養人をできるだけ定着させてこそ平均的市民性の質は高められる。
だから天心雨情大観をやたらほめまくってる市政の方向性自体は正しいと見た。それしか道はないのだから、ほめすぎはない。
自然が繊細でこの上なく綺麗なのはまちがいないので、それをさかんに美化する文化人を大量に定着させれば、単なる観光地としてではなく(観光地はかならず荒れるので自然保全からいえばのぞましくない。芭蕉のせいもあるのか、有名になりすぎちゃった松島あたりをみてくれば分る)、教養文化面での算出からして持続した発展ができるまちになるかも。珍しい風物があればあるほど人はそれを乞いに来る。
要は個々人が生計にあたって利口すぎるなら数は少なくとも人口扶養力の面で沈没することはない。その意味での5000人の勝ち組もある。迷惑でしかないバカ高生はバシバシ流出してもらう方がありがたいほどだがそれは言うまい(言うまでもない。かもめ的には、勝手に出て行く程よいのが見通せるし、市がいきのこるためには家計の質から言ってもジャマなので出て行くしかない。
そういう小規模で再生産率の高い家庭は大都市の下町に集まっていくだろうし、格差社会ではなんらかの設備面でもそうするしかないはずだ。要は貧困者用の住宅がある場所を求めるし、それは地価の急落した都心の足元にしかない。
情報だが、生活保護費の給付が数千円単位で多少ゆたかな千葉のとある市へ東京からホームレスが入り込みすぎて困るという話があって、大多数の負け組みはそういう行動形態をみにつけるしかいきのこりはないのが現実だろう)。
で文化教養面でエリート中のエリートの居場所になる場合にだけとても小規模の地方だが、ここいらは「調和した田園都市の感じのよさ」で尊敬されるかもしれぬ。
ていうか勝てなくてもいいや、という意見があるとおもうが、その意見は50000人から5000人に(つまり4万5千人が淘汰されるように明らかに)なってくあと25年後の段階でまわりを見ればだれかれ無職放免しかいないような状態になれば、誰もこわくて言えないはずだ。単に儲からないどころか若いほど食い詰めているわけだから。
万一の可能性として中央政府が福祉国家をめざしだすかもしれない。そうなると今も政治通に議論されてるが一律でバウチャーみたいにしたお金を政府が配りますみたいにならないともいえないが、問題は、仮にそうなったとしても市からの流出人口自体は決してとまらないだろう。
日立工場も将来は縮小か中国・東南アジアへやるのが基本で、となると国内空洞化はこの地域をもいまは安穏としてるがおもっき直撃してくる。よって上記の作戦は有効でありつづけるだろう。福祉国家にもし近づいたとしても地域のなんらかの振興そのものは重要なので。
完全に福祉国家にした北欧でも高度に民主的自治が考えられてるのは、そうでないとすぐ状態は悪化するからなのだろう(あるニュースでは実際、英吉利なんかより学力も低下しだしたらしい。つまり「努力なくして成果なし」なのだ)。働かなくてもいい社会でまじめに働く者は損をするわけで、勉強も高福祉でタダならするかって全然しないのがニンゲンといういきもの。いまの磯高生をみてればだれでも分る話だが。全然勉強する気がない。我々の国税で学校にやってるわけだが。下愚は追い詰めれば追い詰めるほどよい。
われわれ選良かもめ界(綺麗な海岸にすみつく層です)ではそういうことはない。海を見つめてるだけじゃないのですよ。飛ぶ練習とか。