2011年11月27日

保存すべきたてもの

 大津駅前と中郷駅前にある、煉瓦づくりの建造物、あれらは文化財として保護すべきだとおもわれる。

 磯原にもにた石づくりの蔵が磯原中学校付近にあるが、個人のもちものらしく転用されて今も喫茶店につかわれている。中郷のものもいまでは飲食店になって応用されているみたいだが。

 特に大津駅前のは屋根瓦がおちてしまったみたいだが、修復しつつ保存しておくことで大津駅付近の発展にも対応できるとおもう。いまは倉庫かなんかになっているのかもしれないが、なにかに転用してもいいほどよく設計されたものではないかとおもわれる。明治から大正の時期のものかもしれない。その時点でも土地の職人や建築家に相当の技術力や審美眼があった証明でもある。

都市の防災

水戸の耐火化、火に耐えられる様にすること、これは建築関係者が相当先駆けておもいをはせねばならないことだ。だから模範がロンドンなのだ。あそこは石造へロンドン大火で一新したことになる。
 ただ、全国紙情報によれば、県庁所在地としての水戸は、原子力災害時は放棄される予定らしい。可能性として、放射能が納まるまで地下生活を一週間程度できる様にする方が除染による財政投機効果をかんがみても現実的だとおもう。が、その予定通り移行地計画が遂行されれば、県央は廃墟になるだろう。だからここへ費用をかけてこれから耐火性能をあげるのもあまり経済的ではなくなるかもしれない。

 自分が薦めたいのは、やはり地下shelterでの県央部の保護ではある。これは県北をみすてることになるからというのも勿論あるが、同時に、この種のshelter事業によって公的な部門での投機活動がすすむからだ。巨視経済学的にはいまのところ有効な手なのがまちがいないとおもうのだが。日立をかかえる常磐道を放射能shelterで包む構想も当然はいる。
 放射能汚染は、心理的被災のひどさにくらべれば、戦争とかほかの生化学兵器によるものと比べれば、直接の致命傷になる人数そのものの具体数はおもいのほか少ないというのが自覚されねばならない。5万人あたり50年間で最悪のときでも139人程度しか新規の知的障害にならないだろうと分析された(http://kamomenome.exblog.jp/14825315/ による)。この危険度は理性的に見れば、そして大勢のいきのこりという条件に於いてはだが、それほど極端に深刻なものかどうか疑える。尤も、軽いというつもりはないし、悲惨なのはまちがいないが。
警察庁交通局の統計資料(www.npa.go.jp/toukei/kouki/0102_H21dead.pdf)によれば、平成21年度の交通事故死亡者数は、茨城県で199人。また、
http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/7345.html
http://passageiro.blog54.fc2.com/blog-entry-58.html
http://api-net.jfap.or.jp/status/2007/0711/hyo_03.pdf
 これらの資料から、茨城県が居住地の者では「人口当たり」全国で二番目にHIV感染者(エイズ発症前の患者数)が多いというのもおどろきだが(*1)、たとえば東京都では2010年度で毎年507人があらたに感染している。
純粋な数とみればこれで死んでしまう者は様々な理由で性的に乱れているばあいがほとんどだから、放射能汚染による事故と心情について純粋に比較できないが、すくなくとも外部被曝を注意深くさけられれば、そして食品からの内部被曝をその後の経過に於いてきちんと制限すれば、危険性とみたばあいの放射能被災というものは全体から見たときという最大多数の最高幸福をめざす政治に於いてという仮の条件付ではあるが、非常に悲惨とまではいいきれない可能性がある。
 勿論、これらは経口ヨウ素剤をとらなかった大量の外部被曝や汚染食品の摂取による内部被曝のばあいの累積患者数、そして事故に際した作業者の生命は除いている。だから百人程度以内での死者または患者数の上下はありえるとかんがえていい。

 結局、原子力災害の最悪のばあいは交通事故死者数と同じか、それより長引いて少々深刻、というくらいだといえ、その殆どはむしろ全面除染の困難さに加えた土地の汚染からくる風評や輸出農業の破滅にあるのだろう。総じてみて、これらを捨てるつもりならばそれほど極端に怖がる必要はないともいえる。だから、むしろ東海村の政策へもっとも適応的な態度というのは、それを誘致または受け入れした村が県内にはいりこんでいた時点で農業の継続は将来むずかしいかもしれないとの予想だったし、今からでもそうすべきだ。廃炉にしても万が一の爆発または事故時にはその放射能漏れの可能性がありつづけるのだし、そういった危険性をともなう土地の作物が比較値で広範に売れるか疑問だから。
 水戸あるいは県都の耐火化、火災への強さは以上をかんがみて、慎重でも確実にすすめられるべきだとおもえる。つまり都市の防災機能を強化するべきだ。あるいは、全焼にあったばあいにおもいきって一新させるというばあいも想定できるが、その予定がたてにくい以上は徐々にすすめるしかない。日本の風土で石造にするとヒートアイランドがすすみがちだから、それを解決する方法、さらに温暖化で予測できる害虫の増殖にも対策できねばならない。

―――
��1 茨城県は首都に近いにもかかわらず人口密度がどちらかといえば低い、そして特に県南では東京の風紀からの影響をうけやすい、またはその種のあおりにつながる営業の状態が特に土浦あたりでは放置されているというのがそのおもな理由ではあるだろうけど。これへの解決は、この種の営業へ法的にも取り締まり的にも厳正な対策をとること、そして風紀としての悪影響を比較的よわくしかうけない、県北側の人口動態を相対的にはふやすこともその一つだろう。
同様に、全国から圧力をかけて、東京都での性的異常を批判する必要もあるといえる。当人達のみならず、周辺が大変困る。
http://passageiro.blog54.fc2.com/blog-entry-58.html という前述の資料によれば、統計的にはあきらかに、東京・大阪・神奈川・千葉・愛知の順で感染者の数が多い。だから人口当たり感染者の割合という面での不名誉は、おそらくだが、我々が県南部に足をひっぱられる格好になっている。もう一つ注目すべきはなぜ長野にその割合が高いかだが、これがはっきりすれば低い場所の佐賀・徳島・山形・鳥取などと比べて、なんらかのより明確な対策のとりかたも考えられるだろう。

