2020年3月8日

医学的根拠によるコロナウィルス対策案

ごく簡単にかくと

「マスクと手袋して、
顔まわりいじらない、
手洗いと換気して、
ひとごみちかづかない」
(以下コロナと略)

1.コロナはどこかについてたのを手で触り、そのまま顔まわりいじり、吸い込んだりしたとき接触感染が多い → 帰ったら丁寧に手洗いする、外で使い捨て手袋・マスクし帰ったら密閉し捨てる(足りないなら煮沸消毒で再利用)、かつ外で口・鼻・目周りをいじらないよう注意するなどがおもな対策
2.コロナは水について飛ぶので、水がなくなると感染しない。例えば唾飛ばす距離の密室が危険 → 人との距離が唾がかからないほど遠いところなら安全、一定距離で人と接するなら空中の水分をはけるため部屋を換気する(通称「エアロゾル(煙霧体)感染」の防止)
3.コロナは極めて小さく、空気感染はしないので、マスクは感染者が唾とばしたとき顔周りにかかるのを防ぐ程の効果(飛沫感染の防止) → 全数検査以前に自分が感染者かわからないため、公共マナーとして自らの唾を飛ばさないようマスクはつけておくべき(1.の口・鼻・目周りをいじらない効果もある)



参考
カゼやインフルエンザも同様ですが、身体の入り口(目、鼻、口)にウイルスが侵入する経路とは? 岸田先生いわく、ほとんどは「手から口(鼻、目)」なんだそう。
—
飛沫が「何か」(つり革や手すり等)に付着して、さらにそれを触った人の手にくっつく。そして、ウイルスがくっついた手で目や口、鼻まわりを触ったことで、ウイルスが顔まわりに移動し、それを体内に吸い込んでしまって増殖していくのです(=接触感染)。
 
「人間は、5分に1回ぐらいは無意識に顔に手をもっていくものなんです。目をかいたり鼻を触ったり口に手をやったり。だから、ウイルスが人間の身体に侵入する経路として一番危ないのは手、なんです」(岸田医師)
 
「手で顔を触ったって言っても、口を直接触ったわけではないのに……」と思うかもしれません。でも、人間は呼吸する生き物です。酸素を吸って、二酸化炭素を出す。シロナガスクジラがプランクトンをが~っと吸い込むみたいに、人間は口と鼻からたくさんの空気(微粒子)を吸い込んでいるんです。ウイルスはとても小さいので、口や鼻近くにくっついてれば、呼吸する力で吸い込まれちゃうんですね。
 
WHOも厚生労働省も繰り返し「手を洗って下さい」と言っているのは、そういうワケなんです。
—
「つまりマスクは、大きな飛沫は制御できる(=だから咳をしたり鼻水が出るような人がすれば、周囲には有効)、直接口を触らない効果はある、という程度なんです。ウイルスを完全に防御することはできません」(岸田先生)
—
飛沫感染するウイルスの場合、飛び出た飛沫の水分が蒸発してしまうと、飛沫核(ウイルス)は病原性(感染力)もなくなります。
—
…今のところ、「空気感染」する伝染病は、3つしか発見されていません。
結核、はしか(麻疹)、水ぼうそう(水痘)です。
—
新型コロナウイルスは、うんと小さいです。だから換気しちゃえば、あっという間に蒸発して飛び散り、そこで伝染性を失う。とにかく、密室はいけないってことですね。
(引用URL(Suzuki Yuusuke Tumblrのpost)
(花房 麗子『 文系女編集者がわかるまで感染症医に聞いた「マスクが新型コロナ予防にならない」理由』からの重要部の引用) 

中国の衛生当局は新型コロナウイルスの診療ガイドラインを新たに発表しました。このなかで、これまで感染経路について「飛沫(ひまつ)」と「接触」としてきたのを今回、新たに「閉鎖された環境で長時間、高濃度のウイルスの粒子を吸った場合、エアロゾル感染する可能性がある」と追加しました。――テレビ朝日ニュース「新型コロナ感染経路 エアロゾル感染の可能性も」 2020/02/20 06:08

研究論文を掲載したのは『ニューイングランド・ジャーナル・オブ・メディシン』という1812年に創刊された世界で最も権威があると言われる医学誌である。
 執筆者は米国立衛生研究所(NIH)やプリンストン大学、米疾病対策予防センター(CDC)などに所属する計13人の研究者で、実際にコロナウイルスを使用して実験を繰り返し、空気感染によって感染は起こりうるとの結論を出している。
—
論文の概要(要旨)の重要部分を翻訳したい。
 
「生きたコロナウイルスはエアロゾル化後、3時間まで生存することを突きとめた。銅(製物質)の表面では4時間、段ボール上では24時間、プラスチックやステンレス・スチールの上では2、3日の間、同ウイルスは生存していた」
 
「(中略)我々の研究結果によって、コロナウイルスはエアロゾルと媒介物によって感染しうるということが判明した」
—
コロナウイルスは基本的には体液の中で生きるが、咳やくしゃみなどによってウイルスが空気中に拡散され、地面に落ちないで空気中に浮遊し続けながら生きることが、今回の実験で分かったのだ。――
堀田 佳男 『ついに証明された、新型コロナは空気感染する   世界で最も権威ある医学誌の一つに掲載された衝撃のリポート 』
(タイトルまま。精確には空気感染ではなく、中国の衛生当局と同じ見解の「エアロゾル感染」の可能性があるとの見解)
 感染経路としては、咳やくしゃみによる飛沫感染と、ウイルスが付着した手で鼻や目や口を触ることによる接触感染がある。また、中国の衛生当局は飛沫感染、接触感染に加えて「閉鎖された環境で長時間、高濃度のウイルスの粒子を吸った場合」のエアロゾル感染も追加した。――
2019新型コロナウイルスによる急性呼吸器疾患
http://idsc.tokyo-eiken.go.jp/assets/diseases/respiratory/ncov/disin.pdf
https://news.tv-asahi.co.jp/news_international/articles/000176736.html
エアロゾルとは、飛沫よりも小さな粒子のことである。エアロゾルはくしゃみ等によって発生する飛沫とは区別されており、すぐに床面などに飛散することはない。また、水分を含むため飛沫核のように長距離を移動することなく、同じ空気中に一定の時間漂うことが主な特徴とされている。エアロゾル感染は、密閉された空間において長時間・高濃度のエアロゾルにさらされた場合に起きるとされており、限定された条件下で発生しやすいという点で通常の空気感染とは異なる。限定された条件下とは医療機関の診察室、タクシー車内などの密閉された空間を指す。

ただしこの用語は専門的なものではない。 
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%84%9F%E6%9F%93%E7%B5%8C%E8%B7%AF#%E3%82%A8%E3%82%A2%E3%83%AD%E3%82%BE%E3%83%AB%E6%84%9F%E6%9F%93
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200219/k10012292631000.html
https://www.j-cast.com/2020/02/10379312.html?p=all

