2011年4月4日

東京的ニュースのおどろくべき悪慣習

��HK水戸で、華川のどっかへ女性死体あったって恐ろしいニュースをやってたけど、確率からいうと市内のひとな場合は低い。どっかからきた人がそこに放った可能性がかなりある。しかし確率論だからなんともいえないけど。

自分がずっと市をみてても殺人事件なんか一度もみたことがなかった。もしかしてどこかではいままでもすこしばかりはあったのかもしれないが、少なくとも耳に入ったこともないし、はじめてきいた。
千年とか二千年とかの極大単位、あるいは少なくとも五百年くらいで統計しろといわれるかもしれない。だが人家がぽつぽつできはじめた常磐炭鉱の開発付近の時代からみてた限りでは、自分はただの一度も殺人事件というものがあったらしいことさえ見聞きしたことがない。というか人が死ぬのすらめずらしい。規模の小さな市だ。どこかで誰かが亡くなればすぐ話題にあがる。
なるほど、達のわるい虐めやら暴走族やらならみたことがある。それらは訴訟されたり告訴されたりの割合から明白な犯罪として認められづらいが法のめあてを破ってるので悪さではある。しかし、殺人事件(らしいもの?)なんかうまれてはじめて市内できいたしみた。これは本当の本当。常磐炭鉱時代からみててもそんなもん万一にもありえることさえしらないくらい、ごく平穏系社会だったし、人口統計上の予知からいえば今後もますますそうなる。

 この網記の影響がどれほどかまだ分からないが、それがNHK水戸や茨城新聞系の取材をある程度ひきよせる蜜になったかなってないかだろうけど、「わるい事件」だけを取材してわるい情報量だけを極大化する増すゴミ的な方法論はやめてほしい。まじで迷惑。なるほど死体遺棄事件があったというのは事実だ。
しかし、自分がきたいばらき人たる経験則からいうが、市内でおきた殺人事件などではおそらくない可能性がたかい。いままで一度もみたこともきいたこともないのだから、突然変異としても異常すぎる。わけわからん殺人なぞする人間など市内には従来はいなかったということになるだろう。みたことのない話なんだから。

こういうわけで自分はそのニュース報道がまるで東京あたりで起きた事件みたいに北茨城市内のはた迷惑な悪事(自分の推測では遺棄先にされた訳だと思う)を、あたかも一般的事件みたいに流すのはぜひやめてほしいわけ。どういうかたちで流れたかというと、夜のニュースみてたら突如、華川(これは市民にはとなりの小川みたいな印象のことばだ)で女性遺体が発見され殺人事件として警察が捜査をすすめてるとか。まるで市内で犯罪があったかのごとき平気の平左なしらふ無表情報道だったが、ただのいち田園市民の自分はまじでびびりまくった。鴎じゃないから鴎とかまではどうかしらんが。
非常に非常に不安な感じになった。いままで一度もなかった話すぎ、情報量がわるい方面に多すぎる。北茨城市民性を解説するが、我々は正直いってほとんどの層が「放っておいてほしい(泰然自若の心地で)」ので、少しでもテレビ取材とかに絡まれるとここまでなにか東京化されるのかと絶望感に包まれる。これはあれをたまたまみてた市民にとってすれば、市内で自分だけの感じ方では決してないだろう。なんの花が咲きましたとか、海行って泳いできな級の郷土共生田園市民というのが本当の北茨城市民の9割以上とかであり、わけわからんどっかからふっかけられた系っぽい最悪事(多分あれだけ被災系ニュースで関東一円向けに天気予報なんかやってたから丁度いいみたいにして来ちゃった人がいたんではとおもう)に、あたかも昔からけっこうある話みたいな東京系の賤しい偏見つけないでほしい。まじめに。この市内でわるさの下限といえば、かねをつかって映画つくるな市長とかそういうレベルでござる。

そういう大衆社会化の疑心暗鬼状態につながる不穏なはなし、をこの小規模な田園市で、被疑段階不確定なのに普通のニュースとして(あたかも殺人犯が市内にいるのが当確みたいな雰囲気で)流すべからず。動揺度からいっても悪影響しかない。
 もし本物の北茨城市民があのニュースを書くとすれば、『遺体がすてられていたらしいが、どこからきた誰がやったかもわからない』というものになるはずだ。自分もそういう見方しかできない。こんな小さな市で万に一つでも殺人事件なぞ起こそうものなら永遠に住めなくなる。これが真理だ。

