2023年1月19日

原発処理(汚染)水海洋放出に関わる大井川和彦茨城県知事への連続ツイート群の写し

   2023年1月16日、大井川知事(@k_ooigawa)宛て

 一茨城県民です。
 全国民の多数派が、原発処理水(汚染水)の海洋放出に反対してます*a *b。

 原発処理水は「トリチウム」を除けません。しかし60年間、保管すれば半減期でほぼ安全になります*c。

 もし今年(2023年)春までに海洋放出すれば、日本国民の多数派民意に逆らう行政となり、ことに国際社会から明白な人権侵害とみなされるのは確かです*d。

 国連と共に、県民の手づから日本政府へ「革命権」「抵抗権」が実力行使されるのを避け、海洋放出は遅らせて下さい。

   2023年1月19日、大井川知事(@k_ooigawa)宛て、その2

 直近(2023年1月13日)の知事定例記者会見をみて再度報告させて頂きます。
 恐らく知事は、現行の処理(汚染)水問題について「科学的」状況と、「政治的」状況を混同されてると思います――それは政府としてかなり危険な結末を招きます。以下手短に説明します。 

 まず政府はよく「科学的」に間違えます――例えばハンセン病患者へ断種・隔離政策をし人権を踏みにじった事があったり(癩予防法など)、水俣病・イタイイタイ病・四日市喘息といった外部不経済を過小評価してしまったり等が過去の実例です。

 したがって「科学的」事実として、専ら「政治的」状況を無視し、反証的に考える必要があります――つまり「政治的」に不利でも真実に立脚し、事態を考え直さない限り、人類は似た過ちを繰り返すという事です。

「科学的」事実は、図の通り、トリチウムの生物濃縮を減らすには海洋放出の時期を送らせるのが現実的選択肢という事です*1。
 一方、政府はただのトリチウム水を、生物濃縮する有機結合型トリチウムと悪意か無知で混同しながら*2 *3、安価な選択肢として海洋放出を東電に急かされてます*4。

 政府が基準値以下なので安全、とする言説は、

1.トリチウム水(HBO)の影響と、有機結合型トリチウム(OBT)の影響を、悪意(害意か事情通または両方)で混同させる

2.一度の被曝の影響と、生物濃縮*5や長期にわたる多重被曝*6の影響を、悪意で混同させる
と二重の悪意に基づいている。

 他の核種のうち物理的半減期が5730年の「炭素14」のよう、長期被曝下で生物のDNA損傷に至り、細胞壊死か突然変異が保存される可能性がある*7物質を取り除く技術は、未確立*8。
 よって「外部不経済の内部化」の論理によれば、政府は公害発生前にそれらの環境放出を防止する義務があります。

 上記で示した通り、日本政府・茨城県庁は原発処理(汚染)水に関し、「科学的」事実に即した国民福祉をごまかし、「政治的」目的(特に東電にそそのかされての目先の金銭勘定)でその真実を覆い隠し、政治道徳上の義務を怠っているのが確かです。

 また上記で示した通り、最終的には「革命権」「抵抗権」行使が合法かどうか、実際になんらかの政治行動が行われてから、裁決を国際司法裁判所に持ち込む結果になるでしょう。国内法には同規定はなく、かつ公海汚染は国際問題だからです。

 既に国連の「有害廃棄物に関する特別報告者」バスクト・トゥンジャク(Baskut Tuncak)氏によって、事態は国際的かつ大規模な人権侵害の問題だと指摘されていました(アーカイブ)。
 国内旧政府側の悪意は上記のよう明らかなので、私は臨時新政府を法的・倫理的に容認します。

 国内法には刑法に「内乱罪」規定があり、具体的暴動とその扇動を含む新政府樹立には制約があるものの、平和裏に作られた政権に制約はありません。よって私は、処理(汚染)水の海洋放出を強行しようとする旧日本政府・旧茨城県庁に、統治上の合法さを認めません。
 新政府側を旧政府側が武力弾圧した場合、我々は国連人権機関と国際司法に訴えます。さもなくば常磐圏の各人民と旧日本国民一般の主権が侵害されるのは明らかだからです。
 知事が自民党の後押しで今の政権を持ったのは重々知ってますが、旧政府側に着くなら訴訟前に退陣をお願いします。

―――
以下参考資料
a) https://alterna.co.jp/28277/

b) https://asahi.com/articles/ASP135S0CNDJUZPS001.html

c) https://s.japanese.joins.com/JArticle/268977?sectcode=A00&servcode=A00

d) https://greenpeace.org/japan/uncategorized/story/2021/03/17/50653/

1)第16回ALPS小委員会資料4「表4.処分開始時期と処分量によるタンクに貯蔵されている処理水の処分期間(処分終了時期)の試算例」
https://www.meti.go.jp/earthquake/nuclear/osensuitaisaku/committtee/takakusyu/pdf/016_04_01.pdf
『東電福島第一原発 汚染水の危機2020』ショーン・バーニー、グリーンピースドイツ、2020年10月、21頁
https://www.greenpeace.org/static/planet4-japan-stateless/2020/10/ba82306e-radioactivewater_jp_fin.pdf

2)"Tritium Dynamics in Mice Exposed to Tritiated Water and Diet"Rodgers, David W. Health Physics 63(3): September 1992, pp.331-337
https://journals.lww.com/health-physics/Abstract/1992/09000/Tritium_Dynamics_in_Mice_Exposed_to_Tritiated.9.aspx

3)厚労省ホームページ、 食品中の放射性物質への対応、よくある質問、東日本大震災関連情報、「Q4」の回答
https://www.mhlw.go.jp/shinsai_jouhou/shokuhin_qa.html

4)『事故処理費用、40年間に35兆〜80兆円に』日本経済研究センター、2019年3月7日https://www.jcer.or.jp/policy-propos-als/2019037.htmhttps://www.jcer.or.jp/policy-proposals/2019037.html

5)"An updated review on tritium in the environment" Eyrolle, F. et al. Journal of Environmental Radioactivity, Volume 181, January 2018, pp.128-137
https://www.sciencedirect.com/science/article/abs/pii/S0265931X17307956?via%3Dihub

6)"Permissible Levels of Tritium in Man and the Environment"R. V. Osborne, Radiation Research, Vol. 50, No. 1, April 1972, pp.197-211
https://www.jstor.org/stable/3573479

7)フランス放射線防護原子力安全研究所(IRSN)発行「放射性核種ファクトシート炭素-14と環境」
https://www.irsn.fr/EN/Research/publications-documentation/radionuclides-sheets/environment/Pages/carbon14-environment.aspx

8)『黒鉛減速型炉における中性子照射黒鉛の炭素14』藤井貴美夫・松尾秀人 (共同研究)、日本原子力研究所、JAERI Review 2002-034、2002年12月
https://inis.iaea.org/collection/NCLCollectionStore/_Public/37/002/37002407.pdf
引用:
3.3 炭素性の分離方法
「炭素同位体の分離技術に関する研究は圏内でも多く行われているが、炭素14の分離や濃縮については限られていて、報告はほとんど見当たらない。」

3.3.2 炭素 14の分離への適用
「炭素 13、炭素 14等の炭素同位体の濃縮や分離技術に関して、化学的方法、物理的方法、機械的方法等について調査した結果、化学的方法についての研究開発が比較的進んでいることが明らかになった。
 炭素14の分離に対する重要性は各国共通の認識と理解されるが、この分野の研究論文は少ない。したがって、炭素14の分離や濃縮には、安定同位体であり、医療分野での用途がある炭素13の分離方法を応用することから始めることになる。」
引用終わり

2023年1月18日

マスク着用の例外措置について

台湾や日本など東亜勢はコロナ禍の成績(低感染率)が欧米諸国より相対的によいが*1、その原因の一つにマスク着用率の差があるなら、欧米諸国の脱マスク主義に日本人を従わせようとする茂木健一郎氏、三浦瑠麗氏らは善悪アベコベの社会壊乱論者といえる。

 茂木氏は三浦氏を庇う形で、日本人一般のマスク着用率への執着が極端に過ぎると述べているが*2、集団間でマスク着用率の高さと低感染率に一定の正相関があると考える方が科学的なので、脱マスク主義を感染対策として或る国民単位で一般化してよいわけではない。

 マスク着用率が一般的に高い方が或る集団での低感染率を達成するのに一般的に好都合なのは明らかなので、死亡率の低い子供社会(例えば学校生活で、広い校庭にて遊ぶ状況)の場合や、アレルギーや肌の調子でマスク着用に不都合な症状を持つ者など、例外措置について緩和的対策を講じる事で十分である。

―――

1) 『要因Yについて』https://kitaibarakics.blogspot.com/2021/08/y.html
2) 『茂木健一郎(@kenichiromogi)さんの連続ツイート第3025回「マスク着用が感染防止に統計的に有意な効果があったとしても、それは唯一の評価関数ではない」』https://togetter.com/li/2051962

2023年1月17日

渋沢栄一『徳川慶喜公伝』自序(拙訳、未完)

   一 徳川慶喜公伝 編纂事情(とくがわよしのぶこうでん へんさんじじょう)

 私が徳川慶喜公(とくがわよしのぶ こう)の御伝記(ご でんき)の完全なものを終生の事業として作りあげたいと思ったのは、決して偶然ではない。私一身の特別な境遇にその動機を発し、いろいろな事情からますます、その心を強くしたのである。
 だれかがこのご伝記を読み「なるほどそうだったのか」と合点(がてん)するには、私がこの事業を思い立った原因から説いてこなければ、そこへ至った経緯はおそらく他人には理解されえないだろうと思う。

 もともとわたしは商売が本業。優美な文才もなく、またご伝記を編纂(へんさん)するほど史学の素養もない。なのに、ここに大胆にも自分の名で後世に伝える大著述をなすつもりなのは、実におこがましい話である。

 けれどもこの御伝記編集が、私への天からの使命なはずだとの深い直感と、是非この書物を完璧たらしめ後世の人に十分こころして読んでもらいたいとの尽きせぬ熱望とは、編纂をはじめたあとで、さらに深く、厚くなったよう感じている。
 いまや手伝ってくれている諸氏の懸命な努力により、ご伝記を脱稿するに至った。
 ついてはこの事業がどんな精神のみなもとから流れ出たか明らかにし、まず全巻のはじめに置いて、それを序文とするのが最も適当だろうと私なりに考え、ここに徳川慶喜公伝編纂事情(とくがわよしのぶこうでん へんさんじじょう)を事実、ありのままに述べるのである。

   二 私、渋沢栄一がどうして慶喜公にお仕えする事になったか

 埼玉の農家の長男だった私は、江戸に出て剣術の手ほどきを受けると、黒船来航以来すでに生じつつあった幕末政変へ家出同然に身を投じつつあった――なにしろそんな私には、元の農民に帰って、田んぼの間で安穏と老いることができない事情がある。それならいっそ身を国事にゆだねよう。侍(さむらい)になるなら、賢い主君をこそ特にえらんで、仕えたてまつるべきだろう。
 さいわい同時代に、理想どおりの徳川慶喜公がいる。若かりし私は、わが一身、この公に生涯仕えるがよろしかろうと決心し、翌年、はじめて一橋家(ひとつばしけ)の家来(けらい)となったのである。

 さてひとたび慶喜公を主君といただいた以上、命果てるまで臣下の分を尽くさなければならぬ。貞節な婦人はいちど夫をもてば、必ずや操(みさお)を2つにも3つにも分けたがらないだろう。
 ましてや君臣のあいだはいわゆる三世の義――すくなくとも三世代にわたって恩義を尽くすべき心の約束を結ぶもので、当然たやすい筈もない。と私なりの覚悟を決めたのだ。
 でまかせな心で出仕さえできればあとはどうなってもいいや、などと浅い料簡(りょうけん)ではなかった。

   三 公の将軍家ご相続――渋沢は弟君(おとうと ぎみ)にご随行でフランスへ立つ

 その後、慶喜公は徳川宗家(とくがわそうけ)(徳川家の本家)をご相続なされ、つづいて将軍職をご拝命(はいめい)になったので、私も一橋家から幕府に召しかかえられ、幕臣となった。
 すると、君臣のあいだがらには変わりはないとはいっても、たがいの身分の差がはなはだしくなって、これまでのよう親しく公(慶喜公のこと)のお考えやお気持ちを知る機会も少なくなり、私の思いをお伝えするのも難しい状況がやってきた。そうかとおもえば、公とお話することすらできなくなってしまった。

 そんななか、公は、幕府滅亡の危機が迫ってから宗家を継がせられることとあいなった。

 これは公にとって実に不利なご地位に立たれることになった、と私は感じ、すこぶる憂慮にたえなかった。
 わが君はこれほど明らかな利害得失がおわかりにならないおかたではない。
 またお側にいる補佐の重臣(じゅうしん)も、滅亡しかかっている幕府を相続する事態が、公にとって大いに不利だ、と予想できないはずもない。
 公のご実家にあたる水戸家(水戸の徳川家)の家来であるところの侍に、原市之進(はら いちのしん)という、公の優秀な側近がいる。識見も学問も、立派な経歴も相当に有るのはまちがいない原氏がお側(そば)にはべっていて、なにゆえ公へ相続はおやめになるようお諫(いさ)め申さぬかと私は思った。私は原氏と直接会うと、宗家相続反対と進言した。けれども、私の切(せつ)なる意見は遂に、幕府に採用されないのだった。このときの私の落胆はたとえようもないほどだった。

 何かほかの思案はないか、と考えていたところへ、公の弟君(おとうとぎみ)・徳川民部大輔卿(みんぶ の たいふ きょう)(水戸家の次期当主、徳川昭武(あきたけ)公。以下、民部公子(みんぶ こうし)、民部、或いは単に「公子」。当時14歳)が、本国(日本)代表としてフランスで開かれる万国博覧会に参列される予定があり、私もその随行を命じられることになった。
 私はもとより先見の明などというほどの知識はないけれども、つらつら将来の形勢を予想するに。到底幕府が権勢を持続できないのは明らかだとしても、政変の終局がどうなっていくかについて、私には全く五里霧中(ごりむちゅう)のままであった。いづれにせよ、自分はこのばあい海外にでて、公子を擁護して時勢を待つが善かろうと思案を定めた。
 ただし公使がお伝えになるところ、随行者にはほかにも上級の人がいて、私はただ荷物の取り扱い、金銭の出納、文書記録の処理をする、いわゆる雑用役であった。けれども、心の底には、いつかはこの公子の補佐をするつもりだ、との抱負で仕えたのである。
 かくて私は慶応3(1867)年の正月に横浜を立ってフランスへ渡航。博覧会終了のあと、公子のお供でヨーロッパ各国を巡回中、本国で公は幕府の政権を天皇家へ返上なされた。
 この政変が追々電報もしくは新聞などで海外に伝わってきたが、ことに驚いたのは鳥羽・伏見の出来事であった。

   四 順公薨去(こうきょ)にてやむなく帰国

 第一に政権返上がどんなご趣意であろうかとの疑念を持っているところへ、そんな開戦のことを聞いては、なにゆえに公はかかる無謀のことをなされたかという強い心残りをもたざるをえなかった。
 当時の私の考えでは、もはや事ここにいたって本国は一旦分裂して群雄割拠の世となるであろう。さすれば今すみやかに帰国しても効き目はない。むしろ公子を擁護して費用のあらんかぎり留学し、公子も私もともに相当の学問を修業し、将来に報いるほかに採るべき策はないと考えて、どこまでも踏みとどまっているつもりであった。

 その後、水戸中納言・徳川慶篤(よしあつ)候(常陸国水戸藩10代藩主。順公)の薨去(こうきょ)により、公子が水戸家をご相続されることになって、フランスへお迎えの人がきた。
 私としては、これは従来同藩で紛糾していた政党闘争の結果で、順当のご相続とはいえないから、諫めておやめさせ申しあげたいとは考えた。けれども、既に藩論は定まっており、公子のお迎えとしてきた者も強情の人々であったから、諫争の無用なることに悟って、私も一行と共に帰国することにした。
 ここにおいて私の希望はことごとに齟齬(そご)してむなしく帰朝したのである。それが慶応4(1868)年すなわち明治元年の11月であった。

   五 なにゆえ公は、薩長両藩と戦わず、お退(しりぞ)きあそばされたか

 かくて横浜の埠頭に帰着したあとは、百事滄桑(ひゃくじ そうそう)の歎(たん)――海が桑畑となり、桑畑が海になったよう何もかも変わってしまい、あまりの時勢変化のめまぐるしさへ、愕然(がくぜん)とした。なかでも慶喜公のご境遇については、去年出発のときと今日とわずかに一年半の歳月しかたっていないのに、かくも変化するものかと、最も無量の感慨に打たれた。

 公はこのときすでに駿府(静岡県)へ引退し、お隠れになっておられたので、私は直接拝謁(はいえつ)もできなかった。公のご心事(しんじ)を二三の知人に聴いてみても十分に了解できない。
 もう時勢のなりゆきを見抜かれ政権を返上なされたからには、公はなにゆえ鳥羽伏見で戦端を開かれたのか? たとえ公のご意中に戦を求めようとは思い召さぬでも、大兵を先供(さきども)として入京すれば、防御の薩長の兵と衝突の起こるのは必然の理である。それほどのことをご察しなさらぬはずはない。
 果たしてご察しなされたとすれば、やむをえねば戦も辞さぬ覚悟であったようにも思われる。そんなとき何の為に大阪から急に、軍艦でご帰東なされたであろうか?

 ついで有栖川宮(ありすがわのみや)が大総督として東征の際に、公はひたすら恭順謹慎するばかりか、惟命(いめい)(おもい と いのち)これ従う、とご決心なされたのはなぜであろうか?
 幕臣中に相当の知識も胆力もあって、武士の意気地やむをえぬとの覚悟を持った人をも断然と排斥し、怯懦(きょうだ)といわれ暗愚と評せられても、いささかも弁解せぬというご決心までなされたのはなぜであろうか?
 これらの公のご挙動は、私には実に了解に苦しむところであった。
 私はフランス滞留中、または帰国の船中などで、ときどき本国からの通信をみて、公のご動作に関しあまりに不がいなきありさまを憤慨し、天皇に対してはどんなことも犠牲にせねばならぬという公のご趣意はご尤もではあるけれども、実際は薩長二藩がことを構え、朝命をねじまげ無理に幕府を敵としたのである。幕府がもし力でこれを制しえれば、いわゆる勝てば官軍で、薩長側が却って朝敵となることは元治元年(げんぢ がんねん)・蛤御門(はまぐりごもん)の先例が歴然である*1。これは道理から論じても事実からみても、はなはだ明瞭だと信じていたから、公のおぼし召しのほどを何分にもよく了解しえなかった。

*1 1864年 蛤御門の変、禁門の変の事。

   六 主君へ忠義――わが一身、新政府へ仕官せず

 帰朝のあとは自己一身の処置が先決問題で、種々様々に苦心した。
 もとが農民出身の地位・声望もなき一青年で、社会へ大きな責任を持ってはいなかったけれども、人は権勢にへつらわず、情義に厚い行動で一生を送らねばならぬということは、少年のときから、厳しい父から庭訓(ていきん)(家庭のしつけ)よって深く骨髄に染みていた。またいささか書籍をも読み、われも志士なりと自分で自分の一身に責任を持つからには、正義と人道によっていかねばならぬことは、終始こころがけていた。
 こうも時勢が変遷した上は、残念ながら維新政府(明治新政府)には奉仕せず、三世を契った慶喜公のために、自己の一身はもう世に無きものと諦めるべし、と観念した。
 その年の冬、私は駿府へ行き、久々に公へ拝謁した。

   七 公への再拝謁

 公の幽居・宝台院(ほうだいいん)に出たのはちょうど夕暮れのことであった。
 私は行灯(あんどん)の前に端座して公のご出座を待っているあいだ、わび住まいのご様子を見回した。
 昨年お別れ申したときとは実に雲泥の相違と、私がそぞろ暗涙(あんるい)にむせびいるところへ、公が座に入らせられた。

 一通りのご機嫌うかがいをおわると、覚えずかねての宿疑(しゅくぎ)(以前からの疑問)が口へ出て、政権返上のこと、またその後のご処置はいかなるおぼし召しであらせられたか、いかにしてこのようなお情けなきご境遇には、おなり遊ばされたか、とお尋ねもうしたところ、公は泰然として
「いまさら左様(さよう)の繰り言はかいなきことである。それよりは民部が海外に於ける様子はどうであったか」
と、話題をほかへ転ぜられた。私も心づいて、公子のお身の上のことどもをつまびらかに言上(ごんじょう)した。

 久しぶりで公のご無事を拝したのはかぎりなく嬉しかったが、胸裏に貯(たくわ)えた宿疑は、ついに解ける機会がなかった。

   八 阿正の志操に感動する

 さて私は、明治2年の元日をば駿府(この年6月から静岡と改称)で迎えて、商法会所の創設に奔走し、故郷から妻子をも呼び寄せた。この地に永住する心組みであった。
 この間に、会所の用事で東京へ出たときの一話がある。

 私はある日『山陽遺稿』を買い求め、一読した。
 烈婦阿正の伝に至って中心に一種の感動を生じた。

 おもうに、阿正は夫の死後、親戚の勧めに応じてまた嫁いでも、不義でも不貞でもない。しかし彼女の心はそれを快く思わぬから、両夫にまみえず貞節を遂げようとした。すると親戚からなんとしてでも再婚するよう強迫され、阿正ははかなくも、どうしようもなくなって自殺した。
 狭い女気といってしまえばそれまでであるが、私は貞操の志の堅いところに彼女の心意気を認めてやりたい。また山陽がこれを激賞したのは、誠に心地よきことであると思った。

