2012年7月16日

学校の改良について

 自動車教習所みたく、(1)教科を自己選択制にし、(2)クラス制度を廃止する。
これだけでクラス・システムによるいじめというカースト化はかなりふせげる、という情報があった。

 実際、単位制度にしてあれば、大学や専門学校でもいじめというものはほとんどみうけられない。これはクラスをつくる、という集団性をもたらす要因がほとんどないからだろう。
 強制的な集団化、集団教育というしくみがつまりカーストをつくる元凶なのだろう。その期間が長期にわたるほどカースト化しやすい。だから中高一貫などは、かえって時代に逆行しているか、スクールカーストをおよぼす悪い半面がある可能性も否定できない。

 茨城県の教育委員会に理解があれば、「グループ学習」とか「集団行動」という無理強い、仲良くない者同士の集団化という拷問の錯誤をさせる学習指導要項は一切とらないべきだ。私立ではいうまでもなく。

いじめのへらしかた

さかもと ?@sakamoto444

いじめは減らせます。自動車教習所がわかりやすい。 (1)教科を自己選択制にし、(2)クラス制度を廃止することでいじめてる暇が無くなる。 10年以上前から宮台氏が言っているのに着手せずいじめを温存し続ける。いじめ問題の本質は「システム依存問題」です。


ユキちゃん(=^. .^=)ミャー ?@yukipedya

.@sakamoto444 では、単位制の都立新宿高校はイジメが全く無いのか?それを公表して新しいモデルケースにすれば良いと思います。

混雑税による柔軟な通勤

 水戸への通勤者(北では日立、南では土浦か筑波)が最多とおもわれるが、このrushを緩和するには「混雑税」を導入すればいい。

 もっともこむAM7~9時、PM5~7時に、水戸市(あるいはばあいによって日立、土浦、筑波)の高速道路をとおるか電車をつかおうとするひとへは、特別な税をうわのせする。
 これで他の時間帯につかおうとするひとがおおくなるだろう。会社や官庁ではflex timeにちかくせざるをえないので、はやねはやおきになるか、通勤通学が快適になり、無用なstressもかるくなって県内の就業者らは以前より能率よくはたらくことになるかもしれない。さらには財政収入もあがるわけだ。

知識の道具性

 科学の「名誉」におよぼす側面は過大評価されすぎているきらいがある。
 科学、知識、scienceはこの名誉をもとめる心によってよりよくつくられる、とはおもえないし、かりにそういうつくりかたをしたところで現実の生活levelとかさなることはほとんどなさそうにみえる。

 わけは、学習というものがあって、ほかのばやひとびとでつくられた知識さえ、ほかのひとがカンタンにまねれるから。
 このあたりまえの道理をみると、本当にあたまがいい、といえるのは「実用」つまりつかえる、という特徴をともなって発展していく文化ではないか、とおもえる。

 自分のしるかぎり実用性はほとんどないが、単純に名誉だけをめあてとしている文化体系のひとつとして芸術、という分野がある。この芸術についてだけは名誉へむかっての選択がはたらくのはただしいのかもしれない。なんらつかえないわざ、というものが目的そのものとしてえらばれるのはそういう世界でだろうから。
 だが、科学: scienceと工学: technologyが両輪みたいにすすんでいる状態は、おそらく科学そのものの探求にとってもかなり幸福だろう。

 Pragmatismがアメリカの哲学者らによって、もう一度といなおされたのもこの名誉制度と化した科学の探索という業からぬけだそうとしたひとびとがいたからかもしれない。栄典の授与、とか先取権への競争、これらはかなり長い目でみればほとんど大した問題ではないだろう。
 おおきくみれば「よりよいくらし」ができる、そういう文明化のためにひとびとは、あたらしい知識をもとめ、また日常生活のなかにその学習されたなんらかのことばと記号による、ものわかりを応用していく。

 つかえること。この方が名誉をえている、という事象よりも科学者にとってのぞましいかもしれない。
 知識そのもののふかい探求をへていくと、なにかに実用性をともなっていない、純粋な好奇心での理解をもとめるべきときがでてくるはず。が、科学は所詮は道具にすぎない、という初歩にかえるときがふたたびやってくるだろう。知識の一切は、その社会の中でより高度な技術に応用する、あるいはくわしくたしかな将来予測を通してみずからの属した種や類をたすける、という目的につかえるだけだ。

2012年7月15日

茨城県単体の放送局について

茨城県単独で、全国とできれば世界への放送局をもつ、という事が目標になる。

 県政は東京都への広告代に出費しているが、長い目でみれば東京都へ投機しているのと変わらないかもしれない。広告を打ってもそれをこえる分だけ回収しなければ、利潤という目的にはかなわない。

 大手の広告代理店、とか日本でいうジャニーズエンターテインメント、韓国でいうS.M.エンターテインメイト、こういう「宣伝行為」そのものを目的とする事業活動が、NHK水戸放送局だけではなく一つ以上あれば状況は変わるとおもう。なぜいままでのところ東京からの偏見報道が過熱するかといえば、記者クラブを中心とした報道ヒエラルキーに全国がのまれてしまっているから。
 独立した報道体制が、東京ではない、少しそこからずれている冷静で批評的な目線を全国に届けられれば、随分情報の風通しもよくなるはずだ。

偶像への態度差

キリスト教はいうまでもなく、イスラム教でも偶像崇拝、アイドル崇拝は禁じられている。

なぜその簡単な信仰が、日本人の民衆にはむずかしいのか。多神教や、自然崇拝・祖先崇拝・偶像崇拝の体系ともよみとれる神道とのかかわりをさぐるべきだ。

2012年7月14日

佐賀の留学助成

2012年06月12日 17時39分

佐賀県が県内中高生の留学費用をサポート
 グローバル化が進む中、佐賀県教育委員会は留学費用の一部を助成する取り組みを開始した。助成対象者となっているのは県内中高生で、3ヶ月以上の留学は50万円、3週間以上3ヶ月未満の研修旅行は10万円を補助。国際社会の中で活躍する人材の育成に力を入れる。

 対象となるのは「全国高校生留学・交流団体連携協議会(高留連)」や「海外留学協議会(JAOS)」の加盟団体や学校等が主催するプログラムに基づく留学や外国への研修旅行や個人留学、外国への研修旅行で、2013年3月31日までに出発するもの。また、在籍する学校長の推薦を受けていること、申請者本人が助成の対象を満たしていることなどが条件となる。

 応募は出発月の前月15日までで、留学については今年12月15日、研修旅行は13年1月15日まで。提出書類の受け付け順に審査・面接を行い、予算に達し次第募集を終了する。

http://english.oricon.co.jp/rank_english/news/2012894/

廃炉の率先

 廃炉を全国に先駆けます、とできるかぎりの大声で公言した方が、茨城県の名誉のためにいい。善は急げという。
 現在の日本国民の平均レベルは、電力価格の高騰による深い生産への影響とか、国際的な空洞化を考慮するまでの知的水準ではない。
しかもどちらかといえば、わざわざ対中関係をこじらせる尖閣諸島へのちょっかいへ12億円超も出すという「ちょっとおつむの足りない成金」のあつまりだから、こういう人達の脳にとって首都圏に原子力発電所が現にあり、しかもそれが日々大変に苦労しながらつくられており、東京や横浜という大都市圏への致命的な供給源になっているなど少しも理解できていない可能性がたかい。

 つまり、東京や横浜の人間、具体的には矢野新一なんかだが、こういう人物を助力してやる必要は皆無だ。どちらかといえばいますぐに電力など止めてやればいい。北関東と東北が連合を組み、食料供給も止めてやればどれほど傲慢きわまりない罪業を東京・横浜がおこなってきたかやっとわかるだろう。
むしろ南関東の俗物連中を手伝えば手伝うほど、茨城県が損害をうけるだけ。一切、かれら東京と横浜への利益供与はやめるべきだ。これは極端なことをいってるみたいにきこえるだろうが、真実である。
 茨城県にとっては東京都市圏がどうなろうと、世界的に見た中国家規模の経済力は維持できる。

 いわゆる大衆向けマスコミをはじめ、東京レベルの低俗な群集はきわめて利己的で、犯罪も平気なうえ、極度に無理解で匿名でのありとあらゆる誹謗中傷罪に馴染んでおり、なんら信義がないので、立地自治体の背負ってきた大きな負担へ感謝の念など全然ない。
ゼロ以下で、逆に助けてきたがわをそしるレベルのマイナスでしかない愚物。これが余剰労働者のあつまりなるものであって、全国でもっとも知的レベルの低いか、もしくは大阪と底をあらそう東京人の平均値なのである。
 大事故があろうと原発ビジネスだからとひらきなおってくるばかりか、場合によっては東京の世論レベルはあまりにおろかすぎて、法人としての東京都の企業でしかありえない日本原子力発電株式会社を責めるのではなく、「製造」したがわや「現場」はたまた「政府」といった第三者へ責任転嫁して逃げ出す、最悪のばあいわけもなくそれら、かれらが恩恵にあずかってきた電力供給のための努力を無意味にくちぎたなく罵ることが容易に予想できる。しかもすさまじくきたない言葉で。なぜなら、現に福島県で起きた直前の例、すぐとなりでおきた際でさえそうだったのだから。
むしろ被災してざまあみろ程度の悪しき脳髄をしていることは、いまの都知事にされているあの人物の人格の程度をみれば一発でわかる。馬鹿の底がないばかりか傲慢きわまりないジャイアニズム性格そのものの東京都だ。すなわち、手伝いするだけ茨城県の損害なのだ。

