2020年3月6日

茨城人は水戸新政府樹立にあたってひたすら最後の勝利を取らねばならない

安倍晋三は山口4区民の平均民度の結晶と考えられる。
 安倍晋三が「息を吐く様に嘘を吐く」邪悪なダークトライアドなのは、よほど認知力が低くなければ誰の目にも最早疑う余地がないだろうが、問題はその種の独裁者へ10万人超も投票している山口県4区(下関市、長門市)という、深刻な邪心に満ちた自治体が現に、国内に存在するという事の方だ。
 安倍晋三には寿命があるので、無能を通り越した私利私欲、即ち最悪独裁政治のため散々日本国全体を破壊し尽くした果てに、死に絶える。
 しかし山口県4区、下関市と長門市の10万人余りはこの世に生存し、しかも有権者として相変わらず国政に同程度の極悪人を送り続けてくる筈だ。
 我々にとって中長的課題は、この下関・長門という山口県の極悪自治体対策である。そこでは彼らが自称保守と呼ぶ明治回帰の禍々しい風習によって、飽くまで閥族政治が跋扈し、世界中へ公害を及ぼす邪悪極まりない人物を徹底して祭り上げるのだから。
 いいかえれば、山口県の一部に存在する10万人余りの極悪衆愚が、日本国全体へ破滅的影響を及ぼしているのが現状なので、彼らは正真正銘の売国奴といっていいだろう。しかもたちが悪いのは、彼らは無能の余り、史上最悪の極悪独裁政治をダークトライアドにさせつつ、己共は愛国者だと勘違いしている。
 国内に最悪級の公害集団が存在するのと等しい。もっといえば、山口4区の10万人余りはある種の共犯集団で、幕末のテロリズム以来、当該地域の閥族政治に味を占め、国政に僭主を送りつけ、公害を恥じる気配のない悪党なのだといえるだろう。
 下関市はコリアンタウンで有名だ。対馬を通じ、山口県は朝鮮と縁が深い。さらにいうなら山口を治めていた最古の主力大名だった大内氏は、朝鮮半島から亡命してきたもと百済王と称していた。つまり帰化人の文化が根づいている。
 和人右翼は朝鮮人は嘘つきと差別するが、まさに安倍晋三がそうなのだ。

