2020年3月5日

東京圏や京都の虚栄心を反面教師にし、知的謙虚さと飛耳長目を茨城文化的な風習とすべし

都民全般は田舎(ダサ)いダサいを口癖にし、見てくればかり気にし中身が伴わない。それは接触頻度が多い他の都民から無粋と思われるのを恐怖する町人意識の延長にあって、何事につけ恥が先立つからだ。その分、虚栄心や俗物根性が激しく、なべて無理してまで空っぽの自分をごまかす虚勢を張りたがる。
 質素を重んじた水戸徳川家の武士道ゆずりの質実剛健をなににつけ基とし、義烈両公以来、農本的な茨城文化はこの点で東京人の気質と対極的である。単に武士階級が延長した公務員らがそうであるだけでなく、専ら我々民衆の日常でも都民全般の軽薄さを反面教師にしているといっても過言ではないだろう。
 商業に偏った東京に比べ、農工両全が基幹にある産業構造の違いだけでなく、環境や日々の思考習慣、風習といった一般的文化にも大幅な違いがあるため、想像できるかぎり相当の未来に亘ってこの風土的な気質差は首都圏の南北間で暫く埋まらないばかりか、ますます開き続けるだろう。

 私は両文化圏を体験済みな上に、双方の歴史や成り立ちをできるだけ緻密に学んできた一人として、極力客観的に比較できるが、より明るい未来があるといって間違いないのは茨城の方だ。嘗てどの大都市も亡びてきたのは、現代東京のよう貪りや傲慢といった、都会の悪徳に耽っていた因果でしかない。
 直接接してはいないにしても、あるいは極近隣で千葉の柏界隈を挟み異文化間の摩擦もはなはだ激しいにしても、私はより優れた美徳がよりまさっていくと予期する。すなわち、茨城側は今後も過去の常陸国やそれ以前と変わらず千年、万年と文明の質をひきあげていくだろうが、東京は荒廃し滅亡するだろう。
 東京圏の中華思想は滅びの原理で、全て堕落のはじまった悪例と呼ぶべきだ。同じ事は京都にも言える。
 嘗て彼らと同様の高慢に耽っていた奈良の平城京辺へ、私は都市文化史的な興味から観光に行った。そこは最早大都市の面影はなく、子供が裏山としか思っていない古墳間に並の民家が残るだけだった。
 東京や京都の驕りがはじまったのは、天皇、もしくは徳川宗家(旧将軍家)が来たせいだ。天皇は中華思想を持ち、徳川宗家と共に多かれ少なかれ覇道政治をしていた。そのせいで、彼らの風儀に染まった都民や京都市民らも、似た部類の傲慢の悪徳に耽り、自らの不明を恥じなくなったのだ。

 ここから我々茨城県民が学べるのは、第一に、天皇や徳川宗家の様な覇者の部類を地域一帯から遠ざける工夫がなければならない。幸運にも水戸の徳川家は御三家で、文化相対主義を身につけていた。それで江戸・東京と違って傲慢に陥らず、寧ろ覇道政治より研究を重視する知的謙虚さが文化気質になった。
 京都は経済的没落後も自文化中心主義をすてきれず、今も門川大作市長のもと文化庁や皇族誘致などで首都ぶろうとむなしい覇道政治に耽っている。この点も、予てからの中世懐古趣味が見苦しいだけでなく傍ら痛いのだが、もとは天皇なる覇者が長居していたのが原因だ。虚栄心の追求は実質と矛盾する。

 第二に、東京が現にそうあるよう自文化の外について無知な状態、井の中の蛙、夜郎自大の風儀が最も恐ろしい。いわば彼我の実力差を知らぬまま強者らに吼えている弱い犬と同じで、情報戦だけでなく、現実の競争でも即死を免れないからだ。逆に飛耳長目を是に情報収集と彼我分析の徹底に努めるべきだ。