2014年5月10日

史学

『蓮田一五郎遺書』
一筆申上奉候、この頃やうやう天気もつゞき、のどやかに相成候処、先づまづ御母様、御姉さま、御揃遊ばし、御機げんよく御被遊、まことにまことにめで度御事に奉存候、さて私事、去月三日之朝、同志之者都合十八人申合、御大老井伊掃部頭を討留、それより御老中脇坂殿に自訴に及び、其夜細川家へ御預けに相成、同九日夜、本田修理之助殿へ御預けに相成、今日迄日を送り申候、かねがね御承知被為候通り、井伊家者天下之奸臣にして御家は猶更仇敵なり、一昨年より御家臣安島帯刀様、茅根先生を始として、有名の人々、むじつの罪にて、死罪に行われ、或は苦心の余り切腹仕り、或は獄中にて狂死申候、或は遠き島へ流さるゝ者等、出来候も、全、井伊家の所為なれば、天下之御為、此度私儀討手の人数に加り、本望を達し候段、先ずまずけなげ成致方と、御よろこび被下べく候、其場之働は、随分人には劣り申さぬ様、覚えまする、手疵は右のかた二寸、同うで三寸、二ヶ所、何れも今は平癒仕候、最早せんさくも、あらあらきはまり候へば、近日仕置に逢事と奉存候、二十八ヶ月年の御鴻恩、露塵報ひ奉らず、先立不孝は如何様、ぞんじ上候ても、只今は致方無之、恐入候儀は申迄も無御座候得共、何卒なにとぞ、御ゆるし下され候様、願上まゐらせ候、つらつら御身の上を勘考仕候に、御母さまほど、終身因果なる御方は、世間には余り御座ある間敷、御年みそじ余り、御父様に御別れ遊ばし、大勢の兄弟ども、御独りして御養育遊ばし、其内度々の不幸、かたがた御苦心のみ遊され候事、言の葉に、難尽、誠に男子にては、私一人なるを、千心万苦して、成長せしめ、やうやう三四年この方、少しは御安心の御廉も有之様、と奉存候、右の所、またまた一昨年より、御國難打続き、始終御心配の中へ此度の次第、御聞遊ばされ候ては、いかばかりの御悲嘆やら、御察し申上げ奉り候、実に恐多く奉存候、宿元出立の砌、前文の次第一言も不申上ろくろく御いとまごひも不仕罷出、さぞさぞ御立腹せられ候半んと奉存候、今更千非後悔仕候事に御座候、尤其節、意味申上候はゞ、御悲歎之余り、いかなる思召ならせられ候半哉と、存上候まゝ、不申上事に候、一はその罪も、御許し遊ばされ下さるべく候、私身分之儀は、最早致方も無御座候、今日の内にも、御刑まつ迄にて、大半はりつけに、かけらるゝ事と存候得ば、迚もかへらぬ事故、思きり遊ばし、御姉さまへよき聟御とり遊ばし、私と思召し、御一生を御くらし遊され候外、有之間敷と奉存候、くり返し考居候ても、人の一命はかぎり有ものと相見え申候、死すべきとき、生るもあり、生べき時死もありて、私抔御先立申も、佛家に申さば、前世の約束事にて、これが所謂天命と申ものにて候哉と、奉存候、さもなくして、人間の一命が、よういに捨らるゝものには無御座候、私義、昨十月中、大病相煩候節、相果候はゞ、此度之一時に出る事能はず、病死するより、天下之為、死するこそ本望なれば、却て御心をきりかへられ、且人間世界の常なきを、御さとり遊ばし、このみち御あきらめの程、くれぐれもねがひあげまする。
一、御姉さまえ申上候、是迄海山の御恩をこうむり、難有ぞんじ上まする。一生の内には、いつしか御恩返し可仕と存居候所、今般の次第にては、御恩返し所には無之、おもひ懸ざる御悲歎を相懸、はだはだ恐入候事にて、御座候、最初私身の上は、いたし方も無之、此上は、第一御母さまの御事、大切に御座候、私義は、御母さまをふりすて、かやふ成行、不孝の上にも不孝をかさね、申わけ無之、不届ものめと御腹立せられ候半、是も私の為ならず、君の為、世の為なれば、是非なき次第と思召かへられ、これより別して、心を尽され、御母さまに私の分まで、御孝行御尽し被下候はゞ、たとひ私は死候ても、草葉の影より、御礼は申上候、御姉さまの是まで、御ゑんづき遊せざるゝも、只今にては、かやうな訳に成行、御母さまをば御姉さまが、御あづかり被成候事と、せんぜんよりの定り事かと、存上まする。くれぐれも御母さまの御事斗、御大切に願上まする。
一、金町御姉さまに申上候、私かやう成行、嘸々御悲歎の御事と奉存候、私事は御あきらめ遊ばし、御母さまを御大切に遊され、可被下候、子供等は、能御そだて遊さるべく候、此手紙三度目に、やうやう相認候節、二度ほどかき初め、半に至り候て、落涙に沈み、書かね申候御母さまへ、御礼御いとま乞、御申訳かたがた申上候得共、御手許迄とゞき候哉、不相知、万一御披見に相成候はゞ、此書状にて御あきらめ可被下候、申上度事は、やまやま御座候得共、とても筆には尽しがたく、且人目をしのび、なくなくやうやう相認候まゝ、ただただ御いとま乞まで、あらあら奉申上候。以上
  申閏三月朔日       蓮田市五郎
     御母上さま
     両御姉さま
             御もとへ

岩崎英重『桜田義挙録 維新前史 下編』吉川弘文館、1911年、十九 蓮田の遺書、276-280頁