2012年9月1日

国々の2種類の特徴

1. かつて皇居か幕府があり
2. 冬季を含む五輪があったことがあり
3. 有名な芸能学校がある

これが派手な都道府県の特徴。
具体的には、北海道、沖縄、東京、神奈川、京都、大阪、兵庫、奈良、長野。
ただし、

1. 所得格差がひろがり(商業化)
2. 犯罪率や離婚率があがり(風紀低落)
3. 運動テストや体力テストの成績悪化

という反面を総じてもたらしがちらしい*1)。地域名に魅せられてきた新規流入者がそういう傾向をあたえる可能性があり、またかれらの劣悪な賃金労働者としての飽和状態がスラム化をもたらすのだろう。ホームレスや生活保護者世帯数がもっともおおい方にこれらの都道府県ははいっている。
 ただこのなかで、奈良は人口ひとりあたりの総生産が日本一ひくい、というかわった特徴がある。平城京があった時代にそうだったにせよ、現代ではあまり商業化がすすんでいないとわかる。もう1つの側面として、皇室が移動後古都になった地域は平等志向が極端につよくなる可能性がある。京都では共産党の得票率が日本一たかく、奈良には宗教法人による所得調整をおこなうはず寺院仏閣や新興宗教が複数みられるから。
*1) 参考資料リンク
http://todo-ran.com/t/bestworst
http://www.best-worst.net/news_3CnH8Ra0M.html
http://todo-ran.com/t/kiji/11767
http://todo-ran.com/t/kiji/13959
http://todo-ran.com/t/kiji/13944
http://todo-ran.com/t/kiji/14268
http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/7342.html
http://todo-ran.com/t/kiji/14268
 特に、 http://www.best-worst.net/news_3CnH8Ra0M.html の重要データを引用する。
警察庁「犯罪統計資料(平成24年1~4月分)」によると、
「刑法犯」の人口比における犯罪発生率
1位:大阪府(0.503%)
2位:愛知県(0.444%)
3位:兵庫県(0.431%)
「殺人」の人口比における犯罪発生率
1位:東京都(0.0028%)
2位:大阪府(0.0022%)
3位:兵庫県(0.0017%)
「強盗」の人口比における犯罪発生率
1位:東京都(0.0146%)
2位:大阪府(0.0135%)
3位:神奈川県(0.0083%)
「侵入強盗」の人口比における犯罪発生率
1位:東京都(0.0044%)
2位:神奈川県(0.0042%)
3位:大阪府(0.0039%)
「放火」の人口比における犯罪発生率
1位:大阪府(0.00299%)
2位:東京都(0.00248%)
3位:千葉県(0.00167%)
「強姦」の人口比における犯罪発生率
1位:東京都(0.0029%)
2位:大阪府(0.0025%)
3位:千葉県(0.0018%)
「強制わいせつ」の人口比における犯罪発生率
1位:大阪府(0.023%)
2位:東京都(0.020%)
3位:神奈川県(0.009%)
 これらをかえりみると、出所不明な俗書『人国記』『新人国記』にある常陸あるいは上総、下総などへみられる偏見項目、単に盗賊、押込、辻切が多いといった風説はおそらくこれを書いた民衆扇動家、demagogue矢野新一的な自己中心主義の武蔵国人等による悪意ある虚偽であり、現実にはそれらがもっとも多く風紀の劣るのが東京(武蔵)であり、おもにこの東京都からのはなはだしい悪影響と公害によって首都圏では、ちかばの諸地域、あるいは神奈川(相模)と千葉県、あるいはその影響はそれらにくらべれば微弱だが埼玉・千葉の県境でわけへだてられてはいる茨城県もすこしだが不本意に犯罪率を引き上げられてしまっている事がはっきり立証できる。
 これらの犯罪行為がみとめがたい点はどこでも同じ。それを現に割合、件数どちらでももっともおおくおこなっている刑法犯罪の悪党だらけの武蔵国(江戸、東京)が自分たちを闊達にして気が広いだとか潔いとかうそぶいて巧言令色で自慢をのべ、実際には真逆にもかかわらずさも自分たちこそ優良で善性かの様にみせかけるうえ、さらにあしきことにはそれらの悪徳からの公害あるいは罪の責任さえまわりの無関係の第三者におしつけるのは完全に現代にまで伝承されている、東京ジャイアニズム系の極悪の業としかいえない。単なる風説や冤罪まがいの非科学的偏見をさも真理かの様にかきつけているのはいまだにかわらないあしき風儀だといえる。
 このかなり昔の俗書にも、いまの矢野新一、総合ブランド研究所、ほか東京のマスコミにもみられる共通の特徴として、自分達自身がひきおこしている罪業をさもよいことにしたててかくしたりゆがませたりしてごまかしてしまうばかりか、まわりのむしろ善良だったり高潔だったりする人々にその事由の責任をおしつけてしまうという帝王主義的な情報偏見の悪意がある。いいかえれば、情報発信能力を独裁する事でそれを虚偽や風説でほかを害する器械とし、自らの利益のためだけに情報発信を悪用している。
 現代にも共通するこの通俗的な腐敗、情報発信力独占の弊害、権力濫用の堕落に対抗し正義や科学的真理あるいはひとびとの平等や公正な常識といったのぞましい調和を達成するには情報発信源の多元化が必需となる。このweblogもその一助になるだろう。
 現時点でもあきらかにそうだが、素朴な田園社会の延長にある茨城県域むかしでいう常陸国水戸藩あるいは下総国の方が、通商的な大都市化のすすんだ東京・江戸・武蔵あるいは神奈川・鎌倉・相模よりあきらかに風紀も民心もよかったろう。おなじことは、巨視的には関西地方にとって大阪からの悪影響下でおこっているはずだ。