 私も当時、彼女の心意気に感じて、『読烈婦阿正伝』との漢文一篇を作った。この原稿は今もなお保存してある。
 この漢文を友人にも示したところ、杉浦蘐(けん)堂もと甲府徽典館(きてんかん)の儒員もした人で、外国奉行調役・杉浦愛蔵氏の父という老人がみて、
「貴下はこういうご覚悟であるか」
といわれた。
 これは私が新政府に仕えぬ意思を悟ったものとみえた。

   九 朝廷のご沙汰について――わが義憤

 おもうに王政維新の偉業は、近因を公の政権返上に発したのである。 
 それなのに、なぜか公に以後ご謹慎をお申しつけなされたことも当然そうだが、われら旧臣の目からみて、朝廷による公へのお仕向けはあまりに、お情けない。
 究極の所、これは要路にいる人々の冷酷さが致すところである。
 そう思えばおもうほど私は、特にそのころ政界にときめく人々の挙動に、甚だしい嫌悪の念を起こした。私には公の逼塞(ひっそく)のご様子がみるに忍びぬ様に思われ、まこと悲憤慷慨(ひふんこうがい)にたえなかった。
 その時に作った拙作にいわく

維新偉績欲無痕 
剔抉未知探本原
公議輿論果何用 
千秋誰慰大冤魂 

訓読の例:
イシンのイセキ ヨク ムコン
テッケツのミチ タン ホンゲン
コウギにヨロン カ なにヨウ
センシュウ スイイ ダイエンコン

読み下しの例:
維新の偉大な業績は、痕(あと)をのこすことさえ欲しない。
だれかがその未知の本源を探って、抉(えぐ)りだそうともしない。
公議も輿論(ヨロン)も果たして、何の用があるという。
千の秋がすぎても大冤罪(だいえんざい)をされたままの、わが主君の魂を、いったい誰が慰めてくれるのだろう。

慶喜公の冤罪をば、誰が慰めてくれるであろう。廟堂(ちょうどう)(朝廷、天皇政体。大日本帝国政界)の人々のいう公議も世論も、口ばかりでは何の用もなさぬ。この公をば、かくも幽暗のなかに閉蟄(へいちつ)せしめて置いて、ほかの人々がしきりに威張りちらすのは甚だ以(もっ)てけしからぬ、と私は憤慨したのである。
 さりながら前に疑問とした政権返上のご趣意、ならびに鳥羽伏見の出兵とその後のご謹慎と、余りにつりあいが取れぬ点は、何としても了解しえなかった。

   十 かねてからの宿願どおり私が公務員を辞めた経緯

 ところが、明治2年の11月、私は大蔵省に召(め)され*1、余儀なく新政府に奉仕する身となってしまった。このため再び東京に移住しなければならなかった。

*1 天皇大権の名による。

 このころから公のご謹慎も少しく解け、これまでのごとく宝台院の一室に幽居せられぬでもよろしいということになったから、私はひそかにこれを喜んだことであった。

 私は前にも述べた如く、一旦覚悟した身の、新政府の官吏(かんり)となるのは余儀ないこととはいえ実に不本意だと思っていたから、大蔵省からのお呼び出しについて静岡藩庁へ辞退の取り次ぎを請求した。けれども、藩庁では朝命(天皇の命令)に背くことになるから取り次ぎできぬといわれた。
 しまいに私は東京へ出て辞令を拝受してしまったが、いつでも機会があったら辞職致そうと考えていた。

 仕官のあとひと月ばかり経って大隈(おおくま)(大隈重信(おおくま しげのぶ))大蔵大輔(おおくらたいふ)の築地の邸を訪(と)い、官を辞したいと請願した。
 そのときの大隈氏の答えは実に巧妙であった。
 その趣旨は、「今日の維新の政治は、あたかも高天原(たかあまはら)に百万年の神たちが神つどいに集まったようなもので、この神々が新たに日本を造りつつある。君もやはり一柱の神の仲間である。ゆえに静岡藩もなければ薩摩も長州もない。そんな小事を論じては困る。君も最初は階級制度を打破しなければならぬといって奮起した人ではないか。今日はその理想に向かって進むのだ。ところが自分は維新には関係ない人で、また徳川公に深い縁故があるなどと小節に汲々とするのは殆ど道理に合わぬではないか。なにゆえこの日本をわが物と思ってくれぬか」という大きな議論をかぶせられ、私の請願は許してくれない。
 私もその説のいかにも快活雄大であるのに服して、それならば先ずできるだけ勤めてみましょうと答え、素志を翻して当分官務に奉仕する考えを定めた。さりながら当初思い定めたことゆえ、数年ののち遂に強いて大蔵省を辞めて、宿望を遂げるようになった。
 そのときに述懐の一絶を得た。

官途幾歳費居諸
解印今朝意伝舒
笑我杞憂難掃得
獻芹留奉萬言書

訓読の一例:
カント キーサイ ヒー キョーショ
カイイン コンチョウ イーデンジョ
ショウガ キーユウ ナン ソウトク
ケンキン リュウホウ マンゲンショ

読み下しの一例:
のぞまず官途に居るうち、はたして幾つ、いたづらに歳を費やしたろう。
今朝(けさ)やっとわたしをしばっていた契約の印が解け、のびのびとおもいを伝えることができた。
わたしには、笑ってただの杞憂(きゆう)だと、かねてからのこころざしを掃(はら)いさってしまい難い。
つまらない野草の芹(せり)ほどのものではあるが、わが主君へ私なりの忠義を尽くしささげ奉(たてまつ)るつもりで、万言の書をあの官界に留めおいてやったのだ。

 これは辞表を提出したとき、時勢を論じた一篇の奏議をたてまつったことを申したのである。

   十一 辞官のち、みたび公に仕える――公の明治政界との断絶

 私が東京で官にいるあいだは思う様に往復することもできなかったが、自由の身になったあとは銀行用で大阪へ往復の折には、必ず静岡におわす公へ伺候(しこう)*1と定めた。

*1 貴人のそばで奉仕する。目上の人へご機嫌うかがいに参る。さぶらう。

 私は紺屋町のお住まいへも数回参らせていただき、のち深草町にご新邸ができてからは、その方へもたびたび伺候させていただいた。
 伺候の数のますごとに公と親しくお話もできる様になり、ご慰藉(いしゃ)として時候にかなう品物などを持参したり、また落語家・講釈師などを連れてお慰め申した事もあった。

 私が官をやめたあとで、始めて公と拝謁したときのことだ。
 私が在官中の見聞を話題とし、三条実美、岩倉具視または大久保利通、西郷隆盛、木戸孝允などという諸公の話を申し上げると、慶喜公はいつも素知らぬ風をなされ、話題をほかに転ぜられる。公は全く政界のことを見聞せられるのを避けたまうご意思であると私は悟ったから、その後はいささかも政治にわたる事をば申し上げなかった。ただ、いつか公然と社会に公もお顔出しができる様になったらさぞ喜ばしいであろうが、そういう機会がいつくるか、または、到底こぬであろうかと、私は常にあせりながら気を揉んでいた。
 けれども、公のご伝記を編纂して後世に残そうとの考えは、その頃まだなかった。

   十一 疑義の氷塊――公の真意を知り、臣・渋沢、感服つかまつる

 こうして追々と歳月を経るに従って、公の政権返上のご決心は容易ならぬことであったのだ、と私はあらためて思うようになった。
 と同時に、鳥羽・伏見の出兵はまったく公のご本意ではなく、当時の幕臣の大勢に軍師としていただかれ、やむをえずに出たご挙動であった、と分かってきた。
 はたしてまた、そこでしかけられた戦をやり遂げようとすれば日本は実に大乱に陥る。またたとえ幕府の力で薩長その他の諸藩を圧迫し得るとしても、国家の実力を莫大に損する。ことに外交の困難を極めている際にそんなことをしては、皇国を顧みざる行動となる、と公が悟られ、東帰された旨が、私などにも分かった。
 またここに至っては、みずからの決断を弁解するだけ却って物議をまし、なおさら事が紛糾するから、愚と言われようが怯と嘲られようが、恭順謹慎で一貫するよりほかはない。薩長から無理に仕掛けた戦ではあるが、向こうが天皇を頂いている以上は、その無理を通させるのが臣子の分である――と、こう公はご覚悟をなされたのだと私がようやく理解したのは、実に明治20年以後のことであった。

 以来、おりおり公に拝謁し直接お話しも伺(うかが)い、またいろいろな人々からの談話をも聞き、これらをまとめあわせ前日の疑念がますます解けるようになってきた。
 たとえばさきには怯懦の疑いがあったが、もしも鳥羽・伏見の戦いがはじまったあのとき公が小勇に駆られ、卒然として剣と盾をとって起(た)たれたならば、この日本はいかなる混乱に陥ったか――。公へまことに国家を想う衷情(ちゅうじょう)(うそ偽りのない真心)があればこそ、こうして今に至っても、あのとき朝廷へ恭順、とのご決断をひとことも言い訳せずにおられるよりほか、どんな処置のしかたもなかったのである、と、しみじみ私は理解した。
 公が国を想うご思慮の深遠なることは、わたくしどもの平凡な考えが及ぶところでは到底なかったのだ、と私は深く感激した。
 公がこのようなお心であのような態度でおいでになられ、ご一身を犠牲になされる苦衷(くちゅう)(苦しい胸の内)のほどは、人に語るべきところでない。却って他人から逆賊と誣(し)いられ、怯懦と嘲られても、じっとお堪えなされて、終生これらの心無いことばや無道の仕打ちへ弁解もなされぬ。公はなんとご立派にして、実に偉大なるご人格ではあるまいか、と尊敬の念はいよいよ、ますます切なるのであった。

  十二 福地桜痴(ふくちおうち)氏への依頼

 旧友の福地桜痴(ふくち おうち)とは、ときどき幕末のことを討論したこともあった。

 明治26年の夏から秋ころ、帝国ホテルで催されたとある宴会のあと、私は同氏と維新の政変について語り合った。
 そのとき私は、心のなかに温めていたとある構想を、私以外の他者へ始めて言いだしてみた。
「慶喜公の偉大なご事績を本の形にはできませんか。あの大冤罪をうけていらっしゃる魂を世の中におしえて、後世にも伝えておかないといけませんから。なんとかして、慶喜公の冤罪を雪(そそ)ぐ工夫はありませんかね」

 福地氏はこれよりまえ次のよう私へ申された事があった。
「江戸幕府の歴史を編纂したいと思ってるんですが、誰も書かせてくれる者がいません。ちゃんとした整った史書を完成させようとしたら、そうとう費用が必要でしょう。私の願いは、公明正大な筆づかいで、慶長・元和の初まりから、慶応・明治おわりまでの史実を書いて置きたいんですね。維新が起きてから出た史書では、とかく徳川家をわるくいい、事実じゃない嘘を言い立てる誹謗中傷だけを書く本が、世の中にいくらでも出回ってますでしょう? 後世へ真実を見誤らせますから。大変残念に思ってます」
 確かにそうだとはいえ、彼の江戸幕府史の完成までにかかる手間暇は容易な事ではないように思われ、私は遂にこのための費用工面へ同意していなかったのだ。

 帝国ホテルの会話中、私は福地氏の以前のこの発言をおもいだし、同氏の構想を一部ひきつげるのではないかと思いついた。そこで、同氏へ江戸幕府最後の将軍のご伝記編纂主任役をひきうけられるか問うたのである。
「慶喜公のご伝記をくわしく調べておきたいんですが、あなたのご健筆で、どうか編纂の主任を引き受けられませんか」
 ときに福地氏は「きっとやれます、お引き受け致しますから」と確かに答えたが、とっさに方法を、その場でくわしく論究するまでには進まなかった。

   十三 平岡準蔵氏をへての公へのお伺いとそのご内慮

 私がご伝記を編纂するにあたって、中身を世におおやけにはしないにしても、第一に公のご許諾を得なければならない――公へお伺いをたて、編纂の可否を見定めないうち、自分勝手に着手するわけにはいかぬ。
 そこで私は平岡準蔵氏をへて、公のご内慮を伺うことにした。

 そのころ平岡氏は東京で米殻商(べいこくしょう)(米屋)を経営していた。同時に彼は、公のご家政のことにも熱心に尽力し、藩庁のころから公のため少額の剰余金蓄積の方法を講じ、私の経営する銀行でこの利殖を謀り、私もまた自己の財産と同じ観念でこれを取り扱っていた。
 私は、平岡氏が常に公と昵近(じっきん)して――お親しみになっている事を知っていたので、同氏にさいわい逢(あ)ったとき、詳細にご伝記編纂の意見を述べ、「是非とも公からご許諾を得たいと思うが、君はどう考えるか」と問うた。平岡氏は非常に喜んで、「それはまことに親切な事だ。どうぞ首尾よく成就したいものである。福地氏は立派な文学者と聞いており、公にも全くお知らせできない様な人でもないから至極適当の人と思う。但し公のご同意の有無は測り難いが、ともかくも申し上げてみよう」と答えた。
 その後平岡氏が静岡から帰っての話に、「公はご許諾がない。どうぞやめてくれ」と仰せられた。私が「なにゆえ左様にお厭(いと)いなされますか」と伺うと、世間に知れるのが好ましくないとのことであったという。よって更に平岡氏とご相談の上、
「必ず世間には知られぬよう、深く私の筐底(きょうてい)――箱の底に納めて置きます、私どもはもとより公の千年のご寿命を望むけれども、人生自古誰無死であるから、ご死後に発表するものとしたならば、お厭いなくも思われます。今の間に存在する史実を集め、せめては記料にても遺して置かねば、遂に真相を失って、後世に誤謬を伝える事と存じます。つまり私の期待するところは、現世にあらずして百年ののちにあるから」
と、再応平岡氏を通して伺うと、それほどの熱望ならば承諾はするが、世間におおやけにするのは、死後相当の時期に、ということであった。

   十四 未公開の調査開始。福地氏の江戸幕府全史様式説

 これから極めて内々で調査にとりかかったが、しかし旧幕臣の古老には種々の実歴談を聴かねばならぬ。
 朝比奈閑水(元・甲斐守、昌広)は外国奉行をも勤めた人、またその実父は12代将軍の御小納戸頭取を勤務して、当時の大奥の事を熟知した人であった。その他、駒井朝温(元・甲斐守)。松平勘太郎(元・大隈守)。浅野氏祐(元・美作守)。杉浦梅潭(元・兵庫頭)などという人々にも就いて、段々とその実歴や伝聞を調査した。独り幕閣に列した諸家に就いても、事実の探索に着手した。

 さてそのご伝記の体裁はいかにすべきかということについて、福地氏の説はつぎのものであった。
 是非とも幕府を根拠にして書くが宜しい。おもうに当時の公は全くご一身に国家の安危を荷われたのであるから、幕末史と公のご伝記とは相離るべからざるものである。殊(こと)に外国のことがまたご一身の変化にも最も強い関係をなしているから、それらの事実はなるべく丁寧に調べなくてはならぬ。もとより、徳川家が幕府として政権を執ったのは、家康公が覇府を江戸に開かれてからであるが、またその前から論ずれば、関が原の戦勝から徳川の威力はすでに天下を制御すべきほどになって、遂に大阪を滅し、公家・武家の諸制度を定めて幕府は確立したのであるから、幕末の政変に論及するにはどうしても遡って家康公の幕府を立てた時の精神およびその形式をも調査して、完全にその根源を研究し、最後に於いて幕府がそれだけの権力を持っているものを、なぜ公はいわゆる「敝屣(へいし)を棄てるが如く(まるでボロボロになった靴を捨てるが如くに、価値のある物事を惜しげもなく捨て去る。成語・棄如敝屣(き じょ へい し))」にせられたのかと、篤(とく)と吟味して置かねば、趣旨が明らかにならぬ。ゆえ公のご伝記といっても、直接公のご一身に属する本伝と、前提に属する前期と、両様の順序を以て調査せねば、結局に至って明晰に論断し難いと思う、という説であった。
 私はそれでは大変に手間のかかることと思ったけれども、筆を執る人が切に主張することだから、遂にその意見によって起草してみてくれろと委託した。

(つづく)

2022年11月5日

県民車両GPS義務付け案、空き家シェアアプリ案

自動車窃盗が県南・県央に集中しているという事実から、対策として、県警が考えている民間でのものだけでなく、公共のものとして、各市町村などがナンバープレート交付時、義務的にGPSをくみこむ事が有効ではないか。ナンバープレート自体にGPSをしこんでおくか、それに対策された場合は車両自体から盗難不可能にくみこむ別の形で、条例によって、県民車両が盗難されたら県警が徹底追跡可能にしておくべきではないか。
 このための予算は、国からとってくればいい。なにしろ自民党は経団連と癒着していて、いいかえればトヨタら大企業の別動隊の様な面があるし(それは企業献金の違法化で即変えられねばならない以前からの汚点だが)、国内の車がぬすまれ海外中古車市場で安く売られる事、それにおびえて若者がますます車離れを起こす事には特段、肯定的ではないはずだからだ。いま岸田内閣が騒いでいる走行税のよう自動車から得られる税金も自民党にとっては必須のはずだし、県警がパトロールにもかかわらずなかなか検挙できないからには犯行グループが県外・国外に住まっている可能性も十分に高く、つまり国富の流出なので国政問題といえ、県税から持ちださずとも盗難防止用予算を国税から配分することはできるだろう。

 プライバシーとの両立という意味では、条例のなかに犯罪発生時以外県警が県民車両の位置情報にアクセスしていたとき、懲役以下の刑罰を与える形にすればよいのではないか。

 空き家での空き巣被害が起きているのだろう点については、そもそも中古の家を売る・貸す事を民間で事業化する必要があるのではないか。ウーバーの様に、レジャーや一時的別荘などに使うひとの住んでいない家をアプリなどで予約し共有する、貸し出すしくみをつくり、それらの再生や管理ふくめおこなう会社を興し、徐々に国中にひろめるか国外ででも事業を行う大規模の産業にしていけば、空き家問題は寧ろビジネスチャンスと言えそうに思う。その際、セキュリティサービス、たとえば侵入があったとき警察や民間会社に自動通報するしくみも事前に料金へくみこんでおけば、空き巣にあうべくもないのではないか。

2022年10月29日

世界一美しい町と世界一美しい市

自分が0才から暮らしていて、世界中の色々な街をみておもうのは、北茨城の最大の長所は、全体としてとにかく美しい町だという事ではないか。

 自然の繊細さは暮らしている者なら日々確実に感動しているとおもうが、町の作り自体が、特に磯原市街地は、童謡の町の着想で貫かれていてとてもよくできている。補修でまっさらに塗ってしまって以前はあった童謡世界の路面装飾が消えてしまった、といった事は、大変残念というべきだと思う。

 世界中の色々な所に美しい町がある。それらを参考にして、優れた所をまねながら、茨城県に貢献する意味でも、「世界一美しい町」を目指す事なら簡単に世界一をとれそうに思う。勿論簡単とはいえ全世界の人々がひとりのこらず確信をもち断言するまでいくにはかなりの努力を要するかもしれないが、おそらく未来に於いて実現可能と自分は直感する。
 すくなくとも現時点で、自分の目にはもう世界一美しい町といっていいのだが、それをさらに向上させていけばいいだけなので、全く苦労なくできそうにおもう。それは自分が死後も続いていくだろうし、想像のかぎり半永久に永続する市の経営方針として最もふさわしいだろう。自分達に向いたことに全力を使えば、世界のすべての人々、全生命に最も貢献する事になるだろうし、県内外の人々からわが市に最も良い反応が返ってくることもまた確実だろう。

 五浦界隈は景勝地としてもう十分よくできているとおもわれるが、あとは中郷駅の周辺をうまくつくりさえすれば、あるいはむしろ「すでに綺麗な自然を完全に保護して、行政が下手に開発せず一切手をつけない」という意味で花園地区を商業的な観光道路の開発などせず大切に守りさえすれば、またそれらを必要な限度で適宜つなげさえすれば、東西南北まですべてが圧倒的に美しい市域とする事ができるだろう。
 もっぱら、最も完成度が高い磯原市街地を世界一美しい町の着想に向かってつくりつづけていけば、そこを中心にして全市域も「世界一美しい市」とすることができそうにおもう。

 結局、最初からある自然がおそらく世界一繊細で美しいといった特徴をもっているので、その周囲に町を作っていけば、闇雲に自然破壊をする様なよほど愚かな事さえしなければ、ひとりでに世界一美しい表情が出てくるのは当然ではなかろうか。ということは、自然美を生かす様な調和的人工物の作り方という点だけで、世界各国各地のよくできた美しい町・市を参考にすべきなのだろう。

2022年10月27日

わが茨城人に告ぐ

西日本とは一切付き合うな。自分達より劣る人々と親しんではならない。低民度の人々に名を知られる事は不幸の原因である。
 西日本全域が次々、悪辣さと愚かさ、驕りによって自滅していっても、少しも同情したり、善意から助けようとしたりしてはならない。根っから悪しき人々は救い手を逆恨みし、遂には逆上して命と財産をつけねらうや、あなたがた親切のつもりでいた善良な者に襲い掛かってくるものだからだ。財政破綻する京都市で、水戸の徳川慶喜と会津の松平容保が命懸けで守った京都市民の全体が、それ以後、ただの一度も感謝の念を述べたりしないばかりか、ひたすら純然たる悪意で彼らとその統治下にあったわれわれに致命的冤罪を着せ、今日もなお侮辱と名誉毀損を繰り返すあくど過ぎるさまから、あつまってくらす性悪な者どもの本性と、その延長にある破滅という必然の末路について悟るがよい。西日本諸地域の普段の悪因が悪果に結ぶのは世界史の必然であり、全宇宙のだれにも変えられないものだ。

