2021年9月30日

水戸の徳川家の遺訓イクン

 明治34年の頃、筆者こと男爵・渋沢栄一が、おもいがけず、伊藤博文公爵と大磯から帰る汽車の中で、伊藤公は私へ語りはじめました。
     
 伊藤公いわく―
「渋沢さんはいつも徳川慶喜公を誉めたたえていらっしゃいますが、私は、心にはそうはいっても大名でも鏘々(そうそう)たる一人くらいに思っておりましたが、今にしてはじめて慶喜公が非凡の人と知りました」
     
 伊藤公は、なかなか人を信用し認めないかたなのに、いまそんな話をされるのは、なぜですか? と、さらにおして、たずねましたところ、
     
 伊藤公いわく――
 おとといの夜なんですが、有栖川宮家で、スペイン王族のかたを迎えて晩餐会がありまして、慶喜公も、わたし伊藤も客に招かれました。
 宴会が終わってお客さまがたが帰られたあとで、わたしは慶喜公へ、試しに「維新のはじめにあなたが尊王の大義を重んじられたのは、どんな動機から出たものだったんですか?」とたずねてみたところ、慶喜公は迷惑そうにこう答えられました。
     
慶喜公いわく――
「それはあらたまってのおたずねながら、わたくしはなにかを見聞きしたわけではなくて、ただしつけを守ったに過ぎません。
 ご承知のよう、水戸は義公の時代から、尊王の大義に心をとめてまいりました。
 父も同じ志で、普段の教えも、われらは三家三卿の一つとして、おおやけのまつりごとを助けるべきなのはいうまでもないが、今後、朝廷と徳川本家との間でなにごとかが起きて、弓矢を引く事態になるかどうかもはかりがたい。そんな場合、われらはどんな状況にいたっても朝廷をたてまつって、朝廷に向け弓を引くことはあるべきですらない。これは義公以来、代々わが家に受け継がれてきた遺訓イクン、絶対に忘れてはいけない、万が一のためさとしておく、と教えられました。
 けれども、幼いときは深い分別もありませんでしたが、はたちになり、小石川の屋敷に参りましたとき、父が姿勢を正して、いまや時勢が変わり続けている、このゆくすえ、世の中がどうなりゆくかこころもとない、お前も成人になったんだから、よくよく父祖の家訓を忘れるでないぞ、と申されました。
 この言葉がいつも心に刻まれていましたので、ただそれに従ったまでです」
     
 伊藤公いわく――
 いかにも奥ゆかしい答えではありませんか。慶喜公は果たして、並みの人ではありません、と。
     
 筆者・渋沢はのちに慶喜公にお目にかかったついでに、この伊藤公の言葉を挙げておたずねもうしあげたところ、慶喜公は「なるほど、そんなこともあったね」と、うなずかれていらっしゃいました。
――渋沢栄一『徳川慶喜公伝』第4巻、逸事、父祖の遺訓遵守
     
原文
 明治三十四年の頃にや、著者栄一大磯より帰る時、ふと伊藤公(博文)と汽車に同乗せることあり、公爵余に語りて、「足下は常によく慶喜公を称讃せるが、余は心に、さはいへど、大名中の鏘々たる者くらゐならんとのみ思ひ居たるに、今にして始めて其非几なるを知れり」といひき。伊藤公は容易に人に許さざる者なるに、今此言ありければ、「そは何故ぞ」と推して問へるに、「一昨夜有栖川宮にて、西班牙国の王族を饗応せられ、慶喜公も余も其相客に招かれたるが、客散じて後、余は公に向ひて、維新の初に公が尊王の大義を重んぜられしは、如何なる動機に出で給ひしかと問ひ試みたり、公は迷惑さうに答へけらく、そは改まりての御尋ながら、余は何の見聞きたる事も候はず、唯庭訓を守りしに過ぎず、御承知の如く、水戸は義公以来尊王の大義に心を留めたれば、父なる人も同様の志にて、常々論さるるやう、我等は三家・三卿の一として、公儀を輔翼すべきはいふにも及ばざる事ながら、此後朝廷と本家との間に何事の起りて、弓矢に及ぶやうの儀あらんも計り難し、斯かる際に、我等にありては、如何なる仕儀に至らんとも、朝廷に対し奉りて弓引くことあるべくもあらず、こは義公以来の遺訓なれば、ゆめゆめ忘るること勿れ、萬一の為に諭し置くなりと教へられき、されど幼少の中には深き分別もなかりしが、齢二十に及びし時、小石川の邸に罷出でしに、父は容を改めて、今や時勢は変化常なし、此末如何に成り行くらん心ともなし、御身は丁年にも達したれば、よくよく父祖の遺訓を忘るべからずといはれき、此言常に心に銘したれば、唯それに従ひたるのみなりと申されき、如何に奥ゆかしき答ならずや、公は果して常人にあらざりけり」といへり。余は後に公に謁したり序に、此伊藤公の言を挙げて問ひ申しゝに、「成程さる事もありしよ」とて頷かせ給ひぬ。

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参考資料

http://komonsan.on.arena.ne.jp/htm/yosinobu.htm

http://www.komonsan.jp/kura/cat24/5_9.html(リンク切れ)
(アーカイブ https://href.li/?https://web.archive.org/web/20160817164053/komonsan.jp/kura/cat24/5_9.html

『徳川慶喜公――その歴史上の功績――』宮田正彦・茨城県立太田第二高等学校長「大政奉還と王政復古」、平成9年12月7日講座、平成9年度水戸学講座講録、常盤神社社務所