2011年11月21日

‘文化財は再建してはいけません(修復は価値毀損です)’

文化審議会は、被災地の悲惨な心情を逆なでし、しかも絶望させる様なことを平気でやったというわけ。
これが真にただしい方針なら、当然ながら再建をくりかえしてかたちをたもっている多くの文化財とやら、つまり東大寺・紫宸殿・桂離宮・東京駅なんかもぜんぶ登録抹消しろというのが当然の道理である。当然修復工事後、その過半の材料がかえられるすべての建造物は永遠に文化財になりえない。
 こういってはなんだが、文化審議会は知能がひくいのだろうか? 建造物の本質はその設計あるいは計画なのである。すべての材料はつねに時間の中でほろびていくのだから。修復工事をしたら抹消される文化財、ならば第二次世界大戦で破壊された為まったく再建をめざして新築されたものにすぎないロンドンの国会議事堂は、いうまでもなく文化財ではないし、世界中でおそらくストーンヘンジと古代ギリシアの廃墟群しかのこるまい。実際に、こういう判断をしめすというのはなにもこの世にのこしたくないのだろうけど。どっちかといえば、人間の手がくわえられたものはすべて文化財ではない、ということがいえるとおもう。なぜなら国民ひとりひとりの辛苦を積み重ねて払った御血税によるご立派すぎる自称国営権威なる大審判法王機関大先生さま・文化審議会どのさま(ただし権利平等に国民のなかから雇われた日本文化の一構成員にかぎる)によればという限定つき条件下ではあるけれども、登録抹消しなければならないほど不純なものであるはずか少なくともどうやらそうでなければならないか絶対そうしろというわけなのだからだ。たとえ自然災害の影響でも! 再建や建造などもってのほかである。――こういうことが、あたまのおかしいか、もしくは超越的に創造主狂信的な文化庁のかんがえのなかにはっきりといえるはずだ。そのとおりにするがいい、別にだれであれ困るものはない。
 しかしながら、今後、文化庁の文化審議会が、皇室関連のものやら国家もしくは政治経済界関連のなにかをほとんど材料をのこさず修復工事後(構造物の過半に及ぶ修繕や単なる構成部材の大規模修理ならびに新築あつかいは当然ながらその他の計画的再建も含む)、てきとうないいわけしてそれを文化財として登録抹消しなければ、理性をもつ全人類は確実に破壊しつくし日本の文化財をなのる権利を徹底剥奪しきるしかないだろう。それが文化を担う者の尊厳、そして人の道理というものだ。


�� ちなみに、ご立派な代々大先生だらけの文化審議会とやらの構成員さまは以下の20人でござる。

第11期文化審議会委員
http://www.bunka.go.jp/bunkashingikai/about/meibo.html より

��平成23年8月8日現在)

一、青柳正規(あおやぎまさのり)
 独立行政法人国立美術館理事長,国立西洋美術館長
一、石上英一(いしがみえいいち)
 大学共同利用機関法人人間文化研究機構理事
一、岩澤忠彦(いわさわただひこ)
 財団法人NHK放送研修センター理事・日本語センター長
一、内田伸子(うちだのぶこ)
 お茶の水女子大学大学院教授
一、岡本真佐子 (おかもとまさこ)
 桐蔭横浜大学教授
一、河東義之(かわひがしよしゆき)
 元千葉工業大学教授
一、佐々木丞平(ささきじょうへい)
 独立行政法人国立文化財機構理事長,京都国立博物館長
一、里中満智子(さとなかまちこ)
 マンガ家
一、道垣内正人(どうがうちまさと)
 早稲田大学大学院教授,弁護士
一、東倉洋一(とうくらよういち)
 国立情報学研究所副所長
一、都倉俊一(とくらしゅんいち)
 作曲家,一般社団法人日本音楽著作権協会会長
一、土肥一史(どひかずふみ)
 日本大学大学院教授
一、中村紘子(なかむらひろこ)
 ピアニスト,ノンフィクション作家
一、中山信弘(なかやまのぶひろ)
 明治大学特任教授,東京大学名誉教授,弁護士
一、◎ 西原鈴子(にしはらすずこ)
 元東京女子大学教授
一、林史典 (はやしちかふみ)
 聖徳大学教授
一、林田英樹(はやしだひでき)
 国立新美術館長
一、○ 宮田亮平(みやたりょうへい)
 東京藝術大学学長
一、森西真弓(もりにしまゆみ)
 大阪樟蔭女子大学教授
一、鷲田清一(わしだきよかず)
 大阪大学総長,哲学者

��◎会長,○会長代理)


なお、以下の記事参照
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20111121-00000402-yom-soci
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六角堂など文化財登録抹消へ…津波でさらわれ

読売新聞 11月21日(月)11時33分配信
 文化審議会は21日までに、「茨城大学五浦美術文化研究所六角堂」(茨城県北茨城市)や蔵元「酔仙酒造」(岩手県陸前高田市)の本社事務所など、東日本大震災で被災した国登録有形文化財の建物6件の登録を抹消するよう中川正春文科相に答申した。

 近く答申通り告示される見通し。同震災により登録文化財が登録抹消されるのは初めて。

 六角堂は、思想家、岡倉天心(1863~1913年)の設計で1905年建設。今回の震災で建物ごと津波にさらわれた。酔仙酒造は倉庫、守衛所を合わせた3件が登録されていたが、いずれも津波で全壊した。

 ほかに抹消答申されたのは、米国人建築家ヴォーリズが設計した「日本基督教団福島教会会堂」(福島市)と「旧北上町役場」(宮城県石巻市)。答申は18日付。

最終更新:11月21日(月)11時33分

読売新聞
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また、
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20111121-00000074-mai-soci
��
��東日本大震災>岡倉天心創建の六角堂復元へ起工式

毎日新聞 11月21日(月)20時59分配信
��東日本大震災>岡倉天心創建の六角堂復元へ起工式
拡大写真
六角堂再建起工式に参列する池田幸雄学長(前列奥から2人目)ら=北茨城市大津町五浦で2011年11月21日、山崎明子撮影
 茨城大学は21日、東日本大震災の津波で流失した北茨城市の同大五浦美術文化研究所六角堂(六角堂)跡地で、再建起工式を行った。美術家・思想家の岡倉天心が1905年に創建した当時の姿に復元することをめざし、来年3月完成予定。六角堂は03年に国の登録有形文化財になったが、再建は「新築」となり、文化財登録は抹消となる見通し。

