2011年4月7日

旧水戸藩域の財力補佐案

儒教型道徳の欠点として、商業的繁栄とはことなる発展をしがちなことがある。巧言令色鮮し仁とか言って伯夷と叔斉式な清貧を崇めつつ。
ところが現実の行動は、社会心理学をひけば「現金さ」をもとに動いていく。富裕な程、人々はその権限に否応なく従うもの。
いかなる理想論者も現実の前ではほとんど無力だろう。大多数の人々が動くのは現金、そして権力の前でであり、理想の前でではない。だから理想は、単に思想や宗教の域にしまっておくがいいのだ。その域にしまってあるかぎり、人々はそれを憚りなく崇めてくれるだろう。

 水戸学以来の常陸國が属した地位の欠点を補うに、いまの茨城県なるいっときのやしろを廃止し、ほとんど一県に匹敵する規模のいわき市をあらたに編入して『常磐県』をつくりだすこと。そして徹底した被災地にくらべ少しは余裕がある復興資金を県政としても市民としても全面提供して、共存共栄体となること。
いわきは経済力に於いても面積でもかなり大きな地域なので、味方に入れるとなんにせよ大きな単位となって旧水戸藩域の特徴な道徳の程、つまり気位の高さ(多くは日本国内では高すぎるそれ)を現実面から補ってくれる原因となる。

或いは、仙台圏へのとりこまれを望む域をのぞいて、いま話題になってる福島の「浜通り一帯」を常磐県の部分へひきいれるのも有効だと思う。おそらく常磐線の特急延伸などを口実にしてもいい。
一方 宮城県へは常磐県への編入をもっていっても、おそらくはじめは容易には協調しなさがある。もともと伊達藩域は協調性をあまり望まないし、かなり頭堅いから相当の説明説得がいるはず。
 しかし、もし上述の常磐県での経済力が他県を現実で圧倒に至れば、おそらくある時点ではそれを合理とみなして編入されるのをおのずと望むかもしれない。EUが同様に広がっていったのと同じで、いつも現世の人々は「目の前の利益」にきわめて弱い。