2020年3月7日

老人は新型コロナウィルスによるお陀仏より自らの貪りによる少子化絶滅をおそれるべきで、人手不足を補う移民募集はおよそ高学歴が望ましい

総じて高齢者が早死にするだけなら、寧ろ日本の様、世代間の資産が極端に偏っているせいで経済全体が死んでいるばかりか、超少子化で絶滅しかねない国では、ウィルスによる自然淘汰の方が「多数決による政治」より結果として優秀だったといえるのではないか? 多数決では老人の民意が採用されるので。
(日本では60歳以上が資産全体の63%、50歳以上が84%をもつ。2014年4月15日テレビ東京・モーニングサテライトより。



若者自殺率も極端に高い。https://president.jp/articles/-/17058
 日本の2018年経済成長率は、相変わらず先進国の圧倒的最下位。全体で191国中170位、0.814%。IMFより。
 なお中国は23位で6.567%。アメリカは104位で2.927%。韓国は113位で2.665%。ロシアは132位で2.255%。
https://ecodb.net/ranking/imf_ngdp_rpch.html)
 そもそも老人が大金を持って自由に外を出歩いて遊びまわっているのに、若者世代を虐めて極貧のままにし親が家に閉じ込め、どこにもいくカネがなくひきこもらせていたのが現代日本なのだから、高齢者が疫病に罹患しまくるのは必然でもあるし、世代交代の責任感を欠いた貪欲への天罰とも解釈できる。
 新型コロナウィルスがたまたま高齢者を集中的に死に至らしめる疫病だっただけだが、上述のよう、日本では老人が若者を虐げ貪婪の限りを尽くしている経済状況だった。しかしこれは若者、特にゆとり世代が善良である事を全然意味せず、寧ろ世論調査みるかぎり、若者が独裁者支持でもっと邪悪なわけだが。
(悪政の限りを尽くしてきた最近の安倍政権を無反省にも支持しているのは、20代男性が飛びぬけて多い。独裁政治に批判的思考力がない教育程度、公的民度の低下を除けば、恐らく私利私欲で就職したさに、現状維持したがっていると思われる。


https://webronza.asahi.com/journalism/articles/2018121100002.html)
 要するに、コロナ騒ぎは別に大きな目でみれば恐ろしくないどころか、日本を救世しているとも受けとれる。老人はどうせじきに死ぬのである。その遅速があるだけだ。そしてもしこれまで通り守銭奴状態だと、ますます超少子化、国の没落、或いは日本人絶滅に貢献はするものの、死去では経済が回り始める。
 ではなぜコロナ騒ぎを恐怖している人達がいるのか? 死を恐れるのは、自分には理解し難い心情だ。死んだら意識がないのだから恐るべきものではない。それどころか仏教では死を救いと教える。いわゆる無余涅槃というやつで、死後に初めて完全に無欲な仏陀、悟った人になれると考えるからだ。
 辛うじて、重い肺病で苦しいのは困る、というなら分かる。確かにそうかもしれない。苦痛は避けたいだろうから、熱出たらできるだけ早く病院にかかって治療うけるべきだろう。しかしもう子供を産む能力がない老人がいつまでも生き長らえる様になった近代文明が、自然に反する医療をしているともいえる。
 もともと縄文期が日本史として最長の実績をもっており、砂原遺跡から数えると12万年ある。その間、人の平均的寿命はおよそ30才くらいだったと聴く。真相は今の自分に定かではないが、つまり子供を生むのにふさわしくない年齢になったら自然に死んでいたと考えられる。だから社会が維持できたのだろう。
 しかし近代文明はまだ150年ほどしか実績がない。しかも急激に寿命が伸びたのは戦後で、ここ75年くらいだろう。圧倒的に維持可能性の証拠がない。実際、超少子化に陥ってどうやら種としての絶滅の前座にいる様にみえる。ダーウィンが『種の起源』に書いた、絶滅種はその前に急激に出生率が低下すると。

 1980年からの出生率の推移。

 これをみると、コロナ大量死って結果的にみたら、日韓伊の出生率を、他先進国と同程度に上げる原因になるのではないだろうか? それが本当に悪しきウィルスといえるだろうか? 「貪欲への天罰」とあだ名でもつけたらどうか?
 常識的に考えて夫婦2人から子供が2人生まれない限り現状人口すら維持できない。およそフランスや北朝鮮除けば、他の先進国は人口維持できない。それで移民に頼って国力を補完しようとしている。代わりにしばしば摩擦が生じている。
 実はそれは低賃金労働者を入れるからである。
 自分の知る限り、つくばみたいに博士や研究者の移民を大量に入れてる町でその種の摩擦が生じたという話きいたことがない。確かにつくば歩いてるとごろごろ色んな外国人みるけど、総じて皆大人しい感じである。すなわち、移民問題を解決するにはつくば方式で高学歴移民を入れる方針とればいいのである。

 今回の新型コロナウィルスは上記の理由で決して長い目でみて邪悪なものでない。寧ろ自然淘汰でよい結果に繋がる可能性がごく高い。もともと現代老人は認知力が低下してからもカネ貯め込む一方で長生きしすぎともいえるだろう。タンス預金のせいで対外純資産は世界一のくせ経済成長率は最下位なわけだ。
 医療関係者は治療を頑張るだろうし、何も高齢者だって余程、精神的・経済的においつめられてなければ進んで死のうともせず治癒されるだろうが、次の世代はこれを教訓としなければならない。
1.長生きするのはいいが吝嗇は経済に支障をきたす(君子三戒の一)
2.移民募集はおよそ高学歴が望ましい

2020年3月6日

茨城人は水戸新政府樹立にあたってひたすら最後の勝利を取らねばならない

安倍晋三は山口4区民の平均民度の結晶と考えられる。
 安倍晋三が「息を吐く様に嘘を吐く」邪悪なダークトライアドなのは、よほど認知力が低くなければ誰の目にも最早疑う余地がないだろうが、問題はその種の独裁者へ10万人超も投票している山口県4区(下関市、長門市)という、深刻な邪心に満ちた自治体が現に、国内に存在するという事の方だ。
 安倍晋三には寿命があるので、無能を通り越した私利私欲、即ち最悪独裁政治のため散々日本国全体を破壊し尽くした果てに、死に絶える。
 しかし山口県4区、下関市と長門市の10万人余りはこの世に生存し、しかも有権者として相変わらず国政に同程度の極悪人を送り続けてくる筈だ。
 我々にとって中長的課題は、この下関・長門という山口県の極悪自治体対策である。そこでは彼らが自称保守と呼ぶ明治回帰の禍々しい風習によって、飽くまで閥族政治が跋扈し、世界中へ公害を及ぼす邪悪極まりない人物を徹底して祭り上げるのだから。
 いいかえれば、山口県の一部に存在する10万人余りの極悪衆愚が、日本国全体へ破滅的影響を及ぼしているのが現状なので、彼らは正真正銘の売国奴といっていいだろう。しかもたちが悪いのは、彼らは無能の余り、史上最悪の極悪独裁政治をダークトライアドにさせつつ、己共は愛国者だと勘違いしている。
 国内に最悪級の公害集団が存在するのと等しい。もっといえば、山口4区の10万人余りはある種の共犯集団で、幕末のテロリズム以来、当該地域の閥族政治に味を占め、国政に僭主を送りつけ、公害を恥じる気配のない悪党なのだといえるだろう。
 下関市はコリアンタウンで有名だ。対馬を通じ、山口県は朝鮮と縁が深い。さらにいうなら山口を治めていた最古の主力大名だった大内氏は、朝鮮半島から亡命してきたもと百済王と称していた。つまり帰化人の文化が根づいている。
 和人右翼は朝鮮人は嘘つきと差別するが、まさに安倍晋三がそうなのだ。