 再建される六角堂は、高さ約6.2メートル、一辺が約1.8メートル。屋根の頂点に宝珠(ほうじゅ)を頂く。創建当初の設計図がなかったため、県建築士会などが無償で技術協力し、写真や証言、近年の改修で作製した実測図などを基に、新たに設計図を作製した。

 同大は当初、4回の海底調査で部材を引き揚げ、登録文化財のまま復元する方針だった。しかし、発見されたのは昭和時代にふき替えた瓦約180枚や明治期の宝珠と水晶などで、構造が分かる物はなく、文化庁に7月、文化財がなくなったという届けを提出した。

 起工式には同大や市、県教委、県建築士会などの関係者約20人が出席し、工事の無事を祈願。その後の式典で池田幸雄学長は「六角堂の完成が、北茨城と茨城県と東日本の復興の象徴となることを期待している」と話した。【山崎明子】
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2011年11月19日

Networkの独立進化

Internetではない、internetをつつみこむそれより広くつたわるnetwork mediaをつくりだす必要がある。アメリカ政府がいま、ホワイトハウス主導で公的ウェブを介さないネットを開発しているらしいが、これより優秀なde facto standardをさきに開発し、流通させるしかない。単なるプログラミング言語みたいなものかもしれないが。

 自分がしってきたことによると、ウェブは検閲や阻害のあやうさがありすぎる。「自由な」ネットワークではすでにないのだ。軍がもっともくわしいことだろうけど。
 単に言論のためだけに、あたらしいsystemが必要。それを独立させてつぎつぎ進化させるのがいきのこる最大のかなめではないかとおもえる。

2011年11月17日

社会学

「福祉国家」系の福祉主義、welfarism:ウェルフェリズムとでもいうべき方向性はある負債をともなうらしい。それは一定数以上のただ乗り層、つまり世代を超えた長期失業組(いわゆる生活保護層)やその性質の滞留または固定化。
http://news.livedoor.com/article/detail/6035691/ のイギリス社会についての記事も参考にせよ)。

 いままでの人類文明では、おおまかにつぎの方向性が検討されてきたとおもう。
1.自由放任系のliberalism
2.中央調整系のsocialism
3.国有資産系のcommunism



日本はこれらの、かなり中間にちかいリベラリズムに属しているとおもう。そしてイギリスはかなり中間にちかいウェルフェリズムにいる。
 つよいウェルフェリズムに属しているのは北欧諸国(デンマーク、スウェーデン、フィンランドなど)、つよいソーシャリズムにあるのは北朝鮮、コミュニズムを信じているのは中国(中華人民共和国の方)。

 日本のなかでも地域ごとにすこし、またはかなりのcivilityの差があって、極端に資本主義的な陣営はおもに近畿から関西、特に大阪にいて(*1)、かなり社会主義的なひとは九州南部(民主社会党系)に多い(*2)。で、わたしは日本のなかではもっとも福祉主義にちかいたちばだ。資本主義・自由主義では社会福利・公的福祉のすきま充足に限界があると感じている。
 しかし、うえのlink先によれば福祉主義下ではやはり怠けとかただ乗りの問題がかなりでてくるらしい。これはいまの北茨城(いわば関東の東北端)でもおなじことだろう。もしここがUKのたちばにかなりちかづく施策をとったとする。それでもやはり一部の分子が「なまけ・制度の悪用」によって楽していきようとするとおもわれ、結果として全体とみた知的水準はさがりかねない。こうしてみてくると、よりくわしく、日本の内部思想を比べて次の構図がでてくる。

これはすくなくとも経済規模についてもそれほど遠くなく一致しそうな図だ(*3)。ここからみちびけるのは、「かんがえかた」のちがいによってその地域のたみのたちもかなりかわりそう、という社会淘汰的要因。
 おそらく地震で資本についての先取権は大阪または東京、あるいは両方の中間地にある名古屋がとる。大阪が筆頭にくる理由は、現在の知事・市長がそれらの格差肯定的価値観を唱導しているから。よって、最大の経済圏としての東京とのあいだに東海道megalopolisはより資本主義的価値観にしたしむ。そして文明化がこれらの社会思想、よのなかのつくりへのかんがえかたのちがいのなかでかなりことなった姿をとっていきそうなことは、ある地政学的必然性をともなっている様に感じられる。
 EUとアジア太平洋圏は世界経済の二大中心になっていくかもしれない(*4)。このとき、言語文化か国境、そして地理的障壁がないとき、ゆるやかにつながった地方同士はにた社会思想をもちがちだ。

 日本の中で東北圏が属している状況からいえば、地産地消をともなった物価水準のたやすさと最も農業に近いという条件ならびに寒冷な気候による冬季人口の低さと活動抑制性からきた潜在失業率の低さの為に、日本国内では最も福祉主義に近い施策がえらばれていく確率が高い。ただし、そのときの単なる経済からの心配は特に青森・北海道・そして宮城や秋田でめだつ生活保護の層(*1の都道府県別失業率を参照)の固定化と再生産、ということになるだろう。しかし、自分の意見だが、これが極端になりさえしなければ人口辺り一定数以上いた方が、おそらく「種の多様性」「性質の多岐」という面でほかの社会体制のもとでよりずっと有徳なばめんが多いのではないかとわたしはかんがえている。なぜなら経済能力といった一定方向からのみの淘汰よりは多方面からのそれが働いた方が、総合してみたときにその種のなかに多様な才能をといでいく可能性があるからだ。このため、自分はやはり程度の弱い福祉主義を採用していくのが東北圏ならびに北茨城にとっても有利であると結論する。
 もっとも端的にいえばはたらくよりも生活保護をうけつづけていた方が楽だから、はたらきものへ資産の面で寄生してろくでもない最低限度のくらしをつづける。こういった暗すぎる或る偏見をもった見方は、おそらく才能の多重性という面からくわしくみていけば決してまっとうではないだろう。なぜなら一部や現在の世論で悪評高い「所得格差」にともなった社会不安を広げすぎずにこの種の社会内生態の多様性をたもつには、いままで人類の文明内でみつけられたところによれば福祉主義が最善の選択肢なのだから。こういう人達のなかには、ただのり防止ならびに罰則の十分な議決と制度の社会状況に合わせたゆっくりすすむ改良がおこなわれていけばだが、たしかに、はたらくよりも別の才能をつかって社会・文化的貢献をしていた方が向いている、といった特徴種がしばしまぎれこんでおり、そのまま連続的に選好されれば次々世代ごとにとがれていくはずだ。そしてそういう人たちのもつ功利的・功績的・趣味的能力、要は一風変わったたくみさの特殊化が社会分業の内部組織として立派にすすむほど、その集団の効率や最高の達成というものは程度があがっていくだろう。