 くらべて、地味な都道府県はこれといった特徴がなく、まわりにとってめだたない。具体的には、茨城、福井、埼玉、栃木、群馬、佐賀、徳島、鳥取など。同時に、共通してみられるほぼこれといったわるい面もすくない。あえていえばとなりに大都市圏があるとき、そこからの影響でなんらかの統計的数値が変動している傾向はみられる。このなかで福井と茨城、場合によっては埼玉も都道府県別小中学生体力テストが男女ともに上位や最上位にあり、特に福井と茨城はさらに都道府県別全国学力テストとその知識にくらべた活用力比率が上位にある*2)
*2) 参考資料リンク
http://todo-ran.com/t/bestworst
http://todo-ran.com/t/kiji/13465
http://todo-ran.com/t/kiji/13471
http://todo-ran.com/t/kiji/12090
http://todo-ran.com/t/kiji/12102


 質実剛健の地域性というlogで前回かいたが、この派手世界と地味世界では、派手な方がガラパゴス化しやすく、地味な方が普遍的な適応をしやすい。だからいきのこりを前提にどちらへ属する方がよいかといえば地味な方、とかんがえられる。
 こうみかえすと、おもにめだちたがりやのあつまりやすい場所、それは当然皇族や将軍、五輪関係者、芸能人といったひとびとだが、こういう者のとどまったりすすんでいきたがる条件や偶然の機会が特定の場所にそういった人口をあつめた、といえる。対してそういった派手者があつまっていないとき、はずかしがりやの世界がつくられるのだろう。

 日本でもそうだが、イギリス、フランス、ドイツ、中国、朝鮮、など封建的社会秩序ができあがった時代をもっている国家には、すくなくともこのはずかしがりやさ、shynessをとうとぶ傾向が中流社会以上にはいくらかよりのこっている様にみえる。特に良識的な家庭、あるいは土地の貴族といったイメージで。
 Americanizationでみえないくらいぬりつぶされた絵だが、それは封建時代に領主の保守性がつくりだした倫理観だったのだろう。おそらく一夫一妻制度の発祥やそこからきたある純潔主義的心情も各国ともここに由来している。はずかしがりやの方が下手な配偶をする機会や可能性もすくなくなる、よってこの地味な人間によって家督がつがれていく方が地主たちの地位は安定したとおもわれる。