 矢野新一の普段からの風説流布の態度をみていれば、万一、東京都が搾取するためにつくった東京都の企業である日本原子力発電株式会社が大事故をおこしても、神奈川県という場所の道徳性すなわち知能の平均値さえあまりに愚劣なので、商業上のめさきの損得勘定だけで東京の肩をもって被災地へ責任転嫁することはほぼ100%まちがいない。スネ夫的な性格の横浜だ。
国会議事堂前でデモをしている民衆は、この矢野新一の悪意をどう見るだろう? 東京と横浜という大都会を助けるために、食料供給から電力供給まで何十年もつづけてきた茨城県が好意をなくし、それら一切をとめてしまえば、かれらに致命傷を与えられるのだが。
 痛くも痒くもない、とつよがっている東京と横浜にとって、茨城の助力がどれほどの協調的な下支えを陰に陽に現にしてきたか、おもいしらせるべきだ。風土記から連なる大国の妙なる歴史的にすらそうなのだが。
場合によっては東国の主の座を奪い返してしまえばいい。事故の危険を避けて国土を保全することはすなわち日本のためだから、皇室とも最大限の連携をとるべきだ。
事実、東京都というとんでもない愚かな所は東日本大震災時に、我々茨城県がつくっている電力供給をなんと津波被害や放射能災害にまきこまれているばかりか倒壊した住居のうちにあって水道やガスがとまっており、食べ物やガソリンも尽きるなか、こどもや老人たちをふくめ真冬できわめて寒く、衛生的にも十分とはいえない避難所ぐらしを余儀なくされていたこの被災地から先にとめようとした、極悪人都知事の居場所である。さらには人が死んでいるのにその場のテレビで偶像崇拝の選挙、AKB総選挙がどうちゃらその大被災地へ向かって、我々が日々汗と血を流し死人を出しながら供給してやっている当の電力で愚劣にも放映していた。最悪すぎることに、なんとこれらの、首都である東京にたとえ嫌々ながらも国家のためを想って最大限の協力をしてきた被災地へ「天罰だ」とほざいた悪魔の住処東京都、そんなきちがいじみていて不徳かつ俗悪なところに追々主導権をにぎられているべきなのが天命ではないだろう。

「廃炉をする」と公言し、かつそれを辞める事業施設での再開発をめざす東海村の村長の意見は、これらをかえりみると、洞察されている問題意識から言えばすくなくともすべての原発関係者のなかでもっとも正しい。かれが見抜いているのは単なる経済ということばづらにかくされた、非人間的な搾取と奴隷制度のからくりなのだ。
 簡単にいえば、口裏合わせをしながら詐欺で騙して、日本原子力発電株式会社と東京電力株式会社は立地自治体の人生を無責任に破滅させる権力を買収していたのだ。この権力はいわゆる経済産業省と癒着してきたので、いままで世論の俎上にほとんどのってこなかった。だがもうおそい。
 自分の意見では、前福島県知事の佐藤栄佐久氏はその先見の明に於いてノーベル平和賞を授かるべきだ。日本国内で、経済産業省と東京電力株式会社の癒着をはじめに指摘なさったのは彼だった、といって過言ではない。

 もし廃炉の決断ができなければ、日本原子力発電株式会社という民間企業を潰す方がいい。さもなければ茨城県民が犠牲になるだけだ。

2012年7月13日

地政学仮説

 常陸国、茨城県のあたりでなんらかの有名性へ向かって大きな活動をする傾向が抑制されているとすれば、もしかするとつぎの文化的経緯に関連している可能性がいくらかある。
 専制政治や内部粛清的な歴史が、古代の黒坂命による侵略という伝説(実証性が低いのでおそらく作り話かもしれない。『常陸国風土記』)や佐竹支配、その後の徳川時代から延々とつづいてきたので、現在でも権力迎合的な行動傾向が伝統社会に残存しやすくなっている。
このために、文化の傾向として派手に目立つ行動をとる人物は相対的に少なかったり、仮にそれへちかい行動をとるにせよ、「忠誠的」な場合が多い。

 なぜ西日本の、たとえば幕末にこれとは真逆の行動傾向をもった諸国、山口県、鹿児島県をはじめとして高知県、熊本県、そして大阪府や京都府、愛知県などが徳川慶喜の深い忠誠心をほとんど理解しなかったかもこれで容易にわかる。(同様に、アメリカ文化の中から明治の時代を分析した、ドナルド・キーンの 'Emperor Of Japan: Meiji And His World, 1852-1912' にもこれとおなじ、反抗的な側の肩を飽くまでもつ偏見がみられる。徳川の忠誠へ、陰湿なまでに疑いを向けるくだりにそれがよみとれる。)
彼らの文化では忠誠性を示すよりも、権威や権力へとかく深い意図があろうとなかろうと反抗的であった場合に、名声を得る状況を経たからだろう。

 これらの文化的気質差が、現代社会でもある程度より生きている傾向は否定しきれない。かつ、もしそこに文化のちがう点があるとすれば生き残りの面から、系統のちかい種にとってむしろのぞましいものかもしれない。つまり文化差が「国」の単位にあることそのものは、それらの間に協調性があるかぎりでのぞましい。今日でいえば経済的共通基盤がこれにあたるか。

 また男性にあって、女性より過去の数万年におよぶ淘汰の結果、上下関係による競争的な秩序をつくりやすい傾向が進化論のわくぐみで指摘されている。集団行動での狩り、戦争、資源獲得への競合が、うまれつきの性差にそういう心理的規制をしてきたかもしれない。
 よって総合的に判断して、権力や権威への忠誠が機能すべきところに身を置くことが、茨城県に長く暮らしてきた人達にあう可能性がある。同時に、「優れた指導」で命令を下すことによって、放任状態では目立って来ない潜在的な能力が十分に開花される可能性がある。
これらの特徴はどちらかといえば男性社会的な傾向かもしれない。つまり集団行動がよい成果をあげる場面も多い可能性がある。

追記: ひとことでいうと、茨城県では「お雇い外国人」による成果があがりやすい条件がそろっているのではないだろうか? たとえば鹿島アントラーズはこの成果モデルといえる。優れた指導者をまねくことで、全般的な性能があがる、というeducationalな効用が、ほかの反抗タイプの文化でよりも、忠誠的な茨城県域では高いはずだ。できるかぎり、指導部には超のつく優秀な人材を置く。これが常陸国の潜在能力を十全に発揮させる骨かもしれない。勿論、指導力がきわめて優れていれば国内の人がかしらでもよいわけだが。
 現在までの状況をみていると、水戸藩の歴史からこのかしらの最上位には天皇陛下が当たっている。問題はそのあいだにどういう指導者を置くかだろう。これをといなおすちからをふくめて、自分の経験上、戦勝国であってかつ利害に鋭敏な英米系の人材を活用する、ということが日本人の勤勉な特性を活かすのにも重要な部分かとおもう。できるだけ英米系の人材を、茨城県内のひとびとがやとわれているさまざまな企業や組織の司令部に入れることができればいい。これで相当状況が改良されるとおもう。
 特にちかごろ命題みたいになっている魅力度、とかいう矢野新一が流してる風説への対策だが、英米系の、いわゆるアングロ・サクソンのアート・コンサルタント的な人物を採用して全面的な指導力を発揮させれば数年で東京や横浜を抜くのではないか? 自分の個人的な感じだと、ロンドンみたいな都市に、立地の似ている水戸をちかづけていこうとすればできそうなので、また「忠誠」という共通の価値観をもっているイギリス人のそういうひとをもちいればいいのかもしれない。たとえばダミアン・ハーストやバンクシーとか先端的なアーティストを県が直接雇って、県内のさまざまな装飾や環境づくりをさせる。或いは妹島氏を広域都市計画や個々の大規模公共施設設計の基本的な監査役; マスターアーキテクトにする。

2012年7月11日

否定すべき集団主義教育と肯定すべき習熟度別学習

 滋賀県の大津中学校のニュースをやってるけど、自分の経験上、義務教育レベルの公立学校は行かない方がいいと思う。いやだとおもったらすぐやめて、自宅で自力で勉学を続けるか、学習塾に行くか、私立に籍を置く、最善のときは家庭教師を設ける、このどれかだろう。
 古典的には有閑貴族が師弟をあつめて学校にしたパブリックスクールの模倣なのかもしれないが、日本のバージョンは軍隊教育的な集団主義のうえ、非常に質が低いというのは疑うべくもないし、統計的に不景気の際、貧困層の子が憂さ晴らしに弱いものいじめする、という法則がある様だ。憲法に於いてさえ、といっても憲法には処罰規定はないから理想をうたう空文ともいえるわけだが、そこでの義務というのは親が子供へ普通の教養レベルをあたえる、という意味であって拷問するという意味でもないし、集団主義に適応させろというわけでもかならずしもないはずだ。死ぬくらいなら単純に行かない方がいいし、苦しいだけなら行かなくていい。