 こうして、はじめに引用したイギリスの暴動からわれわれがまなべることは、あの島に潜在した層の複雑さと自治組織や警察の不備だ。そこから良い点だけをならいとり、悪い点はしりぞければよい。

―――
*1 
・都道府県内所得格差: http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/7357.html
・都道府県別開廃業率、失業率の相関: http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/7365.html
・都道府県別失業率: http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/7347.html
*2 2010年参議院比例代表:社会民主党得票率: http://todo-ran.com/t/kiji/12133
*3 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9C%8C%E6%B0%91%E7%B5%8C%E6%B8%88%E8%A8%88%E7%AE%97#.E5.BA.83.E5.9F.9F.E5.9C.B0.E6.96.B9.E8.A8.88.E7.94.BB.E5.8C.BA.E5.9F.9F.E5.88.A5
*4 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E3%81%AE%E5%9B%BD%E5%86%85%E7%B7%8F%E7%94%9F%E7%94%A3%E9%A0%86%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88_%28%E8%B3%BC%E8%B2%B7%E5%8A%9B%E5%B9%B3%E4%BE%A1%29

2011年11月16日

Susuki waves

The earth quake is not a something autumn bless?

How loud voice of Yankee bike did global autumn change-able the law

Great something susuki waves all over the Kitaibaraki society

森谷武男博士によるある警告

Sensationalなtitleでうわさが多い週刊誌だが、こういう記事あり。
『研究者「12月から1月、第2の東日本大震災が東北を襲う!』
http://www.news-postseven.com/archives/20111116_70694.html

確定的な事実ではないし、
以下の、研究者兼先生ご自身の参考URLによっても
http://nanako.sci.hokudai.ac.jp/~moriya/fm.htm
http://nanako.sci.hokudai.ac.jp/~moriya/index.htm
http://nanako.sci.hokudai.ac.jp/~moriya/M99.htm

この‘FM電波(VHF)との地震波干渉説’の研究が確定された権威とはいいきれないが、当教授がいち研究者として自身の知識に於いて警告をしたことは評価できる。予言の正否によって研究のすすみぐあいや評価もかわるでしょう。
 でこの予測があたったばあいの重要案件は、まさに原発だ。

 制御不能時には手動ででも水素ventと非常電源を接続できる体制がいる。なおかつ、最悪の事態のために半径50km程度の住民へ経口ヨウ素剤をくばる準備を怠り無くすすめる必要がある。万一のときは国家をあいてどってでも50km圏の住民をすべて国内外の適切な安全地へ強制避難させるしかない。前例をみれば、もしこの費用負担をケチりそうものなら…。いのちとひきかえにでも…。という徹底した態度で!
 なおかつ、市内では今度こそ「契約された食料供給先(つまり、「市税からの補填」)」としての市内の小売業者からの支援物資開放。これはtop downではなく市民主導でおこなわれねばならない。
 そして給水車をだすばあいには「整理券」をくばり、高齢者や女子供が寒空のなか半日たちつづけるという不条理をなくせねばならない。最低限度、やれなければ行政へ罰則をあたえるしかない。

 これらにくわえ、地震があれば津波も可能性があるので、消防署からすべての車両をまず市役所の高台へ移動させ(これはそもそも消防署ごと移動しておくべきだったが1年かかっても市長の行政から実行されなかった)、つぎに「考慮」したらしい防災無線ほかで避難を勧告できねばならない。むしろ義務として。

 また、市内の各学校は避難所としての体育館を開放できねばならず、市外からの避難者をすすんでうけいれられねばならない。教育者らの良識で。

2011年11月14日

ひまわりの吸収効果についてのある知見

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/24558?page=5
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/24558?page=4

この二つの記事によると、どうやらひまわりの吸収効果の低さは「農地」だから、らしい。ということは、有機農法などで高い栄養価を土壌にあたえていない土については、農地でよりも、ひまわりによる吸収効果が期待できそう。
 具体的に市内でいうと、森や林、耕作放棄地、市街地にはひまわりの種をまくことで、実験的に土壌の放射能が十分に低下する可能性がある。

上の記事から重要部分の引用
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野中昌法(新潟大学教授、以下野中):ヒマワリや菜の花プロジェクトで、ヒマワリにはあまり移行しないとわかったんですが、これは非常によいことだと私は思ってるんです。たしかに、チェルノブイリではそれなりにヒマワリや菜の花の効果があったというデータはあります。私も当初はそれを発信しましたが、日本のデータを見るとほとんど吸収していない。これはやはり日本の土壌が、農家にとって何十年もかけて作り上げて来た肥沃性の高い土だということです。有機物などがたくさん入っている、そのおかげで固定能力が高かったのだと思っています。
��
野中:関東地域は、特に東北を含めた太平洋側は雨が少ないので春野菜がたくさん作れるんです。ですから、ちょうどホウレンソウにしろ、春野菜が土壌の上に葉を伸ばしていた。ですから春野菜がたくさん沈着吸収して、制限値を超えた春野菜がたくさんあったわけです。土壌の汚染はあるのにはあったんですが、それほど作物への移行吸収が少ないとわかったんです。
��

予備のミラーページ
http://megalodon.jp/2011-1114-2041-20/gendai.ismedia.jp/articles/-/24558?page=5
http://megalodon.jp/2011-1114-2040-37/gendai.ismedia.jp/articles/-/24558?page=4

ある採掘されたデータ




数年前くらいのかば氏のツイッターかなんかだったと思うが、この写真がのっていたと思われる。
どうやら常磐沖の石油採掘船のタンカーかなんかだったというツイートをしていた。

