2013年3月2日

極悪東京の国賊政治屋を日本国外へ追放すべし

 極悪天皇一族はもともと、かつても常陸国内へ勝手にやってきて極悪殺害行為をしていばっていたすくい様がなく邪悪で野蛮な過去がある極悪犯罪人のちすじだ。これをたてているのは水戸学のてまえにすぎず、はっきりいえばそんな他人をころす様なおおばかものの末裔、そんな極悪人の血へなどゼロ未満、マイナス以下の悪魔という評価しかくだせないのが良識たかき日本を愛する真の日本人の憂国の情として、いうまでもなく当然である。
 要するに業をみるかぎり極悪独裁者天皇家は千年ちかく独裁の地位を世襲してきたというだけ、その極悪さは人類最悪のレベルの種ということにすぎず、単に邪教祖としてなんとか善意ある日本人の権力に寄生してきた。これが真実だ。業をみれば、極悪天皇一族とはこのしまぐにでもねっから最低のたみなのだ。わたしも一度も天皇から益をうけたことなどない。害ならうけた。善良な茨城県のひとびとは平和なくらしをいとなんでいたし、とおくのどこのうまのほねかしらぬ自称天皇のきちがいになどなんの害もくわえるはずもなく、ふるきよき自然と四季のめぐりをたのしみながらおだやかで優雅にくらしていた。ところが、奈良県のやまおくから調子にのって一方的に国民をころしにきたのが極悪天皇家だった。すでに日本国内だけではなく海外でもひろくその残虐無慈悲にして悪魔の本性がしられる様にはなったが、極悪天皇一族とはもともとあたまのおかしな祖先崇拝の邪教祖のいえであって一番、武器や権力をもたせてはいけない不徳の狂人にして史上最悪のヤクザなのである。手段をえらばぬ領土拡大を妄信した最悪の侵略犯罪人兼世界帝国覇権主義者racistの血というものは、それだけでも永遠につぐないきれないふかいうらみをいだかれるには十分すぎるほどの極悪加減、完全な極悪徳にして最悪賊であり、この極悪天皇一族のあしき性状について古来の文献や地名にのこるうごかぬ証拠がある。茨城がそれだ。常陸国へいきなりきて、いばらでさくをつくってなんとひとごろしをしたのだ。絶対極悪犯罪人天皇は当時もいまも世襲であるかぎり、単なる極悪世襲独裁者かつ極悪殺人鬼であり、しかも邪教のおさをかねる最悪のちすじなのである。なんと、やることはすべて無力な民間人を犠牲にした暴力と極悪犯罪行為。これで国民を支配したとほざきまわってなんとみんなの財産をうばいとって独占し乱費濫用、浪費無駄づかいしようという。極悪虐めっ子極悪天皇の一族とは、こういった極悪ヤクザの最悪の業実現が目的で、自分で京都から東京までひっこしてきたというすさまじい悪質さなのだ。すくわれ様がない。すくい様もない。地獄以外のどこに適応しようがあるというひとたちなのだろうか。

 もしこのわたしの、ひとりの日本国の主権者としての見解がまちがいだというなら、どうしてその極悪天皇家が搾取してきた原発で放射能大公害というろくでもない被害を極悪東京から一方的にくわえられたこの善美なる北茨城、なんの罪もないばかりか永遠に聖なる場所が、極悪世襲独裁者天皇家のひびたえまなくいつも世界侵略の悪業用にぜにもうけ搾取する極悪東京都のつくってもうける罪悪きわまりない極悪東京ぜにもうけ原発から極悪ヤクザ天皇家がすきこのんでうみだした最低の廃棄物をおしつけられかねないのか。理由をこのほしにすむ全人類のだれかただひとりでもいいから、はっきり説明してほしいものだ。天皇一族が極悪人の血だから。これ以外になにかこどもにでもわかる正当な理由でもありえるのだろうか。われらは被害者だ。加害などなにひとつたりともしていない。そればかりか、われらはしはらってきた税金としてひごろの勤労としてそして人類の学術へのたえざる貢献として、公共に、国民に、世界に、どれほどちいさなものだろうがひとりのこらず、必死の努力でたしかな益をあたえつづけてきた。
 天皇家からは害ばかりうけた。益などなにもなかった。搾取してくるその極悪東京都内に他人のいえをうばってすんでいる極悪侵略・極悪強盗・慶喜公への極悪冤罪・江戸城極悪不法侵入罪ヤクザの極悪天皇家は、たべるものもきるものもひびの生活費もなんとその悪性をあわれんだ天の様にそこしれずいつくしみぶかくとうといこのわたしがやしなってあげているのだ。そんななにからなにまで国民であるわたしからあたえられてきている日本はじまって以来奴隷かすぐとなりのアジアの善良なひとびとからうらみをもたれる極悪犯罪囚人レベルのたちばである最悪の人種差別主義者のちすじ侵略犯罪天皇ごときが、一体、主人である国民さまに害をあたえるとはなにごとなのか。これはもう神のいかりをかってしかたない最悪の業であり、その極悪東京ヤクザにまもられてひび贅沢におごりかえる極悪天皇ヤクザ一族のすさまじいつみには最大限の天罰があたえられてしかるべきとさえいえるであろう。

