2011年4月29日

地域の改良

もうやりだしたので今度の機会だけど、茨城県が放映するPRとはすこし関係ないかもしれないが放送枠として有益なのは、15分くらいで解説込みの科学知識を撒く番組ではないか。

��5分もとれねば、5分でもいい。毎朝が不可なら週に1回でいい。朝型の、たとえば以前でおはよう茨城やってた時間にでもみじかく簡潔にまとめた一個の科学法則を、わかりやすいかたちで簡潔かつ大衆的にまとめた枠が有用。

一度に勉学する時間がとれないひとでも、朝の5分だけ受動態でテレビみてれば賢くなる、といった習慣づけがよい結果をもたらす。

 ずっと以前、フジかどこかで『お厚いのがお好き?』という一般知識人向けの深夜番組があった。おそらく視聴率がとれないか面倒か、局内反発かで結構すぐ終ったが、あれに似た最先端の学識(これは筑波あたりに超過博士とかでかなり余っているのだから)の解説を、いまはやりの池上さん系のやつみたく最大限かみくだいておこなうのがよい。簡単な実験とかで。
民放は収益を的にしているのでこういう視聴率の最大化がみこめない番組は放映しづらい。スポンサーが県なら、いわゆる収益ではなく、公益に類する番組を流す方がいい。団塊とそのjr.世代の育ちであり好みなのか、とかく経済中心の市場教義を流す傾向がある。しかし國風にとっては必ずしもよい影響はない。
 常陸のくに辺の人々をより高等な人種にする、そういう番組を希望する。まだみてないからもしかするといまのもすばらしい枠なのかもしれないが、某タレント氏が東京あたりの人へ集客力めあてにこびるみたいな(風におもえなくもない)番組がどれだけ我々の役に立つのか。東京人に地域の風儀を荒らされるだけではないのか。

蓄財の為に國の品格を犠牲にするな、という品格イデオロギーをはやらせたのは某ベストセラー数学教授(っつか藤原正彦氏)だが、これにも一理ある。関東圏ではどう転んでも東京都あたりの人口飽和環境からえられる総量としての税収または総経済量(但し県民それぞれの個別または県の総所得はのぞく)をこえるのは難しい。これは巨視すれば中国と日本の、米国と英国の構図と同じこと。(一人当たりの生産性や所得、福祉具合にかぎってのみ文明度に先後の別がある。)
藤原氏がいいたいのは、「大事なのは國家の名誉」であり、「國家の繁栄では(必ずしも)ない」という武士道倫理の尊重ではないか。なぜなら永遠に繁栄した國家は今のところないから。ところが名誉は大抵いつまでも残る。
勿論これもイデオロギーってか理説なので別に真かどうかも分からない。考え方としては。

 結局、国際舞台、あるいは県際舞台でも、「とある特徴」ある形質を有用な方向へ維持している人物が、最大の経済大国の普通な人物よりも貴ばれるだろう、といったいわば個性主義政略な推測が、そこには介在しているとおもわれる。
よく藤原氏がたとえにだすオーケストラもそうだが、サッカーなどのスポーツでも、汎用性のある選手よりも特徴ある選手の方が高い値がつきやすいし、実際、重要なポジションを維持しやすい。汎用性がなくていいとはだれもいわない。しかし、それだけで一流選手だとはいいきれない。
単純にサッカーでいうと、ブラジル代表は個人プレーのレベルが異様に高い(超個性派ぞろいだ)が、基本能力も並ではない。基本能力、これは普通の人間でいうと経済力というはなしなのかもしれないが、この基礎体力の程度が並ではないのに加えた素晴らしい個性が一流の条件。

よって、経済主義の放送は必ずしも善ならず。それは県民の汎用性を高めるかもしれないが、個性の強化には多くのばあい至らない。
 地域限定の放送権がもし別にあれば、うえにかいた科学啓発の番組がいいとおもう。それが不足している能力の穴を埋め、また才能あるひとを他の地域出身者よりも高度な人材へのばしゆくとおもう。