 南関東を避けて生きよ。下劣な人々と仲良くしてはならない。だれもに損失のみあり、一切得はないばかりか、同類と疑われ人生のすべてを失う。

 中部地方の人々に同類の如くなれあってはならない。拝金主義の下賎な気風と、文化についての無知からくる驕りや偏見がうつるからである。

 驕り高ぶった北海道、沖縄、京都、東京や神奈川、あるいは仙台、札幌等のうぬぼれた人々を反面教師にせよ。傲慢さは最たる悪徳であり、無限の憎悪を買う事こそあれ、顰蹙以外なにも得られないのだからだ。

 これらは茨城県古今の十分に高い品位・民度を考えれば、日本国内外の領域にて、万古不易で当然の帰結である。

 人は親しむ者と似るものであり、わが県民が学ぶに足る、より優れた国々のより優れた人々との交流をえり抜いて生きよ。

 もし全世界にわれわれより優れた存在をみいだせないなら、孤高を選び、既に生きている理想郷に安住しているがいい。

2022年8月27日

新型コロナウィルスの全数把握は茨城県でも維持すべき

全数把握は和歌山県の仁坂知事を見習って、茨城県でもおこなうべきだ。理由として、最善で的確な対策を科学的に考えるにあたって最低限度、必要で適切な資料をなるだけ多く、なるだけ精確にとっておくべきだからだし、かつ、そもそも全数検査を面倒くさがって自民政府がやりたがっているのは欧米という感染・死亡率成績が最悪級集団のまねごとにすぎないからである。不良をまねるものは自らも不良にならざるをえないだろう。
 一旦地下にもぐってどこでどの様な感染につながっているか捉えられない状況は、いうならば危険度がまったく認知できない状態に似ている。本来、おこたらず怠けず愛民政治をおこない科学的資料さえそろっていればだれでも少なからず危険を避けられた状況で、特に基礎疾患を持っている様な体に心配がある人々にいたっては日々社会から致命傷につながる公害をこうむるありさまは、国、県ともにその行政人たちの公知公徳の不足による。ふさわしくない人々がふさわしくない高位についているということである。

 第二次大戦の反省は無数にあるだろうが、そのなかでも大失敗の部類のひとつが科学的思考の欠如だったのだろう。日本政府は神道統治から戦後自然科学中心の教育へ大幅に方針をきりかえたが、今度は道徳教育の圧倒的不足での公害推進という致命的問題点がでてきているにせよ、その際、新たに学んだはず科学的思考の為の基礎資料集めすら怠るのでは、日本政府は邯鄲の歩みと言われても仕方がないだろう。自堕落な中央政府の愚行や悪例に見習わない仁坂知事を見習うのが行政人として賢明である。

2022年1月19日

長引くコロナ対策の社会距離戦略下において、特に認知症予防をかねて、高齢者に対人やりとりの機会を設ける案

社会的距離戦略をとることはコロナウィルス感染拡大の防止に一定の効果があるのは確かかもしれないが、副作用として、特に対人接触をへらすことで社会的やりとりの機会を一般になくしてしまう。

 特に高齢者にとって認知症の潜在的危険と隣り合わせの結果を伴う。他人と会話したり、対人的やりとりが維持している認知機能を、使わなくなってしまうからだ。
 似た様な事は、子供一般にも対人接触が苦手になる副作用をもたらすかもしれない。尤も子供の時はオンラインでやりとりする機能にも早く再適応しやすいかもしれないが。ただしその場合は匿名でのやりとりなどに必然的に風紀の悪い社会との接触で悪影響があるのをチャイルドロックなどで注意していなければならないだろう。

 これまで全く無視されてきているこの社会距離戦略の副作用をおぎなうには、特に高齢者に向けて、対人的やりとりの機会を進んで設ける必要があるだろう。現時点で認知症の発生率はおそらくコロナ禍がなかった時点よりあがっていると考えていいと思われる。

2021年12月27日

ひたち文化史的意義を守る最後の一線

「茨城県公館」は前知事が住んでたと思うし、普通に歴史をとどめる迎賓施設として有料で公開した方がいいと考えるが、すでに解体してしまっているからそれはかなわないのだろう。

 でこの件にかぎらず大井川知事は普通に偕楽園の伝統を半ばぶっ壊して一部有料化もしたわけで、総じて経済的損得を文化的意義より優先させるきらいがあるとおもわれる。この件も如実にそうではないか。しかも県民側が知らない間に解体工事してて、僕は今日のさっき茨城新聞記事で知った。で、県政側の言い分はありえない様な判断と拙者は思うのでござる。
 何らかの形で残して有料で、極力黒字になるよう仕向けて公開したらよかったのではないか? だって公館は近代茨城を作った場所なのだ。実際、一般市民に公開された事ないんだから県民としても近代県政の記念碑として一度はみてみたいではないか? おそらくそういうかけがえない文化論的目線をもつ事を、大井川知事は苦手としているとおもわれるのだ。金銭による損得で勘定しがちなのであろう。

 文化的意義を損得勘定より常に優先せよ、とはいわないが、単なる文化的意義だけを評価しうる軸をもっていないかぎり、その県政って将来的にも単なる金持ちにしかなれないだろう。文化的威厳のある金持ちだけが真に貴族となりうるのだからだ。この点で大井川県政には一種の限界がある様に思われる。いわばカリフォルニアン・イデオロギー、「カリフォルニア人の観念論」で心の髄まで洗脳されているとまではいかないが、結構そっちに寄せすぎに思う。

 今後もなにかしら似た様な案件って大井川県政のかぎり出てくると思われる。すでに好文亭の一部に厨房施設いれるべきかで茨城新聞に大学教授からの批評がのってたのも読んだ。
 文化的意義そのものを尊重するという事は、全ての場面で損得勘定のみを優先しない事を意味する。もし当時の損得勘定だけでみていたら、長い目でみて経済的損得においても損害が膨らむ場合すらある。『モナリザ』とか近代アメリカ美術とか浮世絵だって当時は二束三文で売り飛ばされかねなかった様な代物で、真に文化的意義を知る者の手元に残されたために今なお、当時の美術史のおもかげをとどめ、後世に過去の時代のひとびとが懸命に生きた証をつづけているわけである。安直に損得勘定だけで物の真価を判定できないわけだ。数百年前ひとりの画家が手元に置いていた私的な作品ともいえる『モナリザ』ひとつが、イタリア人らに結果として保護され、どれほどの経済的恩恵をのちの現代イタリアに与えているかはかりしれるものではない。絵一枚が国家予算に匹敵する魅力を放ち人々を惹きつけ続けているが、そして作者の意図をこえて未来にあってもおよそそうでありつづけるだろうが、その様な偉大な力があると、一つの同時代作品が生み出された当時の人々はまだほとんど知らなかったのである。現代にあっても同様である。われわれのなかで慧眼をもつ者は朝時代的な文化的素養があるごく一部の者にかぎるだろう。

 結局、文化人側が外部監査の形で極力、大井川県政を監視・批評し続ける必要がると思われる。彼自身、そっち方面に弱いに違いない。県立図書館の入口に喫茶店を設置した様な案件をみたらその長短が一手に表れている。幼児からしたら関係ない施設ともいえるし、そのあいだ利用できなくて県民に負担がきたともいえるし、空間やなんやに余裕がなくなったともいえるし、いわき市立図書館すら自動貸出機が複数完備なのにそれすらまだ満足に導入してないようでもあったし、純粋な開架・自由閲覧の蔵書数ふくめ、県立図書館の設備があの程度でいいのか問題みたいなのを無視して、いきなり損得勘定を導入するタイプなわけです。無論それにも大人的にゆっくり休めてとか、黒字に向かって県財政が軽くなるとかよさはあるのでしょうけど。ただ身障者席が初期設計でついてなかったは県の施設としては要注意であるから、だって憲法上も公務員法上も、「公務員は全体の奉仕者で一部の奉仕者じゃない」んだから、ツイッターの大井川氏アカウントへそのむね前通知したが。
 この調子だと隣の偉大な建造物、三の丸庁舎すら現大井川県政はいきなり解体しかねない。あれは昭和天皇が戦後最初の御製を屋上から詠んだ日本史の決定的な記念碑なのである。

たのもしくよは明け染めぬ水戸の町打つつち音も高くきこえて

歴史的・文化史的意義を考えたら損得勘定を導入して何らかの形で保守するにせよ、必ず県民としては残していくべきものといえる。
 そういった偉大な文化遺産をただの金儲けだけではかっているとできあがるのは成金都市だけである。
 常陸国以前、5億年前の日本最古の地層から続く偉大な茨城県の伝統・現代文明にあって、文化的意義を唱える際にはなるほど、今後の社会情勢をみて保全を考えねばならないが、或る一線は単なる商業主義者に一歩も譲ってはならないだろう。

2021年11月30日

日本農業の補助金は決して世界に比べて多いわけではない

 日本で政府の補助金が一番多い産業は何か知ってる?
 農業だよ。日本の一人当たり農業補助金は世界最高だ。財政バラマキで成長できるなら、日本の農業は世界一になっている。
――池田信夫

上記ツイートで池田信夫氏が「日本の一人当たり農業補助金は世界最高だ」と言ってたが、以下のデータはそれを否定している。
 



事実は、日本の農家に対する補助金と財政負担率は、一戸あたり米英仏独瑞より低い。産出額に対する補助金の割合も米英仏瑞より低い。

https://maff.go.jp/j/wpaper/w_maff/h22_h/trend/part1/chap1/c1_06_03.html

https://www.weekly-economist.com/2016/06/07/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E8%BE%B2%E6%A5%AD%E3%81%AF-%E9%81%8E%E5%B0%91%E4%BF%9D%E8%AD%B7-%EF%BC%92%EF%BC%90%EF%BC%91%EF%BC%96%E5%B9%B4%EF%BC%96%E6%9C%88%EF%BC%97%E6%97%A5%E5%8F%B7/


2021年10月22日

日製本社帰還運動

茨城県はテレワーク推進の一貫で、日立製作所本社の日立市帰還運動をおこなうべきだ。その際、鼓舞として本社機能を茨城県内へ移動させた企業には一定期間の法人減税をおこなう。

2021年10月21日

日立国法

1条 公平
日立国はすべての日立国民らを公平に尊ぶ。

2条 自由
日立国民は互いの自由を認め合う。

3条 平和
日立国民は侵略戦争を拒み、自ら国を守る。

茨城農漁業関税、茨城電気関税、茨城県基金案

悪い仲間と暮らすより、栄光ある離脱を選んだ方がよい。5億1100万年前の地層からはじまり、旧常陸国を経てつづく我らの品位に、旧日本国は既にふさわしくないであろう。

 よって茨城県は近い将来、日立国として独立するが、それ以前に、1.茨城農業保護関税と2.茨城電気料金関税の2つの政策を導入すべきだ。

1.茨城農漁業関税

 茨城県産の農漁業の生産物を茨城県外へ輸出する際に一定率の関税を差し引き、茨城県内のエンゲル係数(食費負担)を下げて人口流入を促しながら、 かつ減反その他の生産量減なしに県外での県産作物の単位取引価格(評価額)をあげることができる。

2.茨城電気関税

 茨城県外への電気供給に一定率の関税をかけ、テレワークふくむ茨城県内へ本社機能の移転を促し、また産業用電気料金を県内で相対的に下げ、さらなる工場移転を促しながら、茨城県民の可処分所得をあげて、県民生活を楽にする。

 この2つの新たな財源を作り、茨城県庁は「茨城県基金(将来の「日立国基金」)」を設け、現代ポートフォリオ理論に基づく国際分散投資で堅実に資産運用し、たとえばノルウェー政府年金基金を参考に、それを超えるリターンをめざしつつ、徐々に県資産をふやし続ける道にあゆみださねばならない。続く人口減少がありうるなら今も県南を中心に続いている移民導入を除けば、今後の社会で唯一、これだけが県民、のちの日立国民自身の栄達と生き残りの道だ。

2021年10月20日

東京都のブランド総研およびNHKら報道各社の虚偽報道公害による、度重なる信用毀損・業務妨害、名誉毀損罪への、群馬・茨城・栃木3県共同での50兆円超損害賠償請求論

概論

  茨城県のめざすところは神位、すなわち、すべての面で全世界で最もひときわ群を抜き優れている、比類なき神格の理想国でなければならない。

 この際、ブランド総研とNHKら都民マスコミは卑しい中華思想の偏見で、「おもに西日本での魅力の不知」を「魅力なさ」とすりかえる稚拙で悪意にみちた虚偽報道による、信用毀損・業務妨害罪をくりかえしてきている。
 一連のNHKら都民マスコミによる報道公害は国際人権規約、憲法、放送法、刑法、地方自治法などに違反している。よって茨城県の県警・検察は、群馬県・栃木県らの同権力、および観光業者・農林水産業者団体、その他の被害者団体・個人と共に、ブランド総研・NHKら都民マスコミ各社を信用毀損・業務妨害および名誉毀損の罪で起訴し、過去16年間にわたる損害賠償額を最低GDP1割、計50兆円以上とみつもって、東京港区の雑居ビルの一角にあるブランド総研を家宅強制捜査、その資本金2500万円と全資産ごととりたて、社長・田中章雄被疑者らに刑法233条に定める懲役刑を与えてから、残りの額はNHK以下のキー局キー局(日本テレビ、テレビ朝日、TBS、テレビ東京、フジ)はじめの都民マスコミ各社へ損害賠償請求し、必ずとりたてねばならない。

 また、望ましい顧客単価のえられる可能性が高い具体的宣伝対象として、茨城県よりひとりあたり所得の高い計64の国と地域を挙げられるが、うち、おもに西日本でふさわしい標的は福井、滋賀、大阪、三重の4府県、中部をいれると、愛知、静岡、富山の各県となる。ただしこれらの優先順位は平均所得でみると以下詳論で示す53の海外の国々より低い。また観光公害をかえりみると、居住快適性と矛盾する可能性もあるので、観光客の呼び込みには、事前に十分な計画が必要。寧ろ今の時点で、質の高い地元客を中心に茨城観光は8割以上が満足と好評を得ているので(茨城県観光客動態2020)、これらの国々への宣伝は外貨獲得を目的に、地元人の生活上の幸や安寧を阻害しない「商品紹介」を中心にすべきである。

詳論
 

1.ブランド総研・田中章雄と都内マスコミの共謀罪

 ブランド総研田中は、5段階評価のうち都道府県名だけで『非常に魅力的』2倍か『やや魅力的』1倍の倍率で調査して、「まだその魅力を知られていない自治体(主に西日本側では関東北部が知られていない)」をデータセットとしてもっているにすぎないが、NHKら都内マスコミにおける東京中華思想の悪意を触媒に、炎上商法狙いでさも「魅力がない自治体」かのよう虚偽の事実を全国報道し、都道府県単位の部落差別による人権侵害にあたる報道をしている。これらは国際人権規約(自由権規約)2条、20条、憲法11条、14条に定める人権を侵害しており、また放送法4条の報道倫理を逸脱し、地方自治法2条6項で定める都道府県・郡市町村間の競合禁止を侵害しているばかりか、刑法233条で定める信用毀損・業務妨害罪罪だが、万一何らかの事実が裁判所に認められれば刑法230条で定める名誉毀損罪にあたるため、いづれにせよ違法行為な事が疑いない。

国際人権規約 市民的及び政治的権利に関する国際規約(自由権規約)
第2条
1  この規約の各締約国は、その領域内にあり、かつ、その管轄の下にあるすべての個人に対し、人種、皮膚の色、性、言語、宗教、政治的意見その他の意見、国民的若しくは社会的出身、財産、出生又は他の地位等によるいかなる差別もなしにこの規約において認められる権利を尊重し及び確保することを約束する。

国際人権規約 市民的及び政治的権利に関する国際規約(自由権規約)
第20条
 2 差別、敵意又は暴力の扇動となる国民的、人種的又は宗教的憎悪の唱道は、法律で禁止する。

日本国憲法第11条
国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。

日本国憲法第14条
すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。

刑法第233条
虚偽の風説を流布し、又は偽計を用いて、人の信用を毀損し、又はその業務を妨害した者は、3年以下の懲役又は50万円以下の罰金に処する。

刑法第230条
1.公然と事実を摘示し、人の名誉を毀損した者は、その事実の有無にかかわらず、3年以下の懲役若しくは禁錮又は50万円以下の罰金に処する。
2.死者の名誉を毀損した者は、虚偽の事実を摘示することによってした場合でなければ、罰しない。

刑法第230条の2
1.前条第1項の行為が公共の利害に関する事実に係り、かつ、その目的が専ら公益を図ることにあったと認める場合には、事実の真否を判断し、真実であることの証明があったときは、これを罰しない。
2.前項の規定の適用については、公訴が提起されるに至っていない人の犯罪行為に関する事実は、公共の利害に関する事実とみなす。
3.前条第1項の行為が公務員又は公選による公務員の候補者に関する事実に係る場合には、事実の真否を判断し、真実であることの証明があったときは、これを罰しない。

地方自治法 第2条6項
都道府県及び市町村は、その事務を処理するに当つては、相互に競合しないようにしなければならない。

放送法4条
放送事業者は、国内放送及び内外放送(以下「国内放送等」という。)の放送番組の編集に当たつては、次の各号の定めるところによらなければならない。
一 公安及び善良な風俗を害しないこと。
二 政治的に公平であること。
三 報道は事実をまげないですること。
四 意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること。

 なおわが茨城県については茨城県観光客動態2020(県のページ)で観光の魅力に5段階評価で4以上の満足が8割以上、5(最高得点)が5割以上、2以下は1%未満と極めて高い評価を受けているのが事実である。おなじく県民の生活の魅力は、茨城県民世論調査2019(県のページ)で7割が満足と答え、8割が愛着と誇りを持つなど、これもとても高い評価を受けている。すなわち、茨城県に関するかぎり、ブランド総研とNHKら都民マスコミがやっているのは、魅力の不知を魅力なさと悪意をもってすりかえる「虚偽の事実」を報道することによる、歴たる信用毀損、業務妨害罪である。
 なおこの被害総額は、ブランド総研創業・同調査開始から16年間、被害者になってきた茨城・栃木・群馬3県のGDPで最低1割以上とみて、計50兆円以上にのぼっている。
 首都圏北部3県の観光業者、農林水産業者、その他の産業に従事する者、名誉権、人格権、尊厳をもち生きる権利、諸々の人権侵害による心的外傷その他の具体的損害をうけてきた全県民は、検察・警察を動かし、3県共同で東京港区の雑居ビルの一角にある社員約10名のブランド総研へ強制捜査にふみこんで、これまで「ブランド総研会員アンケート」の名で正体不明に秘匿されてきた実態の資料を押収した上で訴訟し、資本金2500万円その他の全資産を賠償金として没収し、他の損害額は都内マスコミ各社へ賠償請求しなければならない。

2.田中章雄の信用毀損・業務妨害罪マッチポンプ商法

 田中は「魅力の不知」を「魅力なさ」とすりかえる全国報道させ全国民に民族・部落差別意識をあおる炎上商法で、特定自治体を罠にはめ、キー局(日本テレビ、テレビ朝日、TBS、テレビ東京、フジ、NHK)ら都内マスコミ各社からの偽りの悪意ある全国報道で危機感を募らせさせたうえで、詳細データ資料を計100万円超で各自治体に売りつける税金むさぼりのマッチポンプ商法をとっている*1。
 なお、当然ながら公税の原資は地方交付税を通して全国民で、特に交付金団体ではない都民が実の負担者である。

*1

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(注4)過去2年間、調査対象に含まれていない場合は、該当する年度のデータが未収録。
(注5)全都道府県個別報告書データも含む。
(注6)全調査対象の個別報告書データも含む。
(注7)対応する報告書と同時に購入される場合は、一つのCDに併せて収録。報告書購入後、別途ご希望の場合は改めて該当データを収録したCDをお送りいたします。
(注8)基本パッケージにおける目安の分量。追加オプション等により頁数が変ります。
――ブランド総研『地域ブランド調査2021』(アーカイブ)

3.田中章雄の共犯である東京人マスコミと南関・西日本人一般の中華思想

 都民一般は江戸・東京建設の過程で東京中華思想を身に着けるに至り、都内マスコミはその妄想を強化するような「都会人」自己イメージへの自己愛を強化する田舎差別報道をきわめて好むうえに、日本人一般の人権意識・共感性・道徳的利他性の低さは縁もゆかりもない地域への偏見からきた公然たる差別をなんとも感じないほどの質でもある。
 西日本とくれば、平均学力、教育程度などで基本的民度を問うまでもなく、もともと弥生民族や渡来人として約2800年前頃から列島に侵入して以来、より厳密には奈良人が遣隋使を派遣して以来、中華思想を公に帯びている。また、それに加えて薩長土肥や小御所会議でクーデターを起こした京都・広島両地域が、その地誌や民情のなかで明治維新と称する一連の反政府テロを成功と勘違いしたままで、もとの中華思想にその種の底抜けの驕りが加わっている。
 悪徳都民マスコミが最高の場と宣伝し続ける為、すっかり何もかも優れている最美の場に違いないと洗脳されている東京や横浜、また理想的観光地扱いの北海道を除き、同様の悪意で都民マスコミがつねづね負のイメージで報道してきている東日本一般へ、「未開」とか「後進地」などの悪意ある偏見や差別意識をもったままである。いわゆる白河以北一山百文的な卑しい差別意識を、東京以西(東京を含む)は一般に、いまだにもっているということだ。