 すべきことは最低でも「読み書きや計算ができる程度の教養」をつけておくことだ。これがないとおそらくどんな職業もできず、将来きわめてこまるからだ。これができれば、無理そうならほかは省略していいともいえる。
 寺子屋式、公文式に習熟度別の学習をさせられないとしたら、その公立学校のつくりかたが粗雑だからであって、子に責任はない。遺伝子や生育環境や個性にちがいがあるかぎり、習熟度は子供すべてがかならずわかれているのだから。そういう習熟度に応じた学習を、子がもっともしやすい環境でおこなわせることが、親の義務なのだ。

 学校の中でどんな校内犯罪が現におこなわれているかへ親が飽くまでも無知だった場合、子にできるかぎり説得する、警察へ110番する(電話で110とかければよい)、それでも駄目なら親戚をたよって家出してでも行かないほかないとおもう。親に自殺するくらいなら行かないと説得して、理解のない親だった場合はそのことさえ警察に相談してしまうべきだ。これは親による子への自殺教唆罪ともうけとれるから、親が刑事罰の対象になるかもしれないから。
 現時点では校内犯罪を裁く、という機運がないかぎり、子供がみえないところでおこなっている犯罪はおおやけになっていない。こどもあつかいして済ませてしまおうとしているのは単に親が無知なだけだ。なんでもいいから、成人する20歳になるまではかくしごとをせずに親におしえてしまう、暴露してしまう方がいい。保護者の義務というものがそこにはあるのだから。

文部科学省の相談窓口はここから地域の教育委員会にかかる様になっているらしい。
24時間いじめ相談ダイヤル 0570-0-78310 (なやみ言おう)

 教育委員会も閉じた組織の可能性が高いので、場合によっては国際機関にまで相談すべきだとおもう。
 国連の末端にあるユニセフの学校相談窓口などへ相談すれば、もしかすると日本語だけでも外部のひとに情報がつたわるかもしれない。
学校事業部
メール se-jcu@unicef.or.jp
TEL:03-5789-2014
(受付時間:9:00~17:00土日祝日休)

ユニセフ本体へのEmail
http://www.unicef.org/about/contact_contactusform.php へ
でも、かりに日本語で書いたとしても、国連のなかのだれかに情報がつたわる可能性がある。子供の権利条約という日本が批准している条約のなかには、第37条に「拷問の禁止」がのっている。
 締結国としては校内での暴行罪や傷害罪、名誉毀損罪や誹謗中傷罪を放置しているとしたら、その学校長ならびに直属の教員と関係各者と加害生徒と加害生徒保護者とが法人格として刑事罰を受けねばならない。こういう原則を裁判で適用すると、今度は加害隠しがおこなわれる確率が高いので、重要なのは証拠をあつめてメディアを通じてきちんとおおやけにしていくことだ。犯罪の隠蔽そのものが悪なのだ。
 ネットを介した同様の犯罪にもゼロ耐性でこたえていくしかない。放っておくほど犯罪者の側は増長するからだ。少しでも犯行があれば厳罰をくわえる覚悟がいる。

 日本の組織は「内向きの輪」いわゆる和というイデオロギーで、すさまじい悪さを隠蔽するしくみになっている。すべて、国連に相談、テレビ局や新聞社でもいいが、できるかぎり開かれた外へとおおやけに発言をしつづけることしかこれを緩和する方法はない。

2012年7月8日

常陽藝文2007年12月号「茨城県誕生」

http://rekishinosato.com/essay2_1.htm 
https://web.archive.org/save/http://rekishinosato.com/essay2_1.htm より

常陽藝文2007年12月号「茨城県誕生」特集に誕生の経緯の記載がありましたので紹介します。
――
明治2年6月の版籍奉還の時点で茨城県域は14藩があり、すべて藩主が藩の知事に任命された。14藩は水戸・土浦・笠間・古河・松岡・石岡・下館・結城・谷田部・志筑・牛久・宍戸・下妻・麻生の各藩であった。この中で谷田部が消え松川・龍崎の2藩が加わって明治4年7月14日の廃藩置県の時は15藩が存続していた。中央政府は政府の権力を強化するために、薩摩、長州、土佐の3藩の武力を後ろ盾に「廃藩置県」の詔書を出し、各藩は抵抗せずにこれを受け入れた。茨城県域の15藩は、この廃藩置県でそのまま15の県(正確には若森県(旧天領地)を含め16県)となった。その年の11月13日にこれらは3県に大別された。すなわち茨城県(県北・県央)、新治県(県南・鹿行)、印旛県(県西)である。県庁はそれぞれ水戸・土浦・千葉県印旛郡に置かれた。この時はじめて「茨城」という名をもつ県が誕生したのである。(今でも11月13日が県民の日である)。明治6年7月に、茨城・新治の両県を統合して新たに「石岡県」を設置しようとの案が政府内で検討されたが実現はしなかった。明治8年5月7日に新治県が廃止され、茨城県と千葉県に分割編入され、逆に千葉県が管轄していた一部の地域が茨城県に編入されて現在の茨城県域が形作られた。結果的にみて茨城県は旧水戸藩を中心にその他の藩を吸収してまとまったと言える。茨城県の県名「茨城」は水戸が茨城郡に属していたことからそのまま県名になったものとされるが、茨城の語源は、奈良時代の「常陸風土記」の冒頭に「古は常陸とはいわず、ただ新治・筑波・茨城・那珂・久慈・多珂の国といった」というような意味のことが書かれている。この「茨城」の読みは「うばらき」とするのが研究者の間では一般的になっている・・・(中略)・・・この後、風土記に記されている二つの説を紹介している。ひとつは黒坂命(くろさかのみこと)が服従しない者たちを悪賊とし、外に出た時をねらって、茨棘(うばら)を住居である穴ぐらにしかけて馬で追いたて穴に戻ったかれらが茨棘のトゲに傷つき死んでしまったもの。もう一つは茨(うばら)で城を造ったというものである。これは先に記載した内容と同じである。藝文では「茨城」の言葉の由来に定説はないとされ、さらに次のように記載されている。「風土記の二つの説話には、現代の地方立脚の見地からすれば受け入れがたいものがある。黒板命が征伐したのは、大和朝廷にとっては悪賊であったが、地方の側からすれば土着の先住民である。まさに中央史観、一方的な見方だが、風土記の成立事情を考えれば、むべなるかなと言える。・・・何しろ、中央集権化を進める明治政府が、地方支配をより強固なものにするために新たに設けた行政区画の名称である。それは中央集権化の象徴として政府関係者があえて用いた名称であったかもしれない。」また水戸は県庁はとったが「水戸県」の名称の実現はできなかった。
――
としている。(2007.12.1追記)

2012年7月7日

茨城の名称と北茨城の向き

 欠点を解消する、という意味で茨城県自体が名称を変える、のが一つの決定的な改良点かもしれない。
 茨城は奈良地方の豪族、いまの皇室の祖先(くにさかのみこと、黒坂命、とされる)が一方的に侵略して土賊を滅ぼしたという『常陸国風土記』にもとづく名称であり、現代水準でみれば皇族の侵略的犯罪行為への言及という意味では忠誠心と反抗心という二重の意味合いをもつ。
明治時代をとおして、やがて茨城町へ県庁を移した際に敷衍したが、茨城という名称そのものを否定してしまう方が印象論としては好都合だったともいえる。『常陽藝文』2007年12月号「茨城県誕生」特集に、帝国主義に傾いた明治時代の中央政府が主導した名称付けらしい、とある(*1)。なので、現地からの目線、いわゆる専守防衛(当時のいいかたでいえば尊皇攘夷)の側の主義を否定しようとした可能性があると私はおもう。
 明治以前、茨城という名前ではなく、単純に常陸国水戸藩、あとはそれぞれ個別のなまえで呼ばれていたわけだ。

 名称変更は多大な経費がかかる。たかが矢野新一というひとりの風説流布者からの、情報テロにさからうために県名さえ変えるというのは合理的かどうかわからない。慎重に考える必要がある。
いわき市が平(たいら)という駅名をいわき駅に変える、あるいは磐城という表記をひらがなにした際にどれだけの経費がかかったかを参考にできる。看板や形式的文章一切も変えねばならない。
 だが、大阪がさわいでいるその名義変えの時期に一緒にやってしまうと、現地のみならず中央からみて好都合という場合もしばしばあるかもわからない。

 そもそも、茨城町へなぜ水戸から県庁が移されたのか? 県政史にくわしい方ならわかるとおもうが、自分はまだしらない。
 そこで、もしこの過程へたずさわった公務員らに深い考えが無意識にでもあればだが、二重の意味合いをもつ、なかば「新官軍」なるものへの皮肉もはいっているといえる「茨城」の名称地を知的にえらんだ可能性もまったくなくはない。事実、古来の皇族には容易に理解できる話だが、日本史や小説レベルでも常陸国の縁起によっている尊王心そのものがshogunateの絶対主義的な側面そのものと誤解されてもっと俗説にまみれているわけで、この次元の理解ができるひとは、それなりに水戸学系の大日本史をはじめとして朱子学を日本化した哲学・形而上学が分かるひとたちだけだろうけど。

