2013年3月4日

映画費用と内容のチェック

 松村克弥という人物はかつて犯罪の内容や残虐な映画をとってきた者である。また、公金を着服する可能性はみのがせない。なぜ映画はとりおわっているのに追加資金などが必要になるのか。市政はどうしてその過去のわるい作品の経歴がある映画監督にわざわざ依頼したのかを説明する義務があるし、つかいみちをすべてすきのない様にチェックする必然がある。競技方式でえらんだわけではないなら、余計に癒着着服の危険度がたかくなる。
 以前の映画評では「あとあじのわるさ」、というのが指摘されている。もしそういった内容になったならばだが、なぜその様なかえって市の印象をさげる可能性がたかい映画をかつてつくってきた経歴の人物にわざわざ、公共のものである市税をついやす意図があったのか豊田市長こと映画の実行委員長は市民へ説明可能なのだろうか。
 完成後も、事前チェックしてすでにしはらった額のわくないで、悪徳表現はすべて修正させるべきだ。公金をつかうのだから、当の市民ふくむ全世界の人類が、たとえこどもをふくむ家族と一緒にみても安心して感動できる良識的な内容でなければならない。ホームドラマ、教育的内容。それが全体の奉仕者としての義務だ。水戸市のつくらせた某映画はこの点で注意があまく、ある意味で大失敗だった。前轍をふんで、もし詩劇のえがきかたが悪徳の強調でしかないなら、それは悪政となり逆に汚名を市にもってくるだけになるだろう。
 後援者としての最終結果までの責任が、公金をついやす市政にはあるといえる。そして期待どおりかそれ以上の「良識的な」できばえでなかったばあいは、市税の濫用あるいはばあいによっては猥褻物頒布罪として映画監督や実行委員長を市民は直接うったえる準備がなければならない。