2013年4月13日

ただしい人道

 石原伸晃の脳内にあるのは、福島第一サティアン発言でもわかるが、放射性廃棄物を福島県の帰宅困難地域におしこめてしまうのが最終決着点なのが理の当然というかんがえかたといえる。このひとはすくなくとも前世(石原慎太郎)が悪質な関西出身者だったこともふくめ、商業的利己主義の傾向がある。

 豊田市長の発言「安全だというならどうして都市部につくらないのか」(茨城新聞、2013/4/13)はきわめて正論だ。放射性廃棄物がもれだす可能性がおおいにあり、そうであるかぎり危険だから東京都や、官庁のとなり、皇居、いくらでも土地があまっている高尾山、石原家の土地内にひきうけるきおいはかれら東京人側にまったくない。かれら東京人というものはやはり自分さえよければ他人がどうなろうとかまわない、不仁きわまるいやしい商業的利己主義者なのである。
 総合的に批判すると、薩長土肥京芸(薩摩・長州・土佐・肥前・京都・芸州=鹿児島・山口・高知・佐賀・京都・広島)の西国諸藩がそうなのだ。これは明治新政府が商業的利己主義者のむれであったことにひとしい。福沢諭吉がそのもっともしぶといイデオローグだった。かれらは武家社会で外様におしこめられた地位をうらみに、体制をくつがえすべくその米英あるいはユダヤ式の商業的利己主義をアジア侵略のものだねとかんがえとりこんだ。各地でスパイ活動をおこなっていた長州(山口)の吉田松陰や伊藤博文を筆頭に、かれらは社会ダーウィニストとなった。格差社会や弱肉強食をかてば官軍のスローガンとともに信じつづける長州系の安倍晋三、薩摩系の麻生太郎をふくめ、自由民主党なるものも実はこの余波にすぎないといえるだろう。

 わたしがいち文民としてみとおせるのは、こういった西日本的利己性は東京都のなかに伝播してしまっているが、東日本人は絶対この悪意にそまってはいけないということだ。日本が米英ユダヤとおなじレベルの社会になりさがってしまうのだろうか。それはしいたげられてきた有色人種の世界で、こころからの日本への期待をうらぎることだ。有色人種の世界をまもらねばならない。日本はアングロサクソンやラテンの欧米人、あるいは関西の倭がこれまでおこなってきたはなはだしい侵略の悪業にあらがい、その不正をあばき、世界史に平和と天下の統一をうちたてる必要がある。白色人種の暴威と、悪徳にこびうる極悪の薩長土肥京芸ら西国蛮夷をうちはらえ。その胎動の地がこの北茨城でなければならない。
 義にあたっては天皇だろうとアメリカだろうと、原爆水爆生化学兵器どんな拷問でおどされようと決してゆずってはならない。北茨城市民は原発政策に賛成なのだろうか反対なのだろうか。あきらかに反対だ。われらは原発から被害しかうけていないからだ。平和なくらしをしてきたひとびとをしいたげているのが、この邪悪な東京の電力搾取装置・原子力発電所、そしてそこからもたらされた北茨城市への大公害なのである。それなのに、このもっとも大事にしてきた自然環境を、さらに東京からきた邪悪な権力者集団がよごそうとするものなら、それら邪悪な勢力を地上から一掃すべきである。最低でも北茨城市内に環境相が放射性廃棄物を投棄しようとしたものなら、国政まるごとすべてつぶし完全に支配する気概と勇気をわれらはもたねばならない。邪悪な東京都で原発によって散々茨城県民・地方の人民から、かねと労働を搾取、あげくには「魅力度が最低」と恣意的におとしめ、われら国民の名誉までをすさまじくはずかしめてきた悪徳東京の天皇家もついでに永久廃位させる必要がある。茨城県民がこれまで散々、侮辱罪・名誉毀損罪されてきた分だけ東京都やその天皇がおちぶれなければ道理がたたないからだ。国民が主人であって、世襲の独裁者がではない。なぜソドム東京都の世襲独裁者ごときから、一国の主人であるものが侮辱されつづけねばならない。象徴が堕落したら国民自身の手でかならずそれをかえる必要がある。おそらく勤皇主義の水戸徳川家はこのかんがえかたに反対するだろうが、かれらが世襲の権力者のもとで特権を享受することより、かれらの祖先をやしなってきた郷里である茨城県におわす一国民のいのちを軽視するならそれも仁義のもとにある思想ではないといえる。尊皇なのか尊民なのか。二者択一だ。わたしは世襲の独裁者より国民をとうとぶ。なぜならわたし自身が国民であって世襲の独裁者ではないからだ。国民なくして国家なし、天皇なくとも国家あり。これは原爆投下や特攻隊、小御所会議の不正な決定からいたる最悪の内戦・戊辰戦争、それ以前にも倭朝廷による地方蔑視の一方的侵略犯罪など天皇奴隷制度にまつわるあまたの悲惨をみてきた、もとからのいち日本人として、当然の判断といえる。そもそも、天皇家はこのしまが「日本」となづけられる以前にはこの地にいなかった新参者の人間であり、それよりはるか以前からこのしまを愛し、このしまにくらしてきたなもなき真の日本人らにとってすれば、その存在やおおうその神話づくりでの洗脳など、土台からしったことではない。
 人間には生存権がある。うまれきた地にすんでいく権利。いきなり武器をかたてにやってきてそれを一方的に侵害したうえ暴力でひとびとを無理に奴隷化し、国民の平和な生活をエゴイズムにこりかたまった帝国主義で破壊し贅沢と乱倫のために大枚を徴税、侵略自慢の悪業におごってきたのが根っからのならずものとしかいいようがない天皇家だ。これが日本史の真相だ。