 皇室はさすがに、大国の歴史的伝統もあり、水戸藩に於ける勤皇の証明もあり、で「茨城」という古来の皮肉もあり、そういう茨城県という名をそう軽視されないだろうけど、矢野新一程度の江戸っ子あがりは普通にしがちだ、と経験上も感じる。江戸という新興商業地へ大阪から家康に誘導された商人らの末裔は、きわめて表層の見栄しかみないうえ、これは『人国記』にも記載されてるが武蔵一帯に驕りの気象があるので。江戸時代さえこれのゆえに副将軍なる伝説をふくむ、質実の続柄がこっちにまわってきたわけだ。
 この迷惑をこうむるかぎりで、茨城県は、もしくは北茨城市もそうだが、茨城という名称をさけてふたたび、『常陸国風土記』からきている常陸という自分たちでつけたよい意味をもつ名前に返すか、別の名称、例えば水戸あるいは企業であるHitachiの知名度をもちいるために水戸県かひたち県にしてしまうかだとおもわれる。
 名は体をあらわす、なることわざもあるが、水戸県とすると全体がやはりこれまでの水戸藩の歴史をせおうことになる。これはこれで剛毅な姿勢で、古くから筋の通った一貫した印象もあり、たとえば東京や横浜といった新興の名義よりむしろ格好はいいとおもうが、佐竹時代との干渉を避ける為によりあたりさわりがない方でいえばひたち県、となるかもしれない。
すくなくとも、Hitachiという企業は現時点で国内最大の重工業系の機械製造業者だし、今後はおそらくさらに拡大するだろうから、ひたち県という名前にすると国際的知名度は最初から非常に高いだろう。客観視して、水戸よりむしろHitachiという名前の方が一般的知名度は世界的に高いとおもわざるをえない。

 常陸県日立市かひたち県日立市か、こういう名称が起きえると、多珂とよばれてきた県北一帯の高台の一部を日立と命名した水戸黄門は予想しなかったかもしれない。しかし、わかりやすさと印象からいうと、茨城県というよりは常陸県のほうがやわらかい。
 もうひとつの策とかんがられるのは、茨城のままでも、ひらがな表記を採用することかもしれない。いばらはBrierというのが直訳になるが、のばらのことととらえていいだろう。とげのついた野薔薇を強調して古語でうばらとかいばら、と呼ぶ。いばらき、をひらがな表記するとbrierの意味合いがより緩和され、ばらつまりroseの印象にちかづく可能性がある。
バラは若者に一番人気の花という。実際、真紅の場合は特に若々しい印象がある花。
 しかし、いばらき、という命名の根幹がいばらによる騙し討ち、なのでバラをつかうとしても、そのままで印象をよくするのはむずかしいかも。

 自分の総合的意見としては、県花がバラでもなんら問題はないとおもうが、茨城という名称をきっぱりすてて、ゆたかな水辺で衣が濡れること(ひたし)とかひたすら陸の道なので、という語源によりちかい、しかも常陸国風土記の成立からいっておおむかしの地域の民がみずからえらんだ「ひたち」の名称を採用しなおす方が合理的におもえる。
 県民アンケートをとるというのも参考になるかもしれない。水戸黄門ご自身は、ひたちを日立、つまりorient(日の出ずるところ)の意味で再解釈されたのだろうけど。実際、この地域でくらしていて日の出の清心な印象がきわめてつよい。清らかな朝というのが日々存在する。
太平洋からのぼるので、真新しい太陽という感じが強く心に刻まれる。これは陸の方から朝になってくる武蔵国や相模国ではえられない心象らしい。太平洋側にくらしている、ほかの青森、岩手、宮城、福島、千葉にももしかすると共通の感覚かもしれないが。

 都道府県のわくぐみをぶちこわして、より広域な自治体に再編する、という意図は大阪がああいう行動をしだして少し下火になっているが、もしかするとそういううごきの際に期を見計らって「ひたち」という名義にかえすと、そもそも名前しかきいたことがないというひとが過半数でしかない印象論も、たったそれだけで改善される可能性がたかい。
 水戸県にする、という案もあるのはたしかだが、水戸の希少性がへってしまう部分も出るかもしれない。同様の理論は、宮城と仙台、神奈川と横浜、兵庫と神戸のことにもあてはまる。つまり、地域の文化的な特別さをともなうところでは特殊な名称をもっているのも個性をつよめる方策でありえるかもしれない。

・・・

 さて単純に県名をまねて最北端だから北茨城市になったこの領域については、きたひたち、ひたちきた、どちらかに変えるか、『新人国記』の地図にどうやら名称のある古い名前の足洗に変えるか、中心街の磯原という名前を有名にする方針でいくか、どれかだろう。あるいは、市街の構成から中心地とはいえないが、地味にいつうら、五浦という名前も岡倉と関連して意味をもっているかもしれない。
 自分の感じからいうと、将来、日立市のなかに北茨城市の部分まで編入されていく方が広域行政として合理的だと見ている。この日立市、高萩市、北茨城市は一定の県北独特の共通性が、立地条件からかなりある様におもえる。事実、市区町村令までは、常陸多賀や山脈に名をのこしている多珂(たが・たか)という名称でおおまかにくくられていた、と考えていいだろう。高萩、たかはぎの名称はもしかすると、多珂を直系でひいているのではないか。
 この三つの市の個性としては北茨城市がもっとも素朴で、日立市がもっとも都会化されており、高萩市は中間的なのだろうけど、文化面ではきまじめさが似通っている。日立市のひとのなかには出稼ぎ労働者が多いこともあるだろうが依存的なほど東京方面だけを見ている人が多い様だが、文化のつくりかたとして、北茨城市はむしろ東京ではありえない方向性をあえてさぐってきているとおもえてならない。北茨城論みたいなはなしだが、実際、先人はやみくもな都会化からの避難地や隠遁の場所として、大都会ではありえない安全地帯としてこの一帯へ再帰した様な形跡がある。
 それは住んでるひと、訪れたひとも関東圏の極北だけあってわからなくはないとおもうけど。何度かきている証拠のある皇族さえ、こられたかたには感覚的にわかるんじゃないだろうか。しかも、有名じゃない分だけまったくもって俗化していない。
軽井沢とか那須とか、観光客や別荘が多い北関東圏のそういう静養地系の場所ともそこがちがう。正直なところ、葉山や大磯、鎌倉なんか典型だが皇族や政治家が御用邸をもうけると周囲は俗化してしまう形跡すらある。
要するに、「僻地のよさ」を求めてここにきたり、定着するひとがかつてから地味にいるのだ。そしてそれは大都会志向、いわば中央主義とはかなり差がある心地だ。

 常陸国の最北端には独特の素晴らしいよさ、特に文化をふくむ自然環境の繊細な美があるのだが、それは中央主義や大都会志向とはきわめてちがったよさであり、美しさなのでそれがわかる人はすくない。茨城という遠目にかならずしも印象いいとはおもえない名称をもってる方が、意図的に人を遠ざける結果内々そのよさが庇護される、という忌避性の効果も鑑みねばならない。そしてそれは訪れたり過ごしたり暮らしてみたりしたことのない人には決してわからない種類のよさ、遠目には永遠に理解できないよさなのだ。
 沖縄や北海道、あるいは京都、横浜もしくは東京という観光地化をすすめた自治体は、いま自分が書き記した種類の加護された審美性からどんどんとはなれていくだろう。観光客でよごされるという方向性は、自分のおもう私たちの地域の本来のよさを活かす道ではないかもしれない。
 さっきもだした軽井沢みたいに別荘地化するという方向性もあるにはあるが、それはそれで成金が休暇ではした金を落とすといった俗物根性の到来も意味しかねない面をともなう。かつ、いわきへの交通量からいって秘境というほど山奥ではない。
 結局、心情的に日立、水戸、あるいは磐城に感覚的な近さをもっているが、北茨城市のあたりは自分がおもうには独自の道を行くしかない。それはさっきかいた、よい意味での「僻地のよさ」にあるとおもう。有名じゃない方がいい世界もあるわけ。このあたりのことわりは実際、文化行政に関心ある、一定より教育されたひとは市内でも共感できなくはない部分だとおもうけど。教育面でも理想化された素質のよさ、country gent化、素朴の純粋性みたいなもの、ある面ではかばわれた高潔さ高級性が結晶されていけばいい。それは環境づくりに関しても同じで、名称の方向性についてもそれをかえりみればいい。大都市性にくらべれば、いやおうなくそうするしかないこともある。

一切、我々は大都会、特に東京圏にはおもねらない方がいい。完全に東京ではよい意味でありえない文化をつくりだすべきだ。
我々からすれば、東京は大衆化されていて凡庸なうえもっとも堕落した都市であって、完璧に反面教育にしかならないし、しない方がいい。そしてこの姿勢でいるかぎり、商業上のつながりもあってもっと東京へ実質親和的な、仙台都市圏ともちがう世界が、いまの北茨城市圏ではかたちづくられるはずだ。
 もともと西日本の世界とは文化の根本原理がちがう、というのはよく感じることだ。
我々のもっている種類のきまじめさ、あるいはキリスト教的な意味での純潔性や安定した家庭環境が前提にある社会条件というのは、東海道の影響できわめて意識が商業化した東京や横浜もそうだが、自分のしるかぎり西日本にはほぼ皆無であって、防衛者としての職分が実質空位化してきた皇室の系譜が土着した時代の長さが影響あったのだろうが、北陸や中国地方にまで甚だしい文化的一帯性がいわゆる京阪神の領域からつながっている。
しかし、われわれは大変とおい僻地にあったので、この文化的影響はほとんど皆無にちかしい。そしてそれは近代以後はまったく有利かつ有徳な条件なのだ。

