2013年3月16日

茨城県知事の善

 自民党県連が茨城新聞上で県知事へむけて「多選の弊害」というが、それなら125代以上世襲皇帝の地位にのさばってきた天皇陛下こそまこと最大の弊害者となり最初に批判されてしかるべきな理屈になる。勿論、歴代徳川家など偉大な君主のすべてもそうなるわけだ。まず税金を第一に搾取している象徴がみをきらねば、その部下が君主的であるという面だけのために、みをきるおもいをするのは土台おかしなはなしだ。一体あれほど優秀な橋本県知事のどこに多選の弊害があるというつもりなのか、はっきりその弊害部分なるものを自民党県連はいわなければいけない。いわゆる総合ブランド研究所による風説流布の犯罪活動によって恣意的ネット調査で300万人の日本国民が不当にひびおとしめられていることへの対策、以外になにかもっぱら改善すべき点があるとすればだが。ないとすれば自民党は冤罪しているのだ。
 震災時にもそれ以前にも、まこと尊敬すべき偉大な功績がかずある現知事への、公徳心や判断において腐敗した自民党からの単なる名誉毀損におもえてならない。茨城県にくらす300万人のひとびとは、まさに急場に真の勇気を発揮し、不道徳な政策へ直接抗議した橋本茨城県知事のおかげで深刻な被災地での計画停電という悲劇からまぬがれ、いのちをすくわれた。そして茨城空港というあらゆる面で有用な自衛隊基地の兼用化という方策も、この賢慮にまさる知事の一貫した英断の歴史によって、東京の悪質なマスコミからのすさまじく不当で陰湿な悪徳商人根性の誹謗中傷にもかかわらず維持されていたおかげで、そこが首都圏で震災当日も唯一いきつづけた貴重な海外からのアクセスポイントとして日本国民ならびに世界人類のいのちをたしかにすくったのだ。正直なところ、これは英雄にのみなせるレベルというほかない。
 はっきりいう。あの悲惨な大災害状況の当時、政権与党だった民主党との挙国一致体制を単に政局目的で拒否した悪性きわまる自民党ごときが真の英雄である茨城県知事に侮辱をする。これは、「最悪」というのだ。これほどのあからさまな悪業に、日本国の人民としてすこしもいきどおりがわかない方がおかしい。
 Critic、つまり「わかる」ことが批判や批評ということばの原義であり、単にあしざまにいう意味ではない。業績を理解し、そのなかで改善点やのぞましくない点を指摘し、諫言ということだが、そうして公共に処するのが政治家としてのつとめではないか。なぜ具体的内容がともなわない単なる非難や攻撃が、県民ならびに国民の公徳へ資するというのだろう。そのわけもない誹謗、そしり、わるくちはまったく逆の効果、いわば「有徳な君主を悪意をもった小人がひきずりおろす」という革命とは正反対の堕落、最悪の衆愚行為、いわゆる孔子がにくんだ「下にいて上をそしる」不徳なる暴政をもたらすにすぎない。
 どんなばあいでも、君主であれ民主であれ、世襲であれ一代であれ政治の中心にあるものは、徳の程度なのである。

 それとも一党独裁化した自民党からのいいなりにならないひとは、だれであれ政治活動ができない、とでもだれかいうつもりなのだろうか。おごれるものはひさしからず。

 特に、生物学的必然として常陸国人ではない出身ゆえに茨城県民のためにいのちをすててはたらくとはかぎらない現副知事をなぜか擁立して、国会議員にすぎないかぎり地方自治とは無関係な自民党県連が有利に県政へ圧力をかけ、県民の意を牛耳ろうというのなら、それは単に行政的に不正な弾圧、さらにいえば地方選出国会議員や県政への国政からのlobbyistによる不正な談合というほかないはずだ。おそらく邪推でなければだが、自民党県連が現副知事をいきなり擁立しだしたのは、このひとが現職官僚からの出向者だった関係で、族議員とのあいだでの、国政とのこのひとなりの癒着関係がなせるわざとおおよそ予想できるとしても。
 県民により直接公選されたのだ、現知事は。どうかんがえても、単なる国会議員にすぎない自民党県連がえらんだということではない。つまり、自民党県連は国政から県政への内政干渉をおこなおうとしている。これはまさに民主主義からみれば不義である。実に単なる弊害なのはばらまき公共政策からの票田による癒着関係を大量にもっている自民党県連の方ではないだろうか。
 このどうみてもあからさまに不正な政治的事実、つまり自民党が国家政府の政権与党のたちばから地方政府へ圧力をかける一党独裁制をしめしている。この事実がまちがいではないかぎり、ちかい将来ふたたび悪徳自民党の座がくつがえり、民主党に政権がもどることも十分予想できるといえよう。実際、現首相は地方の自民党議員がえらんだ人物ではない。その自民党内の議員票間の自己目的化されたくだらない派閥抗争の方がよほど多選にわたってきているのだから、国民ならびに県民にとってもおおきな公害があるといえる。いいかえれば、自民党自身が国民から信任をたくされたみでありながら民意にそむく悪業への反省の度をふかめ、地方にすんでいる国民の真の意見へ真摯に真剣にみみをかたむけることこそ、真の地方選出国会議員の「全体の奉仕者」たる役目なのである。この国家政務の王道をわすれ、覇権をとったにすぎない自民党閥を濫用し国政につながりのふかい族議員官僚族にこびをうるとは、なんといっても茨城県民としての公徳にあたいしないと、わたしにはみえる。