 Hintとして、これが東日本大震災の引き金になった可能性もある。この船がどこのどういうものか分析できる人がいればいいのだが。

2011年11月13日

放射能対策へのことなった態度

http://ht.ly/7oYqG
引用
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2011年11月10日(木)
放射線対策費5178万円、東電に請求 日立市
東京電力福島第1原発事故を受け、日立市は9日、同社に対して放射線測定器の購入費や焼却灰、上下水道汚泥の一時保管費、観光施設の入場者減少分など、3月から9月末までに要した経費計約5178万円の支払いを請求した。

同市の小川春樹副市長らが水戸市南町2丁目の同社茨城支店を訪れ、荒木寛支店長に請求書を手渡した。

市によると、請求したのは、空間放射線測定器140台分や食品などに含まれる放射性物質の測定器などの購入費、ペットボトル入り飲料水の購入費、焼却灰や汚泥水の一時保管費などの物件費約2824万円と、放射線測定や水道水の検査、土壌の除染作業などの人件費約570万円。

これら市の一般財源から支出した費用に加え、奥日立きららの里やかみね動物園など4カ所の観光施設入場料の前年同期と比べた減少分約1785万円も盛り込まれた。

市は今後も原発事故に絡む費用などについて一定期間ごとに請求していく考え。
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 この様に、後から正当に請求すれば相手は賠償するしかない。
 今の市長は答弁でも「東電がやるべきだと考えている」とかいって、ケッキョクさぼっているのだ。判断力の低さ、理解の低さ、物分りのよくなさ、ともいいかえられるが、公共空間について線量計をくばって計測する、健康について広範に調査する、そして率先して最もしなければならない義務なのは市内の農地の除染(特に、おちばのとりのぞき)。市民の命と共有財産である市税を預かる政治家がこれらを面倒だからとひとのせいにして何もやらないのは怠惰としかいえないのではないだろうか。日立市をお手本にするべきだ。(追記:高萩市でも同様の対策をとったというから、県北三市やいわき市も含めて団結をくむのがいい。)

2011年11月12日

温暖化に際しての対抗策

ゴキブリという南国産の害虫は非常にたちが悪く、徹底的殲滅作戦をくりひろげるしかない。これは確かな経験談だが、今から15年前それ以前には、自分はこの市内で暮らしていてその生き物を見たことがなかった。ここ5、6年のあいだに温暖化やコンクリートの都市化に伴って出現率が上がってきた。本来の生態系からいえば外来生物なのが間違いないと思われる。

 市で大量のホウ酸団子を購入または自製し、これを大量に撒くべきだ。具体的にはゴミ収集の役人へ各ゴミ集積場へそれぞれ数十個を常々撒いておく計画をたてれば、市内から相当数が減少するはずだ。
これを実行するのはおよそ2月から11月の春夏秋の期間とする。市内の生活環境、公衆衛生が向上するのだから反対者がいるとはおもえない。天敵のいまのところ見当たらない、しかも外来生物で既存生態系を乱す、きわめて厄介な害虫好きがありえるのだろうか?
ただし、飛行で移動する虫を殲滅するには周辺自治体の協力もいる。少なくとも常磐圏一帯で将来的には同等の対策をとる必要がある。

 それと、なぜかこの市ではゴミをほとんど分別しない。これは焼却炉がどういうしくみなのかわからないが、本来もやせないものも燃えるゴミに出せるのはどういうわけなのだろう? それがリサイクルの効率をさまたげたり、生ゴミの優先処理を怠らせているとしたら改善がいるはず。

2011年11月5日

財政学

 今後、単に世界的潮流になるだろうこと、それは政治の無報酬化だ。

 今の段階で「財政赤字」がなぜ生じるかいえば、単に政治費用が機会費として高くつきすぎる、国家構造に真因がある。だからおそらく近世に先進国界を牽引してきたイギリスでもこれからこの機会費用の節減という部分に改造が及ぶだろう。

 農業政策は、Britainでは既に観光・引退・リクリエーションの産業と一体化され省庁も統合されている。
Department for Environment, Food and Rural Affairs. は、「環境、食料、田園事業のための部門」とでも訳せるけど、これは日本の省庁でいう経産省・環境省・農水省を一つにまとめて国交省や文化庁といくらかかさなる部門に入れ込んだものともいえる。

 日本ではカロリーベース総合食料自給率で39%、一方でイギリスでは59%がそうなっている(*1)ことから、田園側:カントリーサイドといわれている都市化されない地域の就業人口やGDPベースの価値観に染まらない、あるゆとりをもった地域での牧歌的生業は「地主化・集積」によってかなり効率面でもききめあると確認できる。某国会議員氏もイギリスのいなかを一つの模範にしてくにづくりに精励されておられたのを私も観察していたが、すくなくともあたりに工業化の十分すすまなかった多くの国々がある日本に属しているばあい、国際分業の面からも安価な食料を輸入し、できるだけ高価な製品を輸出していくことが太平洋の連帯にとって最も有益だとかんがえられる。

 で、北茨城だけに問題をおとしこむと、この市あたりでかなり劣化しているのは政治費用の高さ、その機会費用の誇大化。前出(*1)の資料によると、イギリスで粗付加価値額にみた農業の占めるわりあいは2009年度でも0.5%でしかない。つまり、現在、TPPにからめて議論されてる日本での農業保護政策(関税)の継続観を、GDPなる数値の上下動で測ろうとするのはその時点でまちがえている。実際、いまの段階の日本でもそのGDP比は1.5%でしかない(*2)。
 これらをかえりみると、「費用の高い政治社会」をつづけているとその利権や金権によって食料自給率や農園のみならず、地方の住民生活そのものが侵略的に破壊される。なぜならば、もし金利がなければ政治的力をもてないとすれば最も機会費用をかけた人物の意向しか通らないので。いいかえると、GDPでたった1%前後しかない圧倒的に不利なたちばの農作民は否応なく、財産や所得面からも、政治的勢力図からもどんどん阻害されるにちがいない。