 われわれは既存のアジア地域の模倣の染み込みが足りない分、ふりかえりもせず、ヨーロッパや北欧、そして米英の優良策をみていればいい。これが自分の意見だ。
それによってこれまでの汎アジア的な西日本文明とはまた趣味のことなった、独創性をわれわれは発揮できることになるだろう。それでもわれわれの居場所は完全に東アジアではなくなったり、人種的にさえ全体数がまったくアジアの人ではなくなったりもしないはずだが、すくなくとも西洋や米英の世界とそれほど致命的にちがいがない、個人主義によりちかい文明が築けるはずだ。そしてこの姿勢であるかぎり、異系配偶という生物の強壮につながる人種的な多重性を尊重しない、誤ったnativismや軽々しい暴力にたよった移民排斥の排外思想とも別れられるだろう。

 この脱関西文化の意図は、忌避性のある名義は逆説的に警戒色に似てもいて威嚇的効果もともなう可能性があるので、その利点だけを既存の日本人社会で活かすべきであり、単位時間あたりの婚姻の頻度を抑える結果としての常態的人口密度の低さをむしろ文化的高貴化に向けるべき、かつ地理的条件の袋小路さを既存の国内社会からの交通量より新規な親善外交にあてる方向性があたまがいいということだ。
 いわゆる開放貿易への適応とも密接に関連している。なぜなら、輸出國となるだけの条件は農業生産性のたかさにはある。農作物すなわち食糧を自前でまかなえるほどエンゲル係数はひくまり単位生産性は高まりえるのであって、勤労によって他の生産物の輸出にとっても有利となるはずだ。これからは消費地としての東京を見ず、直接海外との通商をすすめていけばいい。

 特に中国や朝鮮との渡来文化を摂取してきた西日本人からは後進的に見える、アジア社会の悪い面が深く染み込んでいない、というわれわれ僻地の条件は大きくみればより先進的なヨーロッパやアメリカの文化を取り込むのに刷り込みがない分だけ確実に、偏見のないだけよいところだった。だからうしろをふりかえらず、イギリスやアメリカやフランスという世界大戦の先勝国を注視し、深くつきあい、こちらからも文物をふくめて輸出すればまたそのよい点をとりいれて自分のものにしていけばいい。
 財政力や経済規模からいうと、普通に現状維持でいければそこらの中小国家かそれより大きい程度の自治体なのが茨城県という単位であり、この北端としてなすべきことは前例のおおい芸術でも美術でもいいが、文化面で最上位にある人をできるかぎり沢山かき集めてはなさないことだろう。
 われわれは経済力という面から茨城県そのもの、ひたちのくにへ貢献するほどの人口のおおさとはちょっといえないし、つくば付近の県南の方がどんどん都内からの移住者があるだろうからその面では期待できるとおもう。
単に、地域としてわれわれにできそうなのは、東京ではない種類の文化的な優秀性を全般的に発揮し、これは結局人材の集積がすべてだとおもうが、一石を投じるばかりか首都圏にあって東京より茨城がわのほうが文化的に高貴性をもっている事実をさらに構築していくことだ。実際、大衆文化に流されてしまう商業地が貴族さとか希少性をもつことはむずかしいので、意図して高貴化をめざすだけで十分為しえる話になるだろう。

『日本美術発祥の地』ということばがある。これはいまの市長がいってたが、いいすぎでもなんでもなく、まさにそういうことだ。こういう決定力のある主張を、東京みたいな陸でなしのあつまりは放っておいてばんばん自分らだけで世界中へ宣伝して自慢していいまくるべきだ。
岡倉天心という人物が日本美術院をつくって定着したので実質、ここが日本美術なる考え方の発祥の地というのがまったく哲学的にあるいは歴史的に正しい。それまでは対外的な独創性を主張しない、大和絵とか唐絵とかそういう内向きの言い方でしかなかった。体系的に理解や分類されてもおらず、岡倉の『日本美術史』でははじめて整然ととらえられる様になった。
西洋の美術思潮に対して日本美術の独自性を主張する、というアイデアはたしかに、まちがいなく、あのいつうらの六角堂で岡倉天心がたったひとりで考えついたらしきもの。そしてそれはおもいっきり西洋美術のまねをしだした明治の中央政府とは全然ちがう向きだった。これゆえに、明治画壇でも概念的にも日本美術院所属組の人達の仕事は希少さや高貴さを保っているといえる。個人主義の文化とはこういうおはなしをいうのだとおもう。
 よい意味で変わり者や変わり種に寛容である文化は、つまり他人の害のない行動は放っておいてくれる文化はそれだけ独創性をつくりだしやすくなる。
岡倉天心を中央美術界から排斥した明治政府の集団主義は、北茨城市にまでは力をおよばさないでほしいとおもう。ほうっておいてくれればわれわれはうまくやれるはずなのだ。ロンドン市庁舎みたいに後代に設計図どおり再建しただけで日本美術発祥の地の文化財登録を解除したんだからどんな中央文化かしらんが、もうできたらほうっておいてください。
わざわざ、愛想わるいなまえ名乗ってるくらいなんだからもう二度とこないでくださいね。一見さんすらこないでください。

―――
��1
http://rekishinosato.com/essay2_1.htm より引用
��~~以下
 常陽藝文2007年12月号「茨城県誕生」特集に誕生の経緯の記載がありましたので紹介します。-明治2年6月の版籍奉還の時点で茨城県域は14藩があり、すべて藩主が藩の知事に任命された。14藩は水戸・土浦・笠間・古河・松岡・石岡・下館・結城・谷田部・志筑・牛久・宍戸・下妻・麻生の各藩であった。この中で谷田部が消え松川・龍崎の2藩が加わって明治4年7月14日の廃藩置県の時は15藩が存続していた。中央政府は政府の権力を強化するために、薩摩、長州、土佐の3藩の武力を後ろ盾に「廃藩置県」の詔書を出し、各藩は抵抗せずにこれを受け入れた。茨城県域の15藩は、この廃藩置県でそのまま15の県(正確には若森県(旧天領地)を含め16県)となった。その年の11月13日にこれらは3県に大別された。すなわち茨城県(県北・県央)、新治県(県南・鹿行)、印旛県(県西)である。県庁はそれぞれ水戸・土浦・千葉県印旛郡に置かれた。この時はじめて「茨城」という名をもつ県が誕生したのである。(今でも11月13日が県民の日である)。明治6年7月に、茨城・新治の両県を統合して新たに「石岡県」を設置しようとの案が政府内で検討されたが実現はしなかった。明治8年5月7日に新治県が廃止され、茨城県と千葉県に分割編入され、逆に千葉県が管轄していた一部の地域が茨城県に編入されて現在の茨城県域が形作られた。結果的にみて茨城県は旧水戸藩を中心にその他の藩を吸収してまとまったと言える。茨城県の県名「茨城」は水戸が茨城郡に属していたことからそのまま県名になったものとされるが、茨城の語源は、奈良時代の「常陸風土記」の冒頭に「古は常陸とはいわず、ただ新治・筑波・茨城・那珂・久慈・多珂の国といった」というような意味のことが書かれている。この「茨城」の読みは「うばらき」とするのが研究者の間では一般的になっている・・・(中略)・・・この後、風土記に記されている二つの説を紹介している。ひとつは黒坂命(くろさかのみこと)が服従しない者たちを悪賊とし、外に出た時をねらって、茨棘(うばら)を住居である穴ぐらにしかけて馬で追いたて穴に戻ったかれらが茨棘のトゲに傷つき死んでしまったもの。もう一つは茨(うばら)で城を造ったというものである。これは先に記載した内容と同じである。藝文では「茨城」の言葉の由来に定説はないとされ、さらに次のように記載されている。「風土記の二つの説話には、現代の地方立脚の見地からすれば受け入れがたいものがある。黒板命が征伐したのは、大和朝廷にとっては悪賊であったが、地方の側からすれば土着の先住民である。まさに中央史観、一方的な見方だが、風土記の成立事情を考えれば、むべなるかなと言える。・・・何しろ、中央集権化を進める明治政府が、地方支配をより強固なものにするために新たに設けた行政区画の名称である。それは中央集権化の象徴として政府関係者があえて用いた名称であったかもしれない。」また水戸は県庁はとったが「水戸県」の名称の実現はできなかった-としている。(2007.12.1追記)
��~~以上