 安倍晋三の父・晋太郎は「私は朝鮮(人)だ」と生前語っていた記録が、家政婦の口から語られている。つまり晋太郎の意識の中で彼は帰化人だったわけだ。
 日本人右翼が帰化人が多くを占める山口県4区の意志にのっとられ、操られている。
 国政が帰化人に翻弄されるのは今に始まった話ではない。天皇ももとはといえば宮崎経由で中国から入ってきた帰化人だろうし(記紀)、途中では桓武天皇の母を通じて朝鮮人とも混血した証拠が残っている(『続日本紀』)。奈良時代から天皇は特に帰化人らを重用し、先住日本人を侵略虐殺・弾圧してきた。
 すなわち、安倍晋三は地域柄、この種の系譜にあるといっても余り間違ってはいない。山口の下関市・長門市は帰化文化の影響が無視できないどころか、帰化人の集団である弥生時代以後の歴史しかないといってもいい。
 安倍晋三が公然と嘘をついても10万人余りが支持し続けるのはある種の異文化だ。
 日本の本州文化、特に新渡戸稲造が『武士道』に記したよう、少なくとも東国武士の系譜では「武士に二言はない」とことわざがあるくらい、誠実性を重視する。然るに安倍晋三は全くこの種の武士道に反する。山口県4区にはその種の武士道はなかったといっているにに等しい。そこにあったのは権術だけだ。
 安倍晋三は選挙区こそ山口県4区の下関、長門だが、生まれも育ちも東京都内。この東京という地域も関東にあって関東にあらず、明治期に天皇含む関西人だの西国人だのが雲集しだして東日本といっても東日本より関西地方へ遥かに似ている。
https://todo-ran.com/t/tdfk/tokyo
 そういう特殊地域で生育し、かつ、権術第一の薩長テロリストの系譜が美化され尽くしている山口県に墓があるので、安倍晋三は65歳になる今の今まで、誠実性など専ら無視していたといえるのだろう。もっといえば総じて町人・商人文化の下流世界である東京で武士道など完全に馬鹿にしていたのだろう。
 が、私からみると孔子のいう「不義にして富且つ貴きは我に於いて浮雲の如し」のそのままで、嘘を常態的について最高の地位から悪政の限りを尽くしてきた馬鹿の支持する安倍晋三は軽蔑や憎悪、怨嗟などとうに通り越していかなる犯罪者よりも低い人格的価値しか置かれていない。当然、下人未満である。
 こないだ、モギケンに繰り返し返信してるある輩(多分都民)がツイッター上にいるんだが、そいつが俺に
「(俺が官邸に嘆願送って返事きたというツイートに)で、ちみはどうなんだね? 安倍サンを支えてあげなきゃと思う」云々。
 無視したが、あの安倍を応援する馬鹿がこの世にいるのが信じられん。
 目の前で嘘つくやつなんざ真っ当な人として扱われなくて当然である。一応憲法では人権与えられてるからその範囲で法的には扱われるだろうが、精神病質でなければ人格的に尊重に足らないなんて常識以前の話である。
 上述したよう東京は関西地方と似ていて不誠実をなんとも思わない人が関東北部より遥か多い。
 私の県の文化だったらヘラヘラ嘘ついてる時点で(精神疾患者とか精神病質なら別だろうけども)水戸黄門に討伐される様な風儀である。嘘抜きで。これが本当なのは茨城県民ならある程度わかってもらえるんではないか? というより、子供の頃から嘘つきを周囲にみたことが無いレベルである。
 もっというと、別に茨城県だけじゃなくて、東日本一体で、関西と似ている東京や神奈川を除いて、あるいは別文化圏といえる北海道も除けば、大体似た様なもんじゃないかと思う。武士に二言はないは、上記の自治体除く東日本一帯では、嘘抜きで凡そ現役で生きている誠実さに関する私徳にして美徳である。
 さらにたたみかけると、僕の近所の幼馴染のタカちゃんなんざ、子供の頃なんかイタズラしてそのまま逃げる事もできた状態で、普通に自分から謝りにきていた。ゴメンねと。3歳児とかである。
 これが拝金権術に堕落した東京・神奈川除く、関東なり東国の基本風儀と私は思うのだが。
 では安倍晋三がどうか。恬として恥じぬ。嘘しかつかないのに。しかも山口県流儀で勝てば官軍と思い込んでいるからどんな不正やっても権力亡者を決して辞めない。本当の話、徳川慶喜公が神様なら、安倍晋三めはカンダタみたいなもんだ。そうではないか。慶喜公は自分から最高権力を天皇に禅譲したのだ。
 山口県4区、下関と長門がいかなる風儀で作られているか、安倍晋三みれば一目瞭然。嘘ついても勝てばいいと思ってんです。そんなの東国から見たら下の下。慶喜公という崇高な前例があるんだから、恥ずかしくないのかどころの騒ぎではない。
 日本の東と西で、道徳律が正反対で話し合いにならない。
 例えば歴代幕府の将軍の前に新皇というのがいたのである、常総に。チバラギとか馬鹿な東京人が驕っているが、その東京なんざ京都からみての蔑称である。鎌倉府より前に全関東・首都圏の覇者となった人は常総人で、今でいう茨城県坂東市に一起源がある。武士の起源は坂東武士にして、茨城人なのだ。
 つまるところその新皇にしたって天皇に逆らって公卿や武将に裏切られて潰された。それで水戸の徳川家が尊皇思想である水戸学に辿り着き、禅譲した慶喜公まで繋がるのが、いわゆる武士道の系譜。最後の将軍が武士の最後の親分といえるだろうけども、その人は尊皇の大義で至誠一貫自己犠牲したのである。
 では安倍晋三はなんなのか。嘘をつきまくって7年も政権の座に居座る。独裁を防ぐ為の民主主義を理解していない馬鹿なのであろうけれども、それだけならまだしも馬鹿殿を降りようとしない。恥ずかしくないのかどころの騒ぎではない。馬鹿だと誰の目にも分かって散々辞めろといわれてるのに傲慢極まる。

