東京圏、関西圏など所得格差が大きく俗物が多い社会では、他人に馬乗りすることで羨望やそれに伴う嫉妬を解消する目的が人生観に割り込んでくる。
虚栄心を埋める俗物競争の経済面は、顕示的消費、即ち贅沢なだけで実益のない浪費が支配している。
都会と呼ばれる商業化された地域風土のうち、この俗物競争がもたらしている面は甚だ大きく、最終的には都市の荒廃と自滅に繋がる。実利から離れ、空疎な見栄っ張りに耽っていたどの大都市も退廃の果てに滅亡した。
農工業を捨てたどの地域も、この意味で致命的な展開をしているといっていいだろう。
第一次産業(農林水産業)、第二次産業(工業)を主要な一角とする地域は、少なくとも第三次産業(商業)だけに依存している地域に比べ、その種の俗物競争に陥る危険性がそれだけ少ないことになる。茨城の農工両全はこの意味で健全な理念といえる。
また所得・資産格差をへらす、但し、有能な商人を妨害するのではなく累進課税や寄付文化・制度の促進によって後から調整することが間接的に都市問題を防ぐ方途である。
商業活動そのものを阻害するのは、公害防止(外部不経済の内部化)を除いて誰にとっても有害でしかない。重要なのは調整度だ。
地域住民や公僕が、公税や寄付(特に喜捨)を福祉目的と認知していないのは、その地域の公共民度が低く、無知だからにすぎない。単に法制度を整えるだけでなく、これらの意義を愛民思想、貴族義務、或いは宗教観念のよう様々な手段で事前に啓蒙しておくのが、その文明の将来の成熟した発展を準備する。