2022年10月27日

わが茨城人に告ぐ

西日本とは一切付き合うな。自分達より劣る人々と親しんではならない。低民度の人々に名を知られる事は不幸の原因である。
 西日本全域が次々、悪辣さと愚かさ、驕りによって自滅していっても、少しも同情したり、善意から助けようとしたりしてはならない。根っから悪しき人々は救い手を逆恨みし、遂には逆上して命と財産をつけねらうや、あなたがた親切のつもりでいた善良な者に襲い掛かってくるものだからだ。財政破綻する京都市で、水戸の徳川慶喜と会津の松平容保が命懸けで守った京都市民の全体が、それ以後、ただの一度も感謝の念を述べたりしないばかりか、ひたすら純然たる悪意で彼らとその統治下にあったわれわれに致命的冤罪を着せ、今日もなお侮辱と名誉毀損を繰り返すあくど過ぎるさまから、あつまってくらす性悪な者どもの本性と、その延長にある破滅という必然の末路について悟るがよい。西日本諸地域の普段の悪因が悪果に結ぶのは世界史の必然であり、全宇宙のだれにも変えられないものだ。

 南関東を避けて生きよ。下劣な人々と仲良くしてはならない。だれもに損失のみあり、一切得はないばかりか、同類と疑われ人生のすべてを失う。

 中部地方の人々に同類の如くなれあってはならない。拝金主義の下賎な気風と、文化についての無知からくる驕りや偏見がうつるからである。

 驕り高ぶった北海道、沖縄、京都、東京や神奈川、あるいは仙台、札幌等のうぬぼれた人々を反面教師にせよ。傲慢さは最たる悪徳であり、無限の憎悪を買う事こそあれ、顰蹙以外なにも得られないのだからだ。

 これらは茨城県古今の十分に高い品位・民度を考えれば、日本国内外の領域にて、万古不易で当然の帰結である。

 人は親しむ者と似るものであり、わが県民が学ぶに足る、より優れた国々のより優れた人々との交流をえり抜いて生きよ。

 もし全世界にわれわれより優れた存在をみいだせないなら、孤高を選び、既に生きている理想郷に安住しているがいい。