2013年4月16日

北茨城の美術聖地化

 北茨城市はいわゆる美大・芸大というアカデミー形ではない、本来のすがたで美術の聖地をめざすべきだ。
 Artはもともと「わざ」という意味だが、このわざは本来は建築の付属物だった。特に純粋美術にかぎると、絵と彫刻というものは建築のいわゆる建具にほどこされた装飾のことだった。イタリア・ルネサンスを起点に、ヴィンチ村のレオナルドがきっかけになってこの絵というものだけが芸術性を独立して主張しはじめることになった。彫刻は同時代人であるミケランジェロによって同様に、独立した美術としてみとめられる様になった。
 日本ではルネサンス化は、実際には日本やアジア美術に独自の手法や文脈を保全しようとした岡倉天心を排斥した明治政府によって、この西洋からの潮流をそのままうのみにするかたちですすんだ。東京藝術大学で西洋画を模倣し、明治政府からのおすみつきをもらった黒田清輝が薩摩人であり、おなじく西洋建築を模倣し赤坂迎賓館(もと東宮御所)を設計した片山東熊が長州のひとだったことがこれを証明している。ここまでは福沢諭吉という大分人のイデオローグが指導した、いわゆる脱亜入欧的な西洋模倣とアジア蔑視そのままの文化状況があるわけだ。

 しかし、日本は日本だ。日本は西洋ではない。日本は極東にあるうえ、そのことばは日本語であり西洋の語ではない。このことばのちがいというものが決定的なちがいだが、それにくわえて構成している過半のひとびとの形質的特徴も西洋とはおおきくことなっている。このばあい、ちがいということはいわゆる人種差別の用語としてとらえられがちだが、勿論交配可能性はのこっているにもかかわらず、背丈や骨格、髪や目の色といった表面的な形質差がことなるといえるだろう。それは遺伝子間の優劣ではなく、単に身体特徴にあらわれる遺伝形質の傾向がちがっているのだ。
 これら、言語・形質というのが2つのおおきなちがいとしてみえてくる。そしてこの2つのおおきなちがいが、結果として慣習のちがい、理解のちがい、文化のちがいにつながってくる。こうして言語・形質がまざりあって、文化という共有された慣習傾向におおまかなちがいがうまれる。

 北茨城市では、以上の人類学・地政学的な認識から、美術上の創造がその文化の差異からうまれてきた、という部分にもっと注力すべきだ。それは「ことなる文化」のぶつかりあいの地点に生じる、特に建築装飾にみられることになりやすい製作上の習慣差のことなのだ。
 建築は工業製品などにふくめて、応用美術ともいわれるばあいがある。それは実用性とか技術水準、土地の風土的条件などが、完全に独立した価値成立をさまたげるからだ。日本のばあいでいっても建築基準法や、地震・台風などの条件がその建築様式に一定のらちをかしている。このらちがあるかぎりで建築にはいわゆる純粋美術としてとおくまで移動が可能である絵や彫刻よりも土地風土やそれに由来した制度からの制限がかされ、独立性がかぎられている。つまり、建築装飾としてはじめ出発した絵や彫刻こそが真の純粋美術であり、そのつぎに建築という一定の制限のあるはこがくるということだ。したがって「ことなる文化」のぶつかりあいとその創造性は、実際には絵や彫刻の方に敏感でわかりやすくあらわれやすい。
 原則としてこういった理論がいえるわけだが、具体的にどうやれば聖地化が可能かといえば、製作用の滞在施設を充実させることだろう。Artist in residenceといういいかたがされているわけだが、要はアトリエ空間を市の単位で大量につくり、それをつねに世界最大の単位で大規模かつ安価にかしだせばよい。こういった場所にはもし宣伝をまったくしなくともはじめ地元人がはいり、つぎにうわさをききつけて世界各国からアーティスト・美術家があつまってきて、自動的に文化のぶつかりあいを生じさせる。それが創造性のみなもとになる。これには費用が必要とおもわれがちだろうが、そうではなく、単に空き家やあき物件などのかりあげをして、もっとも安価でかしだせばいいだけだ。すでにつかわなくなった公共施設の用途転用・conversionはこのもっとも合理的な方針であり、あかねひら青少年の家なども実はこわさずに、適切な耐震補強や老朽化しきった部分のたてかえをしたうえでこのアトリエ空間用にかしだせばよかったのだ。おなじことは、市立病院や、現市立図書館のたてものなどにもあてはまるだろう。重要なのはあめかぜをしのげる空間ということであって、最低限度の設備でなんらかまわず、とにかく沢山製作スペースがあるという意味でなみはずれてひろく大量のアーティストが稼働しまくれるという絶対条件にある。この世界最大のスペースというところさえゆずらなければそのたてものの豪華さなんてどうでもよく、質素きわまりない最低限度の仮設建築的なもの、プレファブでもいいわけだ。なぜならなかみはアーティスト自身がつくるものだからだ。これから中郷と磯原のあいだの大量にたてられた郊外型店舗も当然限界効用がきて利益があがらなくなり空き家物件になることが予想できるから、ここもはじめから市の単位でかりあげ、大規模アトリエスペースとして応募者にかしだすことにきめておけばすでに国道ぞいでおきた廃墟化の様な、くりかえす単なるスクラップ&ビルドの醜態をさけられるだろう。
 この構想のたったひとつの欠点をあげれば、新規流入者つまり新参者が生じるためにいくらか犯罪率があがるかもしれないということだ。これは実際、すべての大都市圏だけではなく自分の経験上、現在の北茨城市内でもおきている現象でもある。その事前対策として市警や自警団の独自整備をしておくこと、かつ市民への法律教育があるだろう。