 こうして、論旨のはじめにもどってできるかぎり機会費用の少ない政治界をつくりあげる必要が、北茨城市民にはある。そして最もすぐれたそのしくみは、政治そのものを無報酬としてしまうことだろう。
 自分はこれらのウェブログを公益なるもののために粒粒辛苦で執筆してきたのだが、完全に一文一銭たりともてもとに入ってこなかった。100%無代の仕事だった。その一方で、自分が知る限り市政のなかで費やされている額は単に報酬という面からあまりに多すぎるといえる(*3)。もし自分がこの市の長だったら、びた一文とらずに公共奉仕していた。
それをかんがえると「貯え」になる額の政治関係者の報酬は社会にとって大変に毒である、といえる。いってみればタダでも公共奉仕はできるのだ。必要な額をこえての政治による報酬は不純なもの、そして行く末あしきものであり、本来あってはならない、となる。商売をしている者が取引差額をさしひいていくことで生じる所得不均衡の是正の為にうまれてきた政は、もしそれ自体が商業化してしまえば際限なく所得不均衡を、よって有効需要の逓減をともなう為に社会を停滞もしくは退化させる。

 最も理想的な政治家は、今現在のところ税収をすべて尊い民衆の為に(可能な限り高尚な文化活動を助成するべく)一銭ものこらず費やしてくれるタイプである――公共大学の建設は、内外の雇用と活動ならびに文物の周密を吸い込む為その最大の効果の一つとなるだろう。勿論、経済率、つまり瞬間消費財分の複利耐久財の社会資本蓄積効果はかんがみてになるべきだが。
この景気循環の波を起こす力が弱まりすぎて一切がうまくいかなくなっているおもな原因は、日本の中にあってはその消費性向の極度の弱さにある。そして問題が根深いのは、実はその大きな原因の一つに政治にかかわる機会費用の誇大化があった。この小論では以上で我々の時代が直面した停滞した社会状況という困難な課題への抜本的解決策を導いた。

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��1 http://www.jetro.go.jp/jfile/report/07000573/honbun.pdf
��2 http://www.maff.go.jp/j/kokusai/kokusei/kaigai_nogyo/k_gaikyo/roc.html
ただし、http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/0314.htmlによれば、同じ小さな島国でありながら模範的農業政策を実現しているともとれるイギリス(英吉利、英国)の農業出荷は輸出側にものびている。ここから分析できるのは、単に危急時用の必須栄養価防衛の為の自給率のみならず、「種類の分業」によって比較的寒冷な地方で生育・栽培あるいは加工や保存・発酵させるに適した品物のばあい、たとえ開放貿易に近い形で国開きしていても住み分け効果によって他の国の豊富に産出できる食品とかさならずに取引ができる可能性もある、ということ。米について、アメリカ米と日本米では労力のつく量的腹ごしらえ用と質のよい味そのものを目的とした高級食材用といった分業が、もし開放貿易のわくぐみの中でなら必然に起こるともおもえる。
��3 http://www.city-kitaibaraki.jp/uploads/fckeditor/14/uid000014_20110630172413f5024fdc.pdf によると、現市長は平成22年度毎月87万円(年額1044万円)を市税からふところにいれている。かつ、退職金は1期で1914万円。計2958万円が行政の長には入っている。これはたとえば東京都(年額2430万円、退職金含まず。http://kyudan.com/data/chiji_kyuyo.htmより)や大阪府(年額1711万円、退職金含まず。http://www.47news.jp/news/2010/06/post_20100630090302.htmlより)に比べて決して多すぎるとはいいきれないが、完全に無報酬で公益の為にはたらいてきた者からすると許容しがたいし、今後とも続けていいとはおもえない額だ。

バックアップ電源による文化のわざ

だれが費用負担すべきなのかは不明だけど、地震後復旧工事中の磯原駅は市を訪れた人にとっての顔みたいな目立つたてものなこともあって、屋根に広くソーラーパネルを設置した方がいいとおもう。そういうちいさなことがかなり印象をかえるし、また地震があっても瓦をおさえる効果がタブンあるだろうから。

ここでうまれた電力はJR東日本がもっていってエスカレーターやエレベーターなどにつかうか、市がもってきて公共化できるかはわからない。ただあれだけ広く、めだつ屋根が玄関口にあるのに、復旧工事でも進化がないというのは虚しい。

 おそらく市役所の屋根も、バックアップ電源と蓄電装置をかねてソーラーパネルを設置工事した方がいいとおもわれる(防災対策の面からも)が、市役所のばあいは上の場所より設置がめだたない。
この先進性や環境意識の高さを示す効果(「文化の芸術」)はどちらかといえば駅舎にある。

公共図書館の電子化のはやいながれ

土浦の西洋クラシックの音楽ライブラリー(http://www.t-lib.jp/WEB_SOUCE/howto.html)に続いて、したに引用したニュース(*1)によると和歌山県有田市でも遠隔地サービスの一種として電子図書館をはじめたらしい。
このリンク先で。(https://www.libeaid.jp/aridagawa_lib/ 有田川web library)

かなり以前の記事でも言及したが、「知識普及の意欲」に応じて、トップダウンの横並びではなく各地域の図書館管理者が独自に電子化をおこなっていくのが現実らしい。逆にいえばこういう有能な管理者がいないとき、公共の共有財産である図書館資料が電子化される日はとおい。

 この市にかぎっていえば、知的水準に問題のある地域性とくりかえしのべてきたが、したがって知識の普及のための工夫にはやりすぎというものがないだろう。もしやりすぎというほどやっても、全国や全地球水準からみて最高の知的段階にいたるのはごくむずかしいほど遅れている、とかんがえていい。さもなければノーベル賞くらい何十から何百も市内でえているだろうから。

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��1 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20111104-00000302-yomidr-sci
全文引用
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行かずに読める「電子図書館」 iPad活用
読売新聞(ヨミドクター) 11月4日(金)11時29分配信

 和歌山県有田川町は3日、図書館に行かなくても、電子書籍をパソコンや多機能情報端末「iPad(アイパッド)」で借りることができる「電子図書館」を、県内で初めてスタートさせた。

 小説や絵本、語学教材といった電子書籍約1000タイトルを購入したほか、著作権上、電子化しても問題ない郷土資料なども用意。24時間利用でき、遠隔地でも手軽に本に親しめるようになることが期待できるほか、貸し出しや閲覧が難しかった古地図や古文書などを電子データ化することで、画面上で閲覧できるようになるメリットもある。

