2013年2月11日

東海第二原発の無意義さ

 日本の火力発電所一覧東京電力の火力発電所、そして東海第二原子力発電所によると、茨城県にある東海第二原発の総出力は、たった110万キロワットにすぎず、たとえば石炭が燃料の常陸那珂火力発電所100万キロワット2機で十分まかなえる。副生ガスや重油による鹿島共同発電所で105万kw。石炭、重油、炭化燃料、木質バイオマスによる勿来発電所で162.5万kw。重油、原油による鹿島火力発電所で440万kW。都市ガスによる品川火力発電所で114万kw。
 さらに、猪瀬都知事の記者会見発言によれば、そもそもこの日本原子力発電という東京電力株式会社も28.23%出資するほぼすべての全国の大規模電力会社が共同出資で、いわば商用原子力発電のさきがけとしてつくった東京都にある会社、そこからの東京電力への80%の売電分など、まったく眼中にもはいっていないのだ。
猪瀬知事記者会見 平成24年12月18日(火曜) 14時10分~15時05分
http://www.metro.tokyo.jp/GOVERNOR/KAIKEN/TEXT/2012/121218.htm
【記者】東京のエネルギーですね、エネルギー政策としましてですね、火力発電所がありますね、風力発電のエネルギーも再生可能エネルギーとしてどんどん採用していくと。こういう中において、猪瀬都知事のですね、目指すものは何なのかということなんです。簡単に言いますと…。

【知事】簡単に初めから言ってくれよ。

【記者】簡単に言いますと、脱原発依存社会を目指すのか目指さないのかという問題が1つあると思うんですね。東京のエネルギーをいかにして確保していくかという問題とあわせて、その姿勢を改めてお聞きしたいと思っております。

【知事】東京は、既に脱原発社会になっています。なぜならば、福島から900万キロワット来ていません。新潟から、柏崎刈羽から800万キロワット来ていません。1700万キロワットの原子力発電の電源が失われています、現在。そして、こういう電気がついている。ということは、東京湾に今、老朽火力発電所、35年から40年物だけで1700万キロワットあります。それがフル操業しています。それでこういう状況で、何とか節電効果と相まって電力が供給されていると、こういうことですので、既に新しい火力発電所は幾つかありますが、1700万キロワット分の老朽火力発電所は、リプレイスして新しいものに変えていく。その場合に、民間の資本を入れていく、新電力の参加を促す。それから、お隣の中部電力だって、東京電力エリアで発電所を運営していいんですよ、こういうふうな形で、東京電力改革というのは、電力の自由化の第一歩であります。で、全国で9電力独占体制というのがありますが、新電力の比率は3.5%しかないので、これを少なくとも1割、2割、3割ぐらいになることによって、また9つの電力会社の独占体制の壁を打ち破ることによって、むしろ電力供給は安定化するだろうというふうに考えております。これだけでも大仕事です。で、それを多分、やる人はいないと思いますので、僕は東京都知事になった1つの理由は、そこにもあります。

言及さえしてない以上、あってもなくてもかまわない、どうでもいいというあつかいである。それなら茨城県民がくるしいだけなのだからいますぐやめてしまえばいい。まじめで善良な茨城県民は、東京や横浜という大電力消費地からたのまれ、かれらをたすけるつもりであえて負担のおおきな電力供給の元となり長年苦労しながらなんとか関東地方・首都圏の同士らをてつだってきたのだが、かれらからなんにも感謝されていないならいますぐやめるしかない。それどころか、東京都や神奈川県の俗物たちは、かえってこうしたてつだいをしてきた茨城県をいなかだの魅力がないだのと馬鹿にしてくる始末であり、悪友としか言い様がない。東京都民と神奈川県民の平均値は、カウントリーサイドの自然美を理解できない悪趣味の俗物どもでしかないのであり、悪友でしかない不良の東京都と神奈川県とは、優等生の茨城県民はいますぐ金の切れ目をつくることによってできるだけ縁をきるべきだ。それがわれらのためだけではなく、全国民ひいては人類の向上のためになる。
 くりかえすが、日本電子力発電株式会社は東京が本社なのに原発そのものは茨城に立地させているうえ、あまんじてその苦労してつくってきた電力(ほかには食料や人材すら)を茨城からうけとって楽ばかりしている東京や神奈川の連中は、ながながと苦労をせおってきている茨城県域のわれらになんの感謝の念もまったくない。それどころかおなじ首都圏の茨城にあることさえしらないわけだ。完全に悪友である東京都と神奈川県というたましいのよごれきった下賎なスラムである南関東俗物界は、てつだってやるだけ世の害、いままでは茨城県民が好意からやってきた食料や人材を好意から今後あたえてやることなどはいうまでもなく、原発による電力のてだすけなど完全にやってあげているだけ損がふくらむとしかいい様がない事業なのである。