 したがって田中の炎上プロモーションは視聴率・アクセス数を稼げ、田中と都民マスコミ、それに同調する南関東・西日本人一般は共犯ということになる。

4.一部ネット民の逆張り

(諸外国ではマスコミの信用度は低い一方、日本は著しくマスコミを信じる人が多い、極めて低い媒体読み書き・批判的思考力の民度だが*2)ヤフーコメント民をみるかぎり、あまりにしつこく田中・都内マスコミの共犯による偏見報道がおこなわれていると気づいたネット民のなかには、この報道の中身をおおかれすくなかれ疑い始め、マスコミによる扇情報道のたちの悪さ(マスゴミ性)への反発や、「判官びいき」から却って関東北部を逆張り的に好評する人々がでてきている。
 但し、この層のうち、実際に茨城のよさを実地で確かめた者は自分がヤフーコメントを分析した限り、首都圏および隣接県(福島県)にかたよっている。コロナ禍で遠方へ旅行する機会のなかった折なので、茨城空港で神戸空港から直接県内にきた関西人も少数いたが、移動制限のあるなか近隣自治体へ旅行にきて現実の魅力を体験する県外人は近隣都県に片寄っていたためと考えられる。

*2 

 社会実情データ図録、新聞雑誌に対する国民の信頼度(国際比較)、2017

5.望ましい宣伝の標的

 茨城県より県民所得が高い都道府県は2006年から2018年度までの平均で東京、愛知、静岡、栃木、福井、富山、神奈川、滋賀、大阪、三重、群馬の11県だけで、このうち4都県は首都圏にある(内閣府、県民経済計算(平成18年度 - 平成30年度)(2008SNA、平成23年基準計数)、1人当たり県民所得)。
 既に首都圏向け宣伝は橋本・大井川両知事がおおかれすくなかれやってきているので、もし観光・物産品などによる収入獲得を前提にすると、国内府県で首都圏を除けばあとは
1. 愛知、2. 静岡、3. 福井、4. 富山、5. 滋賀、6. 大阪、7. 三重

の順で集中的宣伝をおこなうべき標的となるはずだろう。しかし、つぎのようその優先順位は他国に比べてずっと低い。

 購買力平価のひとりあたり国民所得でみると、上記自治体と比べてより裕福なのは順に
1. カタール、2. マカオ、3. シンガポール、4. クウェート、5. ブルネイ、6. アラブ首長国連邦、7. ルクセンブルグ、8. スイス、9. ノルウェー、10. 香港、11. アイルランド、12. バミューダ、13. アメリカ合衆国、14. オランダ、15. デンマーク、16. サウジアラビア、17. オーストリア、18. アイスランド、19. ドイツ、20. スウェーデン、21. ベルギー、22. オーストラリア、23. フィンランド、24. カナダ、25. 東京都、26. フランス、27. バーレーン、28. ケイマン諸島、29. イタリア、30. オマーン、31. 大韓民国、32. イスラエル、33. スペイン、34. ニュージーランド、35. マルタ、36. チェコ共和国、37. スロベニア、38. アルバ島、39. キプロス、40. エストニア、41. リトアニア、42. スロバキア、43. ポルトガル、44. トリニダード・トバゴ、45. シント・マールテン島(オランダ領)46. 愛知県 47. バハマ、48. ポーランド、49. ハンガリー、50. ラトビア、51. ギリシャ、52. セーシェル、53. セントクリストファーネイビス、54. 静岡県、55. 栃木県、56. 福井県、57. クロアチア、58. 富山県、59. 神奈川県、60. 滋賀県、61. プエルトリコ、62. 大阪府、63. 三重県、64. 群馬県 65. 茨城県
となっている(世界銀行2018調べ)。

 つまり、国・地域別でみて、上の64の順序で、より高単価な上客として望ましい可能性が高い事になる。

 したがって観光収入が目的ならこの順序で集中的宣伝先として望ましい事になるだろう。

 ブランド総研魅力度調査は西日本全体で関東北部へ「とても魅力的」「やや魅力的」と感じる数値が低い事が低評価の原因とされているが、上記をかえりみると、集中的宣伝標的として望ましいのは、西日本のうち特に西から大阪、福井、滋賀、三重の4府県までになり、標的がきわめて絞られる。広告宣伝費に限界があるからには、もしブランド総研にあおられてどうしても西日本側での知名度をおおかれすくなかれあげたければだが(自分は、国内文化のすみわけとして、必ずしも積極的にそうしない方が望ましいように思うが)、国内向けプロモーションとしては、この4県の富裕層へ集中的に宣伝すべきとなるだろう。ほか愛知、静岡、富山は中部・北陸地方となっているが、おなじことがいえる。
 但しこの4府県のうちには、特に大阪という犯罪率など民度に摩擦があると考えられる箇所がふくまれていることに注意がいる。すなわち大阪などから特に富裕層以外が旅行客として流入すると、茨城の治安を悪化させる可能性が十分すぎるだけある。それだけでなくて関西圏の文化自体が茨城のそれと違うので、相当目立ったりすることにはなるだろうし、特に一般に大阪人はガヤガヤとうるさいので、茨城県民側が迷惑だと感じる場面もしばしば出てくるのではないかと思う。
 自分がしるかぎり、慶喜公と徳川家の縁があってこれらの自治体中で最も県民性や県の風土が似ているのは静岡で、次点が松平家の治めていた福井と思われる。ほかの府県はかなり茨城の既存の県民性と違和するところがあると思う。愛知や大阪は通常非常に商業的な性質をしていて、滋賀も近江商人以来の同様の傾向を持っていて、また独特の中華思想を帯びている京都から影響されている面も大きく、これらの府県は茨城と国内でも文化が非常に隔たっている。(だからといって海外の文化よりは少しは近いかもしれないが)。三重や富山については、茨城とは基本的に別の文化圏だといえると思う。したがって、標的として最も相性が良いという意味でいえば、静岡、福井の順でプロモーションをするのに都合がいいのではないか、と自分は思う。自分としては、茨城空港を通すなら国内でこれらの県への優先順位を高くすればいいと考える。以後に愛知、富山、最後に滋賀・大阪・三重と進めばいいのではないか。
 これ以外の府県へも好印象を植えつける宣伝プロモーションを打てば何らかの印象向上効果はえられるかもしれないが、平均化したとき県の収入へ計算づくで直結するとはかぎらないのだろう。したがって優先順位は低くなるだろう。

 また、そもそもより緻密にみた高所得さでいえば、上記の53の諸外国は、国内ほぼすべての高所得自治体より、平均所得が上回っている。そうであるからには、茨城にとって、より富裕な客がいる上記の海外へのプロモーションの方がはるかに優先順位が高い、というべきだ。
 ただこれらを観光集客を含むものとするには、茨城県側で海外の客を県内で回遊・滞在させる計画を事前につくって、それは富裕層を十分に満足させるべきものでなければならないだろうし(さもなければ東京へ客を取られておしまい、となるばかりで)、少なくとも既存の文化を壊さないで外国人も滞在し易い英語対応などの案内準備も整えてから、上記の国々の空港と茨城空港を直接結ぶのが望ましいのだろう。

 しかしながら、これらの観光プロモーションは、結局、茨城の既往の居住快適性を損なう可能性が十分すぎるほどある。収容力に限界があるなか観光公害が続けて起きているだけに京都市の前例が参考になる。観光客用の道路などをいくら整備しても、住民自身は財政破綻においつめられるという悪循環に陥っているのだ。そのうえインバウンド需要を狙って市街地を民泊施設などへかえていき、中国など富裕な外国人の持つセカンドハウスなどの別荘もふえているので、住民自身の生活上の幸福とおおかれすくなかれ矛盾してしまっている。
 だから総じてブランド総研の煽りは、観光集客目的としてはほとんど使えないのではないか。寧ろそこで参考になるのは「商品の紹介先」としてなのではないか。

6.茨城県は栃木県と共に、群馬県によるブランド総研信用毀損訴訟に加わるべき

 ではもっぱら田中と都内マスコミへはどういう対処をすべきだが、マッチポンプ詐欺・信用毀損・業務妨害罪というしかない百万以上かかるデータセットやコンサルは一切購入せず、無視・完全放置する事でどれだけあおろうとも田中側に茨城県税(および栃木・群馬県税)むさぼり収入にはならず、かつ、都民一般の心根の卑しさ、下衆さを逆宣伝に利用する事で、無料で全国へ売名活動できることが明らかである。例えばスティーブ・ジョブスはアップルの宣伝時に似た様な事をしていたと思う。最終的にはブランド総研や東京都民の悪質さが喧伝されるにすぎず、日本国民のなかでも一定より批判的メディアリテラシーや科学的良識をもち、倫理観もまともな人々は遠からず、「現実の茨城県の魅力が高い(観光客の8割が満足、住民の7割以上が満足している)」事実とのあいだに生じる認知的不協和を修正せざるをえず、東京人の下衆さや、西日本人の無知をテコに利用できるわけである。

 ヤフコメ民はこれを関西のお笑いの概念で「おいしい」と表現していたが、都民からの関東北部民へのネガティブキャンペーンによる侮辱・名誉毀損・業務妨害・信用毀損罪をみることの一般的不愉快さ、県民への心的傷害や具体的経済損失と、その無料宣伝から得られる利益を天秤にかけて考慮すると、具体的訴訟の賠償でえられる利益が確実ではない――自治体の名誉権がみとめられた大分地方裁判所平成14年11月19日判決。サテライト日田訴訟を除くと、都道府県ヘイトが国法上まだ罰則つきで禁じられた判例がない――時点では、無料宣伝費を下衆都民が負担する事でえられる茨城県民側の利益の方が優るのではないかとおもわれるふしがある。
 但し、群馬県が訴訟をする場合は、茨城県も栃木県と連名、また3県の観光業者・農林水産業その他の産業訴訟団体と共にこの訴訟に加わり、過去16年間でGDP1割とみても最低50兆円以上の損害について、産業と県民生活全般におよぼした具体的経済・人的損害についての賠償を、ブランド総研・田中章雄被疑者ら同事件関与者約社員10名、および、キー局その他の主要新聞社、雑誌社、ネットメディアなどマスコミ各社の関係者の懲役刑と共に賠償請求しきっていくべきである。

7.中華思想に耽る東京人からの偏見は却って不良を遠ざけ、茨城県民自身があらゆる面で圧倒的美徳を極めた神格の理想国づくりをめざすよすがとなる

 また副作用として得られる利益としては、「ヤンキー」「ダサい」など都民が負の印象としてもちがちな関東北部や茨城県への差別的偏見をまきちらしてくれることで、茨城県民自身の実態と乖離した印象を批判的思考力のひくい無知な人々、いいかえれば低一般知性な人々が相対的に持ちがちになる事があげられる。
 現実の茨城県は人口11位だが少年犯罪検挙率は23位と、南関東4都県より不良の割合も数も少ない*3。

*3

東京  少年犯罪率6位 人口1位 
神奈川 少年犯罪率8位 人口2位
埼玉  少年犯罪率14位 人口5位
栃木  少年犯罪率20位 人口19位
千葉  少年犯罪率21位 人口6位
茨城  少年犯罪率23位 人口11位
群馬  少年犯罪率36位 人口18位
(警察庁 犯罪統計資料2016)

 要するに都民自身のうぬぼれによる、茨城への確証バイアスを強化する田中炎上プロモーションの増幅活動で、東京中華思想・華夷秩序強化の悪徳が、自動で茨城県から低知性な人々を遠ざけてくれることになる。

 また同時に、茨城県民自身も、優等生として誉れ高く美質にみちた行動をとらないかぎり、ますます名誉を貶められるだけ、との自覚がつくので、この一連の東京人の悪意と西日本人らの無知からきた偏見・差別報道を受けて、世界に対し、いかに完成された人格にならねばならないか、いかに一目瞭然で隔絶して群を抜き、圧倒的に優れた県をつくらねばならないか、真摯な反省のよすがとしなければならない。
 もし茨城県が全ての面でもはや日本のいかなる自治体にも及びがつかないほど何の欠点もなく、また、全ての長所も人間業を超えている状態になれば、あるいはまたそれと同時に全世界で最も優れた美質を厳かに示している県となれば、地上の神々の県として全世界へ永遠にその英明を輝かすことになるであろう。

結論

 上述の事でわかるよう、諸国民・県民のひとりあたり平均でみて、わが県はいま世界で65番目に裕福という事になる。勿論これについても、県民の自助努力で世界1位のカタールを大幅に超えていく必要がある。その上でそれらの富を、我々自身が茨城を最もよい県につくりなおしていくのに愛郷無限の精神で還元しつづけねばならない。

 近いうちにわが県は「日立国」として独立するだろう。いかなるひとも差別されない国が約束されていることは、国際人権規約(自由権規約)1条に定める人類普遍の権利である*4。その後も、祖国ひたちを全世界で最も優れた神格に至らせ、その永世にわたる神位を確立する事が、 我々のこの世に処するにあたっての基本目的というべきだ。

*4

国際人権規約 市民的及び政治的権利に関する国際規約(自由権規約)
第1条
1 すべての人民は、自決の権利を有する。この権利に基づき、すべての人民は、その政治的地位を自由に決定し並びにその経済的、社会的及び文化的発展を自由に追求する。

2021年10月17日

旧日本からの離脱、日立国としての独立論

我々茨城県民にとって政治的に最大のリスクは、すぐ南に衆愚の自治体・東京都を抱えているという事だ。
 千葉と埼玉を挟んで存在するこの自治体は一連の報道公害をはじめありとあらゆる悪意を込めて都の暴利を目的に原発公害をまきちらす、賄賂コロナ禍五輪を強行するなど、深刻な暴政に耽っている状態だ。
「魅力の不知」を「魅力のなさ」と悪意で誤読させ、虚偽報道の公害を起こして民族差別の嫌がらせをするなど、もはや東京都民が先進国並の判断力をもっているとは一切思わない方がいい。完全に悪質なファシズム衆愚と捉えるべきだ。当人達が違法行為・反人道行為を連打しているのに、自分達が上位者だとうぬぼれきっているのも、まったく同じ事の証明でしかない。
 ブランド総研とNHKら都内マスコミの共犯による一連の報道公害は「虚偽の事実」による信用毀損・業務妨害罪、さもなくば「事実の指摘」による名誉毀損罪なのは間違いない。茨城県観光客動態2020で8割が満足、茨城県政世論調査で7割が生活に満足と、観光・住民いづれの県の魅力もとても高いのが実態で、ブランド総研会員アンケートの片寄り(又はおもに西日本の無知)を示すにすぎず、憲法14条平等権、放送法4条の美風・中立・公平・事実・多角・公益の原則にも違反している。こういった報道公害は原発、賄賂五輪、コロナ禍、自動車盗難、他の普段の東京公害と同様に起きている現象で、この件にかぎらずこれまでも起きてきたし今も起きているし今後も続くと考えていい。つまり「東京」がありとあらゆる公的犯罪者の原因で巣窟になっているのだ。

 次のリスクは、その様な公害スラムの東京を崇拝・嫉妬している西日本という更なる衆愚を抱えている包括自治体・日本国に属してしまっている事になる。会沢安『新論』でこの国が作られた時と置かれる状況の文脈が変わっているので、もうこの日本共同体の構図はわが県民にすくなからず損害をなすだけになっている。
 西日本側の無知や東京評に関する判断のおかしさ、明らかに東京が東日本で最も民度が低いのにそこを高いと思い込むなども、西日本全般の平均教育程度や知性の質の低さを反映したもので、結局、西日本側が東京より民度が低いからこそ、スラムを羨望したり持ち上げたりしているといっていい。

 この2大リスク――東京都からの公害、日本国からの公害―ーを回避するには、茨城県は旧日本国から独立するしかない。「日立国」として単独で国連加入する事でしか回避できない、旧日本の低民度自治体からの公害リスクが顕在化しているのが、福島原発事故からはっきり顕在化した最近の東京公害に該当する出来事の数々だ。

2021年9月30日

初代リーズデイル男爵アルジャーノン・バートラム・フリーマン=ミットフォード卿による慶喜公評

 彼(徳川慶喜)が失脚する寸前、三十歳の時の彼を覚えているが、徳川公爵は私が今まで会った人物の中でも際立って立派で上品な風貌を備えた人であった。しかも、それだけではなかった。彼は極めて人好きのする優雅な態度と魅力的な物腰を備えていた。背は高くなかったが、非常に均整がとれていた。顔立ちは彫りが深く、口も歯も非の打ち所がなかった。顔色は明るいオリーブ色で、その手も脚も彫刻家のモデルにしたいほど優美であった。彼がほほえむと、顔全体が明るくなった。年をとった現在でも、彼の立派な外見はほとんど変わらず、その魅力はすべてそのまま残っていた。
 我々が初めて将軍に謁見した日のことを、昨日のことのように良く覚えている。それは堂々とした建築物である大阪城で行われた。ハリー・パークス公使とサトウ氏と私は迷路のような廊下を通って、美しい装飾を施した大きな畳敷きの部屋へ案内された。テーブルを囲んで椅子が並べられてあり、そこに将軍の顧問官である御老中(ゴロージュウ)と我々が座ったが、一つだけ席が空いていた。突然、貴人の入場を告げる合図の息を吸う音が建物や廊下で聞こえた。だんだんにその音が近くなり、ついに襖(ふすま)が両側に開かれると、そこにはほんの一、二秒の間であったが、威厳のある姿がじっと動かずに彫刻のように立っていた。我々が立ち上がって礼をすると、将軍は微笑して優雅に礼を返し、我々に座るよう手まねで合図して空いていた椅子に座った。
――初代リーズデイル男爵 アルジャーノン・バートラム・フリーマン=ミットフォード

A・B・ミッドフォード『ミッドフォード日本日記 英国貴族の見た明治』第三章 歓迎会と横須賀軍港訪問

 彼(徳川慶喜)は我々英国人が経験してきた騒然たる時代について、率直に腹蔵なく話をした。彼は自分の国民と我々との間の満足すべき友好関係を妨げている幾多の難しい問題のことを遺憾に思うと述べ、今後よりよき体制を発足させる決意を披露した。彼の態度には、きわめて人を引きつける魅力があった。彼は最初のうち、いくらかはにかんで神経質そうに見えたが、それはこれからの厄介な問題の処理を抱えていたため当然のことであっただろう。しかし、彼は生来の非凡な性格と思いやりのある礼儀正しさで、いっさいの束縛を払いのけて、自由に気楽な態度で話しだした。
 最後の将軍徳川慶喜公は、確かに傑出した個性を備えた人物であった。彼は西洋人に比べると小さく、普通の日本人並みの背丈であったが、昔風の日本の衣装を着ていると、その差はほとんど目立たなかった。私が日本滞在中に会った日本人の中では、西洋人の目から見て最も立派な容姿を備えた人間であった。端正な容貌をして、眼光は爛々と鋭く、顔色は明るい健康的なオリーブ色をしていた。口はきつく結ばれていたが、彼が微笑むと、その表情は優しくなり、きわめて愛嬌に富んだものとなった。体格はがっしりして力強く、たいへん活動的な男らしい姿であった。彼は英国の狩りの名人と同じく、あらゆる天候で鍛えられた疲れを知らぬ馬術家であった。四十年後、彼と再会した時、歳月はほとんど彼を変えていなかった。彼の魅力的な物腰は相変わらずそのままであったし、顔に皺が増えただけで、容貌はほとんど変わっていなかった。名家の生まれを示す特徴は、昔の通りにはっきりしていた。もし、貴族というものがあるとすれば、彼こそ本当の偉大な貴族であった。惜しむらくは、彼は時代錯誤の人だったのである。
――初代リーズデイル男爵 アルジャーノン・バートラム・フリーマン=ミットフォード

A・B・ミッドフォード『英国外交官の見た幕末維新 リーズデイル卿回想録』 第二章 将軍との会見、長岡祥二・訳

Certainly Prince Tokugawa Keiki, the last of the Shoguns, was a very striking personality. He was of average Japanese height, small as compared with Europeans, but the old Japanese robes made the difference less apparent. I think he was the handsomest man, according to our ideas, that I saw during all the years that I was in Japan. His features were regular, his eye brilliantly lighted and keen, his complexion a clear, healthy olive colour. The mouth was very firm, but his expression when he smiled was gentle and singularly winning. His frame was well-knit and strong, the figure of a man of great activity; an indefatigable horseman, as inured to weather as an English master of ounds. When I saw him again forty years later age had altered him but little. He had retained all his charm of manner, and though the face was lined his features had undergone hardly any change, and the distinction of race was as evident as ever. He was a great noble if ever there was one. The pity of it was that he was an anachronism.
--Redesdale, Algernon Bertram Freeman-Mitford, Baron, 1837-1916
"Memories" pp.393-394



岩倉具視の慶喜公評

 孝明天皇と家茂将軍が相次いで没したが、将軍後継者の慶喜は有能な人物であったから、天皇を上に頂く政府が絶対に必要とよく理解できた。
 慶喜は今の政治的難局を打開する唯一の道という誠実な確信に立って、単なる贈り物としてではなく政権を天皇へ奉還したのである
――岩倉具視

アーネスト・サトウ『一外交官の見た明治維新』 35章

Then both the Mikado and the Shôgun died, and the latter's successor, a man of ability, was able to see the absolute indispensability of a government directed by the Mikado. Sincerely convinced of this, he surrendered the power into the hands of the Mikado, not as a mere gift, but because it was the only way of solving the political difficulties which existed.
--- Iwakura Tomomi
Ernest Mason Satow "A DIPLOMAT IN JAPAN" CHAPTER XXXV, 1869—AUDIENCE OF THE MIKADO AT YEDO, 1921, p.404
https://www.gutenberg.org/cache/epub/43541/pg43541-images.html

水戸の徳川家の遺訓(イクン)

 明治34年の頃、筆者こと男爵・渋沢栄一が、おもいがけず、伊藤博文公爵と大磯から帰る汽車の中で、伊藤公は私へ語りはじめました。
     
 伊藤公いわく―
「渋沢さんはいつも徳川慶喜公を誉めたたえていらっしゃいますが、私は、心にはそうはいっても大名でも鏘々(そうそう)たる一人くらいに思っておりましたが、今にしてはじめて慶喜公が非凡の人と知りました」
     
