2013年2月16日

東京の反面教師性

 茨城県は東京都のわるい部分をしりぞけて、最高の地位をしめるべきだ。わけなく東京都を模倣している水戸以南の人間は、そのわるい面すらまねてしまっているとおもわれる。
 基本として日本のマスコミに扇動されたり、総合ブランド研究所の様なネット世論まがいの偏見にだまされる人間は「衆愚」とよんでいい。この集団にこびへつらう必要はまったくなく、かえってこのclusterは最大限さけ、その逆にいくことがよい結果になる。
 特に性的退廃というのが東京都の最悪の面だ。水戸と土浦はだれがなんといおうと、こういった「わるい」なりわいを東京都むかしでいう江戸からまねてしまって、そのひどさは東京ほどではないにせよ県全体に害毒をもたらしている。こういった商売は売春防止法によって断固としてとりしまられていい。東京都というのはこの点はっきりいえば世界でも最低の場所、最悪の風俗だからまったく反面教師にしかならない。もしこの真相が理解できないか誤解しているとしたら、テレビなどで印象操作されて真実をしらない衆愚でしかないのであいてにするだけ損害だ。水戸市内、土浦市内で茨城県警は断固、性をうりものにしている犯罪者のとりしまりをしていいのだ。そもそもこういった人間はどの国家にあっても最も害がある。いいかえればそのたぐいの隣国からのアメリカへの移民が現に迷惑がられている様に、あるいは茨城県でも現に迷惑であるごとく、普段からごく風紀のわるい東京や大阪からどこかのくにへの移民にも同様のみかたがされることが当然予想できる。外国人HIV患者、あるいは同日本人、性的に堕落した東京人とそこから影響をうけたひとびとが東京都から直接飛び火しているのが、茨城県内の風紀にとっては最大の憂慮である。電車や地下鉄、道路での東京都とのつながりはこの点むしろ不便なくらいの方がいい。
 つぎに、犯罪率。東京都は当然だが大阪府とおなじくらい日本最悪の発生率で、まったくわるい場所だ。強姦、強盗、侵入強盗、殺人の人口比における犯罪発生率1位が東京である(出展: 警察庁、犯罪統計資料(平成24年1~4月分)。

 結局このどちらの場面でも、警察のつよさ、とりしまり能力がおおきく効果をもち、なおかつほとんどの課題が水戸をふくみそれ以南、特に県南にあるとかんがえられる。それだけ、東京からはいってくるひとがいるからだ。
 茨城県知事にはつよく、この2つのとりしまりを強化されることをねがう。まず水戸や土浦の売春防止法にもとづく徹底的な風俗浄化、そして警察組織の強化による犯罪の徹底的なとりしまり。どちらも、東京都、特に甚だしい前例のある新宿あたりが反面教師になるといえるだろう。

 この全体図をみると、こうわかる。
 テレビの登場以降、それが洗脳装置としてはたらき日本をふくめ人類の現実感をうそでぬりかためてしまった。東京都などすみごこちからいえばほとんど最悪の場所にちかいのに、テレビではさもいい場面ばかりをきかざってうつすので、その洗脳装置にあたまを支配された人間は、どこにもない東京という場所を現実にはそれよりはるかによい茨城よりもすぐれているとおもいこんでいる。これが真相である。この洗脳された愚民というべき人間は、また総合ブランド研究所によるネット世論のにないてでもあって、北海道や沖縄という過酷または深刻な自然環境や、経済状況や心身の健康におとった場所をいわばテレビ洗脳されてよい場所だとおもいつめている。いいかえれば、テレビの内容がかれら衆愚にとっては現実におきかわってしまったのだ。
 としよりがテレビで洗脳されつづけていく光景があちこちでみられる。それどころか、こどもさえそうだ。テレビはこうして資本主義の悪魔のはこ、パンドラのはこだった。
 茨城県が唯一、テレビ局をもっていない。これは以上の論旨をもってすればかえってよいことというほかないだろう。俗にそまっていない。まだたすけがい、すくい様があるのだ。そしてわれらはこの日本でもっとも貴重な長所をむしろそだてていかねばならないだろう。テレビやマスメディアなんてあいてにしないし、かえってそういう態度をもった高貴かつ良識的な人間を大事にし、まねき、すまわせ、かこいこんでいく。この方向性が知識人、文化人のだけではなく、一般人の社会としても将来性があるといえる。そして本来あるべきすがたとは、東京都のごとき俗物根性のすみかたではなく、茨城県の様に質実剛健のいきかたでなければならない。日本人や外国人の衆愚がこのことにきづくときづくまいと、われらは人類としてまっとうで、ただしいみちをいくべきだ。そしていつか衆愚はそのあやまちとあやまりのために大失敗があきらかになるだろうし、うそを本当かの様におもいこんでいたひとびとはそこからくる不経済のために結局はくらしを悪化させ、健康性をそこなったり悪質な子女しかそだてえないだろう。つまりは社会的な淘汰がおこるかぎりはこういったわるい系譜はそもそも時代ごとにすこしずつ除去され、数がへるか、末期には絶滅するはずだ。
 結局、こうしてみれば洗脳装置によって衆愚をあざむいてみたり、印象操作をして世界に害をあたえたりしていた結果は、巨悪として因果にはねかえってくるのだろう。現実に東京都ほど生活環境が最悪なのは、おなじ日本では大阪府くらいのものだろうが、いまだに衆愚はさもこれらの最悪レベルのくらしづらい場所をよいものかのごとく、ひびの映像と音声による洗脳で頭脳を支配されているわけだ。日本の極端な人口密度のかたよりはこうして生じている。しかしそういったむれたがる人間へなにも仕様がないから、単におろかものとしてみかぎるほかない。

 東京都のよい点はおもにその人口規模のみ、といえるかもしれない。すでに人口比がそのまま、出自しえる才能の多様性としてノーベル賞受賞者数に比例するとわかっている(社会学)。つまり、茨城県ではこれから人口比をもっとふやすこと、たくみな宅地開発や都市部のたかさ制限、緑地整備などで人口集中度をおさえながら総合人口比では東京都よりもおおくなることが必要になる。

 また将来機会があれば、茨城県では放送大学よりもすぐれた質をほこる局をもって、県民がほかの諸都道府県より徳をえられる様にすべきだろう。自分のしるかぎり、NHKのBSプレミアムをのぞけば、イギリスBBCワールドニュースがその視野のひろさとまじめさという点で質のたかい報道局であり、これをNHK水戸放送局は模すればいいかもしれない。
 法人としての放送大学そのものを、幕張から県内に誘致することもひとつの有効なてだてになるかもしれない。そしてこういった放送大学で筑波大学や茨城大学、ほかの公開大学講座を茨城県民へ限定してとどければ県民の教育レベルをあげることができる。この最後の構想はいわば弘道館テレビ局化構想といえる。