2012年6月30日

いそはら中央公園のあたりのimage

 中央公園はかなりよくなってきた。利用者も、中心市街だからこどもをふくめておおい。運動・sportに関する潜在的もとめはやはり、あったということ。

 たとえば多摩川ぞいとか、かなりのはばの遊歩道がずっとつづいていて、つねに散歩するひとがいる。これにはよい点とあらためるべき点がある、とみえる。
 ひとつよい点は、遊歩道がかたむきのゆるい傾斜路・slope状になっているので、あしの不自由なひとでも散策できること。これはまねてもよいとおもう。
 あらためるべき点は、こういうみちにすると今度は自転車ではしるひとがでてくる。そうすると、歩行者と接触しやすくなって事故がふえてしまう。だから自転車専用の路面を、はっきりと色を分けて、なおかつブロックで区画する。こうしてはじめて自転車での走行もできる、としなければいけない。もしくは、それだけのはばのゆとりがなければ自転車での走行は不可、としておくほうがいい。

 あの地区公園に関してさらに改良すべきところがあるとしたら、やはりボールあそびする子が車道にまで迷惑をかけないように数メートルのたかさのフェンスを、道路ぞいにおこなうことだとおもう。これは普通に死亡事故にまで発展しかねないので。
 さらにこまかくいえば、既存の教員住宅のまどからのながめと、散歩者の干渉をよわめるために、そのしきいの部分にめかくしにもなる、笹あたりを植えるとかだろうか。夕暮れ以降にも教員住宅のひとは、窓をあけておくと公園利用者と干渉してしまうはずだ。

 まず中心市街地で再開発状にやってみた型を、まわりにひろげていけばいいとおもう。校庭を芝生にする、ってこともそうだろうし。大津あたりはこれから、市役所の計画どおりにすすむなら病院がかわるとおもうので、下水状になってしまっている川とかは景観によくもないから、といって地下化すると虫がすみついたりしがちなのかもしれないが、なんらかのかたちで再生すべきだとおもう。

2012年6月2日

海浜公園のidea

ひたち海浜公園は、早朝に営業する工夫をすると遠出の客にとってもなんらかの付加価値があるかもしれない。
 あの有名な丘をのぼったところで見えるものが港のコンクリートのへりや東京電力の火発くらいだとおおきな感激はないかもしれない。立地的に人工の景物を取り除くのは不可能だから、朝日が出る瞬間をあそこからみられれば名所になるだろう。

2012年5月16日

学問の分類と考察

学問ということばは、英語では単にlearningなのかphilosophyなのか、およそ昔からある日語であらわされた漢語だけど、おおまかにいって、実用さをもったものとそうでもないものというのがかなりひろくあるかもしれない。

 実用さ、つまりつかえる知識というのは、究極でいうと工学かもしれない。
単なることばの定義のはなしだけど、代表的なのは医学・法学・建築学あたりかもしれない。これらは、それぞれ医師・弁護士・建築士という技術職にむすびついている。だから応用を前提にしているふしがある。*1

 あるいはもう一方のわかりやすい定義として、自然界の「物」をあつかう学資は具体的といおうかつねに応用がきくはずなので、これを実用の学識といっていいのかもしれない。語本来の意味でPhysics、つまり具体的な学。
この日誌でくりかえしだすが、もっとも基本な科学は、いまの段階では数学・物理学・生物学。もう一歩ひいてみると、数学・天文学・物理学・化学・生物学・社会学という6分野ではないかとみえる。
これらは、いわゆる古代ギリシア系のリベラルアーツもそこにおおまかに含まれている。*2

 ここで、われわれは歴史からいうと慎重にならなければならないわけだが、こういう学問のかたにはまった定義というのは実にあやうい。世界の状況が変わると、あるいは人種といおうかことなる知的生命のうごきとつながると一気にまなばれるべき体系がきりかわったりするわけだ。*3
儒学というか、朱子あるいは王陽明のかんがえを経由した特定の中国経由の古典理解。これがほとんど極東のあちこちでは普遍性のある学識だとおもわれていた時期が相当ながかった。
論語にいう六芸や四書五経は、特に馬術や弓術なんかは新型の兵器が多数できているいまでは戦闘準備としても単なる古典芸能にちかい競技に属しているか、それをこえてはあまり本気で重視されていないが、日本ではつい200年あるいは中国大陸で4000年さかのぼればそれが君子や武士に必須か、さもなければ古典的な権威でさえあった。
事実上はその派生とみた道教の知識なんかも仮にいれて、それら儒学というものを近世の水戸学が思想とみて大成したのかもしれなかったろうけど、仏教関連のいくらかの漢文から二重に翻訳または日本の人自身に解釈されたなんらかの文献と一部の国学系の和歌論・古事記論くらいが つて だったといえる。
つまり学の体系というのは決して決定的ではない。いつもゆらいでいたり、進歩と信じられてはいるがかなりの変化のあいまにある。この原則は、西洋であろうと中東であろうと中国やアメリカ、オセアニアであろうと星中や、その外でもやはりそうなのだ。近現代はやりのといおうか熱力学の用語でいうと、非平衡開放系みたいな構え造りをもたされていて、いつもなにかが出入りしているというしくみだろう。

たとえば、スコラ哲学というものがそういうくびきだった時代を「中世暗黒時代」とよぶ西洋系の教育機関は、それよりもむかしにジーザスがあらわれるまえまで極西ではほとんどユダヤ律法しか学問がなかったすさまじさというのを冗談でなく当然しっているはずだ。
古代ギリシア人の記録がひろくラテン語で翻訳されるずっとまえ。いまでいう西アジアのいろんな書物をばらまくことになったアレクサンドリアがあちこちにできあがってくるその少しまえ、こういう状況は、中国で孔子というひとがそれ以前に断片的につたわっていたさまざまな書物を集大成しようと地味に中国大陸の諸国を漫遊しながら勉強していた間でもやはりおなじだったのだ。

 要するに、ソクラテスの無知の知までさかのぼって言ってもこういう、「自然」以外の、自然のあとにあるといわれている学識は、形而上学とか哲学とか先進国圏ではいわれている分野だけど、はっきりいってきわめてかわりやすい。もっと日本の近代受験制度でもわかりやすいことばにすると、文系はほとんど内容がかわりまくる分野というほかない。

曖昧かつ不確かで、うらぎりがおきやすいうえ、いつも相互の意見への問答無用な非難合戦場みたいな異様な状態なので、ほとんどそこでつかわれている専門用語や常識みたいなことばづかいさえまず信頼してはいけないほどである。
といおうかほとんど慣習でしかないあるおもいこみでしかない、とさえいっていいのが人類の経験則としてもまずまちがいない。

それらのはなし、つまりmetaphysicsやphilosophyはたしかに、かなりまなぶのさえむずかしかったりするが、実際にはまなぼうとするほどむずかしさがたかまっていくだけでなんら普遍性をもってはいない。はっきりいうと、まがいものの学問、つまりはなんにもならない罠なのである。
『徒然草』に、とりあえず人後におちて負けて無能であれと吉田兼行はいう。これさえなんのことはない、形而上学のはなしであるかぎりは虚偽にすぎない。真に無能ならば随筆など書けたはずがないのだ。

あるいはまた、ウィトゲンシュタインというひとが「語りえないことへは沈黙しなければならない」といった。これはそのことをいいあてている。形而上学は普遍性をもっていないので、どうせうそといってもいいしろものだから、誤解をまねくだけなのでなるだけいわない方がいいといった次元のなんでもないはなしだ。
もっと素朴にいっても、孔子が『論語』のなかで一日中ねないでかんがえてみたが意味がなかった。学ぶ方がいい、といった有名なくだりがあった。
 これは、ウィトゲンシュタインのいいたいことをはるかまえの時代にいっているのとおなじかもしれない。不思議な真実として、かなりかんがえても特に人類は得をしなかったのだ。
まなぶものが得をした。得失点差みたいなはなしで、失点しまくったとき退場させられさえしてきた。つまりは、独特の哲学のなかでくらしていたなんだかわからぬ弱い野蛮人としてそもそもの種ごとほろぼされたのだ。エジプト帝国もインカ帝国もカルタゴもインディアンの国もなくなった。日本という国がそうならないとはいいきれない。

 こうやってみてくると、法律の根拠というのも、単に経験則みたいな地域それぞれの哲学解釈なので実はひとのあたまでつくられた人工の学識というはなしになる。だから、その地域集団がよい、とかわるい、とか好きにきめているのだ。*4
それでも利害の調整のために裁判がおこったり、徴税がおこなわれたり、財産や権利や生命の集団防衛のために警察がつくられたりするのでなんとはなしに法というものができてくる。はっきりいって、おきてというのはこうやって、集団性のなんらかのおもいこみ又は口裏合わせでしかない。しかしそれは、まるで群れたおおかみのごとき未開な人類の知的水準ではだが、古今東西にかなりひろくある変な風習なわけだ。*5

はなしの本筋にもどる。

 結局、自然界というのは、人類のまわりにかなりひろくあって、それはそれらのゆれうごきにくらべて人類の個々の100年くらいの命の方がはるかに期間とみてみじかいので、人のありさまのうつろいやすさにくらべて自然界の方はほとんどかわりがない。たとえば千年前と自然はあまりかわらないが、寿命の異様にのびた現生人類のもっている社会条件はこのweblogなるやりとりのまあたらしさでもまさにそうだが驚くほどちがってきた。