 伊藤公は、なかなか人を信用し認めないかたなのに、いまそんな話をされるのは、なぜですか? と、さらにおして、たずねましたところ、
     
 伊藤公いわく――
 おとといの夜なんですが、有栖川宮家で、スペイン王族のかたを迎えて晩餐会がありまして、慶喜公も、わたし伊藤も客に招かれました。
 宴会が終わってお客さまがたが帰られたあとで、わたしは慶喜公へ、試しに「維新のはじめにあなたが尊王の大義を重んじられたのは、どんな動機から出たものだったんですか?」とたずねてみたところ、慶喜公は迷惑そうにこう答えられました。
     
慶喜公いわく――
「それはあらたまってのおたずねながら、わたくしはなにかを見聞きしたわけではなくて、ただしつけを守ったに過ぎません。
 ご承知のよう、水戸は義公の時代から、尊王の大義に心をとめてまいりました。
 父も同じ志で、普段の教えも、われらは三家三卿の一つとして、おおやけのまつりごとを助けるべきなのはいうまでもないが、今後、朝廷と徳川本家との間でなにごとかが起きて、弓矢を引く事態になるかどうかもはかりがたい。そんな場合、われらはどんな状況にいたっても朝廷をたてまつって、朝廷に向け弓を引くことはあるべきですらない。これは義公以来、代々わが家に受け継がれてきた遺訓(イクン)、絶対に忘れてはいけない、万が一のためさとしておく、と教えられました。
 けれども、幼いときは深い分別もありませんでしたが、はたちになり、小石川の屋敷に参りましたとき、父が姿勢を正して、いまや時勢が変わり続けている、このゆくすえ、世の中がどうなりゆくかこころもとない、お前も成人になったんだから、よくよく父祖の家訓を忘れるでないぞ、と申されました。
 この言葉がいつも心に刻まれていましたので、ただそれに従ったまでです」
     
 伊藤公いわく――
 いかにも奥ゆかしい答えではありませんか。慶喜公は果たして、並みの人ではありません、と。
     
 筆者・渋沢はのちに慶喜公にお目にかかったついでに、この伊藤公の言葉を挙げておたずねもうしあげたところ、慶喜公は「なるほど、そんなこともあったね」と、うなずかれていらっしゃいました。
――渋沢栄一『徳川慶喜公伝』第4巻、逸事、父祖の遺訓遵守
     
原文
 明治三十四年の頃にや、著者栄一大磯より帰る時、ふと伊藤公(博文)と汽車に同乗せることあり、公爵余に語りて、「足下は常によく慶喜公を称讃せるが、余は心に、さはいへど、大名中の鏘々たる者くらゐならんとのみ思ひ居たるに、今にして始めて其非几なるを知れり」といひき。伊藤公は容易に人に許さざる者なるに、今此言ありければ、「そは何故ぞ」と推して問へるに、「一昨夜有栖川宮にて、西班牙国の王族を饗応せられ、慶喜公も余も其相客に招かれたるが、客散じて後、余は公に向ひて、維新の初に公が尊王の大義を重んぜられしは、如何なる動機に出で給ひしかと問ひ試みたり、公は迷惑さうに答へけらく、そは改まりての御尋ながら、余は何の見聞きたる事も候はず、唯庭訓を守りしに過ぎず、御承知の如く、水戸は義公以来尊王の大義に心を留めたれば、父なる人も同様の志にて、常々論さるるやう、我等は三家・三卿の一として、公儀を輔翼すべきはいふにも及ばざる事ながら、此後朝廷と本家との間に何事の起りて、弓矢に及ぶやうの儀あらんも計り難し、斯かる際に、我等にありては、如何なる仕儀に至らんとも、朝廷に対し奉りて弓引くことあるべくもあらず、こは義公以来の遺訓なれば、ゆめゆめ忘るること勿れ、萬一の為に諭し置くなりと教へられき、されど幼少の中には深き分別もなかりしが、齢二十に及びし時、小石川の邸に罷出でしに、父は容を改めて、今や時勢は変化常なし、此末如何に成り行くらん心ともなし、御身は丁年にも達したれば、よくよく父祖の遺訓を忘るべからずといはれき、此言常に心に銘したれば、唯それに従ひたるのみなりと申されき、如何に奥ゆかしき答ならずや、公は果して常人にあらざりけり」といへり。余は後に公に謁したり序に、此伊藤公の言を挙げて問ひ申しゝに、「成程さる事もありしよ」とて頷かせ給ひぬ。

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参考資料

http://komonsan.on.arena.ne.jp/htm/yosinobu.htm

http://www.komonsan.jp/kura/cat24/5_9.html(リンク切れ)
(アーカイブ https://href.li/?https://web.archive.org/web/20160817164053/komonsan.jp/kura/cat24/5_9.html)

『徳川慶喜公――その歴史上の功績――』宮田正彦・茨城県立太田第二高等学校長「大政奉還と王政復古」、平成9年12月7日講座、平成9年度水戸学講座講録、常盤神社社務所

2021年9月16日

自分の私見としての、日本国滅亡後の未来予想

西日本とか南関東の人達って、特に西日本にその傾向があるけど、次の様な言動をする。

 関西人曰く、慶喜公は臆病者だとか。腰抜けだと。

 は? って話。 

 母方が皇族で、義公以来尊王の家で、主君なのが天皇家だってのは『徳川慶喜公伝』引くまでもなく常識でしかない。だってそれが水戸の徳川家の哲学として水戸学という体系になって広く海外にまで知られてんだから。それすら知らずに、なんで主君の命令に従って大人しく引き下がったのを「臆病」「腰抜け」というのだろう? ずっとこれが僕は理解できずに、西日本とか南関東とかの人って何考えてんだ? と異星にきた様な感じだった。

 それで先日、じゅんちゃんという人のユーチューブ動画をみて、そこでこの人は奈良出身なんだけど、烈公に悪口をいっていた。それで初めて気づいたのだ。関西の人って、一般に、単純に馬鹿なんだと。ここでいう馬鹿は馬を指して鹿と為す、の故事に、無知の意味のmohaをあてがった語彙で、要するに愚かだから、理非とか是非とか善悪とかをろくに見分けられないのである。
 このじゅんちゃんという人は、烈公が大和の道ぞ要なりける、と彼の故郷である奈良を散々美化して持ち上げてくれていたのすら知らない。そして何も知らない癖に「この人(烈公)の思想は、問題があった」といっていた。
 もう一度書く。およそ何も知らないのに断定的に問題があった、といった。じゅんちゃんって人。なにこれ? と僕は思った。は? の倍数が無量大数くらいになった。京では到底追いつけない。

 奈良人ですよね? 天皇家。先祖。

 烈公が守ろうとしていたのは、あなたがたの先祖であるところの奈良の豪族である。

 それが問題があった? 自己犠牲を払いまくってその奈良人を奈良の国風を守ろうとして、実際に酷い濡れ衣を着せられ薨去した義士・烈公の思想が「問題があった」。は?

 じゃあ奈良県とか大和国とかそこの豪族ごとごみ屑みたいに扱って捨てとけばよかったと?

 結局ですね。これが関西人の一般的発想なんである。ろくにしりもしないで貶める。理由は、自分が虚栄心に耽りたいから。中華思想。偶然まねたんじゃない。中国から。必然的にまねているのだろう。だって同一の考え方をもともと持っていたからだ。だって今となっては天皇家がいないんだから中華思想も何にもあったもんじゃないのに、いまだにそのくせで、他県の思想を知りもせず貶めてる。これって完璧に中華思想の類型である。蛮夷の思想なんて知る必要がないみたいな発想で語っているわけです。
 そのくせ、今度は西洋思想をもちあげまくる。これも笑える仕草で。ならしぐさといっていいだろう。前まで中国思想だのインド思想を散々もちあげていた。そして国内思想をその内容を問わず無視して、上から目線で奈良から頭ごなしに見下し、武力弾圧しまくっていた。記紀を読んだらいい。今度は手のひらを返す様に西洋思想にきりかえただけらしい。

 じゃあ何でそんな蛮行を奈良県の人達がしてしまうのか。
 これを観察した。
 結果わかったのは奈良県にかぎらず、関西地方とか西日本とかの人達の一般知能がその水準だからです。まちがいない。そもそも知能が十分に高かったら中華思想なんて言う差別主義の類型に陥る事は決してない。だから東日本とか一度もそんな類型もったことがない。常に文化相対主義の眼差しできている。
 水戸学を「自民族中心主義」と池田信夫がブログで言っていたが、これこそ池田が京都人である証拠といえるだろう。水戸学は文化相対主義の典型例で、はなから中国史とその政治哲学との対比として、比較文化論として成立している哲学だ。すなわち自民族中心主義ではない。中国や欧米とはこういう点で日本は違うんですよ、という思想。逆に、自民族中心主義とは、池田の故郷の京都人がもっている「京都市上京区御所中華思想」(京都中華思想)の類なのである。
 自分が観察したかぎり、原田伊織や関良基など、京都市や京都大学に関わっていた人物がやはり同じ京都市上京区御所中華思想を延長させ、その色眼鏡の投影として、水戸学を攻撃している。水戸学はさも京都中華思想の様なものだ、という思い込みを、池田や原田や関が暗に持っているのはこの為で、現実の水戸学派は、義公烈公はじめ御所の天皇を毎正月に拝んでいたので、普通に文化相対主義的だったのである。要するに京都人みたいに華夷秩序で国内の全ての自治体を見下したり、外国(御所の外、上京区外、山城国外)を遠ければ遠いほど頭ごなしに民族差別したりなどやっていなかったのである。義公は朝鮮通信使と進んで仲良く君子の交わりをして他国の学問情勢を学んでいたし、烈公は西洋思想を進んで学ぼうと『弘道館記』に記述していたし、慶喜公は外国公使と交わって次代の節公を西洋留学に送り出すなど、普通に周辺国だろうが遠い国だろうが、尊重の念と共に親交していたわけです。

 ではなにゆえ、この奈良県の人達(じゅんちゃんとか)、京都府の人達(原田伊織とか池田信夫とか)、長野県の人達(関良基とか)が、あるいは西軍と同様に、しばしば慶喜公を臆病者扱いしてるのか? まじで謎でしかなかった。だってそれって天皇と戦って弑せばよかったのに、といってるみたいなもんだからである。
 水戸学の眼差しでみるとそれはやってはならない行動だから事実、家訓として水戸の徳川家で代々、皇室と宗室(徳川宗家、本家)とが見分けられていた事になる。皇室が本来の忠義の相手だから間違えるなよと慶喜公が烈公にわざわざ庭訓されたと『徳川慶喜公伝』にある通り。
 したがって、西日本の人達は一体何言ってんの? と私からは当然みえる。私は旧水戸藩領だの東京都内だので生まれ育っていたしそこからみたら、慶喜公は最大の自己犠牲で善政のかぎりをつくした禅譲の英君という扱いだからである。それが「臆病者」? は? じゃあ15歳の天皇を人質にしてる岩倉具視だの西郷隆盛・大久保利通だのの軍勢を攻め滅ぼし、滅多微塵にすればいいじゃん、と言ってるの? そしたら今度は、西日本人らはますます「朝敵」と呼んで慶喜公を辱めるわけです。どっちにしても辱める。つまり、西日本人一般って、根っから邪悪な悪意しかない人達なのが公然の事実である。

 臆病者か朝敵といって手段を択ばず、慶喜公にぬれぎぬを着せ続けるのは、西日本人一般の魂が根から腐っているせいだ。心の底がみにくく歪んでいて、相手の忠義や公共の善徳を辱める事しかできない。当然だが文明の名に値しない。純然たる野蛮。それで天皇家という世襲王家兼教祖を、政権簒奪目的で無理やりでも持ち上げて、政治家としての徳川家にはなんでもいいから罵詈雑言を吐こうとしているのが、西日本人一般であり関西人一般なのである。水戸学なんて全く尊重していないし理解もしていない。水戸学派が尊王尊王というから天皇を「玉」扱いし、それを駒として政治利用して、岩倉・西郷・大久保の暴力革命にのっかってやれ、これが西日本人一般の精神構造であり、つまりは純然たる悪意で慶喜公へぬれぎぬを着せまくりたいだけなのである。

 じゃあ西日本人一般が、なぜ心から邪悪と証明できるか。
 それは同時代に、これらの西日本人一般の蛮行を、東北の人達はみぬいていたからだ。いわゆる奥羽越列藩同盟と、会津藩は、ともに、「いやそれ濡れ衣でしょ。慶喜公への冤罪やめなさい」といっていた。山形の雲井龍雄『討薩の檄』が代表例だが、実際、誰が見ても西日本人一般のあくどさ、根の悪さが今から見ても明らかなんだから、文明人たる道理に反するといって薩長暴徒のぬれぎぬ侵略戦争協力要請を断ったイギリス公使パークスや、慶喜公に頑張れ応戦しろといっていたフランス公使のロッシュらは、東北人同様、普通に文民だったというべきです。同じ事は関東人にも新潟人にもいえる。関東勢なんて彰義隊とか赤報隊とか新選組とか諸生党とか最後まで粘っていたし、新潟だって普通に道理の立たない侵略ぬれぎぬ戦なんてやるかみたいに西軍のあからさまな蛮行に反撃加えた。
 西日本・中部のなかでも、愛媛の伊予松山藩とか三重の桑名藩とか、明らかに西軍および西日本一般の大悪意に疑義を呈していた人達って普通にいたのだろう。そんなの誰が見てもわかる事で、無理やり勝てば官軍といって不正を押し通せばなんでもありといってるのは、小御所会議で慶喜公を裏切った京都人とか広島人、鹿児島人とか、その後に加わった山口人とか高知人くらいであり、要するに西日本の各地にこういうたちの人達がいるからいつまでたっても日本の政治はよくならないのだ。だって考えてもみてほしい。不正をしてもやったもん勝ちというなら、そんなの文明国になりようがないではないか。だから少なくとも西軍に主体的に参加した自治体で、或いは旧大名とかその末裔とか部下とかで、慶喜公にぬれぎぬ着せたのは間違いでしたすみませんでしたとか、容保公には本当に申し訳ない事をしました、東日本にも新潟にも、北海道にも沖縄にも、その他、徳川さんちをかばってくれた方々には迷惑かけました、二度とやりませんとか言ってるならわかる。そんなの絶対にあるいは全然してないし、西日本ってそういう公民度なのである。端的にいって、根が悪い。性悪的集団なのである。だから伊予松山藩とか桑名藩とか、高松藩とか和歌山藩、尾張藩とか、そういう蛮族に囲まれている状態にあって、はっきりいって可哀想でもある。悪意がある集団のなかで善意を主張すれば、はめられ貶められ腐され、酷い目にあう。

 明治天皇はまだ16歳のとき、孝明天皇が崩御したせいで、摂関家も弱腰のまま岩倉具視に無理やり小御所会議で慶喜公へぬれぎぬと決定されてしまったから、成人後に、46歳のとき、慶喜公を皇居になった彼の居城跡に呼んで、公爵を授ける事で嘗てのぬれぎぬを解き、和解しようとした。このときも天皇家特有の中華思想で上から目線なのがさすが関西ヤクザ、とんでもない家柄だなと思うわけですが、なにせ強盗団なわけで。すさまじくやくざな本家筋にあたる天皇家からの暴行だの強盗だの名誉毀損だのの被害者である慶喜公が、それでも親族として、「浮き世の事は仕方がない」といったから明治天皇が胸をなでおろした(千田稔『華族総覧』)。それってさ、胸をなでおろしたで済む話じゃあー本来ない。普通に天皇家が慶喜公に禅譲し直さないと筋が通らない話だ。実際の公徳がなかったのは天皇家なんだから。明治天皇の方が公徳がなかったのは明らかでしょ、客観的にみて。大政奉還の奏上って事実に反する謙遜が書いてあり、実際に公徳が欠けていたのは明治天皇だったのである。だから戊辰戦争という要らない内乱を招くわ、当の薩長土肥だの西日本各地で士族反乱を招くわ、琉球王国の独立もダメにしてアイヌへも人権侵害しまくるわ、まぁろくな事していない。朝鮮侵略こと、長州閥・三浦梧楼に閔妃暗殺させてからの伊藤博文による併合もどうかと思う。朝鮮の人が納得済みでやったとかいう明治右派の残党がいるけどさ、そしたら安重根なんて出てきてないから。普通に暴力で強制したのである。閔妃は保守的で開国とかしたくなかったの。だから金玉均も消された。福沢諭吉がそこで切れるのもおかしいといえばおかしい。だって内政干渉してんだもん。福沢はこの意味では弟子を殺されて悲しいのは分かるけど、切れる相手がおかしい。自分が無理やり他国へ内政干渉した事に切れるべきでしょう。李氏朝鮮が清の属国だった。だから奪っていいんだみたいな理屈は、単なる傲慢でしょうね。同じまるごと強制併合を北海道とか琉球とかに対してもやってんだから、要するに征韓論という松陰侵略主義の延長上の西郷と板垣退助の説にのっかってるにすぎない。その松陰だって、元が欧米列強の植民地防止を目的にしてた水戸学計画を改竄し、元凶である欧米の悪事猿まねして自分らも侵略しようぜといいだすとか、悪知恵でしかなかったのだ。

 そんな悪知恵にのっかってる西日本は全般的に蛮族棲み家状態で、そんなのを朝鮮の人達が悪い悪いというのも道理が通っている。実際に東日本から見ても、西日本って悪いんだもん。 しかも今に始まった話ではない。最低でも『古事記』『日本書紀』『風土記』あたりの奈良時代から具体的に国中を侵略して回ってるのが奈良のやくざ勢力だ。つまり天皇家一味。

 もう一度慶喜公にもどると、そんな関西やくざ一味・天皇家に、 忠節を誓っちゃったもんだからすごくひどい目にあった。末裔の慶朝氏に僕はずっと前から私的に注目して私淑していたわけであるが、将軍珈琲の制作・商品化という偉大な業績を残し、茨城県水戸市で亡くなられてしまった。もとの根拠地に静岡や東京から帰ってこられたのは、魂が呼び寄せたのだろうと思う。我ら茨城県の人士は、わが県わが国史に少なからず通じる知識層であれば確実に慶喜公の末裔にも関心を持っていた筈で、実際、我らは慶喜公を尊敬こそすれ、というか水戸の徳川家を全般的に尊敬こそすれ、全然敵意とかないわけです。だって実際に立派な行政をしてた事は間違いないと思う。彼らを「茨城の誇り」といった前知事・橋本昌氏は常識的に正しい事をいっていた。常陸国史・茨城県史をふりかえって、水戸の徳川家ほど優れた治世をした人って少なくとも我々の知るかぎり、君主階級でもいない訳です。佐竹氏の業績も大きかったのかもしれないが、僕のしるかぎり佐竹寺くらいしか歴史遺産がないけれど、佐竹寺も心から立派なものです。中国風の法隆寺とか超えている、純和風の寺院建築で最高傑作なのは間違いない。しかし、水戸の徳川家の残した遺産ってもっと色々あって、特に弘道館と偕楽園、西山荘がそれにあたるかもしれませんが、それぞれ偉大な歴史遺産なのは絶対に間違いがない。

 水戸学の思想も確かに日本史を変えた。それは日本が、タイの様な緩衝地帯以外で、自主的に近代化を果たすことで植民地化されなかった極東の唯一の国になったという風に変えたのだ。もっというと有色人種が主になっている国々で、自主近代化は唯一の例だから、それってなにもかも薩長がやったみたいに歴史を西日本の人達は関東政府に侵略馬乗りしてきて書き換えてしまったが、現実には水戸学派が一からプログラミングをやって、最初に烈公の藩政改革として近代化を実践して自分達で大政奉還・無血開城までまとめたのである。それってマイケル・ソントン『水戸維新』でいわれるまでもなくそうだったのだし、端的に西日本の人達が余りに性悪、余りに卑賤、余りに利己的だったから、そうと認めるだけの勇気や度量がないだけの事。天皇家もそうだけど。天皇家も西日本勢ともいえるけども。だって事実は事実なんだから変えようがないだろう。水戸学派が近代化を成し遂げる原因になって封建制から議会制へと国のかたちを変えた。そしてそれが慶喜公のもとで幕藩体制のもとにあった将軍家を廃して、会沢安のめざした国体として天皇家のもとに全国統一政体をつくりあげた。大日本帝国やその後の日本国ができあがったのは水戸学の力だったのが間違いないし、その途中で政権簒奪勢力、寡頭政治勢力として割り込んできて、GHQから公職追放されてもしつこく中央政界に残存してるのが、薩長藩閥ってやつだったのである。長州閥・安倍晋三氏とか、薩摩閥で大久保利通の子孫である麻生太郎氏とかがそれなわけです。