 安倍晋三の父・晋太郎は「私は朝鮮(人)だ」と生前語っていた記録が、家政婦の口から語られている。つまり晋太郎の意識の中で彼は帰化人だったわけだ。
 日本人右翼が帰化人が多くを占める山口県4区の意志にのっとられ、操られている。
 国政が帰化人に翻弄されるのは今に始まった話ではない。天皇ももとはといえば宮崎経由で中国から入ってきた帰化人だろうし(記紀)、途中では桓武天皇の母を通じて朝鮮人とも混血した証拠が残っている(『続日本紀』)。奈良時代から天皇は特に帰化人らを重用し、先住日本人を侵略虐殺・弾圧してきた。
 すなわち、安倍晋三は地域柄、この種の系譜にあるといっても余り間違ってはいない。山口の下関市・長門市は帰化文化の影響が無視できないどころか、帰化人の集団である弥生時代以後の歴史しかないといってもいい。
 安倍晋三が公然と嘘をついても10万人余りが支持し続けるのはある種の異文化だ。
 日本の本州文化、特に新渡戸稲造が『武士道』に記したよう、少なくとも東国武士の系譜では「武士に二言はない」とことわざがあるくらい、誠実性を重視する。然るに安倍晋三は全くこの種の武士道に反する。山口県4区にはその種の武士道はなかったといっているにに等しい。そこにあったのは権術だけだ。
 安倍晋三は選挙区こそ山口県4区の下関、長門だが、生まれも育ちも東京都内。この東京という地域も関東にあって関東にあらず、明治期に天皇含む関西人だの西国人だのが雲集しだして東日本といっても東日本より関西地方へ遥かに似ている。
https://todo-ran.com/t/tdfk/tokyo
 そういう特殊地域で生育し、かつ、権術第一の薩長テロリストの系譜が美化され尽くしている山口県に墓があるので、安倍晋三は65歳になる今の今まで、誠実性など専ら無視していたといえるのだろう。もっといえば総じて町人・商人文化の下流世界である東京で武士道など完全に馬鹿にしていたのだろう。
 が、私からみると孔子のいう「不義にして富且つ貴きは我に於いて浮雲の如し」のそのままで、嘘を常態的について最高の地位から悪政の限りを尽くしてきた馬鹿の支持する安倍晋三は軽蔑や憎悪、怨嗟などとうに通り越していかなる犯罪者よりも低い人格的価値しか置かれていない。当然、下人未満である。
 こないだ、モギケンに繰り返し返信してるある輩(多分都民)がツイッター上にいるんだが、そいつが俺に
「(俺が官邸に嘆願送って返事きたというツイートに)で、ちみはどうなんだね? 安倍サンを支えてあげなきゃと思う」云々。
 無視したが、あの安倍を応援する馬鹿がこの世にいるのが信じられん。
 目の前で嘘つくやつなんざ真っ当な人として扱われなくて当然である。一応憲法では人権与えられてるからその範囲で法的には扱われるだろうが、精神病質でなければ人格的に尊重に足らないなんて常識以前の話である。
 上述したよう東京は関西地方と似ていて不誠実をなんとも思わない人が関東北部より遥か多い。
 私の県の文化だったらヘラヘラ嘘ついてる時点で(精神疾患者とか精神病質なら別だろうけども)水戸黄門に討伐される様な風儀である。嘘抜きで。これが本当なのは茨城県民ならある程度わかってもらえるんではないか? というより、子供の頃から嘘つきを周囲にみたことが無いレベルである。
 もっというと、別に茨城県だけじゃなくて、東日本一体で、関西と似ている東京や神奈川を除いて、あるいは別文化圏といえる北海道も除けば、大体似た様なもんじゃないかと思う。武士に二言はないは、上記の自治体除く東日本一帯では、嘘抜きで凡そ現役で生きている誠実さに関する私徳にして美徳である。
 さらにたたみかけると、僕の近所の幼馴染のタカちゃんなんざ、子供の頃なんかイタズラしてそのまま逃げる事もできた状態で、普通に自分から謝りにきていた。ゴメンねと。3歳児とかである。
 これが拝金権術に堕落した東京・神奈川除く、関東なり東国の基本風儀と私は思うのだが。
 では安倍晋三がどうか。恬として恥じぬ。嘘しかつかないのに。しかも山口県流儀で勝てば官軍と思い込んでいるからどんな不正やっても権力亡者を決して辞めない。本当の話、徳川慶喜公が神様なら、安倍晋三めはカンダタみたいなもんだ。そうではないか。慶喜公は自分から最高権力を天皇に禅譲したのだ。
 山口県4区、下関と長門がいかなる風儀で作られているか、安倍晋三みれば一目瞭然。嘘ついても勝てばいいと思ってんです。そんなの東国から見たら下の下。慶喜公という崇高な前例があるんだから、恥ずかしくないのかどころの騒ぎではない。
 日本の東と西で、道徳律が正反対で話し合いにならない。
 例えば歴代幕府の将軍の前に新皇というのがいたのである、常総に。チバラギとか馬鹿な東京人が驕っているが、その東京なんざ京都からみての蔑称である。鎌倉府より前に全関東・首都圏の覇者となった人は常総人で、今でいう茨城県坂東市に一起源がある。武士の起源は坂東武士にして、茨城人なのだ。
 つまるところその新皇にしたって天皇に逆らって公卿や武将に裏切られて潰された。それで水戸の徳川家が尊皇思想である水戸学に辿り着き、禅譲した慶喜公まで繋がるのが、いわゆる武士道の系譜。最後の将軍が武士の最後の親分といえるだろうけども、その人は尊皇の大義で至誠一貫自己犠牲したのである。
 では安倍晋三はなんなのか。嘘をつきまくって7年も政権の座に居座る。独裁を防ぐ為の民主主義を理解していない馬鹿なのであろうけれども、それだけならまだしも馬鹿殿を降りようとしない。恥ずかしくないのかどころの騒ぎではない。馬鹿だと誰の目にも分かって散々辞めろといわれてるのに傲慢極まる。