 茨城県がただの地方自治体だろうか。延喜式に最上区分の大国だった。親王任国であるから現常陸宮家が御皇室により創設された。坂東のかなめとして徳川幕府からその重要な背後をかためる地位である定府制御三家に指名された。ところで、めだとうとしないから魅力がないかの様にみえるただの田園地方でありいなかだから、茨城県民などというものはたかだか一代官僚や世襲皇帝の親族へのなりあがりとやらが、それどころか成金が、はじめからうえから目線で悪徳支配してやるのはちょろいものなのだろうか。いいえ。そうではない。この地方を本当にしっているひとはそうはかんがえられないだろう。ここは長年、いや日本でもっともふるく『古事記』『日本書紀』という他者からの記録のみならず『常陸国風土記』という古老の代に記録された、卑怯な一方的侵略者へのきわめてはげしい対抗戦をしいた当時から、『大日本史』や水戸学における尊攘論にみられる非常につよいpatriotismの啓蒙に至るまで日本人にとって郷土、ふるさとに対する報国心とそれにともなう偉大な公徳というものをうみだしてきた伝統がある地域なのだ。否定しようもない水戸っぽなるものの性格を、ここでうまれそだち、本当にみをもってしっているひとは、この地方におけるひとびとがおどろくほどつよい武士道精神から延長された極端なまでの道義心をあちこちにひめているのをしっているだろう。
 茨城という故事にみられる侵略犯へのはげしいresistance。佐竹公が上杉方への不義理を自重したこと。四十七士。桜田門義士、坂下門義士、天狗党義士。大政奉還。これらの共通項はなんだろうか。茨城県うまれのひとびとがもっていたはっきりした正義感の証拠だ。

 要するに、自民党県連は「国政」と「地方政」を混同している。この2つはことなる選出システムでおこなわれているのだから、そのふたつが最適化しないことはむしろ、地方自治の独自性や個性をよい意味での民主的な多様性としてのこす、本来の地方自治の理念にとってまこと維持すべき点なのである。このすきま、自由の介在しえる双方の権限と役割分担があるからこそ、国政の濫用も、地方政の濫用も相互監視によってふせがれる。小と大のあいだでの公益へむけての権力均衡の状態にこそ日本あるいは世界にとって最大の公共性が期待できる。このしくみの事情は、世界からみれば地方にすぎない「日本国」と、世界の国政といえる「国際連合」とのあいだでもひとしい。

 結局のところ、現茨城県知事の偉大な功績、長年この地球における世界と日本国家および首都圏に対する勤倹実直で慈善と勇気にみちた労務の功徳をたたえられないばかりか、だれのめにもあきらかなはっきりした有能さと善を否定し、冤罪にかけ、むれつどった劣等さや悪に加担する妨害をおこなうとするならば、それは現自民党閥の心底からのたちのわるさあるいは悪意でないとすれば単なる理解力不足以外なにひとつしめしていないとおもえる。まず、地方と中央をとわない国民のためにも、国政のためにも、そして世界のためにもあまりに長期政権をしいてきすぎた自民党の内部自浄作用がはじめられねばならないだろう。こういった意見をさきんじて発表しているほど徳がたかく、地方票をもっともあつめた石破氏がなぜあれほどおとなしくさせられているのか。あきらかにこれは中央政界をおかしくている明治簒奪以来の、薩長藩閥なるものの弊害なのだ。皇族の近縁? どこかの財閥? 戦後の首相? 小御所会議での慶喜公への岩倉や薩摩藩はじめ西日本諸地方主からのぬれぎぬとそこからきた西日本の人による覇道政権独占という悲惨な歴史? 関係がない。このうみをとりのぞかねば、自民党そして日本の国政に未来はないだろう。重要なのはちすじでも財産でも出身でも経歴でもない。徳、しかもできるだけおおきな公徳なのだ。

 なお福沢諭吉は『文明論之概略』で私智、公智、私徳、公徳の4つに理知を分類しそのなかで公智を称揚しているが、わたしはこのかんがえかたはすくなくとも政治論に関しては偽であるとおもう。
私智:知識、ものしり:knowledge
公智:判断、理解、ものわかり:understanding
私徳:倫理、習慣、独慎、なれ:moral
公徳:道徳、大義、浩然の気、のり、みち:virtue
おおよそこういう風に分解すると、結局政治とは徳側の分野なのだ。智つまりintelligenceがもとめられるのはおもに、理論的傾向のある学術分野の方だ。アリストテレスの定義にかさねれば、徳つまりethicsとしての能力こそ思慮という実践的なよさにかかわる。さらにいえば、西洋ではソクラテスにより東洋では王陽明により智徳の一体性がとなえられてきたが、そこに福沢の有名な命題「物ありてのちに倫あり」をかさねると、このあらたな知識から道徳への応用というのは学問が一系性としてもっている既存の性質だということ。もっと端的にいえばphysicsからmetaphysicsへ、自然学から社会学へという学問的認識の発展方向をしめしている。そして自然学の始原にあるのがその記号言語をきめる数学とすれば、社会学の最終形として哲学がそのばにあってあらためてわれらがどうすべきかという「のり」をきめる。こののりという発音の制度的側面を法つまりlawといい、規律的側面を則つまりruleという。この混沌からひきはなされ秩序化された一体感にあるのは、結局そのひとたちが学問の、といまなぶ共同体としてすでにある知見からみずからの社会的行動をつくりあげていく経過である。そして老子は究極のところ、これを道となづけたのだろう。