  また最初の資料をみると、原子力発電所というものは案外出力がひくく、はっきりいってわりがあわない発電装置であるとはっきりわかる。しかも危険はもっともたかいわけで、ない方がいいというのがあきらかだ。即刻廃炉にむけていくのが県民のためとかんがえていい。
 原子力発電所というのは電力の出力用ではなくて、単にCO2悪玉論という科学的かどうかさえあやしい面から要求された偶然の施設である、といえる。そしてこの出力量のなんということはなさは、十分ほかの種類の発電源でもまかなえる分であるかぎり、東海第二原発というのは廃止しようがまったく首都圏には悪影響がないと確約できる。かわりにもっと環境負荷と危険のすくない発電所を建設すればいいにすぎない。東海村にある東海第二原子力発電所の発電出力そのものが、おそらく実験炉という位置づけのためだろうが、すぐとなりの常陸那珂にある石炭発電所となんらかわらないのである。そんな中途半端なものをわざわざもっておきたい理由がまったくない。たとえば廃炉の技術がうんぬんといういいわけが政治方面からきこえるが、そんなものは全国にも全地球にもいくらでも原発が現につくられているし現にあるのだから、じもとにひとつもなかろうとなんの損でも不徳でもない。それをだれひとり非難しないだろう。そればかりか、率先して脱原発のさきがけになったとなれば平和主義者らから確実にほめてもらえる。そして原発がじもとにひとつもなかろうと、数十年ちかく延々とつづく廃炉作業が全世界のあちこちにのこっているかぎり、たとえば日立プラントテクノロジーや東海村の原発関連事業への従事者らにそれに類したしごとが地球からなくなることも最低でもあと百年以内にはありえない。むしろこれから、全地球規模で原発技術者はひっぱりだこになっていくだろう。しかし、地雷撤去の専門家みたいなものでじもとでの原発の有無とはまったく無関係だし、危険物はくらしのちかくにない方がいい。廃炉から計画における最大の安全率確保まで、いわば人類の安全圏をひろめるための専門家なのだから。
 それと、IAEAは核の平和利用を前提とした団体なので、燃料ウランの核兵器への転用は当然ここからの離脱が必要となり、さまざまな原子力機関への忠告や助言、情報提供もうけられないことになるから、はっきりいってそんなことはできない。そういった陰謀論じみたかんがえかたはすべて公然となって透明化されていないかぎり、また国家が公然としていないかぎりは不正、ゆえ国民にとってないものとみなすべきなのだ。
 勿論、ソーラーパネルの設置助成や風力といったもっとも自然にちかい発電装置をひろげていくことが、あきらかに政治的であるといえるだろう。最大多数の最高幸福が功利主義でいう政治の目的である。県民の安心をおびやかしながら、首都圏に危険施設を運転していく必要などまったくないばかりか、完全に損害しかないとさえいいきれる。そして金銭や経済というものは「いのちあってのものだね」であるかぎり、交付金ほしさに永遠につづくともいえるおおきな不安とたえざるいのちの危険をせおうのは、そればかりか土地財産を全部うしないかねない危険物を廃炉にむけていかずなんと逆に再稼動させていくのは、まことにおろかなこととしかいえない。一体、茨城県民とはそんなに判断力がなくおろかしくてすくえない、どう仕様もない賭博うちなのだろうか。

 生活大県というわれらが県知事の御発言と御展望はまことに煥発きわまりないが、県内の原子力発電所の廃止というのは当然その第一歩になるものであると期待する。また全世界に率先して日本初の商用炉をおこした歴史からおなじく、日本初の全面廃止をきめたあかつきには、地球人類の先端をはしる科学技術というものの希望と限界を甚大な事故がおこるまえに他山の石から学習した勇気とたかい技能、そして賢慮ある県民として、全国民をふくめた世界から茨城県へのその偉大な英知へのかぎりない賞賛とまぎれない名誉のかがやきを予想する。というより、この立派としかいいがたい最高の業績からはノーベル平和賞をもらえて当然といえよう。

 われらが県知事は東海第二原発の再稼働について、東海村議会、県議会、県安全対策委員会(委員長は岡本孝司東大院工学系研究科教授)のうち、1か所でも反対があれば再稼働を行わない、と御発言があったというツイッターの情報をみた。このうち、東海村議会は村長が健在であれば反対になるだろう。県の最北部にあるわれらとしては県議会での反対決議しかとれるてはないことになる。