 ここまで悪政連打してくると、僕含め元来武士になった人達と同じ気性を持つ側としては革命起こすしかなくなってくるだろう。明治維新だって元来水戸人の仕事だ。大津浜にイギリス船きて急いで尊攘論つくり打払令ださせ幕政改革、西国遊説後の桜田門外に天狗党、大政奉還に新撰組最初と最後の局長まで。
 しかし、はじめにいっておきたい。
 明治維新は我々が御三家で有利な側だったから、成破の盟約で敢えて重い側を択んだ。僕の近所の西丸帯刀さんがそうした。今回は違う。ここ150年の薩長藩閥の悪政の山はいうまでもなく我々は東京マスコミだのに散々差別される側で、非常に不利な立場にある。
 したがって今回の革命は、私が最初に断言しておくが茨城人、水戸人が最終勝利者にならなければならない。しかも絶対的且つ圧倒的に。これは前回とは違う革命様式だ。
 もう薩長土肥がどんな連中かなんて死ぬほどわかっているのだから彼らがどう行動するかもやる前からほぼわかる。卑怯な権術で動く。
 東京人も同じだ、気風が関西化しているからカネと利己心で動く。天皇も皇族もそうである。自分の地位が失われそうになったら国民全体でも平気で裏切るのが昭和天皇の行動で実証済みである。
 もう彼らの行動原理は丸見えである。我々茨城人は飽くまで深慮の元、外部から彼らに同士討ちさせるがいい。
 我々が必ずしなければいけないことは一つで、最後の勝利だけはなにが何でも自分達が取る事だ。それが前回、山口人に海上の丙辰丸で以来、ここ150年を譲ってやった意趣返しといえるだろう。彼ら長州閥は一言でいえば戦争続きの悪政しかできなかった。我々が事前に想像したより遥かに無能だったのだ。

 我々が新政府の旗印となった暁に、いや、もう必ずなると決まっているわけだが(歴史的経緯からもそれ以外の選択肢はとりようがない)、飛鳥以来の天皇政治と違い共和政治の元、全国自治体を等しく尊厳の元に扱う。天皇が中華思想で田舎差別・都会自慢を都民・京都人にさせる原因、天皇政治を脱却する。
 さらにいえば、東京や京都などは虚栄心に耽るあしき風儀は奈良ほど没落する未来に至らないかぎり今後も変わらないだろうが、それでもなお彼らに対しても差別的にではなく、文化多様性の一つと解し他自治体と全く等しく、尊厳を以て扱う。薩長土肥はこの逆をやって、敗者を辱めて150年も経った。
 山口、鹿児島、高知、佐賀。これらの自治体も同じだ。これらの自治体は一言でいえば野蛮で自己中心的なので、彼らの裏切りや侵略罪の被害者側の自治体の立場で物を見る知能がない。それで福島や旧徳川がたをひたすら辱めているのだ。敗者を辱めぬ武士道に反する事甚だしいのは彼らが野卑だったからだ。
 今でいう京都や広島も戊辰戦争中、西軍に与していた。これらの自治体も多かれ少なかれ上述の薩長土肥と似た幕末史観をもっている点で傲慢で悪意があり、無知なのだが、単なる自治体への扱いとしては、水戸なり茨城の新政府にとって全て等しくなければならない。
 世界規模でいうならば、欧米列強と呼ばれていたアメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、イタリア、スペイン、ポルトガルなどは、やはりこの点で同じで、植民地侵略を罪に思ったり恥じるほど平均民度が高くない。そうならば第二次大戦の覇道も反省の余地などないだろう。これらの自治体も等しく扱う。
 我々茨城人の為すべき世界政治史的な仕事は、全てこの世の自治体を事情如何に関わらず等しく尊厳を以て扱う新政府の確立、その維持と啓蒙であり、そこでは皇室や東京政府(日本政府・東京都庁)、京都政府(京都市・京都府)らの様な中華思想の残滓や、差別的意識は全て絶滅させられなければならない。
 またこの最終段階では、国連本部も茨城県内に移設すべきであろう。覇道に耽るアメリカはこの役割を十分なしえなかった。
 またこの中途段階では、北朝鮮や中国を当然含む、平和協定をおもとするアジア連合の本部を、天心の「アジアは1なり」の理念が根づいている北茨城五浦界隈に樹立すべきである。

2020年3月5日

東京圏や京都の虚栄心を反面教師にし、知的謙虚さと飛耳長目を茨城文化的な風習とすべし

都民全般は田舎(ダサ)いダサいを口癖にし、見てくればかり気にし中身が伴わない。それは接触頻度が多い他の都民から無粋と思われるのを恐怖する町人意識の延長にあって、何事につけ恥が先立つからだ。その分、虚栄心や俗物根性が激しく、なべて無理してまで空っぽの自分をごまかす虚勢を張りたがる。
 質素を重んじた水戸徳川家の武士道ゆずりの質実剛健をなににつけ基とし、義烈両公以来、農本的な茨城文化はこの点で東京人の気質と対極的である。単に武士階級が延長した公務員らがそうであるだけでなく、専ら我々民衆の日常でも都民全般の軽薄さを反面教師にしているといっても過言ではないだろう。
 商業に偏った東京に比べ、農工両全が基幹にある産業構造の違いだけでなく、環境や日々の思考習慣、風習といった一般的文化にも大幅な違いがあるため、想像できるかぎり相当の未来に亘ってこの風土的な気質差は首都圏の南北間で暫く埋まらないばかりか、ますます開き続けるだろう。

 私は両文化圏を体験済みな上に、双方の歴史や成り立ちをできるだけ緻密に学んできた一人として、極力客観的に比較できるが、より明るい未来があるといって間違いないのは茨城の方だ。嘗てどの大都市も亡びてきたのは、現代東京のよう貪りや傲慢といった、都会の悪徳に耽っていた因果でしかない。
 直接接してはいないにしても、あるいは極近隣で千葉の柏界隈を挟み異文化間の摩擦もはなはだ激しいにしても、私はより優れた美徳がよりまさっていくと予期する。すなわち、茨城側は今後も過去の常陸国やそれ以前と変わらず千年、万年と文明の質をひきあげていくだろうが、東京は荒廃し滅亡するだろう。
 東京圏の中華思想は滅びの原理で、全て堕落のはじまった悪例と呼ぶべきだ。同じ事は京都にも言える。
 嘗て彼らと同様の高慢に耽っていた奈良の平城京辺へ、私は都市文化史的な興味から観光に行った。そこは最早大都市の面影はなく、子供が裏山としか思っていない古墳間に並の民家が残るだけだった。
 東京や京都の驕りがはじまったのは、天皇、もしくは徳川宗家(旧将軍家)が来たせいだ。天皇は中華思想を持ち、徳川宗家と共に多かれ少なかれ覇道政治をしていた。そのせいで、彼らの風儀に染まった都民や京都市民らも、似た部類の傲慢の悪徳に耽り、自らの不明を恥じなくなったのだ。

