2014年5月10日

史学

 斎藤監物、阿部正弘邸へ提出『烈公冤の陳情書(仮題)』(1845年)の一訳。
 前中納言殿(烈公)は昨年5月に隠居謹慎を申し付けられ、領内貴賎の差別なく者みな悲痛のあまり驚愕、自分(斎藤監物)は沈黙仕るに忍びなく、元来前中納言殿は公儀に対し忠誠の志深く、先代の遺業継述を旨とし天下国家のため日夜辛勤、忠孝文武を以て士民を教育、水戸藩は幕府の羽翼かつ天朝の藩屏なので将軍家の儀や御達しは一通り心得ており、人々は節操よく相励んで実用の心がけを専一に邦君に従い太平の御恩に報い候。且つ国政常典の分は勿論、皆古道に復し、旧弊を除かれその節目の詳らかなること有司の者存じ候儀別段申し上げず候へ共、一昨年の政治に御褒賞あらせられ一国の士民歓悦仕り候のみならず、天下の人もひとえに仰望奉り候儀に御座候。然るに昨年の御次第、前中納言殿に何の御疑いの儀あらせられ候や慨嘆仕り候、さりながら既に前中納言殿は御慎み赤心で御明察遊ばされ、政事に関わりなき様にされておられるのに、ますます隠居のご沙汰は士民一同が重ねて心を痛め、万が一に疑いの廉があっては御三家一体の瑕瑾と相成って、かりそめにも臣子たるもの安心できなくなる処に御座候。前中納言殿の赤心を恐れながら御明察遊ばされ、また幼君(家茂)の後見を為されて一国静謐に諸民が安堵できるよう御仁慮のほど願い奉り候。寺社改革は先祖の遺志を継ぎ神州の道を尊崇される所以で正邪の品を相正され、委細は役人お尋ねなされれば分明の儀につき候。万一これより国の気風や綱領が弛み、士民節義の風が薄くなり、自然と姦人が党を結び利を営んでは天下の為にならず、昨年、士民みなが旧君の冤罪を互いに嘆き、おだやかならざる儀について藩では厳重に申し渡しても追々止む事なくそれぞれ役人筋へ願い出、江戸へ罷りのぼって幕府重役へ歎き訴え、領民の致し方は皆その身も家をも顧みずひたすら中納言殿を相慕い、そのあまたの中には神輿を奉って嗷訴仕るべくなど申し合わせ向きもあるように聞こえ私は甚だ心配仕り候。身分の低い者が身分の高い者の善事を慕い候儀は畢竟、御政事、御教育の行き届かれ候儀にて、公儀にとって水戸家による(御政道のよく行われているという意味で)本意と存じ奉り候処。万一にも訳もなく(幕府からの)騒動による讒説(濡れ衣)のうえ厳威で(水戸藩を)制圧すれば士民はますます互いに激し、どうなることか測りがたく、そのうえ異国船が東海道沿海に迫り、防衛の備えが大切の節、重い身分の御藩屏の御家穏やかならずとなればどれほど天下の為にならないと申すべきか、自分は言責に当たる立場ではないといえどいやしくも天下の太平を祈り奉る職分に御座候うえは、天下の為になる事と分かりながら黙っているのは却って公共へ不忠の筋、どうか御明察下され、中納言殿の冤罪が明白になりさえすれば国中が静謐に治まり、天下の為になる候様、願い奉り候。なお、国元に事情があり恐れながら口上を以て申し上げるべく候、不敬の罪は如何よう仰せ付けられ候ども、本懐の至りに存じ奉り候。頓首謹言