 茨城県民の総合判断として、福島県の帰宅困難地域あるいは廃炉ずみの施設に最終処分場を一括してつくるのが最善とみなしたとして、石原伸晃自身のかんがえかたとこれは一致している。しかし、福島県知事はいままですさまじい被害をうけ、これ以上負担をおいたくない、ということが予想できる。最終的おとしどころは最終処分場の現実性として福島県知事を説得しあるいは国家が優遇政策をしめしたうえでこれに帰属してもらうか、または根本原理としてこれらの原発はすべて東京のせいで生じているまがものなのだから東京都内に自称安全という最終処分場を立地させるか、この2つのうちどちらかでなければならない。そして福島県知事と連携し、邪悪でしかない搾取主体・公害主体の東京都に自責させるべく、最終処分場を都内立地させることこそ、真にこの国家の人道を回復するみちすじだろう。自称安全なのだから、当然高尾山でこれを安全に運営していけるはずだ。おひざもとである方がよほど管理がしやすく一石二鳥といえる。これを否定する論理などどこかにあるのだろうか。
 所詮、極悪搾取をつづける悪徳商売人の連帯である東京都からは、今後とも東京都民の自分さえよければ他人がどうくるしもうと関係ないという不仁きわまる悪質な態度、むれて悪事をしたがるいやしい利己主義・極悪ジャイアニズムのいいわけしかあらわれまい。297万人の茨城県はその707万kwの県外への電力供給で、千葉県622万人・埼玉県720万人・神奈川県905万人・東京都1316万人という首都圏連合4都県の人口計3600万人の電力需要600万kWをながらくささえてきた。茨城県民の需要はたった50万kwしかなかったのに。この偉大なわれら茨城県民のあきらかに国家救済的かつ慈悲にみちた多大な貢献実績のまえで小人都民ごときが散々おごりちらす。そのうえで、さらなる負担と迷惑をとうとい茨城県におしつけたがっている。悪徳商売人の下衆スラム・東京都など、日本と人類の正義のためにはいますぐつぶれればよいのである。邪悪な首都ならない方がいい。悪徳のむれはむれればむれるほどわるくなる。あしき独裁地域は、当然ほろぼされ、革命されるを得る。王道を回復せねばならない。経済支配の悪徳首都東京はうちくだき、大公害による搾取の業をひびほしいままにしている悪質な東京都の全域などいますぐつぶし、有徳の茨城県がかわりに有徳の首都をすべきなのである。もし洗脳された愚民が悪魔の東京都からどれほどだまされていようとも、かれら衆愚みずからが結果として福島県とおなじめにあうだろうし、愚劣なジャイアニズムでしかない東京に連帯したおろかな判断によってかならず失政するにすぎないのだから、有徳の君子として大人にして優等生の茨城人はそれら小人どものざれごとを一切無視すればよい。

