2021年9月30日

初代リーズデイル男爵アルジャーノン・バートラム・フリーマン=ミットフォード卿による慶喜公評

 彼(徳川慶喜)が失脚する寸前、三十歳の時の彼を覚えているが、徳川公爵は私が今まで会った人物の中でも際立って立派で上品な風貌を備えた人であった。しかも、それだけではなかった。彼は極めて人好きのする優雅な態度と魅力的な物腰を備えていた。背は高くなかったが、非常に均整がとれていた。顔立ちは彫りが深く、口も歯も非の打ち所がなかった。顔色は明るいオリーブ色で、その手も脚も彫刻家のモデルにしたいほど優美であった。彼がほほえむと、顔全体が明るくなった。年をとった現在でも、彼の立派な外見はほとんど変わらず、その魅力はすべてそのまま残っていた。
 我々が初めて将軍に謁見した日のことを、昨日のことのように良く覚えている。それは堂々とした建築物である大阪城で行われた。ハリー・パークス公使とサトウ氏と私は迷路のような廊下を通って、美しい装飾を施した大きな畳敷きの部屋へ案内された。テーブルを囲んで椅子が並べられてあり、そこに将軍の顧問官である御老中(ゴロージュウ)と我々が座ったが、一つだけ席が空いていた。突然、貴人の入場を告げる合図の息を吸う音が建物や廊下で聞こえた。だんだんにその音が近くなり、ついに襖(ふすま)が両側に開かれると、そこにはほんの一、二秒の間であったが、威厳のある姿がじっと動かずに彫刻のように立っていた。我々が立ち上がって礼をすると、将軍は微笑して優雅に礼を返し、我々に座るよう手まねで合図して空いていた椅子に座った。
――初代リーズデイル男爵 アルジャーノン・バートラム・フリーマン=ミットフォード

A・B・ミッドフォード『ミッドフォード日本日記 英国貴族の見た明治』第三章 歓迎会と横須賀軍港訪問

 彼(徳川慶喜)は我々英国人が経験してきた騒然たる時代について、率直に腹蔵なく話をした。彼は自分の国民と我々との間の満足すべき友好関係を妨げている幾多の難しい問題のことを遺憾に思うと述べ、今後よりよき体制を発足させる決意を披露した。彼の態度には、きわめて人を引きつける魅力があった。彼は最初のうち、いくらかはにかんで神経質そうに見えたが、それはこれからの厄介な問題の処理を抱えていたため当然のことであっただろう。しかし、彼は生来の非凡な性格と思いやりのある礼儀正しさで、いっさいの束縛を払いのけて、自由に気楽な態度で話しだした。
 最後の将軍徳川慶喜公は、確かに傑出した個性を備えた人物であった。彼は西洋人に比べると小さく、普通の日本人並みの背丈であったが、昔風の日本の衣装を着ていると、その差はほとんど目立たなかった。私が日本滞在中に会った日本人の中では、西洋人の目から見て最も立派な容姿を備えた人間であった。端正な容貌をして、眼光は爛々と鋭く、顔色は明るい健康的なオリーブ色をしていた。口はきつく結ばれていたが、彼が微笑むと、その表情は優しくなり、きわめて愛嬌に富んだものとなった。体格はがっしりして力強く、たいへん活動的な男らしい姿であった。彼は英国の狩りの名人と同じく、あらゆる天候で鍛えられた疲れを知らぬ馬術家であった。四十年後、彼と再会した時、歳月はほとんど彼を変えていなかった。彼の魅力的な物腰は相変わらずそのままであったし、顔に皺が増えただけで、容貌はほとんど変わっていなかった。名家の生まれを示す特徴は、昔の通りにはっきりしていた。もし、貴族というものがあるとすれば、彼こそ本当の偉大な貴族であった。惜しむらくは、彼は時代錯誤の人だったのである。
――初代リーズデイル男爵 アルジャーノン・バートラム・フリーマン=ミットフォード

A・B・ミッドフォード『英国外交官の見た幕末維新 リーズデイル卿回想録』 第二章 将軍との会見、長岡祥二・訳

Certainly Prince Tokugawa Keiki, the last of the Shoguns, was a very striking personality. He was of average Japanese height, small as compared with Europeans, but the old Japanese robes made the difference less apparent. I think he was the handsomest man, according to our ideas, that I saw during all the years that I was in Japan. His features were regular, his eye brilliantly lighted and keen, his complexion a clear, healthy olive colour. The mouth was very firm, but his expression when he smiled was gentle and singularly winning. His frame was well-knit and strong, the figure of a man of great activity; an indefatigable horseman, as inured to weather as an English master of ounds. When I saw him again forty years later age had altered him but little. He had retained all his charm of manner, and though the face was lined his features had undergone hardly any change, and the distinction of race was as evident as ever. He was a great noble if ever there was one. The pity of it was that he was an anachronism.
--Redesdale, Algernon Bertram Freeman-Mitford, Baron, 1837-1916
"Memories" pp.393-394