 ここまで悪政連打してくると、僕含め元来武士になった人達と同じ気性を持つ側としては革命起こすしかなくなってくるだろう。明治維新だって元来水戸人の仕事だ。大津浜にイギリス船きて急いで尊攘論つくり打払令ださせ幕政改革、西国遊説後の桜田門外に天狗党、大政奉還に新撰組最初と最後の局長まで。
 しかし、はじめにいっておきたい。
 明治維新は我々が御三家で有利な側だったから、成破の盟約で敢えて重い側を択んだ。僕の近所の西丸帯刀さんがそうした。今回は違う。ここ150年の薩長藩閥の悪政の山はいうまでもなく我々は東京マスコミだのに散々差別される側で、非常に不利な立場にある。
 したがって今回の革命は、私が最初に断言しておくが茨城人、水戸人が最終勝利者にならなければならない。しかも絶対的且つ圧倒的に。これは前回とは違う革命様式だ。
 もう薩長土肥がどんな連中かなんて死ぬほどわかっているのだから彼らがどう行動するかもやる前からほぼわかる。卑怯な権術で動く。
 東京人も同じだ、気風が関西化しているからカネと利己心で動く。天皇も皇族もそうである。自分の地位が失われそうになったら国民全体でも平気で裏切るのが昭和天皇の行動で実証済みである。
 もう彼らの行動原理は丸見えである。我々茨城人は飽くまで深慮の元、外部から彼らに同士討ちさせるがいい。
 我々が必ずしなければいけないことは一つで、最後の勝利だけはなにが何でも自分達が取る事だ。それが前回、山口人に海上の丙辰丸で以来、ここ150年を譲ってやった意趣返しといえるだろう。彼ら長州閥は一言でいえば戦争続きの悪政しかできなかった。我々が事前に想像したより遥かに無能だったのだ。

 我々が新政府の旗印となった暁に、いや、もう必ずなると決まっているわけだが(歴史的経緯からもそれ以外の選択肢はとりようがない)、飛鳥以来の天皇政治と違い共和政治の元、全国自治体を等しく尊厳の元に扱う。天皇が中華思想で田舎差別・都会自慢を都民・京都人にさせる原因、天皇政治を脱却する。
 さらにいえば、東京や京都などは虚栄心に耽るあしき風儀は奈良ほど没落する未来に至らないかぎり今後も変わらないだろうが、それでもなお彼らに対しても差別的にではなく、文化多様性の一つと解し他自治体と全く等しく、尊厳を以て扱う。薩長土肥はこの逆をやって、敗者を辱めて150年も経った。
 山口、鹿児島、高知、佐賀。これらの自治体も同じだ。これらの自治体は一言でいえば野蛮で自己中心的なので、彼らの裏切りや侵略罪の被害者側の自治体の立場で物を見る知能がない。それで福島や旧徳川がたをひたすら辱めているのだ。敗者を辱めぬ武士道に反する事甚だしいのは彼らが野卑だったからだ。
 今でいう京都や広島も戊辰戦争中、西軍に与していた。これらの自治体も多かれ少なかれ上述の薩長土肥と似た幕末史観をもっている点で傲慢で悪意があり、無知なのだが、単なる自治体への扱いとしては、水戸なり茨城の新政府にとって全て等しくなければならない。
 世界規模でいうならば、欧米列強と呼ばれていたアメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、イタリア、スペイン、ポルトガルなどは、やはりこの点で同じで、植民地侵略を罪に思ったり恥じるほど平均民度が高くない。そうならば第二次大戦の覇道も反省の余地などないだろう。これらの自治体も等しく扱う。
 我々茨城人の為すべき世界政治史的な仕事は、全てこの世の自治体を事情如何に関わらず等しく尊厳を以て扱う新政府の確立、その維持と啓蒙であり、そこでは皇室や東京政府(日本政府・東京都庁)、京都政府(京都市・京都府)らの様な中華思想の残滓や、差別的意識は全て絶滅させられなければならない。
 またこの最終段階では、国連本部も茨城県内に移設すべきであろう。覇道に耽るアメリカはこの役割を十分なしえなかった。
 またこの中途段階では、北朝鮮や中国を当然含む、平和協定をおもとするアジア連合の本部を、天心の「アジアは1なり」の理念が根づいている北茨城五浦界隈に樹立すべきである。