 要するにですね、西日本の人達って根性がさもしいから慶喜公の尊い御心が分からない。ここでは西日本に、中部も入れますよ。散々烈公の悪口いってる関良基って人、長野の人らしいし、あとは同じくイケズだけに水戸の悪口しかいわない京都人の原田伊織って人も彦根で育ったらしい。彦根と水戸って友好親善都市でしょ。今更京都人ごときが東京まででしゃばって、折角築いた友情をかき回しに来るのやめてほしい、心から。もともと彦根藩の井伊家と水戸藩の徳川家って江戸幕府を経営した人達なわけで、互いの行き違いで偶々事件になっただけ、目的としては国をよりよく治めようというわけですから、別に違う目的を目指している訳ではない。主家にあたる天皇家を巡って水戸藩は譲れない一線が当時としてあったに過ぎない。
 京都人・原田伊織が常陸国を貧しいという。違うんじゃないですか。風土記に遡るまでもなく、現代の状況みるまでもなく。今の時代の資料からみても違うんじゃないの。妄想も大概にした方がいい。茨城・常陸より京都・山城の方がひとりあたり県民所得も、県民総生産も低いんでは? 親王任国になっていた大国と、自藩だか自国だかを比べてるの自覚してんだろうか。一体どこの藩と比べていってるんだか? 当時の山城が常陸と同じく大国のつもりなんでしょうか。一段下の上国でしょうよ、令制国で。自分の日本史の教科書と書き込みしてある手元資料によると、1664年の大名配置だと常陸24万石、京都(朝廷)4万石。は? って話。貧しいのは朝廷じゃないの、それでいうと。自分の京都じゃん、で終わる。しかも全国の大抵の藩より水戸の方が石高が高いというのもこれまた事実なんだから、原田伊織は全国を虚栄の京都中華思想でまたもや差別・蔑視しているのに気づかないのだろう。大体、水戸の藩風って、質素倹約・質実剛健で、いわゆる石高の高さを自慢する加賀とか、尾張みたいな国柄と違うわけですよね、元が。だからそこで馬乗りされても「は?」としか思わないわけだ。弘道館の清廉な最小装飾感とか近代主義の先駆けとしか言い様がないわけです。その様な風紀っていまだに続いてますしね。日立市役所にしたって日立駅にしたって妹島さんのミニマリズムっぽいデザインで、ごてごて装飾してあるものと対極にある。趣味が違うので。金に飽かして成金趣味が好きなんでしょ、原田さんは。大奥が贅沢三昧してた江戸・東京移民だし。こっちはその分、江戸時代通じてまじめな学問事業に使っていたわけなんでね。明治までかかった『大日本史』がその精華ですけども。

 もう一度話を戻すと、西日本の人達は一般に天皇家を誅罰・征伐してもいいと考えているらしい。この点で水戸学と根本的に発想が違うわけだ。だからこそ慶喜公の天皇家への禅譲や恭順を「腰抜け」「臆病者」といい、じゃあ会津藩・桑名藩みたいにそれでも防衛戦をやるみたいな人達へは「朝敵」という。要するに必ず悪意100%でぬれぎぬ謀略と共に加害行為をしてくる。それが西日本一般って事。それって朝鮮の人達が切れるだけの事は有ったって話。東日本勢が余りに大人しすぎ、余りに聞き分けがよすぎるので、西日本勢がそんだけ極悪非道だってことを国際的に責める前に、まぁまぁ喧嘩はよしなさい、天皇陛下を奉るのがわが国の国柄ですから、と慶喜公が言ったとおりにしちゃっている。
 もし西日本勢だったら平気で天皇家を攻め滅ぼし、自分が天皇に成り代わればいいじゃん、と考えていたわけだ? それに失敗したから長州藩が2度も。それで長州藩を旗印にしてる西軍勢は負けて悔しい悔しいと思っており、いつ天皇を弑するか亡ぼすかを暗にうかがっているからこそ、慶喜公みたいな聞き分けのいい天皇忠臣を、憎い憎いと思ってきたわけです。事実の分析としてそうでしょ? 水戸学の発想が西日本にはない。純然た野蛮な戦国社会である。だから米軍に原爆落とされて悔しい悔しい負けて悔しいと思ってるにすぎず、侵略戦争負けて悔しいと思ってるにすぎず、侵略加害ごめんねなんて寸分も感じていないのである。広島人だって長崎人だってそうでしょ。国内外へ侵略主張した薩長土だけじゃないでしょ。

 西日本にそういう蛮族を抱え込んでいる。それが日本の実態だ。
 米軍はそれを恐らく分析しきっていないんでしょうね。米軍のことだからもうしてんのかもしれんが。でも朝鮮勢は知らないだろう。だから東北勢とか普通に大人しい方なのに、日本ひとまとめにして、弥生時代以後の侵略犯である弥生系の西日本勢と潜在的に対立しまくってきている先住(縄文)系の日本人も犠牲者なのに、で幕末もその弥生系のうち百済の末裔である島津氏とか天皇氏とかが案の定暴走して国内外へ帝国主義行動に出たにすぎないのに、日本国内の被害者まで責めているから、話が混乱するのだ。
 普通にね、薩長を朝鮮の人達が叩くなら、東日本・新潟も総じて「だよね」ってなるよ。沖縄も北海道もそりゃーそうなるべ。だって事実、薩長土肥京芸(薩長土肥+京都+芸州事広島)と天皇家に小御所会議以後に侵略されたんだよ。東日本・新潟・北海道・沖縄は。つまり西軍被害者である立場は南北朝鮮も中国も台湾も東南アジアもインドもアメリカやロシアら連合国も同じなわけだ?
 じゃあ今の時点で、というか明治以後ずっとそうだけど、「日帝」「日本」単位で、自分達は仲間だとか思わない方がいい。だって西日本勢一般って単なる侵略犯で、根っから悪意で慶喜公にぬれぎぬ着せて無理やり政権簒奪し、場合によっては天皇を弑してまでと各自分達が蛮政したいだけの勢力で、その恐怖主義暴力にあらがっていた少数派の西日本人も薩長土肥京芸に蹂躙され、丸め込まれただけなんだから。まぁその意味では徹底抗戦して滅亡してないだけに同じ穴の狢と言われるだけの余地はそれら西日本の少数派にはあるわけだから、一般と括られるだけの理由はある。だがそれと同じに、東日本や新潟や北海道・沖縄や日帝こと西軍から侵略を受けた諸外国はなってはいけないだろう。ある意味で、韓国の人達って本当にありがたい存在だったのだ。だっていつまでも折れずに抗議を続けてくれたから、そっか、そういえば西軍って単なる侵略犯の裏切者だったよな? そういえば天皇家も慶喜公へぬれぎぬ着せただけの関西ヤクザじゃん、と気づかせてくれたのだ。だから私はここに言っておくけども、韓国って凄く正義の国なんじゃないかと思う、この点。それは会津藩もずーっと抗議を続けてきたから、そもそも慶喜公ら主家にあれだけ忠誠を尽くしてくれていた時点からそうだし、慶喜公の仕える天皇家にもずっと仕えてくれていたわけですから、模範的な忠臣なのは間違いないわけです。これは衆目が一致している。まじの話で。そういう高公徳な高義な自治体の忠節の深さが、裏切り三昧で不忠不義の極みな権謀術数主義だらけの薩長両藩は気に入らないわけなんですね。これは完全に国柄の違いだと思う。だから水と油で相容れない。薩長両藩は嘘ばっかりついて自分達は英雄だ無謬の正義だという。会津藩は、桑名藩は慶喜公は極悪非道だみたいに嘘ばかりついていた。薩摩藩の方がこの点より悪質で、途中では会津藩と同調して長州藩を攻めておきながら途中で手のひら返して会津藩を攻め滅ぼすという行動をまたもやった。水戸藩も桜田門外の変の初期から京都義挙計画を破断にされて、その発覚もみけすために水戸藩にいた薩摩人も処刑されて、薩摩藩には裏切られてるわけですからね。長州藩は倒幕論で水戸藩側との幕政改革同盟を途中で裏切ったわけだから非難されて然るべき道理はある。だからどっちにしたって、最後まで徳川家にせよ天皇家にせよ裏切らなかった会津藩が本当に一番偉いのは皆が知っている事であり、同じ事は奥羽越列同盟軍は知っていたわけです。水戸藩は尊王の大義という哲学があったので会津藩より一層複雑な経過を経ていたから、明治維新を成し遂げる原動力になって実行したとはいえ、一言で尊王・佐幕に関する忠義の深さをいえないわけですが、何しろ将軍家を継いだ上で大政奉還・無血開城をするわけですから、慶喜公が。会津藩に限っては本当に偉かったとはいえるでしょう。

 その意味で、薩長両藩とか寸分も偉くないし、単純に裏切者だし、しかも侵略恐怖主義政治くり返しただけっていうのが事実でしょう。歴史の。長州藩が討幕派にさえならなければ、つまりは松陰がそこまで極論に行かなければ、おそらくそうはなってないでしょう。薩摩だけが大暴れして、将軍家は残り、徳川家が名目的な大統領状態で、それとは別に祭司としての天皇家がいて、議会政体に移行してたでしょうね。でも長州藩が討幕だーとかいってしまったので薩摩藩が同乗してきて結局、西軍はこの薩摩・長州・土佐藩(板垣退助)という侵略主義をなんとも思わない野卑な自治体だけでできあがってしまい、その後の日帝が秀吉をこえる海外拡大路線をとって破綻までいきつく。しかもね、薩長土は幕末までに浪費体質で借金火だるまだったわけですよ。なんかさも金があったみたいに西軍あげの人達はいうけどさ、間違いでしょ。藩札を調べて御覧なさい。薩長土は財政破綻してたんですよ、江戸時代通じて。だから暴走恐怖主義者ゲリラを抑えるだけの余力が藩庁になかったんですよ。もっというとね、藩民が犠牲になったんだよ。侍は金儲け専門じゃないからどこから藩札で金もってきたかって市井の商人から持ってきてたんだから。
 あとね、石高がどうってさ、今の農業生産みたらいいじゃない。それでいったら茨城と鹿児島とはほぼ同じくらいじゃないですか。生産高で。という事は実態はそんなものだったんだよ。江戸時代も。途中でそこまで土地の制約とか変わってないでしょう。山口県はそれより枯れた土地だったわけです。江戸時代の検地って精確じゃないでしょう。今の方が精確に出てますよ。江戸時代の話は過少申告とか過大申告とかが何らかの政治的意図でなされてたと思うよ。鹿児島は凄いんだぜーと言いたいとか、常陸・水戸は大した事ないと自分達で言いたいとかさ。思うに鹿児島とか山口の場合は、江戸時代最初の時点では過大申告した方が江戸幕府から脅威と思われて容易に攻められないだろうから大目に言って、常陸の場合は江戸に近くて脅威と思われたら面倒だから過少申告したとかだと思うの。そういう過少・過大申告が普通に罷り通るだけの世界でしょ、江戸時代の検地ってさ。科学的なものでもないんだから。でも実態って意味でみたら、今の農業生産高をみたら大体はわかるんじゃないですか、農業の地力、地味って意味で。常陸は大国になるだけの実態はあったってことよ。風土記で常陸は常世だ、どこの家庭も海の幸山の幸の食べ物で溢れてて天国だとか書かれているわけです。それって今もまじで基本かわらないと思う。僕が住んでて子供の頃から周りの人達みてていうんだから確かでしょう。要するに生産力は高い国だったんだよ。原田伊織は貧しい山城国の土地から出てきてるから実態しらないの。

 鹿児島と山口と高知はさ、 あと佐賀は。京都と広島も。自分らで仲良しこよしで組んでるじゃん。150周年やーとかいって。じゃあ勝手に組ませとけばいいんじゃないの。だって上で見てきた様に、彼らは悪政の極みですよ。郷土史がそんだけ罪深い国打ちで占められてるんだから怖くてしょうがないよ、僕がそこで産まれてたら。
 昔、山口の人で恐怖におののいてる人いたよ。罪悪感で。会津を虐めた過去があると知って怖くなったっていってた。それが普通に知的な教育を受けた人の最初に感じる事でしょ。山口県民が余りに教育水準が低すぎるだけだよ、現時点では。もし真面目に郷土史を客観的に学びだしたら、あれ、これうちの県が侵略してんじゃんと気づかないわけがないよ。吉田松陰が先生とかいわれてるけど侵略思想家で、無政府恐怖主義で老中ころそうとしてとらえられてしんでるなって。それを英雄だーとかいってるのって、どうなのって気づくでしょ普通。僕が山口県で生まれ育っててもそうなるよ、てか10代でそうなると思う僕なら。最低でも。これインチキのふるさとだなって。そうならないまま大人になって、まかり間違って知事にまでなってしまう人達、いや、下手すると調子に乗ってまたも東京まで出てきて総理になろうとする人達って、ね、教育程度もそうだけど、知的な水準が低いだけだと思うよ。これは嘘ぬきで。自己欺瞞に気づかないっておかしいと思う。僕が思いっきり主観で同調して山口県史を学んでも、吉田松陰って別に偉くもなんともねえなと感じてるんだからさ。子供向けの歴史漫画とかで嘘ついてんだなって。あと西郷隆盛も。何が西郷どんだよ、こいつ恐怖主義者の典型例で、普通に陰謀働いて国を乱したやつなのに、って。僕とかそれに気づかずに漫画で西南戦争まで読んで、アレーなんでこの人しんでるの? って思って見逃してたのって小学校低学年以下だよ。まじで。10代以上になったら西郷偉いとか思ったことないよ。西郷どんとは思ってたけど。まして10代後半とかになったら疑いだすからね。高校位になったら知性が発達してくるんだから、学習成績よかったら普通。20代以後とかになったら、これどうみてもただの恐怖主義者だなって気づくよ。陰謀だらけの岩倉具視と同次元の、しかも血迷って自滅したやつじゃんって。郷里の人達を裏切れなかったからって別に悪い事してない慶喜公だか容保公だか朝鮮だかを無理やり敵にしたてて攻め込ませようとか、憐れでしかないよね。ヤクザの統領って。手下が恐怖主義者だらけ。

 つかね、山口県でいったらそういう恐怖主義者がさ、特に奇兵隊で藩庁のっとって、鹿児島県でいったら西郷一味がそうだったじゃん。で、その人達が支配勢力だったじゃん。けど水戸って違うもんね。こっちの尊攘急進派って基本、天狗党だったわけです。飽くまで少数派だったから幕政・藩政から追撃・追放されて処刑されてんだもんね、敦賀で。全然違うじゃんか。最終的には慶喜公についてきてまた藩政をのっとるわけですけどね。尊攘派が最終勝利したって事なんだから、それを恐怖主義ことテロリズムで片づけられないんじゃないですか? 政治の現場がどうできあがってるかっていったら武力で優る方が勝ってしまうってだけの話ということをまざまざと示している逸話って話で、政権の立場から、片方の正義が片方の正義に上書きされるわけでしょ。それを「テロリズム」だとまとめたら天皇家も最低でも飛鳥時代から全員テロリストということになるし、その意味で、原田伊織氏も関良基氏もじゅんちゃんも池田信夫氏も、水戸学に影響うけて尊攘派になった人達を「テロリスト」と総称すると、色々と自己矛盾しだすよね。だってさ、京都の歴代政権は平安京建設以来全部テロリストじゃんとなるし、奈良の大和政権以後も後醍醐天皇以後の南朝含め全部そうだし、長野の当の松平家だって徳川家の親戚としてテロリストじゃんとなってくるんだから。近代日本政府を否定するつもりで自分達の成立根拠まで全否定しちゃってるという。だから左派思想に中途半端かぶれるというのは、最終的には国を亡ぼす場合があるのは、この原田・関・じゅん・池田派をみてるとわかるね。実に中途半端に保守思想と彼らが見なした水戸学を攻撃してしまったばかりに、実際には自分達のお国の政治理論を基礎づけている理論体系であったがゆえ、日本国の成立根拠自体をぶっ壊しているという。笑い。国体もなけりゃ天皇家なんて中古奈良のテロリストなんだから政権追放しろって当然なるじゃん。水戸学が尊王カルトなら天皇家はテロリストだから消えろ、二度と出てくるな、で解決されちゃうよ。フランス革命だのイギリス革命だのの二の舞でしょ。どうぞどうぞ。原田・関・じゅん・池田をね、じゅんって人は大阪で読書会やってるらしいから「関西系の反日極左カルト勢」と名づけでもしましょうか。事実そうなんだから。天皇国体論が基本なんだからさ、後期水戸学って。それを烈公を例にとって「思想に問題があった」発言でテロリズムの起源だと攻撃って、まさに、ネトウヨ系の決めつけとか誤認定とかじゃなくてさ、純然たる意味での反日じゃないですか。別にそれが悪いといってるわけじゃないけど。反日が正義ならそれでいいんじゃないかとも思うわけですから。じゅん一味って厳然たる反日思想家集団じゃん。

 寧ろね、反日思想って意味でいうと、松陰もそうだよ。だから松陰の後期は、佐幕(要するに親政府)かつ尊王愛民の水戸学とは潜在的に対立してるんだよ。松陰は『幽囚録』や草莽崛起ゲリラとして周辺国を侵略しちまえ、天朝も関係ない、といったんだよ。郷里の人への手紙で。無政府・反天の侵略思想家だったのよ。
 しかし水戸学は尊王愛民の親政府思想であって、まるで違うのね。列強の植民地化から専守防衛、しかも国民を福祉政策や学術・産業振興で豊かにしていこう、官民相和して不偏不党、忠孝と神道を大切にしましょうという考えだと『弘道館記』に書いてあるじゃないですか? 普通にさ、現代でもまぁ通用しなくもないよ。会沢や東湖の当時の状況での列強からの侵略脅威への対抗言説みたいな部分は、米軍に間接統治されている状況が続いているから、これまた、実際にはかなり有効性あるしね、現に。或いは中国の人達が北海道とか普通に土地買いまくってるわけですけど、それだって、茨城県の単位でおこなわれたときさ、茨城県民がただ北海道民みたいに手をこまねいてみているかどうかだよね。会沢や東湖の思想が忘れ去られていたとしたら黙って中国領になるのかもしれんけどさ、善い意味で効き目が残っていたら、条例とかで一定の枷はつくるんじゃないの。県外の人達に完全に土地を支配されちゃったら間接的に金だけで侵略完了ってなるのは目に見えてんだもん。それでもじゅん一味は「テロリズム」だーというんだろうか。笑い。普通にさ、侵略防止しましょうよってテロリズムと関係ないでしょ。テロリズムってロペス・ピエールみたいな人のことじゃん。反対派を政権の座から次々ぶっ殺していった人のことだよ。だったら水戸学派と一番対立していた井伊直弼がザ・テロリズムなんであって、桜田烈士って寧ろテロリズムを解体した側じゃないの。当時の外国人襲撃は悪? いや治外法権状態で勝手に他国に入ってきて、好き放題してたんじゃないですか、当時の欧米人って。礼儀正しく振舞ってたとかならわかりますけど。ほかのアジア諸国での振る舞いとかみてたらそんなこといえないでしょ。イギリス人がインドでインド人を誤って猿だと思って射殺したけどイギリス人の判事が無罪とした、とか福沢諭吉が『文明論之概略』に逸話として書いてるよ。福沢もそういう認識でいたんだよ。清に至ってはイギリス人へ適当に商売させてたら麻薬蔓延させたうえに麻薬販売を清朝がやめさせようとしたらイギリス議会の決定で清軍を一方的に攻めて征服していう事きかせてんだぞ。米大陸だったら先住民ごと駆逐されて殺されてんだから食料狩りで。それを水戸学派は知ってたんですよ? その人達が、外交関係のない外国人が勝手に国内に入り込んで、似た様な事する前に追い出した方がいいって考えた場合、それって政治的に正当な自治行為であって、テロリズムでもなんでもないんじゃないの。テロリズムの定義がおかしいんじゃないですか。歴史的語彙としてのテロリズムの意味を、政府や公務員の行政行為全てにあてはめるのって、じゃあ自衛官も警察も検察も刑務官もテロリズムかと。当時の武士階級って今でいう自衛官・警官じゃないですか? その人達が行政行為をした、だから悪なんだって何言ってんのの話なんだが。ま、外交関係のない外国人に好き勝手、県内府内に出入りさせるのがいいんだ、とじゅん一味は考えてるわけですよ。当時も今も。だったらそうすれば? 原田と池田のの京都や東京、関の長野、じゅんの奈良はそうすれば? 別に誰も止めないよ。ただ僕は、茨城ではそういうのはちょっとって思いますけどね。外交関係がある国の外国人のかたなら出入りしてくれていいと思うけどさ。外交関係のない外国の人でも、まあ見てても問題なければいいけど、もしその外国が何らかの政治上の謀略で送ってきてる人とかだったら、何らかの問題発生するかもしれん。スリーパーセル発言をさ、三浦瑠璃がして叩いてる人達いたよね。でも現実にそういう北朝鮮の人達が深部まで出入りしてた場合はさ、差別とかぬきに、潜在的に致命的テロをする可能性があるスパイを普通に出入りさせてる事になるかもしれないですから、もしそういうことをされてもいいというなら、京都・東京・長野・奈良は、じゅん一味が進んで行政に持ち掛けて、外交関係がない外国人でも自由に出入りさせる条例を通すべきだと思うよ、心から。茨城でそれを押しつけられると困るだけで。原発とかあるんでね。危険施設が。

 で、じゅん一味とかみてると、西日本の人達一般って、馬もそりもあわないのは当然だと思う訳です。だって水戸学を理解してないだけじゃなくてそのさ、水戸学だってある種の儒学と神道と武士道を混成させた独自道徳なわけだから、飛虎将軍みたいにそれをまっとうに実行した人を台湾の台南市の人が勝手に神格化した例をみると、別に水戸限定の地域思想とかじゃないじゃん。普通に外国でも通じたんだから。しかも大層肯定的に持ち上げられたんだから。
 お国を命がけで守る。しかも民衆を進んで愛おしむ。天皇陛下には忠節を誓う。外敵には進んで立ち向かう。親に孝。産業を新興させ、学術を進め、官民ともに不偏不党でお国の為に働こう。これが水戸学の全てじゃん。ガチで。
『教育勅語』が偉いえらいと右派はいいますよ。井上毅が『大日本史』『弘道館記』はじめ水戸学参考にしてたのは事実ですよね。けれども、教育勅語じゃなくて上記の原則が羅列してある『弘道館記』って、或る意味さ、『教育勅語』より純度が高い道徳思想なんじゃないですか。教育勅語は皇国の為に命を犠牲にしろみたいな事まで踏み込んでるけど、『弘道館記』はそうは書いてないよ。尊王とは書いてあるけど。別にさ、軍人階級以外までそこまでやらなくてもいいんじゃないの。恐らく烈公もそう思ってたと思うよ。自分たち武家が責任をもって国、民、皇を守るつもりだと思ってろうし。三浦瑠璃がやりたがる国民皆兵の復活ってさ、『教育勅語』の論理だよ。全体主義的な皆兵論は『弘道館記』はとってないと思う。

