2013年2月23日

茨城県民の地味な上品さ

 われらのもっている非俗物さは、いいかえれば素朴さだが、俗物さを媒介にした資本主義経済とは最適化しているわけではないわけだ。このわれらというのは、平均してみた茨城県民といえる。
 茨城県民の体力や学力は最上位にあり、県民所得や総生産も中くらいからたかい方で、首都圏にあるのにもちいえがおおく、かなりひろいにわつき一戸建てすまいは結構常識的でもあり、くらしむきにはゆとりがある。すばらしく綺麗な自然景観もいくつもあり、そして人口も比較的おおい。それにもかかわらず、県外のひとにはすこしも認知がなく、魅力がないとおもわれている。栃木県もにたもの同士かもしれないが、このわけは実感としても茨城県がなにかを外部へむけて主張するまでもなく自足しやすいほどめぐまれた適所であること、さらにそこにながらく適応してきたひとの温和さは、こういった「県外のひとびとの不幸な勘違い」に対して誤解をとこうとする意欲すら特段よびさまさないからなのだ。現実には特別に愛郷心のつよいひとか、一旦その外部にでてからじもとへの客観性をみにつけたひとにしか、これだけすぐれた場所柄を魅力がないとおもうほど趣味がわるく、茨城県への関心がない様な俗物への対策を講じたりもしない。総じて、この穏健さこそが茨城県民の平均してもっているある特質なのだろう。
 明治維新のときの水戸藩内の抗争は、『文明論之概略』によれば学問の宗教化の弊と喝破されているが、それすら山口県、鹿児島県で実際におきた激しい藩内抗争とはおもむきを異にする。山口では第二次長州征伐以来、非正規軍が正規軍を制圧してしまい、藩内クーデターが成立した。鹿児島では私塾によった武装勢力が政府軍と戦争をして滅びた。このどちらのパターンともことなって、茨城ではこの同時期、非正規軍は西へと出陣していっていなかったうえ、のちこの残党が新政府側としてもどってきて抗争し藩組織を交代させた。つまり、水戸藩内でおこったのは正統性、legitimacy、権限にもとづく正規軍のいれかえだけで、しかもそれは藩士組織の実質的な政権交代劇にすぎなかった。つまり懸案の攘夷戦争はおきなかったし、一般市民へおよぶ影響もほぼなかった。このやすらかな感覚は『覚書 幕末の水戸藩』で慶喜公がかえってきたときのあっけらかんとした感想でわかる。
 とかくこの穏健派であって急進派とはのりがあいにくいこと、これがなぜ資本主義経済へ最適化しているいわゆる大衆または俗物との温度差が、茨城県にうまれてくるかのおおきなわけだ。急進的なひとびとは江戸へやってきて、巨大都市東京をつくった。
 しかもこの特質は勘違いされやすく、単に穏健なだけなのだが、急進したい人間からはおくれにもみえないことはない。これが田園のよさを理解しないひと、すんだこともないひと、いわゆる趣味の面からみれば自然への感受性がない完全な俗物なわけだが、こういった自称都会の俗塵うまれには、いなかといえば俗語で田舎いのであってなんら関心がないわけだ。そして究極のところ、こういったひとたちとののりのあわなさは永遠につづくだろうから、ロマン主義以前の俗物根性というのは所詮われらのみちではない。

 要は、大衆的な俗物性をもとにした資本主義経済というものは茨城県民の平均的特質にとって、おそらく封建時代の水戸学からきた遺風なのだろうがわれらは貴族的で上質なものをこのむというすこしのずれがあって、最適化はされていない。かといって県民所得は全国でもよい方なので、それがかならずしも苦手なわけではない。単に俗物さからとおいだけだ。そしてふたつとなりにあって俗物が集積している大都会東京、あるいはその原理とよくにた大阪からかなりとおい心理であり、ある特質をもっている。たとえばシャイネスや謙遜、いわゆる武士道時代の古きよき道徳目が多少あれ維持されているのは首都圏でも茨城県民であるといえよう。
 こうしてふりかえれば、実質は大変すぐれているのに魅力がないとおもわれていることは茨城県民が平均してもつひとつの個性でもあり、いわゆる謙虚や謙遜、謙譲といったゆずりあいの徳と一致しているある資質、うまれのよさなのかもしれない。たとえば財産の面で全国に比して茨城県が特別たりないわけではないので、テレビ局に関心がないというのもあきらかにこの特長がでた部分といえる。そして現実にわたしがじもとの人間としてくらしてきたよい意味での自足の状態として、東京や大阪発の卑近なテレビはみるだけ気分がわるくなるにすぎず、まったくくだらないし必要ないばかりか、いまおもいかえしても茨城県民へ害しかおよぼしていない。現実にはありえない化粧された映像をみせつけられて不幸感をふやすだけ、贅沢自慢の実にくだらない卑俗な内容がつぶれてくれれば、それだけよのひとびとのくらしの質もあがってくるだろうから。
 こうして、俗物の反対概念としてのとうとさやその質をまとった聖なる価値をもとめ茨城県民は東京都民へせをむけてあるきだせばよい。この行路はたとえ全国民が理解できなかろうとまったく関係がない。世界の人類はおろかものばかりではないし、そもそも東京の日本語によるテレビなどみていない。俗物はどこでも俗物なのだから、俗物である大衆からは魅力がないとおもわれているほど反俗物的でわれらの謙遜のよい効果があらわれている、とかんがえていい。それだけ茨城県に俗物がくる機会がへり、真に趣味のよい人間があつまりあるいは安心して定着してくれるだろうから。
 また、ある意味ではこの高貴高尚で理解されがたいか、素朴でひかえめであるために卑俗な社会にあえてちかよらない、ちかよれないという部分は、われらのもっているうまれのよさとして貴族精神、gentleさにもなりえる。むしろよい特長として維持されていい。現実にはすばらしいよさがあるのだが、魅力がひくいとまわりからおもわれる、というのは一つのはっきりした才能をもつ個性であり、それは維持された方が多分無個性よりすぐれている。かえってこれはpartnerとしての安心感をうむだろうから、安心してつきあえるという面で交際がひろくなることも十分かんがえられる。つまり「派手でないためまわりから魅力がないとおもわれる」、というある欠点にみえるものはむしろ俗物根性からはなれればはなれるだけ長所でもあって、「地味」という特別な個性としてそれ自体が主張されていい。たとえば徳川慶喜にも同様のはっきりした個性、貴族的なうまれのよさがみられる。そして趣味の一般原理はこれを上品さとして評価する。おそらく、将来にわたってもそういうジェントルな個性がえらばれうまれそだち、出身していきやすい場所柄があるのだろう。
 俗物根性を媒介にしている資本主義経済の社会はいずれおわり、あるいはかわるか、商人世界のものとして限定化されるだろうし、すくなくともそのうまれをわるくする淘汰によって、全体最適化しないひとを俗塵からとおざけてくれる。自分のみるかぎり、派手な宣伝効果によりそとづらは魅力的とおもわれているが実質はよごれた大変すみづらい東京にいついているひとと、節度あるおさえられた趣味のため魅力がないとおもわれているが実質は綺麗で大変すみごこちのよい茨城にいるくる、あるいはかえるひとびとのあいだでおきているのもその関係性であるとおもえる。