自然のなかでもっとも人にちかい社会学というのは、あるいは社会科学というのはきわめてかわりやすい学識なので、ほとんどいままで一度もすばらしい完成度があったためしがないか、実験作だらけであった。
マルクスやケインズなんかどれだけわけのわからないこと、もしくはその場かぎりのことをいっているか。
しかもこの社会学なる分野はいわば自然にとってすればたかだか文字をもった人類登場以後からきた新参者であり、はるかにむかしからいまでは信仰になっている聖人に於いてなんかのばあいの様になんとかつくりあげてしまおうと必死に努力されていたとはいえ、きちんと確立されたためしが一度もない。
 しかも、社会学は教団を生む傾向があって、これは現代にちかづいてきても、まだ学派の対立とか見解のちがいとか、はっきりいってみなおろかなことばっかりやっている。共通の真理というのをみつけられていないのだ。社会学の人は、あまり共通認識というのを持てていない。北朝鮮とアメリカ、キューバと中国、ロシアとシンガポール、イギリスとドイツ、イラクとニュージーランド、これらのなかで教えられている学識をくらべても社会学はほとんどまったくといっていいほど体系がちがうのがわかる。

社会学は、偽学問とまではいわないが、分析がむずかしすぎて人のてにはおえない、もしくは永遠においつかないのだろう。社会はこうしているあいだも、だれか他人によって変化させられた可変ルールの世界だから。
社会をなんとかおおまかにとらえようというこころみはあったとはいえ、ハイエクのことばをひけばpatternつまり型にはめようとしたくらいが関の山だしそれも要はだれかのかんがえのとおりに人を機械化しようとしただけなかぎり、ただのまちがいなのだった。

 以上の議論のすすめかたからいってなにがいいたいか。
 社会学の不完全さ。そうだが、同時に、その社会という特殊な組織をふくむ補集合である自然学、あるいは自然科学というのがもっともしっかりしていて、およそ経験的に応用もできるし、工学の基礎にもなっているので特に重視すべきというはなし。
どれですかというと、天文学・物理学・化学・生物学。では数学とはなにか、これは論理とか集合とか幾何という分野もそうだけど自然界をうまく記述するための特別のことば、というわけだ。
もっとくわしくいうと、できるだけ共通の記号でかけば、いろんな言語のひとにも通じるというわけで数学基礎論というのをラッセルらがかなりちかい時代に努力したわけだけど、要はこのためのはなしだった。

 いまかいたことが、要はいまのレベルの人類の先進国がみいだしてきた「学問」だか学習だかの意味づけだろう。
自然界という、はるかに人類よりながい歴史をもっている、法則というか現象の基本的な原理があまり変わりそうにない対象を分析して、そこから世代を超えてつかえるなにごとかの共通の真理をみつけだし、あつめておきましょうという単純なはなしなのだ。こうすれば、孫の代になろうとやはりおなじはなしができる。
燃焼というものを知っているのは、酸素や水素や炭素のあるところでくらすどんないきものにも通じる情報なわけだ。知識つまりscienceというのは、単にこういう共通情報のやりとりのことだ。
 ここでこの小論文の最後にいいたいというか、はっきりかきのこしておくけど、「なんだかむずかしそうな」「なんだかなんの役にたつかわからないから」というわけの学識というのは、はっきりいって無益有害だろうということだ。
これが人類をだますこと並ではない、ってのは人類史のいろんな事実が証明してきた。もしくは、逆にこのわかりづらさ、役立ちそうもなさが権威づけられたり、余分な努力の証としていわば中世人類の過剰な負担になってきたってのが真相なのだろう。
どれほどこういう虚学といおうか形而上学まがいといおうか、科挙なんか典型的だけど、箔づけのためだけの意味不明な体系、しかも時代の流行でかわりまくるただのことばのあそびが人類のありかたを歪めまくってきたかはかりしれない。
学者を馬鹿にしている人はこういういんちき商法そのものな占い師のことを、自然科学者とまちがっているだけなのだ。

そしてこの致命的な勘違いが恐ろしいのは、特にいまの日語で「文学」というのがあらわすしばしば勉強しない方がまだましな分野というのの存在だろう。
とんでもない悪徳の洗脳みたいな陸でもないのがはびこっていて、しかも悪質な事にむかしからそうなのだが、こういうものをまちがって学とかなづけてあたかもえらそうな顔しているのは若者や少年少女にあたえる悪影響がすさまじい。
 文学は芸事であって、いわば気晴らしのあそびでしかないのであり、それらの後追いによる分類とか解釈のための研究文章や講義もおなじだ。
文芸と文芸批評を文学ということばで示そうとしたひとはよくない。これらは、例えば福沢諭吉の『学問のすすめ』で文脈の最初に指摘されてることだけどあらためていっていい。

文芸は形式のあそびであって到底、学資に足る様なものではないのだ。どれほどやっても物珍しさという浮いた人気を買うものでしかない。どれほど行ってもただの形相の変化なのだから。学問ではないのだ。学ぶべきことは、そこにはない。どんどん変わっていく文の配列があるだけだ。

 これらをみてくれば、なにが勉強に足りるかがある程度ははっきりするかもしれない。学問というのはきわめてひろすぎることばだから。
そして、現代社会はきわめて多様化しつつあるので、これだけよめば一体、なにが人類という生命の歴史的にみて安定しておりなにがそうでないかもわかるかもしれない。
自然の変化のおそさ、に対応する様に現代の人類は進化してきた。そして学習という行動習性を利用や転用して、世代間でも劣化しづらい特有の情報系列を抽出しておく作為に成功しつつある。科学とはそういうわけなのだ。自然学なのである。
それは、うまくまとめればつぎの世代が失敗を避けたり、てばやく世界のありかたを理解できたりする特別なしくみで、人類がつくりあげてきた文化のなかでも相当役立つのがまちがいなさそうだ。

―――
��1 このなかで建築士というのはわりと新しい制度で、おおむかしまでたどると日本ではなんら制度化されていなかったので大工の棟梁というわけだった。そのかわりに、当時の社会状況で重要視された聖職者(つまり牧師や僧侶)だったり、軍師だったり、あるいは侍だったり歌人だったりした。しかし、家は人ならだれもが住もうとしてきたわけで、やはり根本的には基本的な職業といっていいだろうとおもえる。『方丈記』さえ自作のいおりでかかれた。
 古代ギリシアではarchitectというのは総まとめで制作する者のたとえとしてかぎとなることばだったし、特にその哲学のうえではつねに登場していた様だ。プラトンはおそらく万物をつくりだす神らしさのたとえとしてつかい、アリストテレスは素材をかたちにするはたらきのたとえとしてその職種をつかった。

��2 音楽は、いまでいえば正弦波による空気振動が聴覚にあたえる感覚、つまり音階の比例が一定なので、ギリシアのおおむかしはおおよそ数学の一種として神秘化され、とらえられていた。波の原理と鼓膜がまたそれを空気振動をとおして感知をする器官だとわかっていなかった時代では、なぜ音の倍数比例という一定の共鳴現象が耳にここちよいかが理解できず、神のつくった宇宙の秩序のあらわれではないかと信じられていた。ピタゴラスが代表格だけど、現代でいういわゆる楽典での音階論とかいうはなしにちかかった。

��3 これはただの空想だが、知識という体系は、辞書をひいたり単に検索してとりだすという機械やプログラムのはたらきがおぎなうことで、いわば価値としてはdeflationをおこしてはいないだろうか。「しらべればすぐわかる」知識は、そうでないなかなかてにはいらないそれよりもかるく評価されてしまいがちではないか。
 ここに、理解といおうか、その学識がわかるまでにかかる時間の差がでてくる。このむずかしさがたかいほど、体系の習得が価値づけられやすいというのが商業化された知の本性かもしれない。

��4 パスカルは『パンセ』で、これをいやみにしていっている。いわく峠をひとつこえたら正義がちがうと。

��5 法をきめるのは集団のなかの約束であり、ほかの集団との約束を契約とか条約とか盟約とかいう。

2012年4月27日

電力論

もしかすると筑波市か日立市単独で先んじて実現しやすいか、おそらく最速で原発依存から脱却するには「ソーラーパネルと家庭用蓄電池」のセットをできるかぎり県内各家庭に完全に普及させること。
 問題は、実際の電力需要は東京都と神奈川県がほかの自治体よりも多い。
だからもし茨城県が単独で、財政か経済かどちらかの力でこの電力自給構想を実現しても、電力の主要な浪費源、つまり大都市圏はあらたまらない。原発立地自治体は大消費地にあしをひっぱられるわけだ。
単に産業用の電力を、茨城県だけはほかの地域よりも安くしあげる、といった工夫にしかならないだろう。しかし、何もしないよりは模範を垂れる効果がある。
例えば産業用電力費用軽減特例(産電例)を地方条例で茨城県では発布すればいい。公認した、福祉と矛盾しない工場か店舗にはこれで税額の調整によって割引した格安の電力を送る。そこで環境や純風美俗にあたえるかもしれない実情も調べられるから一石二鳥。

 とかく、県内でのソーラーパネル普及率はできるだけ100%へちかづけるべき。
 注意すべきはこのソーラーパネルの値下がりがまもなく急速におこりそう、という予測だけ。つまりあまりに先に投資して買いすぎると、まるでデジタルテレビ特需のときとおなじだが、長い目でみて高すぎるものをつかんでしまう、というあやうい構図がある。