 ここから我々茨城県民が学べるのは、第一に、天皇や徳川宗家の様な覇者の部類を地域一帯から遠ざける工夫がなければならない。幸運にも水戸の徳川家は御三家で、文化相対主義を身につけていた。それで江戸・東京と違って傲慢に陥らず、寧ろ覇道政治より研究を重視する知的謙虚さが文化気質になった。
 京都は経済的没落後も自文化中心主義をすてきれず、今も門川大作市長のもと文化庁や皇族誘致などで首都ぶろうとむなしい覇道政治に耽っている。この点も、予てからの中世懐古趣味が見苦しいだけでなく傍ら痛いのだが、もとは天皇なる覇者が長居していたのが原因だ。虚栄心の追求は実質と矛盾する。

 第二に、東京が現にそうあるよう自文化の外について無知な状態、井の中の蛙、夜郎自大の風儀が最も恐ろしい。いわば彼我の実力差を知らぬまま強者らに吼えている弱い犬と同じで、情報戦だけでなく、現実の競争でも即死を免れないからだ。逆に飛耳長目を是に情報収集と彼我分析の徹底に努めるべきだ。

東京人全般の傲慢さは茨城人にとって何事につけ反面教師

(宮尾岳@GAKUJIRA氏によるツイート
今日、所用で土浦市役所に行ったら貼ってあったポスター
なんか…
凄くいいんですけど!!
茨城のセンスとは思えないほどいいんですけど!!
この位の塩梅の「アニメ絵」ならオールOKでは?
午後8:27 · 2020年3月4日

への返信集)

 東京人、京都人全般はダニングクルーガー効果の通り、愚かであるがゆえ何事につけ傲慢である。
 それは天皇と称する殺人教祖が住んだ土地の人々に蔓延させた中華思想の偏見によっているが、都会を形成する商人達の平均的民度が、外部より相対的に低いせいでもある。都会は雑多で衆愚が多いからだ。
「粋」や「萌え」などの美意識を規範とする東京文化は江戸時代から変わらず品性下劣であり、それは嘗て町人と呼ばれ、今では労働者(ビジネスマン、OL)と呼ばれる下流の人々が形成していたからだ。
 東京商人らは上記のよう傲慢だが、それは彼らが井の中の蛙で、他文化の質に無知だからでしかない。

 一方で、茨城文化は水戸徳川家の統治下以来、水戸学による教養主義を基盤にもつ武士・知識人文化を規範とし、一般に東京文化より品位に優る傾向にある。常陸国(現茨城県)の町人(農民含む)は藩校、郷学、寺子屋などを通じ、江戸時代から現在でいう高等教育を受けていたし、現時点でも世界的研究拠点である筑波研究学園都市を有し、県単位で人口当たり研究所数が日本一など従来、好学の気風がある。
 常陸国(現茨城県)の町人(農民含む)は藩校、郷学、寺子屋などを通じ、江戸時代から現在でいう高等教育を受けていたし、現時点でも世界的研究拠点である筑波研究学園都市を有し、県単位で人口当たり研究所数が日本一など従来、好学の気風がある。
 趣味も民度により公認されるので、妥当な作品だ。
 さらに遡れば、万葉和歌や現存する東日本に関する最古の文献である『常陸国風土記』にも、今でいう茨城人、嘗ての常陸国民らの記録が残っているが、四六駢儷体による風土記の格調高い記述や嬥歌文化を引くまでもなく『古事記』で筑波の道が連歌の起源となっているほど、上質な短歌作品が詠まれていた。

 なぜ東京都民全般が斯くまで自文化中心主義的で傲慢なのかなら、ひとえに彼らの教養水準が低いからでしかない。そしてその基本的素因は、彼らが下流商人として世間知らず同士群れているからで反省の余地はない。

(水戸市民なので「茨城のセンス」 を前提的に劣るかの様な表現にイラッとした、とのツイートへの返信)
この漫画家の人は香川出身。
 東京に来て周辺県をわけなく見下す無知で傲慢な人が一体どういう出自か推して知るべし。
 香川はもと水戸の徳川家の支藩だったし、徳川光圀の子が治めていた筈だが、後世の民がこの沙汰なのだから現地の教学が劣っていたと解釈するしかない。

2020年3月4日

累進課税、寄付促進制度、喜捨の義務、愛民思想など高い所得・資産調整度の工夫は商業化による都市の退廃を未然に防止する

東京圏、関西圏など所得格差が大きく俗物が多い社会では、他人に馬乗りすることで羨望やそれに伴う嫉妬を解消する目的が人生観に割り込んでくる。
 虚栄心を埋める俗物競争の経済面は、顕示的消費、即ち贅沢なだけで実益のない浪費が支配している。

 都会と呼ばれる商業化された地域風土のうち、この俗物競争がもたらしている面は甚だ大きく、最終的には都市の荒廃と自滅に繋がる。実利から離れ、空疎な見栄っ張りに耽っていたどの大都市も退廃の果てに滅亡した。
 農工業を捨てたどの地域も、この意味で致命的な展開をしているといっていいだろう。

 第一次産業(農林水産業)、第二次産業(工業)を主要な一角とする地域は、少なくとも第三次産業(商業)だけに依存している地域に比べ、その種の俗物競争に陥る危険性がそれだけ少ないことになる。茨城の農工両全はこの意味で健全な理念といえる。

 また所得・資産格差をへらす、但し、有能な商人を妨害するのではなく累進課税や寄付文化・制度の促進によって後から調整することが間接的に都市問題を防ぐ方途である。
 商業活動そのものを阻害するのは、公害防止(外部不経済の内部化)を除いて誰にとっても有害でしかない。重要なのは調整度だ。

 地域住民や公僕が、公税や寄付(特に喜捨)を福祉目的と認知していないのは、その地域の公共民度が低く、無知だからにすぎない。単に法制度を整えるだけでなく、これらの意義を愛民思想、貴族義務、或いは宗教観念のよう様々な手段で事前に啓蒙しておくのが、その文明の将来の成熟した発展を準備する。

2020年3月1日

コロナウィルス患者数を減らすには複数の対策をすべて組み合わせると劇的に効果がある

茨城県・筑波大、倉橋節也教授のAIシミュレーション(模擬)によると、コロナウィルス重症患者の低減率は

・学校閉鎖のみ → 低減率2.2%
・テレワーク等複数をくみあわせると → 低減率64%

倉橋氏「…1対策だけ行っても、効果は薄い。…有効な対策を組み合わせて徹底することが重要」

(問い合わせ先、資料
・筑波大学 http://www.tsukuba.ac.jp/ 電話:029-853-2111 住所:茨城県つくば市天王台1-1-1
・サンデーステーション 2020年3月1日(日)16:30~18:00 テレビ朝日
https://kakaku.com/tv/channel=10/programID=74091/episodeID=1343273/)