 同町は、図書館とカフェを融合した施設「町地域交流センター」を2009年に同町下津野にオープンさせ、本に親しみやすい環境整備を進めてきた。町中心部から遠い地域の人にも利用しやすいようにと、民間企業が開発した電子図書館システムを導入した。

 電子図書館は、インターネット上の専用ページで希望する本や資料を探して選択し、ダウンロードする。1度に5冊まで借りられ、1週間の貸与期限を過ぎると自動的に読めなくなって返却されたことになる。iPadの場合、専用の無料アプリを使って閲覧する。

 動画や音声情報も盛り込んだ図鑑など、市販されている電子書籍約1000タイトルを3冊ずつ用意。また、町史や古文書といった町の持つ資料を順次スキャナーで読み込むなどして電子化し、閲覧、貸し出しできる資料に加える。

 古文書や古地図などは資料保護のために貸し出しはできず、一般の閲覧も難しいのが実情だが、電子化すれば容易に閲覧でき、児童・生徒の学習に役立てることも可能となる。

 電子図書館の利用対象者は、有田川、湯浅、広川3町と有田市に住んでいるか、有田川町に通勤、通学している人。「有田川町Library」(http://www.town.aridagawa.lg.jp/library/top.html)のページから、「有田川Web―Library」に進む。問い合わせは同センター(0737・52・4730)へ。(仁木翔大)
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2011年11月4日

そらたかく

 そ ら た か く 飛 ぶ な り か も め へ 朝 日 か な

 人 の す む 町 へ そ そ ぐ は あ か つ き よ

 い そ は ら を わ た る 清 ら な 海 風 よ

 訪 れ し も の を 包 め る い つ う ら よ

 風 流 の は じ め ぞ 秋 の か も め う た

 や ま あ い に 咲 く な り す す き の 穂 の お ど り

 か ば の す む 沼 に お り る は か ら す か な

 な ぜ な く の か ら す は 山 に 子 の あ り し

 と お き 山 夕 日 を う つ し さ み し け り

 あ き か ぜ に の せ て と ん ぼ の み え が た し

2011年11月3日

おちばとりのぞきの義務

しばらくまえのばらシンによると、やまあいの放射性物質はおちばについてて地面にはあまりおちていないらしい。

 ということで、里山では「おちばのとりのぞき義務」がある。特に農地へかさなるところ。これをきっちりすみからすみまでやるかやらないかで、市内でこれからおこってきそうな健康障害、つまり「すこやかさへのさしさわり」につながる被曝量をさけられるかさけられないかがきまる。だから勧告だけではなくて、民生員にチェックしてもらって臨時罰則(もしジブンの農地へのおちばをとりのぞかなかったら数万円から数十万円の罰金)をいれればいい。

 また、これは技術としてはできるが費用がかかりすぎるのでいまのところしないっぽいが、人工的におおきなかぜをおこしておちばがおおくなる時期にそれをすべてふきとばすことがかんがえられる。いわゆるおろしの逆をひとのたくみとして、山がわで大規模な熱源によりあおればできそうだ。数台のロケット用エンジンをやまがわでつよくかぜのふきそうな夕方にがんがんたく、とか。これでとてもおおきなかぜがおこって市内のやまからおちばをふきとばせる。

2011年11月1日

北茨城地政学

 現行の内閣へ圧力をかけているあつまりは、つぎの理屈をよくみとめないかもしれない。

 いまの国際社会とやら(せまい世界だ)では、共通貨幣でのとりひきがとてもひろくおこなわれていて、それがとりあえずおわりそうな気配はない。先進国の一部の情報(しかも費用のひくいそれ)くらいがここからはなれてきたが、そのほかはほとんど、ひろくとりひきしようとすると有償で、しかもこの共通貨幣をへる。
 だから、野田総理は単純にオバマさんとの友好をふかめる機会、そして価値観のおおきくちがう中国の膨張への対抗策を一緒にかんがえるチャンスとしてTPPをとらえておられる。これは、はっきりいってだれでも総理になったらむずかしいたちばだ。いたばさみといえる。

 で、この共通貨幣という面からみると、放射能被害にあった一帯の食料業はかなりすさまじく痛手をおった。(第六次というのは良識層にうったえる逆の利点があるけど、第一次の産業が。)
だから、‘全体主義’の目からわけられると、東日本一帯は第一次産業やめたらいいんじゃないですか、とつめたくいわれてしまう。これへ怒っても、政府や東京電力株式会社からの補償金がばあいによってはふえるだけで、おなじなりわいがかなり不利なところにおいこまれたのはかわらない。たとえば水俣とか四日市というものについているイメージ(負の有名)は、東日本や福島にとってもかなり深刻。

 よって、もっとも単純にかんがえるとだが、共通貨幣の国際秩序へしたがってさっさと第一次産業でひろくなりわいをおこすのはあきらめろ、となってくる。これはわれわれの努力で完全にくつがえせるとはおもえない、自然一帯におよんだ環境の変化だから。(公害の主体が法人だったというのが一つの救いで、怒ったり責めたりしたければその責任がある法人格(つまり、東京電力株式会社)へすればいいことになる。)