 ま、僕は『教育勅語』も『弘道館記』も信じてませんけど。天皇家も信じてませんし、回天神社みてみなよ。天皇家がいかに尊王志士を裏切ってきたかよくわかるよ。あれだけ自己犠牲してまで天皇を立てようとした人達を、しにまくっても慶喜公ごと朝敵あつかいで無視ですよ。辛うじて靖国が合祀しただけでしょあとから。しかも諸生党いれてないんだろうし。諸生党って普通に尊王だったしね、佐幕も同じくらい十分にしてただけで。昭和天皇が敗戦後に、臣民があまりに皇国を信じすぎたと息子の明仁氏に送った手紙とか本物だったとして、それだけじゃなくてさ、昭和天皇って皇道派の将校も裏切ってるじゃないですか。いつも自分のお家大事が第一の家柄なんだよ、むかしから。だから差別してたんだもん、全国民を。高慢の極みなわけ、だから自称天皇なわけ。中華皇帝に見下されたくないから飛鳥期にそういう事いいだした時点からサイコ入ってるの。そういう家柄に忠義を誓うとか危険だよ。サイコの部下って。岩倉みたいに奸臣が出てきていつやられるかわかったもんじゃないし、天皇自身も平気で天狗党みたいな勤皇志士をぶち殺す側に回るからね。
 だから関西のさ、邪教一味がサイコ満載で東京までのりこんできただけで、慶喜公も関西地方とか西日本一般とかの根っからの性悪に囲まれて可哀想だったってだけの話だよ。
 未来にいっても西日本とか変わらないと思う。根が。性悪の民族が大陸から入ってきて戦争が始まったのが弥生期。それからずーっと日本荒らし回ってる人達だったし、それが徳川家の統制がちょっと途切れた瞬間に暴発して大陸進出しだしただけだよ。弥生民族って元からそれだけ野蛮だったっていう証拠が、侵略主義を唱えだした松陰であり、西郷であり、板垣だよ。秀吉も関西人だし、天皇も関西人だし、例外ないわけです。根がね、他人を思いやる能力とかないのよ。だから天皇の某玄孫も、動画とか本とかで、隣国の人達を奴隷視とかして差別しまくってるままなわけです。それを国内でもずーっとやってたんだよ、彼の本家は。GHQがさ、公職追放してくれたからいいものの、もし宮家としてまだ政府のなかにいたら、そこで表には出ないだけで同じ言動してたでしょうが。京都にいた頃からずーっとやってんだ、あれを。差別を。中華思想の華夷秩序の暴力団ごっこ。それで世襲だから口先だけで武家をだましだまし、操って自分達だけ甘い蜜を吸ってきたんです。天皇一味。

 そんなのにまんまと騙されていた水戸の徳川家は、或る意味お人よしすぎたんでしょうね。今もおわしますけど。善良なのはいいが、過度だと現実では生き難い。汚い関西政界だったら普通に蘇我馬子みたいに天皇を弑したり、岩倉具視みたいに毒殺疑惑もたれようが無理やり政権簒奪して当然みたいに思われてんだよ。だから臆病者か腰抜けでどっちにしたって陥れてくる極悪集団なんだよ、関西地方。西日本。
 そんな連中はね、仲間じゃないでしょ。仲間にしちゃいけないですよ。どうせ自滅しますよ、そこまで悪事してんだから。因果応報で。原爆2つ落とされた。それって彼ら西日本勢が侵略三昧して都市形成してたからじゃん。広島、長崎が西軍に与して東日本・沖縄・大陸・太平洋侵略しまくってたら米軍にぶつかっちゃって反撃された。自業自得としかいいようがない。それを愛子内親王がみて同情するとかね、あんたの家がやってたんでしょうと。侵略三昧。広島人も手先にして、天皇家が東日本の江戸を侵略したんでしょうと。その上でアジア太平洋中を税金欲しさに侵略しまくって現地人を殺したり奴隷にしようとして、米軍に怒られたから原爆おちたんでしょ。それをみて他人事みたいにいってるから、おかしいなーとは思ってたんだ。『もっとこの世界の片隅に』だったか皇太子時代に愛子内親王もみてて、この一家、自分達のせいで原爆落ちたの気づいてないの? と違和感しか感じなかったんだけど愛子内親王の作文みて疑問が氷解した。他人事気分でいやがるのだ。自分達が奈良から千年以上日本中を奴隷にしようと恐怖のどん底に堕とすテロと全国民差別しまくってきた事実には目をふさいでいるらしい。
 自分に都合のいい歴史しか見ない。それってサイコパシーがあるからなんだろうけど、その極みみたいな一家なのだ、天皇家って。だから自分達の税収奪したさの侵略でアジア中を荒らし回っていた事についてはなんの痛痒も感じておらず、広島に原爆落とされるだけの恐怖主義政治をしていた事についても、天皇家には責任がないという、軍部のせい感覚でいるらしい。いや全権もってたでしょうと。軍部統帥権もってたでしょうと。そのあたりを中学生とかに学ばせない? いや学ぶでしょ。ましてや東大めざしてるらしいんだから、進学校レベルだったらやってますよ。天皇家自身が、徳仁氏や雅子氏がその程度の歴史認識しかない事を示しているんである。だからね、ヤフコメ民がね、秋篠宮と対比させて、無理やり天皇家は理想君主あつかいしてるけど、間違いだよ。天皇家はお花畑。公家の親玉だから。

 そのお花畑加減をほんわか善良と勘違いしてるけど、違うと思うの。
 天皇の犠牲になった人達の前でニコニコしてりゃいい。それって偽善だと思う。だからね、再三いってるけど、韓国の人達って本当に偉いと思うのだ、僕は。ただ、西軍の藩閥寡頭政体にすぎない明治政府と、徳川勢を誤認してるところは可哀想な知識水準ですが、それでも、日帝の悪行をちゃんと追っていって責め続けようとしてるのは、日本みたいに諦めが早い国柄とはだいぶ違うんじゃないですか。薩長はさ、遡れば朝鮮系じゃん。島津氏は百済の豪族だったわけだし、山口も大内氏とか百済系で、弥生期くらいから渡来人の地区じゃん。だから似てんじゃないですか、少し。徳川家に負けたから悔しい悔しいといって250年後に復讐したつもりの事をよく言ってるじゃん、恨で。息を吐くように嘘をつくとか右翼が隣国の人達への偏見でよくいってたけど、118回嘘つき居士の安倍晋三閣下じゃんそれ。山口県人なんでしょ? 思いっきり山口県って日本国の領域じゃーないですか。だからして、韓国の人達とあなたがたが言う通りなら同じというか、より純化した様な資質じゃないの、山口の安倍氏って。息を吐くように嘘を吐き続けて最長期政権だわ、徳川憎しで恨を誇ってんじゃん。違います?
 天皇家を永遠に恨み続ける。それってさ、日本だとなかなかそういう人いないじゃん。平将門とかアテルイとか尚氏とかなーんも悪い事してないのに、悪しき天皇家に自治権侵害され、あるいは虐殺されたわけじゃないですか。だったらその末裔がさ、永遠に恨み続ける。いつか復讐を遂げる。それが筋じゃん、本来。業が実在するなら。でも水に流すとかいってすぐ許しちゃうからいけないんじゃん。それで無限に極悪一家が調子にのっていまだに中央政権に寄生しつつ税収奪し続ける構図になっちゃったわけじゃんね? 日本だけ。封建領主なんて政権追放したらいい、もし政治やりたいなら公費に頼らず自分で立候補どうぞ、というのが共和政体であるはずが、そうなってないんだから皇族だけ。基本的に税収で生きてるから税金も払ってないだろうしね。だからして、韓国の人達がいてくれたのは、外部監査として凄く有難いと思うんですよ、私。

 かなり昔はね、10年以上前は、私は2chのネット右翼とか、福沢諭吉とかにそれなりに洗脳されたりして、韓国ってどうなんだろうな、と、韓国について調べつつも割とどっちつかずでした。しかし最近、KPOPが完全にJPOPを席巻し、ここまできたら大衆文化的にも韓国の方が先進的になっている面があるのは確かだろうし、普通に一人当たりGDPだかでも韓国の方が安倍政権のせいで上になっているわけだから、韓国ってしかもずーっと日本に外部監査してくれているわけだから、最重要なパートナーなんじゃないですか? 私はそう思い始めた、ここ最近。
 じゅんって人いるじゃん。あの人とかそうだけど、やたらめったら右派政権の悪口しか言わない。筋が曲がってたらただの嫌がらせで大迷惑だけども。外部監査ですよ、それを日帝単位でやってくれたわけじゃんね? 韓国って。我々、旧常陸国・水戸藩、現茨城でさ、誰が日帝単位でそれをやれたかと。江戸時代はやってたと思うよ。多かれ少なかれ。徳川宗家に対して外部監査。それは当然応援するつもりで。でも明治政府以後は、特にやれてないんじゃないか。そういう動機づけがなくなってしまった。明治政府に翻弄されていたわけではないにしたって、別に厳しく第三者目線から正否を査定する事もなくなった。水戸の徳川家が貴族院で何やってたか、『大日本史』献上で公爵陛爵、あんぱんさしだした木村武山の『徳川邸行幸』の絵は知ってる程度で、敗戦時に水戸家が議長を務めて恐らく天皇家を第一の藩屏として守ろうとしたのだろう程度で、詳細すら知らない。という事は、尊王精神は残ったかもだけど、副将軍という動機づけはなくなったって事でしょうね。
 ところが韓国は具体的に朝鮮王朝を潰されて、その後も日帝が敗残したものだから、抗日で民族主義をまとめようとして、似た様なことやってた中国より一層、厳しく日帝時代の事を追及する様になったわけです。だから朝鮮総督府の伊藤博文は閔妃暗殺者・三浦梧楼同様、山口人として失政した事になるでしょうね。最終的にそうなるなら朝鮮と別の国のままだった方がましだったとなるので。しかし、代わりに我々は凄く役に立つ外部監査者がぴったりついてくるという、非常に良い条件を得られたわけです。

 薩長政権がどんな悪事してきたのか、天皇家が日帝の長としてどんだけ蛮行していたのか、韓国側が次々指摘してくれるんだから楽極まりない。日本側では、政府界隈、薩長土肥京芸ら西日本界隈で色々西軍を美化する為に欺瞞と偽善の自己崇拝で嘘八百つく連中が、東京の天皇家もろともわんさか残っているので、彼らがいってる事は幕末の事例をみてもあきらかなとおり殆どが虚偽とか悪意ある妄想とかなんで、韓国勢の方が客観的事実を指摘してくる可能性が十分すぎるほど高いわけです。だって東日本は記紀以来ずーっとその様な嘘八百の悪事三昧を関西人からやられてきてますので。いまだに竹田恒泰氏が神話と歴史をまぜて天皇家を神扱いしてるザ皇国史観でそれをして、アテルイの名前を動画のなかでアルテイと間違えてるなんか、とんでもないことを平気でやっている。その上で大和王朝は話し合いでまとまったとかいっている。は? って話。嘘しかつかない。普通に侵略虐殺してるじゃないかと。関西人が。東北人を。しかも東北人の方が先住権を持っていた事が歴史的事実で、関西人は侵略犯の移民じゃないかと。縄文時代に天皇家の史跡なんざ一個もない。出てくるのは飛鳥期頃からなのに、なぜか、竹田氏のなかでは弥生時代以前にも天皇家が神話の神々として日本にいた事になっている。つまり嘘ついているわけだ。そういうのを日本人はお人よしすぎて余りに鵜呑みにしている。それは水戸学派の義公もである。当時の考古学や遺伝生物学がなかった知識水準ではしょうがなかったのかもしれない。明らかにその部分って今の科学だと、竹田氏が神話という嘘で、歴史を歪めているわけです。天皇家の先祖は渡来人だったと天孫降臨が語っているのに、或いはこれは桜井誠氏がいってるけど「邪馬台国」って「ヤマタイコク」じゃなくて「ヤマト国」と読む可能性があり、台与の国だと台をトと読むからという理屈だが、だから『魏志倭人伝』だと邪馬台国は日御子が治める女帝の国だったわけですが、それって、初期のヤマト国が女系だった事をしめしているわけだ。よって、竹田氏って、それを中華皇帝をまねて男系へ無理に収斂させようとした平安期頃以後の話を伝統として正統化するためにそれ以前のヤマトなる国の歴史を考古学を軽視して、自分の男系至上主義観念論で上書きしたいだけじゃないの、となってくる。ともに女帝である母・元明から娘・元正への代替わりを『大日本史』は血統のせいだとか書いておらず、単にそういう人徳(神識典礼)があったからとしているわけですが、じゃあそれは男系だからですよとか、理屈がおかしい。それでいったら愛子内親王の娘が次の次の天皇でも、愛子内親王が男性皇族の子なんだから、男系になるわけだ。大体旧態墨守しなければ伝統でないとか天皇家はその場で適当に過去の風習かえてきてるから嘘でしかないですが、それとも愛子内親王の夫が皇族か旧宮家かどっちかでなければならない、とすると、その場合でも、やっぱり女帝の次が女帝でもいいとなって、愛子内親王の娘に相続しても男系といえることになる。この部分、正確にいうと、元明天皇って女系でしょ。母系といってもいいけど。だって母から娘に継いでるんだもん。それが元明天皇の夫が草壁皇子だったから、男性皇族の子なら女帝でついでもいいんだよーというなら、愛子・眞子佳子・その他の女帝を否定する理由にはならないわけですね? 天皇の血が入ってなきゃダメというなら、承子、瑶子、彬子女王は皇位継承権があって当然となるわけです。だって男系なんだもん。それを国民を馬鹿にして、次も女性でいいよってなるからダメ―って、端的に神道が男女差別をしている宗教だ、と自己吐露しているだけでしょう。竹田氏はくりかえし男系至上主義は女性差別じゃなくて男性差別なんですよと公言しているが、だったら一般日本国民の男性が自分達が差別される制度に賛成してくれると思ってるとしたら、あなた、自分が天皇家の末孫だから威張りすぎじゃないの、で終了でしょう。今となっては国民主権であって、もともと奈良で暴力三昧していたヤクザの大親分にすぎないわけだから、昔ヤクザだった家だからって何にも偉くないわけだ。単に暴力で逆らえない状態にして威張り散らしていたといわれても、その血統が偉いどころか、いや、それ寧ろ平和に暮らしていた一般の農民より遥かに邪悪じゃないですか、で終了。しかもいざ元寇きたときも天皇はずっと和歌で遊んでいただけで、実際に日本列島を我先に守ろうとしたのって武家じゃんと。暴力を税収奪と自国民奴隷化目的の差別の為には使ったけれども、現実の外敵には無力。それが天皇家。偉くもなんともない。広島長崎に原爆おちても放置で、仕方なかった発言後、今度は自分たち天皇家主体の軍国主義が釣り込まれた先制攻撃で原爆投下に至っただけの話が、核廃絶しなければならないとか、いや、それあなたがたのせいでしょうと。無責任さが半端ねえ。君主無答責になるわけだ。もともと責任能力がないんだから、倫理崩壊してて。つか、倫理崩壊してなかったら全国民を差別や蔑視しながら1374年も中華皇帝に馬乗りする天皇家とかいう神話上の存在を名乗れたはずもない。要するに人間を奴隷視してるからそういうことがいえる。傲慢すぎて。

 そういうやくざの親分が、千年も粘るだけ、関西の公民度って低かったのだ。 これが真実だ。西日本単位でいってもそうなのだろう。だから関東政権は幾度も政権交代してより正義の人達におきかえてきたのに、関西はいつまでも腐敗政治を虚栄の中で持ち上げていたし、世襲で。虚勢、虚構を延々と続けていたから江戸に大差つけられた。それだけの理由はある。関西の一般的公民度が低すぎ。しかもね、東日本でいったら東京が最低の公民度だと思うけどさすがに、人口が多すぎるからね。人口過多だとそれだけ底辺もひろがるからね。それ以下の民度しかもってないとしたら、実際そうなんだろうけど、それ、日本では最低レベルというべきだ。そしてそんな感じなのだ、関西、少なくとも大阪はそうなのじゃなかろうか。流石に横山ノックと石原慎太郎が馬鹿殿対決したら石原が勝ってしまう可能性がある。女性蔑視や障害者差別の酷さ、馬鹿さで。しかし石原を例外とみたら、全体として底辺あらそいじゃないか。
 いや大阪と一緒にしないで、と京都や奈良や和歌山は思ってるかもしれない。しかしね、首都圏でいったら神奈川と千葉と埼玉は最低でも東京と一緒にしてと思ってるかも。それだけ公民度が低いのだ。南関東って。だから天皇家とかいう厄介者を招き入れてるところってどこもそんな感じになるんじゃないか。中華思想で。京都とか千年後も全国蔑視してくるんじゃないか。原田伊織とか池田信夫とかいまだにそんなことばっかりしている。天皇家も似た様な物では? 何で自分の家だけ特別扱いで平気なのか。それだけ高慢なサイコだからである。そんなのをね、持ち上げて。関西圏は救いがないね。関東の方がこの点ではまだ冷静だったと思うよ。新政府を何度も構築し直したもんね。徳川政府がね、さすがに世襲でこれは腐敗したと思ったから新政府にしたのも、慶喜公じゃん。そのとき天皇家を持ってくる結果になったけど、天皇家がこなくても新政府に移行はしてたじゃん。公議政体にしたかったんだもん。天皇家は外部に置いた大君(大統領)制のもとでの議会制になってたよ、西周が慶喜にそうしましょうよ~っていってたんだから。そうやって軟着陸させず、天皇専制きどった実際は薩長藩閥寡頭政治に硬着陸しちゃったのが西軍で。そんでこれが天皇制ファシズムに至って破綻したんじゃん。昭和前期で。

 結局ね、西日本と東日本って水と油なんだよ、そこまで行くと。
 もし東日本だけで政体考えてたら、象徴天皇・大君制になっていたと。ところが西日本だけで政体を考えたもんだから一君万民・天皇制になってしまった。
 既に後者は失敗したんだから。次は天皇追放で大統領制・共和政になるのか知りませんけど、もう僕としてはね、西日本と協力関係とかあんまり重視しない方がいいと思う。茨城は茨城で単独で行く、でいいと思う。必要とあらば便宜的に協力するとかも飽くまで極力なく消極・限定的で。一県平和主義で。それが歴史の教訓じゃん。西日本は性が悪すぎるよ。それが慶喜公が遭った悲劇から学べる事の全て。西日本はたちが悪すぎ。天皇家もたちが悪すぎ。慶喜公がね、穏当に水戸藩主かその補佐になっていて、常陸国政してたらよかったのよ。そしたらどんだけでも常陸は発展したじゃん。誰も妨げなかったろうし。飽くまで英君なんだから。西日本のひくーい公民度の世界なんかに将軍家から担ぎ出されたせいで、極悪暴徒に囲まれて冤罪までされたんだよ。だから彼を実例として、二度と、茨城県勢は西日本の人達の群れている様な悪質な場では、公務をすべきではないだろう。そういう場は、悪徳君主の方が似合っているのだ。安倍晋三や麻生太郎みたいな。山口4区や福岡8区の人達がもちあげているんだから。我々は茨城県を最善の自治体にする事に集中すべきで、中央国政に対しても一定の距離を置いた方がいい。だって西日本の人達がうろうろしていて、そこでは国民奴隷化のための陰謀ばっかり働いており、しかも平気で嘘をついて天皇家の猿まねしようとしてきている。そんな場は遠からず滅亡するに違いない。日本国政府が亡びても茨城県・常陸国単独で巧くやっていく事を前提に、独自に外交関係を確立し、独自に自県自国の制度整備をしていく必要がある。本気で日本国が潰れた時は、ひたちという新たな国として、今の茨城県単位で国連加入してやっていく事ができればいい。そしておそらくそうなるだろうと思う。漢字としては分かり易く「日立」でいいんじゃないか。ひたみち説は飽くまで奈良人が部外者として書いた風土記のものだし、ひたし説はヤマトタケルと絡めてて古名として無理やりだからおよそ完全に創作でしょう。もともとひたちって、義公が日立市域についていうとおり日立の意味だったのかもしれない。

 そして日立国に王道と覇権がともにが移った時は、我らは韓国とも新たに手を携え、薩長あげ歴史認識を完全に改めよう。だって朝鮮に侵略したのって西軍の主力部隊からなる新政府であって、水戸藩では全然ない。水戸藩主は徳川家であって平和外交主義だったのである。そんで朝鮮通信使を通じて普通に仲良くしていたのだ。儒学の共通項があったから。