 シミュレーションでは新型コロナウイルスについて、これまでに分かっている感染力などのデータを基にAIを使って1120人の架空の集団を想定して感染がどう広がるかを計算しました。
 そして、さまざまな対策をとった場合に入院する患者数をどの程度減らせるかを試算したところ、時間差通勤では5%、職場や学校で人と接触するのを避けたり、手洗いを徹底したりした場合は11%、それに職員の半分をテレワークにした場合は15%などとなりました。
 一方で、これらに加えて商業施設などでも人と接触するのを避けたり、発熱後に自宅待機したりする対策をすべて組み合わせて行った場合は入院患者の数は64%と大幅に減るという結果が出た

入院する患者数が減った割合
▽発熱後に自宅待機した場合は1%
▽時差通勤を行うと5%
▽電車内で人との接触を避けた場合は5%
▽全校を学級閉鎖にすると7%
▽職場や学校で人との接触を避けた場合は11%
▽職員の半分をテレワークにすると15%など
――NHKニュース『新型ウイルス 研究者試算 対策組み合わせで入院患者6割以上減』
(https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200220/k10012294081000.html)

2020年2月22日

現代茨城人らにとって真の天敵は都民や大阪民といった低民度で犯罪しがちな都会の悪徳商人一般であり金融民度の向上と政争の勝利で対処するのが要

思うに、我々の真の敵は国内にいる。
 特に「田舎差別」「茨城差別」している人達は我々の正真正銘の天敵だ。多分、ほぼ認知エラーを繰り返してる上に虚報に洗脳され易い点でネット右翼と呼ばれる人達と一部かぶっているが、それだけではない。都民とか京都市民とか、都市部の住民に多い傾向にある。
 「門地差別主義者」の中でも、特に田舎や茨城といった認知分類によく反応する人達がいる。自分が観察してきたかぎり、そういった人々の認知エラー傾向は、いわゆる国籍・人種・性・学歴差別などをする人達とほぼ同じである。我々に有害な特定の確証バイアスを持っている点で、特に天敵なのである。
 裏を返せば、福沢諭吉が「内安外競」とナショナリズムで扇動していた時代から、今では国内差別を行う人々がおもな公害になっているともいえる。勿論、外国または外国人差別をする人々も有害なのだが、我々自身に直接実害があるかなら、その外国に血縁その他がある人を除いて間接的な有害さに留まる。
 然るに、特に東京都民一般のよう、完全に悪意で虚報をし続けたり、普段から特定の田舎(例えば茨城県単位)を門地差別したり、その種の悪業に適当な言い訳をつけて正当化するといった言動が非常に目立つ。これらの科学・技術・情報の悪用による精神的攻撃に加え、具体的に公害や犯罪までしかけてくる。

 警察統計によると

刑法犯数(2016) 
日本人147万>来日中国人3409人>在日朝韓人2843人

犯罪率比較(2016) 
日147万/1.27億=1.15%>韓2843/484,627=0.58%>中3409人/499万人=0.068%

日本人・在日・来日犯罪率(2016)
日>韓>中 
日1.15%>在韓0.58%>来日中国0.068%

日本人の刑法犯数(2016) 
東京>大阪>愛知
日本人の刑法犯割合(2016) 
大阪>福岡>兵庫

すなわち
犯罪数(犯罪の多さ) 日本人(特に東京人)>中国人>韓国人
犯罪率(犯罪のし易さ) 日本人(特に大阪人)>韓国人>中国人

 警察統計だけを分析しても、東京人や大阪人の方が、いわゆる来日・在日外国人より明らかに犯罪が多く犯罪もし易いという点では、一般的民度が低い。
 ということは、我々が常々、都民から心身両面に甚だ公害を受けているのもむべなるかなで、東京都の低民度そのものが日本人一般にとって天敵なのだ。
 東京都民一般は(県民所得でわかるよう)暴利をむさぼりながら、(魅力度差別など擬似統計捏造の虚報・原発公害などでわかるよう)報道・政治権力を悪用する。ダニクル効果で知られている通り驕った中華思想に耽るのも同様に、彼らが悪意をもつ犯罪衆愚的な低民度だからで、ほかに理由はないだろう。
 中期的にみて、東京都が亡ぶのは間違いない。石原知事以来の都知事以下都民一般による貪り、傲慢、虚栄、姦淫、公害など悪徳の証明を、日々我々は実感しているだけではなく、それは単なる犯罪数・率など明らかな実態を伴ってもいる。最大限善意で彼らをみても、総じてスラム化現象を否定できない。

 では、一体どう対処すべきか? 彼らは日々、悪意ある虚報とか華夷秩序の確証バイアスを強化するサブカル(『君の名は』の様な物)を使って、海外含む全球愚民を洗脳してもいるのだから、非常に厄介というしかないだろう。

 私にいえるのは、少なくとも自県の賢民の質のみが目的でなければならない。
 どの県どの国も多数派は相対的に衆愚とみなせる。都民らは悪意を持ってその種の衆愚を洗脳相手に搾取し、騙し、犯罪をしかけるわけだ。しかし少数派はそうでない。特に県民のうち賢い人々の判断が、利己・害他的で悪意ある都民全体より優れていれば、危機から免れる方途がみつかりうるだろう。
 都民・大阪民ら日本人でも犯罪率・数が多いという点で低民度な集団は、ほぼ全数が商業に従事しているため衆愚の搾取を決してやめない。それは彼らが生活様式から金儲けしないとくらせないからだが、代わりに、それが彼らの最大の欠点ともいえる。資本主義秩序の金融能力で上位者には手も足も出ない。
 さらに、彼ら都民・大阪民らにも別の天敵がいて、それは公務員だ。公務員は暴力で税をはむので商人は収奪される一方になる。
 つまり彼ら悪意ある日本人(主に大都会の悪徳商人)らへ対処するには2点が要だ。
1.県域での金融民度の徹底向上
2.公務員社会で上位・絶対数を占める権力闘争での勝利

茨城e五輪

もう東京五輪おわったからこっちだけ知事と茨城e五輪やろうぜ世界中を驚かせ続けよう

2020年2月20日

初対面の印象と好ましい香りのタグづけ

茨城空港は入港時の印象がよくなるよう、県産の香水類をアロマオイルとして搭乗口付近で仄かにかぐわせる工夫をすべきだ。

2020年2月11日

趣味の格率

東京圏の卑俗な大衆商業文化に妄従している京都は、現代の反面教師だ。
 わが県が東京関西の自堕落な流れを断ち切り、風土記の昔から続く自身の高貴なる趣味に立ち返り、理非によって聖に親しみ俗を避けるのを望む。趣味の独立自尊こそわが県を国のみならず、地球文化の至宝へとおしあげるであろう。

2020年2月6日

2020年までの日本のロボットアニメの趣味は非常にいいので茨城発のロボ設計ベンチャーで国際競争に勝ち抜ける

ボストン・ダイナミクスのロボって何でこんなに気持ち悪いの、設計者の趣味が恐ろしく悪いのばっかり。恐らくみてきた代物がアメリカのSFとか最大でも『スターウォーズ』『スタートレック』みたいなのだから、ロボを可愛くする発想が皆無。ソニーの初代アイボとか全然ましだった。ミクは気持ち悪いが。