かなり以前、某眼科へ泥棒が入ったのも、市内の土着した人な確率はあまり高くない。よく茨城の北部のひとらへの評としてある「根が善良」というのはかなり信頼できる。
かれらはわるさに近いおこないをしようとおもわないまますることはままあるが、大それた悪事をはたらく達の人格では、従来ない。きわめて平和で気候のよい、しかも競争のゆるやかな居場所なので科学や高技術など手間がかかる難事へつよい感心がなくなり、したがってあふれるばかりの見識と教養というものを決して多くの人がもってるわけでなく(だから欠点克服のため純粋に科学知識をおしえる大学、リベラルアーツを与える場をつくれと前々から唱道してるのだが)、よってそういうあまり洗練されないたちの行いというのは多くの場合かれらが「無知」「無学」の傾向がつよいところからきている。基本は決して悪意や悪業にひどく染まるひとらのタイプではない。それとしらずして勘違いをなす、という典型みたいな純粋田舎者が多いが(これは9割が郷土のひとからできあがっている市政が代表だけれど)、首都圏にほどちかいゆえ客観的情報はわりとゆたかで最低限度以上の判断力は(義務教育以上、高等学校も9割超が出ているから)もちあわせている。その意味ではくさるほど人のいる東京都あたりの俗悪きわまる諸人格とはある種、対称的といえそうだ。これは自分として多く市内のひとらと会ってきた結果として法則的にいえる。

学校教育ひとつとっても極端なまでに道徳意識を叩き込まれる地柄であり、それはおそらく旧水戸藩内の風儀なのだろう。

勿論これも内集団バイアスの一種が入り込んでいる見解だろうけど、経験則からはたしかにそういえる。かれらが行うわるさは本物のわるさではない。なにもしらないことからくる不合理でしかない。
 むしろ外からはいってきた、ほかの異なる文化をひきつれている外来者の中に、従来とちがう慣習の多くはある(たとえば転校生などがこういう違和感のある人柄だった。くらべて、土着した人達、つまり北茨城あたりの血統がつくる社会行動には一定の文化型みたいなものがあるのだ。雨情の性格や、石井氏、あとはみぢかでも かば こと高橋氏なども、北茨城市民的な何かがある、様にみえる。ある根っからの生真面目さというか)。
大勢がみれるので、文化面でいって東京系テレビなどの影響が皆無ではないだろうが、それもどっちかといえば遠い場所のできごとな距離感なので実際にはかぎられている。他人事としてみている感じが大いにある。それは水戸あたりとも全然ちがうのだろう。だから北茨城市圏でああいうタイプの都会っぽな取材をああいうタイプの無表情無関心報道へあたかも普通にありましたみたいに仕立てられるととても困る。まるで江戸湾と函館くらい文化圏がちがうといえるだろう。ここは関東の極北で、市民性は一種の相互監視の絆へ強固につながっている。つまり昔ながらの村社会性をきわめてつよく秘めたかなり狭い場所なので、ちょっとしたニュースも激震になってしまう。
事実をつたえるのは必ずしも間違いではないかもだが、恰もあんなはためいわく超確率小な突然変異遺棄事件だけが登場機会すらほとんどないこの極北市の代表的事件みたいにいわれると、全然ちがうとしか言いようがない。今後おなじことがある様なら、うわさをひきよせてしまうああいう‘ムイミに有名にさせよう’とする芸能界じかつづき報道体制のせいもあるわけで、NHK水戸へじかに注意するつもり。できるだけ我々を放っておいてくれと。そしてあえて部分を極大化してみせるニュースとかにするなら、できるだけよい話題にしてくれと。これは田園都市に住む市井の鴎としての本音である。


追記
もちろん、これらの推測が全て誤りで単に殺人犯が市内に定着した何者かかもしれない。その確率はゼロではない。しかし、今までの歴史経験からいえば市内ではきわめてその確率が低いということは、こうして言っておいていい。しらずしらずのうちにというのはまずありえない系事件なのだから。鴎ごろしなら渚なのだが。
 たぶん犯行の確率でいえば「全国の平均」より市内のそれは遥かに低い。全国でこの種の事件が起こる確率は全国向け放送が日ごろあるからかなりの割合だけど。よって事件の情報量が、こうしてわざわざ長々しく市史からの事情を驚きのあまり解説してしまうくらい一市民には極大だったのだ。