 また中国とも新たな次元の外交関係を確立し、米中対立の緩衝役になりたいと思う。どうしてかというと、観念論、政治イデオロギーで二大巨頭が対立して、誰が得するというのだろう。中国の体制の方が劣っている? 本当にそうなのか。歴史が証左するだろう。だが、それまでの間に、少なくとも米中両国の対峙で、何らかの犠牲が出ない様に、中国の立場も米国の立場もわかった上で、双方に最善の落としどころをみつけて、世界に戦争と貿易摩擦を最小化するというのが、私の考える未来志向の日立の役割だ。実際、経済協力という観点からみたら、一々対立してても意味がなく、普通に最大の自由貿易を一定の各国の事情に即した保護関税率のもとで展開していけばよく、政治的軋みはその為には邪魔でしかないのだ。はっきりいって、米国も内政はそれなりに格差社会で問題が広がっているわけだから、確かに自由圏の方が政権交代可能なだけに共産圏より政治腐敗が遅くなるかもしれないけど、最終的にどっちが勝つかは分からないし、今の中華人民共和国が亡びてからも別の政体がどうせ必要になるんだから、中国との関係をとにかく悪化させておけばいい、という話でもないと思うわけです。今のところ。ただ、台湾か香港の高度自治政府の方が、中国に置き換わるという未来がもしくるとしても、それまでには凄く時間がかかるかもしれないし、それまで対中鷹派の姿勢で居続ける費用の方が、おそらく太陽政策みたいな感じで接するより遥かに高くつくのは確かと思う。特に軍事費。今の自民党政府ってこの点では米国型の軍産主導の政権とさして態度が変わらず、そのままいくと最終的には軍事費で潰れるんじゃないだろうか。
 第一、中国って侵略主義の傾向って昔からないわけですから、普通に貿易関係を文化交流とともに巧くやっていくだけでいいんではないか? 必要十分な防衛費を除けば。
 寧ろ問題があるとすれば、例えば米軍基地がある沖縄、神奈川、東京みたいに米軍に依存せず、日立軍単独で国際社会と専守防衛で対峙していく本来の祖国防衛体制を作り直す事だ。そもそもそうならないと日中国債で米軍がケインズ侵略で暴走し続ける世界史の構図は永遠に変わらないし、いい加減孤立主義に回帰しませんか、中東はイスラム諸国として独立してもらって、米国はイスラエル支援で十分でしょう、ちなみにパレスチナとの関係も和平に結ぶべきじゃないすか、みたいな流れをつけていくのがいいんでないかと思う。

 北朝鮮に対してどう振舞うべきかだが、自分的には開放貿易政策を普通に勧めていくのでいいんじゃないかと思うのだ。その為には協力しますよ、という態度でいいのでは? わざわざ安倍氏みたいに挑発しあってミサイル打ち合う事には双方に損害しかない。金正恩って自分がみるにスイス留学してたり、開明的君主な面があると思う。だからして、開放貿易路線で北朝鮮を発展させましょうよ、日立はあなたの国に敵意がないですから、と言ってりゃいいのではないか。

2021年9月2日

茨城県庁が子供へ教育用に配るのはノートPC、できたら、希望する全県民へ一人一台マックブックをリース契約する方が、ITスキル育成環境面で遥かにいいと思う

茨城県庁は学校で子供にタブレット端末を配ってるみたいだけど、どうせやるなら、自力でプログラミングできるだけ必要十分な性能のPCを配った方がいいでしょう。
 既に日本が世界一その点で弱い国――15歳の生徒が自宅・学校でパソコンを使う機会が世界一少ない国――なのがPISA2018で明らかになっているわけで、受け身で情報を得る、又はゲームをするならタブレットでも行けるかもしれないが、情報発信やプログラミング以上のことをするには性能的に厳しい場合が多い。iPadくらいの馬力なら自分でキーボードを買ったりすればなんとかなるかもしれないが。

 いつも差異化(差別化)がどうのと大井川氏はいうわけで、多少奮発しようが、長期的にみて子供の頃からPC操作に慣れていて、プログラミング以上の作業にもなじみやすい状態をつくってやる方が、おそらくだが次世代の為になるのではないか。
 じゃあ他国と差異化できてるかといえば全員PC一式揃えてあげたら逆にその点で進んでる国々とかぶるのかもしれないけど、それって、デジタル関連に通暁した上でその中で差異化した方が有利なのか、そもそもそれ以前から差異化した方が有利なのかの議論になり、どちらともいえない。
 ただ、どうせリモート授業で使うんだし、興味ない人は県から環境与えられても使わないだろうから、少しの上乗せで発信・プログラミング可能な端末にしてあげた方がどうせならいいだろう、と思うわけである。そこは教育的にけちるところではない気がする。私は。ただ発信可能にする分、情報倫理や、誹謗中傷とか著作権関係のネット・リテラシーも必ず同時並行で教える必要があるが。

 あと、不登校とか家庭学習してる子供へも、つまり学校に通わず学んでる子どものいる家庭へも県庁は、全く同じ体制を補助してあげた方がいいのではないか。今の時点でネットなしに学習しろ、と言われても、例えばウェブ上の辞書(嘘多いウィキペディアなど除く)をすぐ引けるみたいな状態ですら、実際かなり不利なものがあるからだ。

 じゃあ具体的にどのモデルがいいかだけど、クロムブックがおおむね一番安価なわけですし多分今配ってるのもクロム系のタブレットなんでしょうが、ウィンドウズPCとマックブックに比べたらやれることにまだ限界があるのも確かであろう。クロム系ってOSとしてグーグルのサービスに依存しているからです。サイトなりプログラムを普通に作ろうとした時、最安価なクロムブックでやれ、といわれると、余程のプロでなければだれでもそれなりに足枷科せられてる感じにはなるだろう。例えばその状況から、プログラマーの方のスティーブやゲイツやザッカーバーグに出発させていたらああなっていたかといえば、疑問符でしかない。彼ら自身が手に入れたPC性能は当時として一番上とかのレベルだった筈である。

 という事は、最も合理的なのはマイクロソフト社やアップル社と直接組んで、生徒全員分リース契約をする事なんじゃないかと思う。そうすれば貸し出されるのが多分常に最新モデルの筈だし(そういう契約にすればいい)、各自の家で買う必要もないからである。その場合、いまでいうとサーフェイスの最新版かマックブックの最新版が貸し出されるはず。
 で、契約上どっちの会社がいいかといえば、どっちの会社のOSにも慣れていく意味では生徒が選択可能にしたらいいと思う。情報関連の授業するとき、どっちのOSでも教師側が対応する必要があるだろうけど。

 但し、2つ問題点がある。これって「海外の会社(のあるいは日本法人)との契約になるから県の資本を流出させてんじゃないかと言われる余地がある」のと、もう1つは「実際やったら他県もまねてくるかもしれない」(ゆえに理論的に差異化しきれない)。
 後者は、別にまねられたから損するわけではないだろうけど、行政は横並びが好きなので、ほぼ確実にまねる自治体はでてくるだろうし、もしかしたら国も追随してくるかもしれない。今の自民幹部はデジタル関連にさして詳しくなさそうでもあるので(使えないアプリ開発で非難されたのは記憶に新しい)、予算ないからやらないかもだが。まねられたら国の政策とかぶってくるのもあり、また考え直す必要がでてくるかもしれない。経営学でいう差異化ってのは競合にまねられたら基本、意味がないわけです。僕は最初からオタク趣味だなーと思って好きではないが、大井川氏が導入させた茨ひよりとか普通にVチューバー岩手県らにまねられた。その後も何らかの競争優位性を維持できてるかといえばそんなことはないんではないか。簡単にパクれる様な物にした時点で戦略が間違っているのである。よって、厳密にいって、茨城県単位で全生徒に教育用PC配るったって、他都道府県とか国とか外国勢とかがいくらまねたくとも絶対まねられない形にしないといけない。例えば僕が想像するに、県民全員へ一人ずつ最新のマックブック例外なく配られてるみたいな状態がベスト(なおかつ、できたらこどものいない世帯分も補助で配られている状態)なんだろうが、そんな予算を普通の都道府県は持っていないし、大抵の知事がお年寄りとかなのでおそらく意味不明だろうし、そもそも怖がってやらないだろう。だが今の時点でそれ以上に、創造階級育成に恵まれた状況ってあまりない。だったら一体どうやったらその状況を茨城県だけでは決定的に確立できるか、と逆算して考えるべきで、僕が現時点で知事だったら、最初からそのための予算枠を決めてしまって、ほかの不要な部分を極力削ってでも、動かさない様にするかもしれない。幾らになるか、しらないけども。自分なら銀座のアンテナ店とかも県税使って民業圧迫兼都民だけへご奉仕ってやる事ではないからすぐ切りますし、いばキラTVも県営テレビとして民放じみてて意味不明なので議会中継と県の公報用のチャンネルを除いて即きりますし、その分の予算は最低でも回せるでしょう。普通に自由主義に逆らってる様な部分って僕に知事やらせたら沢山みえてくるだろうからそんなの純粋に民業圧迫なので、きっていっていいのである。県立の水族館とか動物園とか、或いは美術館ですらも今となっては他県に沢山あるわけで、横並びでいつまでも維持費かける意味がわからない。僕ならきって、民営化しますけどね。県の行政がもっているべき資産って、弘道館とか偕楽園とか。西山荘とか。五浦の六角堂あたりとか。ああいうたぐいの明白な文化遺産でしょう。それすらなんとか黒字にしよう、という発想は、それはそれでいいんではないかと思いますけどね。ただ行政がやるのはきつい。職能が違うんだから。一番いい業者へ民間委託しないと。フラワーパークもメスいれたのは大井川氏ですが、僕ならそもそも民営化しますけどね。公園というなら近くに笠間芸術の森公園とか常陸風土記の丘とかあったと思いますし、特に風土記の丘は遺跡群もありましたし地誌の博物館的に維持した方がいいでしょうけど、フラワーパークって、それが実際に大井川氏による実験時代に黒字転換でもしなければ、県がもっとく意味って多分ないのかもしれない。リニューアル前行った感じ、確かに悪くない施設ではあるが、県の資産として将来性あるかでいえば、茨城だからバラという駄洒落――県名の由来からしたら皇族一味からの民族虐殺史(『常陸国風土記』参照)というバッドジョークじみた観点や、茨城特有の品種維持を除けば、飽くまで趣味の領域であって。もしバラの名園として維持したいというなら、もっと花卉の開発・販売業種と一体化させた研究所かねたもので、かつ、遠方から集客性見込める芸術家村的なものといおうか、コンセプチュアルで美しげな農園的なものにすべきでしょう、例えば妹島和世デザインでとかで頼めばいいんじゃないですか。立派なのできそうです。そしたら県の名誉にもなるだろう。現代アートあつめて集客してる、直島みたいな感じの、コンセプトがバラ版で。世界一色んなバラが見られる、世界一美しいバラ農園を作ろう、みたいな感じで。でもそういう発想やら意欲やら才能やらが、現地の地元人に一切なかったし今もないんだろうから無理でしょう。だから高度成長で金あまってた昭和時代の名残みたいなものなのだ。逆に、現地人が昭和世代の支配下で、改革の足引っ張りそうな気がします。大井川氏によるリニューアル後に巧く、社会主義的に第三セクター運営し続けるとかも経営能力ない人が知事になることもあるだろうし、どうせ無理でしょう。それが政府というものだ。だから国立公園としてのひたち海浜公園なんかも、実際、その点で遠からず問題あるのかもしれない。いい公園ではありますが、中の業者を民間委託しきれてない様に思う。例えばひたち海浜公園って国から県が返してもらってまず県有地にし、そこから米国のディズニーか日本でいうオリエンタルランドとかに民間委託で土地全部貸したら大分様変わりして、むしろ人気や魅力って面で、圧倒的によくなるんじゃないか。同じく、フラワーパークだってそのあたりに貸した方が、逆にどっかからきた女子高校生ティクトカーだらけにはなるかもしれないが、魅力をあげたいならばだが、利口な気がする。米国ディズニーも、オリエンタルランドとしてもいまの東京ディズニーランドにしてる千葉の土地も限られてますし。飛び地として茨城側に、バラ大庭園のお城テーマパーク兼宿泊施設みたいな別の夢の国を持っておくのも悪くないかもしれない。フラワーパーク部分を県が持っておく方が、将来のTX延伸とかで一帯が開発されてから憩いの間として重要になると予想がたてられれば、その場合は今言った様に、バラ農園の芸術家村みたいなものを最初から公園と一体化させて都市計画的に作っておくべきかと思うし、それにしたって、実際に芸術家として圧倒的にセンスがある知事とかじゃないと自力で計画立ててつくるって基本、無理でしょう。歴史振り返ってもそういう人がいる時はある。ポンピドゥーセンター造らせたフランスの宰相は偉かった。メディチ家はいうまでもなく、狩野派を選んでいた諸大名もかなり見る目があった。まだ海のものとも山のものともつかない時点のガウディを気に入って(実際にセンスがいいかは微妙にしても)建築一任したエウゼビ・グエイも富豪として凄い観光遺産を残した結果からみたら凄かったし、世界に知られる金沢21世紀美術館の設計をまだ若手だったSANAAに選んだ当時の石川の行政も本当に凄かったのだろうと思う。じゃあそういうアートのセンスという意味での選択眼からしても、前知事も現知事もなんか微妙過ぎるわけですから、自力でやるのはまことにやめた方がいい。芸術関連、都市計画関連、普通に民間で一番有能なアーティストや開発業者に委託してほしい。そしてそのための専任者の選択能力自体も県庁には特に、というかかねて一切ないように思うので、それはちゃんと僕とかみたく、アート関係者で冷静に全状況を緻密に見てる人の忠告をいれないといけない。現代アート関連の事なら県庁は水戸芸術館へ相談すればいいと思う。普通に。まぁ当時のキュレーターがダメなときもありますでしょう。しかし通例、よいアートをえらびだす為に水戸芸は長年情報蓄積してるわけですから。
 ま、とにかくそうやって無意義に社会主義的政策をしてる部分をガンガン民営化・民間委託していけば、マックブック全員に配る事くらいきっとできるだろう。昭和の行政をうちすてていくという意味で勇気がいるだろうし自民党は議会などで陰に陽にあいかわらず足引っ張るだろうけど、そんな事いってられるほど余裕ないのである。国の置かれた状況が。高度成長期意識のままでいる人たちは一刻も早く消えてもらいたい。はっきりいって没落期なんだから。ずっと先進国最下位級の低成長期×超少子化なだけでなく。特に安倍独裁期に、実際にはトリクルダウンおきなかった失敗経済・格差拡大政策アベノミクスを成功だったと無理にいいつくろいたいばかりに、自民政権があまたの不正な統計改竄までやってしまっている。ここで茨城県政が国政の自滅ルートに追随せず、一気に勝ち筋へ行くかどうかで今後千年はまったくちがう結果であろう。大井川氏はこの意味では大筋はまちがってないが、手法がおおかれすくなかれ国家社会主義的で古い面があるだけである。県庁自身が金儲けしたところで、どうせ次の知事の代でそれがつづくとはかぎらないんだから、民営化するか、民間委託を基本に考えないと、民業圧迫で県の資産が持ち腐れていく、しかも負債が増えていくだけである。それが自由主義の基本的趣旨なのだ。どうせ国債だの国連だのから救済される完全競争状態でない行政に商売なんて無理なんですよね、潰れる危機感がないんだから。だから民間に任せましょう、その代わり行政は福祉(国防・警察や弱者救済)に集中します、という歴たる悟りである。なんでかというと国をとりまく経済状況が下り坂だからだ。県がいつまでも国から地方交付税もらえるつもりでのらりくらりやってる今の状態だと、東京がコロナ禍五輪で貯金使い果たしたつつあるとおり、東京本社の稼ぎそのものが国民総数というパイ減少で年々へってもいるわけで、県民全員貧しくなっていく一方で国自体もおわるってのは間違いない。だから茨城がおちぶれた東京に代わって日本全体で唯一大幅に黒字を出し続ける、国全体を養ってもまだ余裕があるみたいな状態にでもいけないかぎり、経済成長を継続的にする事そのものができないほどすでに決定的に暗い未来へ追い詰められていると自覚した方がいい。国政単位の経済政策の構造的失敗で。よって経済政策の構造自体に、最低でも茨城県単位で根本的変更を加えでもしないかぎり、それで茨城県単位で目に見えるほど黒字転換が進み、経済成長率が全都道府県でいつも圧倒1位、茨城単体でルクセンブルクを超えた経済の実力とかにいけないかぎり、日本国という泥船すら一方も前に進まないのは確かだ。すでに失敗してるのにそれに自覚せず、保守だとか意味がわからない。泥船のなかで全国民が足の引っ張り合いしている状態だと先に気づいて、脱出方法をすでに探っているだけ大井川氏は首長としてまだ救える。彼の後の知事もこの点は継承して、さっさと茨城単位でルクセンブルク超えを目指すという方にいかないといけない。実際ルクセンブルクからアンリ大公・アレクサンドラ王女が視察にこられたわけで、人口61万の彼らの国に比べ、茨城は5倍比からいっても極東一、世界一の金融センターをめざしたりすれば所得中央値なりの豊かさで超える事だって十分可能だろうし、彼らが注目したよう宇宙産業だってまだ先頭陣に入る余地は残っていると思う。スペースXとかベソスとか民間資本主導だけに、今のところ完全に外国勢から引き離されていますけどね。くりかえすが、この部分で大井川氏は発想が古い。県の資本を民間資本みたいに使うとかいってもそれって社会主義国家・県でしょ、となってしまうわけで、そもそもの役割が、全体の公益を図る自治体と、特定の営利活動の為の企業は目的が違うだけに巧く行く事がない。つまり県内企業誘致の環境づくりとかならいいですが、県庁自身が商売やったところで職能が違うだけにどうせ限界があるんだからして、そんなならさっさと民営化・民間委託できる部分を探しなさいという話なのである。旧ソ連対米国の構図を何回なぞれば覚えるのか。そして浮いた費用で必要な教育補助費にでもすればいいでしょう。茨城人ひとりあたまひとつ確実にマックブック最新版を配る(希望者全員へ、県によるリース契約で)。これってそれがすべての大成功のスタート地点ってだけで、決してできない話ではないのだ。やり方次第で。それができた時点からこの茨城で。天下先駆けの地で。日本版IT革命がようやくはじまるといってもいいだろう。自称先進国でありながら。GAFAMにもBATにも何周遅れたか、もう世界から存在自体を忘れ去られたか知らんが、スロースターターにも程があるとして。しかしレースはまだ終わっちゃいない。我々にとって。実はまだ始まってすらいなかった。先進国全体で最後に。ようやく走り始めた様に見えるダークホースが――ヒルズ族・ネオヒルズ族とやらを前提に、実際のIT長者が決まって都会出身だとは到底いえないこの世界にて、田舎者だの田吾作だのといつもの都会中華思想による偏見まみれで不当に県内外から蔑まれた者とやらが――あの同じ田舎のカリフォルニア勢どころか、全ての国々を、蛙飛び都市をも全員抜き去る大逆転劇が始まるとは誰も思っていなかった。だが日本で最初にインターネットにつなげたのは、実は茨城人だったと知ってから、実はパソコン素人ネット新顔のそやつらが、まさかのレース展開が必然だった、と驚いてもなにもかも手遅れだったのである。本気で走り出したら止まらない。我々は。はい、実は茨城県はとっくの昔に先に駆けていて、天才・金子勇氏への頭の固い中世的な京阪人憲兵による不当裁判の嫌がらせ中断を挟み、1992年9月30日に茨城県つくば市にある文部省高エネルギー加速器研究機構・計算科学センターの森田洋平博士によって発信された日本最初のホームページあたりで、まだみんなこないのかなーと遅れてきた人達をさしま紅茶のんでのんびり待っていただけだったのである。筑波学園都市のね、あの駅前のね、ABCマート前にあるテラス席で。ここで。なぜか。 

そうしていたらいつの間にかみんなが先にいっていた、てかほかの日本人はこないんだって、もう能力面であきらめたんだって。漫画アニメみてりゃきつい労働集約産業でも手仕事があれば十分だって。29年待ったけど。茨城県勢は。じゃあ茨城人だけでも他国とIT関連ビジネスで勝手に勝ちまくってりゃいいじゃん、自国の皆とかまぁおいといて、と気づいた所が今だ。続く。物語は続く。

 で、前者。マイクロソフトとアップルは日本に税金納めてるのですか? という話になるが、これは、契約上、次の様な条項をマイクロソフトとアップルに求めればいいんじゃないかと思う。日本の実効税率と同じ分を県側に納めてくださいと。それに相手側が納得すれば契約、でいいのではないか。その際、教育用だと伝えれば、もとからプロ中のプロだけにチャイルドロック関連のことも事前に当然してくれるだろうと思う。
 もしこれらが何らかの意味で契約上不可と相手側が言うなら、そのときはいづれかの国内メーカーPCで賄えばいいのではないか。ただ、一般論として、日本製は既存大企業の体質か、謎のお呼びでない機能、初期設定でいれられてる謎ソフトとか重くなるのが過剰についてるし、それだけ割高になっている傾向もあって、最初にPCへ触れる子供にとって通常、使いづらいと思われる。通常、そういうのを省いてある傾向の中華メーカーのがずっと格安である。しかし貿易収支や税金面で矛盾するといえばそうなのだから、例えば競争入札の様な形で、例えば(ソニーから独立後に長野に本社があるはず)バイオと契約するとなったら、性能として発信・プログラミングなども可能な基本性能はクリアしているのに加え、初期設定でチャイルドロックなど教育用配慮した仕様でリース契約すればいいのではないか? そういうのを行政の外郭団体がやると中抜きとか謎の仕様変更が発生しがちで使えないのになりそうなので、普通に知事とかが試用品の製品を動かして確かめてみて、一番よさそうなメーカーと契約すればいいと思う。
 ただすでに書いた様に、一般論としてこれらってOSはマイクロソフト(ウィンドウズ)かアップル(マックOS)製の筈で、一々国内メーカーに頼む方が割高になる気がするし、最新版を常にリースしてもらう契約としても無駄な中間業者を間に挟むことにもなると思うんで、普通にマイクロソフトとアップルへリース契約した方がいいと思う。そもそも日本製のOSが市場支配できてない状況を覆さないかぎりずっとその状況は続くと覚悟した方がいいだろう。その為にも子供の時点からプログラミング強者が出現できる条件を機会均等で最低県内全域にばらまいといた方がいいと思う。