 ボストンダイナミクスのロボって実用本位で多分性能はいいのかもしれないが、日本人技術者が設計したら流石にここまで底なしに悪役っぽい、酷く醜いのは作れないんじゃないだろうか? 技術が優れてても美術面ではアウトってことがあるんだな。
 MITの人らって工学系のオタクなんだろうけども、ボストンロボをみるかぎりでは美術の素養は皆無といってもいいだろう。どんな和製アニメだのゲームに登場してもこれ、絶対敵役だろ。しかも主人公に蹴散らされる雑魚敵。そんなの作ってよく楽しいな。なんかイイネみたいな扱いされてる時点で美意識おかしすぎるだろ。気持ち悪いし。
 日本のロボット美意識てガンダムみたいのなんだから、圧倒的に上といわざるをえない。
あとは実際に筑波大だの茨大工学部辺りの人らがボストンダイナミクスぱくってロボ設計のベンチャー作ればいいんではないの? 恐らく普通に設計美の点で、アメリカに負けようがないのでは?

2020年2月5日

大手門復元に伴う将来的な水戸の現代日本までの歴史的物語を語る総合再開発計画

(高橋靖水戸市長の2020年2月4日、水戸城大手門完成記念式典及びくぐり初めについてのツイートへ寄せた返信集)

大手門の先になぜ水戸城がないのか、明治政府から薩長土肥の官吏が侵略してくる前に徳川の侍の誇りを守るべく自ら破壊した、という水戸の気骨までをぜひ物語として語り伝えていただきたい。

 自分の調べた範囲では、水戸城は1190年から1198年頃に馬場資幹が築いた時から長い歴史をもっている。
 慶喜公と縁が深い初代茨城県知事・山岡鉄舟の代行者だった佐賀出身の渡辺清が、徳川時代の徳治のより所を汚すのを当時の水戸の侍は潔しとせず自ら放火、これゆえ水戸城が現存しないと。

で桜田烈士・山口辰之介が叔父、藤田東湖妻が伯母の山口正定が2代目に就いたと。水戸人の気骨で忠節を守った史実でしょう。

もし城まで再現するとしたらスマホの観光ARアプリを作り幻視できるようにしたらどうでしょうか?

それと、水戸史学会や、新札の顔・渋沢栄一著『徳川慶喜公伝』などを通じ自分の知る限り、慶喜公は進んで天皇へ禅譲した世界史に最も傑出した偉人でしょうし、平和革命の第一人者といってもいいが薩長土肥ら西日本諸県の自慢の前で余りに過小評価されてます。

それは故郷にあたる水戸市でも、弘道館の肖像画を除けば小さな街角の銅像、あとは烈公による庭訓を現した七郎磨像しかないのでも明らかでしょう。
 水戸駅から弘道館まで周遊ルート上、最も目立つ箇所に、彼の世界で最も高潔な公徳を示す堂々たる銅像を建立するのが、市民や観光客に彼の偉大さを伝えるよすがになるのみならず、戦争の耐えない野蛮な世界で彼の平和を望む心を育んだ弘道館・偕楽園が輝かしい世界遺産になるにも役立つのではないですか?

『公伝』にみられる、少年の頃の慶喜公が烈公から勧められ馬術を習い、大洗まで出かけたり、千波湖の周りを巡った逸話が、のち日本人で最も立派で堂々たる体躯とイギリス貴族のミッドフォードの回想録(『英国外交官の見た幕末維新』)で語られている点など素材としていいのではないでしょうか?

具体的にいうと、皇居前の楠木正成の騎馬像(あれも水戸学の権化ですね)を参考に、ナポレオンから貰った洋装の慶喜公を最後の将軍としてできるだけ理想化した、全武家の頭領としての雄々しさを徹底的に強調表現した世界一の騎馬像を作り、文武不岐のコンセプトで弘道館の学問中の肖像画、七郎麿像と三対にしたらどうでしょうか?

渋沢栄一『徳川慶喜公伝』第4巻、逸事、父祖の遺訓遵守に、慶喜公は烈公から「義公以来の家訓」として、たとえ幕府と戦っても天皇に弓を引くべくにもあらずとの庭訓を受けた逸話が載っている。この庭訓の現場を現すのが七郎麿像と解釈できます。
 慶喜公騎馬像、弘道館の読書画、七郎麿像を周遊ルート上に繋げて、水戸の侍の高貴な精神性を総合表現する再開発がいい。

それと、水戸や茨城が近代化を先駆けるべく自ら払った犠牲であるところの回天神社や、戦後最初に水戸へ昭和天皇が行幸され、茨城県庁屋上から

たのもしく夜はあけそめぬ水戸の町うつ槌の音も高くきこえて

と詠んだ逸話も、現代日本の復興までの歴史的必然性を語るのに欠かせないと思うので、将来的な水戸の総合計画に含めるべきかと。

 これ以外にも戦中に台湾で水戸学愛民精神を発揮した飛虎将軍の生家跡地とか、戦後に現代美術の先駆け志した水戸芸術館建設まで、不可欠な歴史的経緯を持つ遺産が市内に沢山ありますので、総合計画の中におのおの孤立させず、なんらかの輸送機関でつなぎ、観光ルートとして全て周遊させるのがいいんじゃないかと。

2020年1月26日

撥音便は日本語一般にあるため訛り扱いして差別的言動を取る人々は単に知能が低いか悪意がある

撥音便は日本語で普通の現象だから県名で茨城(県民)以外に宮城・栃木・神奈川なども本来はミヤキ、トチキ、カナカワと読む。音便があっても通じる。清音が正式なイバラキをイバラギと呼んで侮辱している人達は撥音便を知らない無知を晒しながら無意味に地域差別している意味で二重に暗愚である。