 極悪人天皇が薩長土肥京のいつもの悪徳外道ヤクザ連中をひきつれて強盗にきた江戸城内に、さもなければ有害無益なうえ東京ヤクザしかだれもいらない不経済原発でぜにもうけをするいやしい無恥な資本主義あきんどこと悪徳政商の極悪ヤクザ石原慎太郎、または極悪政商の極悪息子原発搾取チンピラ石原伸晃の実家がある極悪東京都の犯罪商売奨励でかせいだあさましいにわか国税浪費のなければいいきたないへやにでも、おのれども愚劣きわまる極悪東京土民がうみだした放射能廃棄物の最終処分場をつくる。これがおとなの責任のとりかたというものだ。天皇明仁や皇太子徳仁、石原慎太郎や石原伸晃はこの程度の責任すらとれない。それならその越権や象徴というみのうえにまったくふさわしくない単なる悪徳のヤクザ連中、すなわち主権者たる日本国民への逆賊、いや真の民敵である極悪天皇家や極悪石原家は、土台が政治などにはむいていないこしぬけ外道の悪徳雑魚商人としかいえないではないか。もしきちんと責任をとって、極悪天皇家と極悪石原家の搾取の悪業でおのれでうみだした放射能廃棄物の最終処分場を極悪東京都の極悪皇居か極悪石原家、最低でもその現居住地である極悪東京都内に直接つくれなければ、善良なわが国民に寄生しつづける極悪天皇家と極悪石原家、こんなわれわれがひびその血と肉とをやしなってあげているのにわれらに害しかあたえてこない奇形俗悪害虫俗物どもはおもてもうらも単なるすくえない国賊であって、わがくにの領土をよごす我利亡者の極悪政商、先進国最大量の森林をもつ日本列島大自然を破壊する最悪ごみ投棄ヤクザなのはすでに最初の環境省決定があったとおりまちがいないので、わが領土をまもるため、わが主権をもつ日本国からこのふたつの極悪権力濫用犯罪人家族は、公正なる日本国民とその政治の名において永久追放することが必然の命令である。

追記:この記事を書いてから再考してみるに、天皇家は「実権をもって施政していない」以上、いくらまともな正論による批判を直接受けてもいまの時点ではどう仕様もないかもしれない。たとえば不徳な俗衆の土地東京から、徳のたかい水戸に皇居がうつれば、こういった公徳と象徴の一致に関する問題そのものも矛盾なくまとまるだろう。つまり徳の象徴としての天皇が純粋無雑な尊皇の聖地水戸へ御成り、現世的権力機構としての俗悪東京政治界からきりはなしてみることもできる様になる。国民を害する天皇家の反省がもしあってもなくとも、天皇による直接の施政という建前を期待できないかぎりではだが、そのつみは現政権に帰されるべきだろう。常陸国水戸藩の格式たかい伝統として、尊皇のむねそのものを安易にすてさるべきではないかもしれない。それは北茨城市民が間接に東京都民としての天皇家から放射能や名誉に関する害をうけてきたとしても、まだ天皇家がこれまでわれら国民へあたえてきたつみを反省し豹変する余地があり、現に直接、皇室から害をうけたのではないかぎりにおいてそうすべきだろう。

追記2:この前者の追記と本文からさらにかんがえるに、天皇の尊厳は実質的効用として国民という主権者に役立つかぎり、公益に該当しているかぎりでのものであると理解できる。天皇の効用は絶対無限定のものではないのだ。害をあたえてくる人間をあがめたてまつるおろかものはこのよにいないからだ。よって、本文にいう悪徳天皇家の国外追放令は、現に日本国民の一員としての北茨城市民が、極悪東京都や極悪東京都民というわれらから原発搾取をおこなってきたばかりか、一方的に放射能汚染をしてきた極悪自治体からわれら国民がとてもおおきな害をあたえられてきたかぎりでたみの正義であり、かつわれら国民へますますおおきな害を放射能廃棄物のおしつけでおこなおうとする極悪東京都や極悪東京都民として天皇がいるかぎりでこの天皇家一族そのものが、日本国民の税金と象徴という憲法上の職責を濫用する極悪人であるのはうたがい様がない。つまり前追記の水戸学上の意味でいう「宗教的尊皇説」と「政治的尊皇説」は実際にはきりはなすことができ、わたしは前者に水戸藩の伝統の一端をになうものとして一定の理解はあるが、後者の現実におこなわれている害がわれら国民にとってはなはだしいかぎり、全体としてこの天皇宗派というものは国民を害する公害団体であり政治権力と癒着した邪悪な宗教組織とみなすほかない。それがみずからの良心にそむかない、また日本国の現実にある民主主義的な道徳律と、政治機構からのありえるかぎり最大限の天皇家のきりはなしと、今回の様、象徴権力の濫用におよぶ独裁程度がはなはだしくわが日本国民へ与える公害がすさまじいばあいによっては極悪天皇一族の国外永久追放という将来のみちすじをみとおした誠実さだ。現に、悪徳の世襲独裁者を国外へ追放したうえで、別の高徳な王家を国民議会の議決によって再度むかえるすがたで名誉革命をへたイギリスの現王家もあるわけで、東洋でいう天子交代説あるいは易姓革命論と一致するかぎりなにも非常識なことではない。全世界のどこであれ、公共人はその徳においてのみ要請され、徳がないばあいは罷免、最悪のばあいは追放されるものなのだ。もし天皇が尊皇の聖地水戸をつぎの定着地にえらぼうとえらぶまいと、これらの主権の正義に関する政治論上のむねには事実としてかわりがないはずだ。