2013年3月25日

新憲法論

 まつりごとは、先祖をまつることだとすれば、この政治の語の意味のうち、特に政にあてられているおこないは、いわゆる祖先崇拝をうちにふくんでしまっている。しかし、互恵的利他性がこの血縁をおなじくする度合いに比例してしかうまれないとすれば、すくなくともおおくの生物でそうなわけだが、このおこないこそが「政治」の原型でもあるのだろう。
 ところで、このまつりごと概念をもっともはなれているのは、実はキリスト・救世主であるジーザスの思想。ジーザスは単に祖先ばかりか血のつながった家族よりも万民・みなを優先させようとした。この結果、『旧約聖書』のアダムとイブが神から楽園をおいだされたという原罪のおはなしの解釈のうえでも、キリスト教では祖先崇拝を悪徳とみなしてきた。

 いいかえれば、まつりごとはキリスト教とはちがっている。

 ここで、信仰心や道徳心があつい者は一体どうすればよいのか。おおくの西洋諸国のうち、一番宗教心が政治権力と分離した思想としてprotestantism・抗議派思想は、その妥協水準を「政治は宗教ではない」とさだめた。政治は現世的権力で調整をつかさどるものであり、宗教は前世や来世つまり過去や未来もふくめてそうするものであり、この2つはわけておくのがたてまえになった。こうしてキリスト教の貴族である教皇はもともといたわけだが、ヨーロッパで王族と共存しながらもこのひとたちはわかれていった。そして抗議派は、さらにこの王族による支配も否定しようとした。もっと純粋にかみさまだけから統治されるために、アメリカへそのひとたちはイギリスから移住してきた。

 このアメリカから間接統治された結果、日本は「まつりごとと、抗議派思想を同時にもつ」というとてもまれな憲法をもつことになった。この複雑性が、わたしたちのこころや、その生活をさいなんでいる。たてまえはもっともふるい系図をもつ天皇に政治的にへりくだらねばならないが、抗議派思想のため同時に自分たちが純粋にかみさまを信じる主権者でなければならない。この異常な状態、いたばさみ心理が、太平洋戦争後、68年間つづいてきた。現代日本はねじれているのだ。
 実は、いま自民党が憲法をかえようとしているのは、おもにつぎの2つのわけによるとわたしはおもう。
 1つめは、山口県からでてきた安倍氏が自衛隊は軍隊ではなく自警団であるという憲法のたてまえをなくして、それを公式に軍隊とみとめてしまおうとしていること。これは安倍氏が海外にいって外国人から、「おまえのくにの軍隊はどうしてる」とかいわれたとき、「いや軍隊なんてないたてまえで、いやでも本音でそれはあるけど、戦争はしなくて」とか、複雑な返答をせざるをえなくてすっきりせず、面倒だからだ。単に自警団というなまえにかえればいいだけだとはおもう一方で、安倍氏ふくめ首相になればその本人は自衛隊という名だろうと日本軍という名だろうと、あるいは国防警察という名だろうとその自警団を指揮できる。だからこれをアメリカなど外国からこいといわれてどこかに派遣して、現地での戦争の後方活動支援にはいるのにも、わたし個人はこれが不義理やよわいものいじめの一端であるとしっているため無論反対だが、すでに小泉政権でイラク戦争後方支援の実例があったよう「現憲法で支障はない」のが現実なわけだ。日本では侵略可能な軍隊あつかいしないが海外ではときにそれを軍事目的にふくむと定義されている一般的軍隊あつかいしてくれ、たとえば復興支援活動にいった現地でも戦地補償してくれというのは二重基準とおもうかもしれないが、実は安倍氏は「他国の戦争に加担すること」がきわめてつみぶかいとはさっぱり理解していない。これはこのひとが吉田松陰ら植民地侵略思想や倒幕思想をもった過去の山口のひととおなじで、暴力をふるっても別にいいものだと信じきっているため。山口のほとんどのひとにとって、暴力equal権力なのだろう。勝てば官軍とはそういう意味内容のことばだ。おそらく、この安倍氏の暴力への勘ちがいは、いずれはだれかなにかによって制裁され、安倍氏はこころから反省することになるだろう。わたしのしるかぎり、慶喜公の出身地である茨城のひとや、あるいは隠居地である静岡のひとはこころのどこかで、「負けるが勝ち」であるとこの真逆のかんがえかたをもっている。これは系統樹のちがいだ。本当に大事なのは他国の戦争を、最大限に暴力なしにやめさせることだ。慶喜公にはそれがわかっていた。それがどうしてもできないときでも、暴力以外の手段をすべてつかわねばならない。それでも無理なときは、いろんなくにの会議からつくられた政治機関である国連へ相談しなければいけない。これは国内でいえば家族会議や市町村役所、都道府県庁、日本国政府なわけだが、暴力をつかった途端それは悪事に加担したことになってしまうからだ。
 2つめは、実は安倍氏もそうなのだが、特に麻生氏が皇室の近縁だからだ。このひとは皇室、つまり天皇の家族と血のつながった親戚だから、できるだけ親戚をよりよいたちばにしたい。この点でかれのかんがえかたは寡頭主義的マキャベリアン・もっと端的に財閥政商の典型といってもいいほどなのだが、とかく「まつりごと」は祖先崇拝だからどうしようもない。だから麻生氏は憲法を天皇主権とし、たみは天皇という主人から支配させるという最高法規にかえてしまおうとしている。勿論政治好きな麻生氏もあるいは皇族のなかで世襲寡頭政治がうまくいくとおもいこんでいるひとも、それなら自分たちが統治者の役につけるから大満足なわけだが、麻生氏はこうして民主主義を否定して憲法を単純化しようとしている。一応つけくわえておけば、この麻生氏は薩摩藩・鹿児島県の大久保利通というひとの子孫で、安倍氏は長州藩・山口県にすんでいたひとの子孫だ。この鹿児島と山口は明治のとき、イギリスやほかの外国あいてに戦争をしかけて降参し、イギリスから武器をもらって逆に日本へ戦争をしかけた。こうしてかれらはよわい武器しかもたない日本人を問答無用でおいはらい、したがわなければころし、明治以降、ほとんどの政治家をかれらだけでしめてしまった卑劣な覇道の歴史がともにある。