 地球という単位でみると、まあたらしい国々と、安定した中世の主従社会が成立した国々とではこの2種類のおおまかな好みの性格差がみえる場合もある。アメリカ、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、これは植民地として樹立した最近の新しい国々だが、おおまかにめだちたがりやで、単なる成金をのぞけば伝統的な貴族というものがいないことがはっきりわかる。それゆえ保守的封建道徳へほとんど関心がない。

 以上の事をおおまかに分析すると、日本ではまずイギリス軍にねがえった明治維新によって一度目の革命、アメリカ軍による間接統治がおこってから二度目の革命をへて、保守性というものが比較的よわくなっている。だから上述でいう派手好みequal魅力という、もともと数値化できない地域のよさへ全体主義的に管理化した意図または悪意でこの方向性をせめたがっているひと(総合ブランド研究所の約10名や矢野新一など)がいるのだが、それは当の一度目の実質的内政干渉をおこなったイギリス社会ではむしろ逆なのが興味ぶかい。UKには保守党が現にあり、そもそも都市文明に懐疑的で王室までふくめ田舎: country sideを愛する傾向のある国民性という面で、自信や地に根付いた故郷愛を喪失し伝統の継続をきらう様になった反封建主義的商業化性向のあるこの日本国のひとびととは大分ことなる。北茨城というちいさないちでも大多数は、ここはおそらく日本のなかでもっとも保守性がたかいとおもわれている地域の極北なのだが、それでもやはり郊外店の侵食やcommercialismそのものへ果敢に抵抗しないという面ではおなじらしい。
 藤原正彦氏がくりかえしのべている日本の落ち度は、かれらが敗軍したあいての伝統的な保守性;ひるがえって自分達自身のそれさえなぜか否定、Americanismを勘違いしてうけとって、外様大名らの出世根性でつくりあげた新興の大商業都市文化にそまってしまったその団塊的みにくさなのだろう*3)。このおろかしさはあまりにあわててEuropeやAmericaにおいつこうとして屋上屋をかさねた明治の帝冠様式建築や公序良俗をもたない成金が多数だったことによる異常投機のバブル経済の様な変てこな勘違いをかさねた、という「邯鄲の歩み」にありそう。
*3) 要は、こういった日本の多数派はベネディクト『菊と刀』にも機会主義的とあるが、めさきの損得勘定によわく、ひろい視野や長い目をもたないことから、ほかの連合国民:アメリカ、イギリス、フランス、中国、ロシアをはじめとしてカナダ、オーストラリア、オランダなどのひとびとにくらべれば、現実に大敗戦しているとおり一般知能が総じて低いのかもしれない。過去からみちびけばそういった理解ができるうえ、今日での東京発のテレビの俗にも空気を読め、という集団統制を意味する熟語が頻繁にみられるとおり、あからさまな全体主義さえもつ日本の大衆錯誤から被害をうけないためには個人は無論、地域の独立性が必要といえる。それは経済的諸関係から、文化の面もふくむだろう。地域の経済構造がなんらかの次元にいびつなときこの依存性がたかいとみつもっていい。茨城県にとっては県内の第三次産業以上の十分な発達が今後の課題となるだろう。
 はずかしいまちがいとしての日本的拙速近代化現象からもっとも日本でとおいとおもわれているらしい茨城県の特徴、すくなくともその集合的無意識に期待できるのは、どちらかといえば革命とは逆の世界観だ。いまの日本の多数がそまっている不義にして富みかつ貴い浮雲な世相へひとこというのみならず、その総合批判によって人類を正しい道へみちびけるとしたら、むしろ伝統的な武士道からきている古典的保守性、サムライ精神、すくなくともそのなかにやどっている道徳をきちんとたもちそれを後世へ着実につたえるという使命についてとおもえる。論語に、国に道がなければたかい言行を孫にせよとある(憲問第十四の四)。専制政治の歴史もながかったから多数が穏健主義をもつことになったという点をかんがみても、いまのところめだっていないという特長をいかしてそれは十分可能だろう。これらは政治適合性というもの、つまり調整的社会風土の十分なつよさによって茨城県域が高い福祉状態の維持に於いて常陸国時代から一貫したある貴族的格式をたもてるとしらせている。