 これをかんがえると、「先に法律の枠組み」を構想しきっておいて、ほかの自治体、ほかの地域の家庭へ太陽光発電装置が普及していくのを待ち、価格が最低になったときおもむろに県内でのその購買助成と設置したばあいの住宅税などの一律減税をおこなえばいい。十分待つこと。これが大事だろう。
スマートグリッドなど自動車会社やガソリンスタンドをはじめとして電気自動車の普及をこころみている企業も、かれらの内部留保で充電スタンドをつくりだすだろう。
かれらの余剰で家庭用の充電スタンド需要もうごくはず。それが最大になったときソーラーパネルも最安値をとるだろう。
 家庭用の充電池は非常電源になるものだし夜間電力をおぎなうから、このときに県が防災対策としてオプションの様におなじく助成すればいい。

2012年4月19日

原発に関する廃炉の率先

福島の東電原発が事故したわけだから、おなじことに東海村の原発がなるわけにはいかない、というのが常磐圏の基本認識。よって、東海村は全村で廃炉を決定してしまうしかない。なぜ首都圏にとっても致命的で、首都にも日本にも、当然茨城県民にもほとんど得にならないうえ、過剰な負担でしかない原子力発電所を東海村やその周辺の人達は再稼動したがるのか。

 国家、というか東京都の本音をいってしまえば、「地方が勝手に誘致したんだから、私たちは知りませんよ」ということだ。長期的にみれば単なる詐欺なのだ。地方の土地を麻薬で破滅させるかわりに、おのれはこれよしと肥え太る。だから自分からは放射能廃棄物とか原発交付金という麻薬を販売していることをばらさず、相手が「買います」というのを待っている。東京都の原子力発電企業などそれだけの悪人なのになぜ見抜けない。簡単な理屈であって、もし本当に安全で安心ならば東京都内に立地させるはずなのにそれをしない事が、隠し立てできない悪意のあらわれなのである。控え居ろう。

 そもそもの出発点は男気をみこんでみたいな、適当な甘言で地方の広い土地に目をつけたずるい東京人から買収されたはなしだったのかもしれないが、東海村という自治体が長期的な先憂後楽観を失い「まわりの迷惑」をかえりみずなぜかうけてしまったのがまちがいのはじまり。東海村がひどい。実際、ほかにも陽子加速器施設も本当に安全性が十分か、すくなくともその「素粒子の衝突実験」に関して理論的検証がとれない。最悪のばあいでもこの実験は、ほかの実例によって安全性が検証されきるまでは県内で厳として禁止すべきだ。
自分としてはもし北茨城になにか危険施設が誘致されそうになっても断固反対。今現在、連選ですきかってやってる某市長も徹底罷免するしかないのである。

 東海村の村長は舵をきりかえられたからすこし賢明なのかもしれないが、「愚者は経験に学ぶ」を地でいこうとしてる人達は、本気であたまが悪いとしかいいようがない。「賢者は歴史に学ぶ」。もし東京の企業、日本原子力発電であれ、そこがどれほど金をたらしこもうと地域のえらい地主が反対しつづければ自爆施設なんか立地されるわけがない。くりかえすが、どうなろうと決して東京都につくられないことをかんがえればいい。
 危険なものを地方におしつけ、しかも自分達は甘い蜜をすおうというあくどい魂胆の悪徳連中に協力するとはなにごとなのか。東海村の住民がご家紋くらえと思う。

 あと北茨城市の行政の某もと議長の人も、なぜかしらないが自然エネルギーとの両立とか、おのれの科学知識の程度、判断力の程度もかえりみずでしゃばって県の議会で余計な口を出してくだらない話をしている。ならあんたが放射能汚染が起きたら賠償できるんですか、というはなしだ。危険性の方が経済性より高いばあい、わざわざそれを採用する意味はまったくない。
じゃあ他人の命を奪う放射能汚染して、茨城県の9割の農家は破滅、住民は半永久的に遺伝子に傷つけて自然エネルギーとの共存両立とか、ほとんど償い得ない何百兆もの借金背負っても彼はおなじねぼけたことほざけるのだろうか。命が最優先なわけだから、全人類がなにをいおうと廃炉を先んじるしか道はないのだ。

 どうせ電力を大量消費して利用するのは東京都とか横浜あたりの堕落した夜間人口または電力会社の上層部なのだから、普段からのおこないも悪いそんな悪徳連中に協力する必要などまったくない。先祖伝来の土地に根付き土台のしっかりした茨城県民の命を守る方が徳が高い。工場での需要?
なんのために工業をおこしたか、自分達の命を守り生活をゆたかにするためなのであって、放射能汚染による破滅のためではない。本末転倒としかいえない。主権は在民なのである。電力会社の企業命題にすぎないが、電力が足りないなら各戸にソーラーパネルを据え付け余剰電力を買い取る事業の合理化、または宇宙エレベーター先の衛生発電で後生に迷惑かけない様にやりなさい。

なお、常磐沖でメタンハイドレート採掘は、大震災のひきがねになった可能性も地震科学的にのこっているのだから理論的実験的安全が決定的なまでに確認できなけば全面禁止すべきだ。

2012年4月18日

都庁の電源対策

以下引用
��~~

2012年4月 6日 (金)
災害時の司令塔になる東京都庁舎は非東電の電力供給体制でリスク分散する。初めて公開した地下の現場。

 災害時の司令塔になる東京都庁舎の電力供給体制のリスクを分散するため、電源の一部を250メートル離れたパークハイアットホテル(52階建て)地下の東ガス系の「新宿地域冷暖房センター」から供給することにした。

 1枚目の写真は都庁へと通じる地下の熱供給の配管。地下発電所から供給されるのは冷暖房の蒸気と冷水だけだったが、これからは電力も供給してもらうのだ。


 2枚目の写真は都庁の地下。そこまで配管が来ている。送電線もこの配管の近くに設置してパークハイアットホテルと都庁を結ぶのである。



 パークハイアットホテル地下7階に巨大なガスタービン・コージェネレーション発電機(2基合計8500kw)やボイラーが冷水管などで連結されて複雑に入り組んだ構造物を形成している。

 地域冷暖房施設は西新宿で22本の高層ビルに熱供給をするために計画的な都市計画でつくられすでに40年稼働している。地域冷暖房は蒸気を使うのだが、蒸気をつくるために発電機も当然備えている。

都庁舎は1万1000kWの電力を使っているが東電の値上げのために9500kW に契約を下げ電気料金を3000万円安くさせた。

さらに災害時の安定的な電源確保策として、地域冷暖房センターの発電設備からも順次電源を調達し、多元化させる。

 まずは今年12月に3000kW、2015年までにさらに3000kW増強し、9500kWのうち3分の2を非東電にリスク分散できる体制にする。

 3枚目の写真。都庁2階のフロアーでぶら下がり会見。


「エリアごとに生き残れるようにすることが、原発事故から得た教訓である」
2012年4月 6日 (金)

��~~
http://www.inosenaoki.com/blog/2012/04/post-81a9.html より

2012年4月6日

多元分散型のエネルギーについて

http://www.inosenaoki.com/blog/2012/04/post-81a9.html
以上のURL先の記事によると、東京都庁は各フロアごとに分けて近くの別の発電源と分散させていくらしい。

 これとおなじことは、おおくの公共機関、特に防災機能をもっている基盤施設で必要。まねるしかない。
 すくなくとも経験則とみても、このあいだの大震災で1週間程度の停電がおこったわけだから東電の後身だけにたよっていると致命的になりかねない。
 1つの電力源だけにたよっているとそれがおそらくローテクでないほど(多くの連鎖的な手間がかかって複雑なほど)、危機に可塑性を発揮しにくいことが、おおきな災害でわかってくる。

 できるかぎり多重に電力源を分散させてそれぞれが連携的につかわれる様にした方がいいのだろう。
 消防署とか病院とか行政府の庁舎はこのしくみをつかうしかない。
しかも、できればおなじ施設でも致命的な施設だけは必要最小限の分量を自力で発電できなければならないだろう。
「多元分散型の電力源」。あるいは電力以外でも普段からそれが基盤的なほど、情報にわたるまでこのしくみがきくのかもしれない。

この市内にかぎっていうと、かりにうみべに防災無線をもうけようと、ほかにも防災ラジオをつかってまで多重に防護をおこなう方がいいし、すでにある半鐘もなんらかの場面でつかえる可能性があるので放棄するよりは維持していく方がいいのだろう。

 特に、ラジオは災害時以外でも市報とかなんらかの情報伝達、宣伝とか、あるいは市議会中継(これはネットラジオでも可能)などかなりねばりある使い道のできる機械だから、配布してあった方がいい。
��いまの時点で大量に購買して1個100円以下くらいになっているのではないか。5万人の市民全員にくばっても500万円程度ですむはなしになる)
日立市は防災ラジオをつかっていたので普段も広報がしやすいのだろうし、緊急時もそこから地域に密着した死活的な情報をあたえていた、みならうべき優等生とおもった方がいい。ラジオ局そのものは高萩市のそれと代替的に契約・交渉すればいい話だろう。