2014年5月18日

文学

『常陸国風土記』原文よりその序文抜粋
 原文:夫常陸國者。堺是廣大、地亦緬?、土壤沃墳、原野肥裄、墾發之處、山海之利、人人自得、家家足饒。設有。身勞耕耘、力竭紡?。者。立?可取富豐、自然應免貧窮。況復。求鹽魚味、左山右海、植桑種麻、後野前原。所謂。水陸之府藏、物産之膏腴。古人曰。常世之國、葢疑此地。但以。所有水田、上小中多、年遇霖雨。?聞。苗子不登之難、歳逢亢陽唯見、穀實豐稔之歡。歟。
 訓読の一例:それ常陸の国は堺これ広大にして地もまたはるかなり。土壌うるおい原野肥えわたる。墾發するところなり。山海の利、人々自得す。家々饒に足る。もし身を耕耘に労い力を紡蚕につくす者あらば、即ち豊かに富取るべくして立ち、自ら然りして貧窮を免れるに応ず。況や鹽魚の味を求め復すに左は山、右は海。桑を植え麻を種するに後は野、前は原。いわゆる水陸の府蔵、物産の膏腴。古人曰く常世の国、けだし疑わんこの地と。ただ以てあらゆる水田上すくなく中おおし。年霖雨に遇わば即ち苗子登らずの難を聞かん。歳亢陽に逢わばただ穀實豊稔の歓びを見んか。
 現代語訳の一例:常陸の国すなわち茨城県のあたりは広く、はるかな大地である。その土や小山はうるわしく、原野は肥え渡っている。人々が開墾をはじめれば海の幸にも山の幸にも利益があり、人々はそれを自ら得ているのだから茨城県の家々の食事はとてもゆたかで、満ち足りている。もし田畑を耕したり、蚕の糸を紡ぐ者がいたら立ちどころに富を取ることができ、すぐさま豊かになる。結果として彼らは自然に貧窮を免れるのだ。それどころか茨城県の人たちが塩気のある御数やら、魚やらの味わいを求めにかえってくれば、土地の左手は山でしかも右側は海、どこにいても食材が手に入ろうという世界である。彼らが桑の木を植え麻の種をまこうとしたら茨城県土の後ろは野原、前は草原であり、この県には水産業のみならず農林業にさえ、どこにでも適した土地があるといえよう。いわゆる水陸の府蔵といい、物産の資源があぶらのように滴っているのだ。昔の人がいった常世の国、すなわち天国とは茨城県のことなのだろうかと疑うほどだ。但し、一ついえるのは水田に上々のものは少なくむしろ並程度のものが多いので、ある年に長雨が続くと、苗が育たないことがある。それが難点だと人々から不満の声が聞こえる。よく陽射しの照る年に逢えれば、ただただ穀物の実りは豊かで、いかに喜ばしい事か。

(原文は国立国会図書館デジタルアーカイブより引用)