 もしゆたかなとこよの自然環境をもっとも美点としている関東最古の茨城県・常陸国をかるがるしくよごし、あげく善意の電力供給もとを軽視する計画停電措置という悪魔の意をしめしたうえ、延々と市民とその生物のいのちをうばう致命的なごみをすてにくる悪徳国家日本だとすれば、その首都である東京都をふくむ日本国という悪魔の組織そのものを人類にみとめられた革命権をもとに徹底破壊するべきだ。なぜなら、東京都という巨大な搾取基地をかまえた悪魔の日本国さえなければ、われら国民の安全安心はたもたれるからだ。これもまた現実の真理である。
 家系図がながいだけの独裁者天皇とやらの人種差別の尊厳? かれらのつくりこんできた神話? 水戸徳川家の伝統的支配の理念? しったことではない。いのちをうしなえばなんにもならない。そしてこどものいのちをうしなわせる放射能廃棄物をすてにくる極悪人は、なんとしてでも市のテリトリーからおいだし、もしこういった穏健な説得にこれからながらくの政治上のはなしあいの結果として、かれら極悪人がなんとしてでも応じない様ならこれはもはや法の濫用または国政の悪用による国際犯罪に類しており、日本のもっともすばらしい自然をトップダウンの命令で破壊する不法投棄・無法投棄事例なのはあきらかだから、北茨城市民全員が決死の浪士・環境保護運動のゲリラとなってでも、その極悪不法投棄犯人どもを全世界の国家国民群と連携しなにがなんでも退陣させるべきである。勿論わたしは危険な活動をあおっているのではない。このくにの法を最大限まもったうえで、一度うしなえば二度ととりかえしのきかない日本の自然環境を、福島県のおかれることになった悪徳東京都民による自然破壊事例を他山のいしとして市民がその身を賭してでも、搾取や破壊工作をしてくる侵略者どもから絶対にまもれといっているのだ。この究極的覚悟によってしか、おごれる東京都と世襲独裁者天皇家のくみあわせによる地方蔑視の極悪横暴をおさめる方法はなさそうにみえる。かれらの中華思想は、いまの京都にも残存する人種差別・民族差別・地方差別の悪風なのである。
 われらはすぐとなりで、もっともしたしい友人である磐城が東京都の極悪行為で破滅させられるのをみた。さらにつづけて、となりまちである高萩市が犠牲になりかねなかったのをみた。この一度ならず二度までの悪業をみながら、だまっているのは男として、すくなくとも人間としてまちがっている。義をみてせざるは勇なきなり。まだつづけて悪事をしようとしている悪徳商人根性・東京都の犯意を、率先してわれらがうちくだくべきなのだ。全人類が東京を妄信していようが関係ない。真実は真実であり、よごれた東京とはことなる善美なわれらの土地が国政から不当におとしめられた分だけ、その悪事をおこなった東京という堕落した場所と土地代を世界の正義のためにおとしかえすべきだ。復讐せよ。そしてこのよのただしいみちすじとして、まわりに迷惑をまきちらすあしき東京都へその東京都民みずからがうみだした強欲という業の結果、すなわち放射性廃棄物の最終処分場をせおわせるのがこのよのただしい人道というものである。
 原発などとはまったく無関係なあかの他人の土地へみずからがつくった原発から生じた危険ごみを投棄しようとしてきた極悪東京人が、その悪事におこったじもとの地権者から、しかも東京人よりはるかに正義に敏感だった北茨城市民をあやまってターゲットにしたばかりに、おろかなやくざ東京人のごみをそのやくざである東京人の土地へおしかえされるのは、だれがどうみようと自業自得といえる。福島県の前例をみれば、市内にある大規模発電所のパワーステーション茨城の環境排出物質へもまったくおなじことがあてはまる。この磯原高校よこにあるバイオマス発電所は今後とも、市民の厳重な監視が必要な物件といえるだろう。