 こういうことをかえりみて、わたしはこうおもう。天皇は宗教家あるいは古代から連綿とした神聖宗長の末裔として水戸において、まつりごと、つまり先祖をまつる儀式のなかで永遠に保護する。政治は皇室典範や天皇の条項をなくしてその儀礼的皇帝制度の本質をめにはみえない暗黙の不文律とし、いまある政治機構は国民による国民のための「現世」の権力調整機能に限定、祖先崇拝から形式的にきりはなす。そして他国の戦争に加担可能にしないために平和憲法・いわゆる憲法9条の「国際紛争を解決する手段としては武力を永遠に放棄する」をのこす。自衛隊は自衛軍なり自警軍なり、あるいは国防警察軍なり名称変更にとどめる。こういうことがいい。
 水戸ではなくて京都にしたら、という意見があるかもしれない。けど自分がしるかぎり、京都のひとびとは天皇へ日本で一番好感をもっていない、共産党の投票率すら日本一たかい。しかも天皇家の本当のふるさとは奈良だから、かえらせたまうというのがもし国民世論なら、かれらはそこにかえるのがもっともすじがとおっている可能性すらある。さらには大阪や神戸も、東京とおなじく一時的に御所だったことがある。いいかえればいまの京都というのはかりのやどりだったし、ひとびとがおもいこむほど特に必然性があるわけでもない。双都構想というのもあるが、これは自分はやめた方がいいと感じている。二兎を追うものは一兎も得ないからだ。あらためていえば、二都を負う者は一都も負えない。明治のときすでにこれが前提で天皇は東京にきた、となっているが、この時点でまだ16歳だった明治天皇近辺、具体的には岩倉具視だろうけどそのときこうかんがえたはずなのだ。関東地方、特に大商圏の江戸をあのままにしておけばかならずまた関西地方が実力でくつがえされてしまうだろう、よってそこへ優先して天皇を移動させてしまえ、と。徹頭徹尾、明治天皇は利己的暴力性で地位にともなう税収を独占する目的で、やってきたのだ。もしそうして日本全域を独裁するつもりがなければ、慶喜公はあれほど徹底して朝廷へ忠だったわけだから、関東では徳川家の伝統的武家統治をまかせておけばよかったのだから。
 自分がモデルにしようとしているのはイギリス王室で、かれらは大都ロンドンのすこし北にある田園バッキンガムシャーに宮殿をかまえているので、これが自然を愛するこのましい趣味の模範を、世界の国民にあたえてきているとわかっているからだ。そしてこの点は、実は水戸の徳川家もおなじだった。このため茨城県ではすばらしい自然と田園風景がのこされ、偕楽園という天下一となるだろう大公園もつくられのこされた。