 そこで、私がおもうにはこの賠償をもとでに、より付加価値構造の上位にある産業を地域的におこす必要があるのではないか。*1

 具体的には、この市内だと特に1番はやりそうなのは芸術品だとおもう。芸術品はもっとも伝統ある最高の付加価値製品であり情報産業だ。しかも、経年優化しやすいので蓄積するほど有利になっていく、複利耐久性がある。そのためのほとんどの条件はそろっている。たとえば飛田周山とか、地域にねざした大画家、大芸術家をできるだけひろく喧伝するべきなのだ。実際、いままでも市民、市政や市場ふくめてがんばってきた観がある。*2
 しかし、それにくわえて自分がおすすめしたいのは、日製企業の多さがすぐちかくにあるので、また地域の住民のきまじめさ、という一種の遺伝気質を有効にいかすためにも半導体素子とか超LSI、プロセッサーなど、いわゆる高機能デバイスの部品工場をできるだけ誘致すること。そして県自体へも防衛策上も有効なのは、「医薬品の研究所と工場」の立地だ。茨城空港までの運輸ふくめて、漁業でだけつかってきた港湾も貨物船をいれることでまたつかえる。これにからめて、市立大学をおこすときには医学部をはじめから含めてそれを独立させておくことが将来の県内での医師補填にも医療水準の底上げにもつながる。こういうしごとのいいところは、職住近接がひとりでに市内でおこるので兼業農家がすくわれ、田園は維持され、それらは重工業よりも排出される環境負荷物質がすくない傾向があるからこの地域最大の美質である「繊細で綺麗な自然環境」の保護にめぐまれるというところだ。
 こういうところに勤めるのに向いている性格のひとがかなり多いというのが一連の観察から自分の知識だから。むしろ、失敗するというか経験的にほろびてきたのはこの逆で、積極的に相互の人間関係上の接触がある接待・接客・談合のある生業。要は第三次産業のうち、特にサービス産業的な分野だ。こっち系は、この地域のひとびとは全体としてみるとどっちかといえば向いていないとおもう。こういう小売業態は、すくなくとも市内において、ある神様商売みたいな姿勢でしかも家内制の辛抱づよい個人事業者でないかぎり、人口やその総移動量の点からもきわめて衰えやすい。(要は、南国の大規模資本に量的にかちづらい傾向がある。)しかもくらしてきた我々というかおもに県民の方々かなりも自覚してるはずだが、我々といおうか、茨城圏のほとんどのひとはいわゆる身体距離の広い暮らしに慣れているので、あまり狭い範囲に強制的に詰め込まれるとちょっとした喧嘩や足の引っ張りあいなど負の反応が生じる。これはたとえば非常に身体距離の間隔が狭い、東京や大阪の下町とは正反対の気質というか傾向で、かれらにはむしろ人から離れると危機感や不安を感じるという逆の文化形質がみてとれる。

 で、第六次産業(二かける三で、農作物の加工後、販売まで一貫した産業のかたち。農協つまりなになにコープや、よくスーパーでプライベートブランドといわれてるのとほぼひとしい)というのもまえもかいたが一流コピーライターとかの助けをかりてやった方がやらないよりはいいとおもうけど、できるだけ市内でうみだされる付加価値を上位化することがいまの、中国や東京や新潟?などの経済社会から追い詰められている被災後の環境変化へのありえる適応だとおもう。


―――
��1 ちなみに、マルクス主義によればこの付加価値といまはよびならされているものこそ、剰余価値のしぼりとりになるので、その思想を信じているひとの政府におおい中国や北朝鮮にとってこの高付加価値主義的思考はききすてならないしわざ、だろうけれども、もし我々の地方が独立後多数派当選でもしないかぎり、自由主義側の考え方のなかでその欠点を修整しつつうまくやっていくのが利口だろう。
具体的にこういう賢明な国々として方々から尊敬をあつめてるのは、北欧諸国、つまりスウェーデン・ノルウェー・デンマーク。ときにとなりのおくのフィンランドもくわえられるけど。かれらの手だては、どっちかといえば台湾や韓国にちかい西日本より、東北という寒冷圏に属した我々の風土にとって、その社会のつくりがかなり参考になるはず。
 ちなみに、同様の修整をほどこした福祉主義を一度はおこなったが国民の世論でふたたび自由主義へもどした国にイギリス(United Kingdom, UK)がある。UKがなぜもどったかいえば、すくなくともブリテン島では福祉主義だと人々が勤労の意欲をなくしがちで、おもにアメリカの資本から侵略的においつめられてしまうかららしい。ではなぜ北欧が自由主義化(つまり租税率のひきさげ)しないかといえば、そもそも北欧はどっちかなら引きこもり的地政にあるからだろう。そこへ入ってくる人数もすくないし、出ていくのもおなじ。このため北欧諸国はできるだけ安定した長期間の得失をかんがえた結果、人口流動性からえられる国内的利点としての低付加価値産業による利潤を捨ててしまったのだととらえられる。
だから、日本はどうあれ、北茨城だけにかぎっていえば同様のことが多少あれありえる分、他国の成否を参考にして「どちらかといえば福祉主義にかぎりなくちかい自由主義」がいまのところもっとも訳あるとおもえる。つまり、教育や医療など公的service部門をできるだけ税の補填から無償にし、かわりに租税率をここから南の人口流動性が高い地域より、市内について高めることだ。しかも、いま市政がやってるらしい多産てあてはどっちかといえば教育投資にあてられた方がいい。
なぜならシンガポールなどを例にひけば、ただでさえ高学歴や高い学力の者は自然増加率が一意の時間的にはひくい傾向がひろくあるのだから、有効な人口調整策はこれへあらがうこと、つまり教育年限に比例した育児てあてなのだ。この点でも、北欧のやりかた、つまり全体税で補填して教育費を最少化し たかい教育負担がいる医療従事者をめぐむかわりに、租税率そのもののためにひくい程度の教育にとどまる者が増加傾向をおさえられる社会が模範に足る。うそだとおもうならそれぞれ逆をやっている北京とオスロを同時に訪れればいい。またはNHKの番組『世界ふれあい街歩き』の教育用DVD(これは図書館が共同購入してもいい優秀な教材だ)なんかで擬似体験的にみくらべればいい。かんがえかたのちがいというものが一発で理解できる。そしてどっちかといえば、トウキョウなんかよりキタイバラキは北欧側でしかありえない。だから市税も県税も国税もついやされてる修学旅行も、どっちかといえば我々とたちばのちかいイギリスの地方か、北欧のおだやかな地方都市をめざすべきで、決して我々から風土や理想の将来像がとおい極東諸国(ある種の反面教育かもしれないくらいだ)をさきにお手本として修学すべきではないのだろう。京都や奈良も含め。

��2 勿論、将来のノーベル賞もしくはミヒャエル・エンデ賞(あるのか?)全受賞大作家様、ああとうとき弁護士相談あいて、ことああおそれおおきサー・高橋正志大先生すなわちグレートかば氏もこの例外でない。かばさんファンことあだ名マッドもついでに大評論家としてイマニュエル・カント永遠平和賞をえられるにちがいない(あるのか?)。これは冗談とばかりはいえない。むしろそうでなければならない。極端なはなし、市民全員がノーベル賞受賞者以上の勤勉さと努力、そしてその結果としてえりぬかれてくる才質をもてればこういう世界はすぐにでも訪れざるをえないのだから。