2020年1月23日

東京都民全般及び東京圏観光客は茨城空港の利用者から積極排除すべし

東京都民なんて腐るほどカネ貪って原発までおしつけ差別まきちらしてる強欲の極悪衆愚なんだから7500万も補助してやる必要一切ない。寧ろ進んで排除すべし。
 茨城空港は茨城県民の利便を第一に考え、第二に関東北部の乗客の為にあるものなのだから、南関東の下衆と永久に縁きればよい。すばらしい。
 東京都民全般みたいな茨城への差別主義者なんて、民度からいっても公害でしかないんだから、どんどん排除でよい。ヘイトスピーチ法の趣旨にも叶う。
 茨城・関東北部への観光に興味がない人は羽田・成田で十分。どうせ都民なんて利己しか頭にないのだから、大井川氏の東京観光への補助廃止決断が100%正しい。下衆は排除。
 ここ(NHK水戸放送局の該当ツイート)の返信欄みてても明らかだろう。下衆なんてよびよせてはいけない。民度が東京レベルに下がってしまう。都民全般なんて、原発公害みたらわかるよう中華思想の塊である。そんな外道どもの為に大事な県税使うなかれ。
 こいつら、どうみても利己しか頭にない。他県の足元見てる品性下劣な東京圏住民またはヤクザに違いない。他県民の金で500円で移動させてもらっていたのに感謝の一つも述べない極悪人なぞわざわざ補助してやるべきではないだろう。カネ払わず茨城県民を差別までしてきてやがる。条例作って処刑でいい。
 今後は、茨城には世界中の大金持ちしか旅行できなくしていくべし。高が移動代ケチって、他県民様のカネむさぼって、感謝の念一つ述べず500円しか払わないだけでも品性下劣の極み。傲慢きわまりない典型的東京圏貧民どもは、わが県に一円の利益ももたらさないではないか。それだけでなく差別の元凶だ。
 これまで50年以上も原発で散々電気を融通してやっていたのにこれほど驕慢な衆愚を抱える東京圏なぞ近い将来滅亡することは神の目でなくとも明らかなことだ。わが偉大なる県は金輪際、東京圏に関わるな。他県民税を貪る目的で東京圏民の品性下劣な吝嗇ぶりに媚を売る下衆どもにも天罰が下るであろう。

2020年1月10日

東京国政や京都の首都のっとり陰謀は無視して茨城県政を国家規模にするのに注力し結果として救国すべし

宮本エリアナっていう人が、BBCインタビューで「日本が好き」といってて、まあミスなんとかだからいうのかもしれないけど、よくこんな国好きになれるよねと思って、僕はかなりびびった。
 しかしこの意味で、今みたいな最悪国政みてて日本好きなれるひとは向いてるんだろう。
「日本を好き」と公言できる人って、今のこの国の状況でそういえる判断の持ち主なんだから、多分、よほどひどい目にあっても好きだといえるんだろう。そのウチラすごい根性(現実から目を背ける極端な自己愛?)みたいなのをもってる人しか今の日本で子供産もうと主体的には決して思えないだろうし。
 アフリカの人って遺伝子がよい意味で違って、奴隷制の下でも明るく笑ってたのでは? セロトニン恒常値とか大分違うのでなければ今の傾国状況を悲観しないとかありえない。
 既存の極東人の知能にとってIQと安心はトーレドオフだったはずだから、ある意味、日本人もアホが殖えやすいのは自然と思う。

 アホは明日の心配もしなければ安倍サンシカイナイ、とかすら思わず、なんも考えず深夜アニメみてプゲプゲいって、荒野行動やってプゲプゲいって、スノウ交換してプゲプゲいって、ミルのいう「満足した豚」として自己奴隷化しまくって社畜になりまくるのが趣味みたいなもんなんだから、日本に向いてる。
 逆にこの国に向いてないのは、賢い人とか、善良な人、将来を見通せる人だろう。だってそういう人からしたらアホ首相が悪政三昧で、アメリカ属国化されてゴミ捨て場にされてるわ、カネ搾取も税収奪もひどいし、洗脳目的の差別を東京民が流すから地獄じみた都会の満員電車につめこまれて全員発狂だし。

 賢い人、善い人ほど生きづらいとか、正真正銘の地獄じゃなかろうか? 馬鹿と悪人が全力で日本人デヨカッタとかいってても、いやお前らが消えれば随分よい国になるんだが、としかいえないのでは?
 消えればいいやつほど「普通の日本人」と称する。
 ナショナリズムほど邪悪な思想ってそうそうない。
 別に日本にいなくても「普通の日本人」って、海外のどこの国でも迷惑だと思う。現地で差別まきちらすしかできないんだもの。
 なんでそんな迷惑な人達が愛国ぶるのか? 性格悪いやつほど他人に迷惑かけても恥じないのと同じだけかと思うけど。
 恐らく自殺してしまった人のほうが善良だったのでは?

 あと拝金商人も全体として迷惑なんだが、当人達は威張りまくってるので解せない。お前らがカネをむさぼってなんでこっちが喜ぶと思ってるの? お前らが市場にあるカネを寡占するほど他人には迷惑に決まってるでしょ。だから嫌われるに決まってるのに、なんで金儲けを自慢してしまうのか? アホなの?
 商人自体、大体、好かれてた時代って基本的にないだろ。一番商人気質が激しかったのって多分オランダとアメリカと思うが、オランダへは性悪イギリスが戦争勝ってから悪口いってたし(もとオラニエ公の王のくせに)、アメリカも世界一嫌われてる。
 東京も京阪も嫌われ者なのは商売第一だからでしょ。

 僕は一体なんで今の民衆がショウバイショウバイいってるか調べてやろうと思って調べつくした。結果わかったのは、彼らはアホだってことですよ。民衆は本当に頭が悪い。頭だけでなく性格もしぬほど悪い。というか、サルとほぼ同じ程度の知能しかない。サルのほうがまだ賢い。利己心でカネカネいってる。
 日本人民衆がカネに目がないのはなんでなのか? なんで毎日、金儲けの為に必死なのか、なぜ社畜至上主義で商売やってない人を全力差別しているのか、これ、調べたらすぐわかるけど彼らがただの利己的な類人猿もどきだからですよ。自分の利己心をおさえられないし、他人も自分と同じと勘違いしている。
 つまりね、上述のハーフ? の女性かなんかが日本好きとかいってるのは、その人が楽観的だからでしょ、きっと。それかお世辞。
 しかし日本は嫌いになるだけの理由しかない国だよ。
「お上」もろくでなしだし、「民草」もヤクザなあきんどなんだから。しかも先ず以て全員。例外みたことないんだから。

 日本といってるが、正確に言うと、東京・神奈川・千葉・埼玉あたりと、京都・大阪・神戸あたりと、名古屋あたりと、福岡あたりと、仙台あたりと札幌あたりだろうけどね。商売人ばっかり集まって卑しい振る舞いばかりしてるのは。ホームレスとかそういう都会にしか基本いないからね。差別されてるので。
 宮本なんちゃらって人は、日本好きなんでしょう。僕は恐ろしく嫌いですね。だってうまれてから今まで一度も、一定水準より善良だったり賢かったりする人みたことがないんだもの。代わりに極悪人とサイコパスなら腐るほどみたし、賢い人だってまずいないというか1人もみたことないよ。冗談抜きで。

 思うに、善人には善人の国、賢者には賢者の国があるんじゃないだろうか? 国じゃなくて県とかの単位でもいえるかもしれない。僕は東京は住むの無理だった。都政が余りに幼稚でびっくりしちゃって、MXとかいう民放みたら余りの下品さに面食らって、茨城のほうが遥かに質の高い社会だったのに悟った。
 NHK水戸とか茨城新聞を、もし都民が読んだら、余りに中身が善良で平和で、上品なので、びっくりして反省なり尊敬するかと思えば、都民って全体として傲慢なだけにダニクル効果で馬鹿なんだよね。その意味で永遠にあのままじゃないか。千年後もいまの京都人みたいに空威張りしてると思う、嘘抜きで。
 イギリスの人がアメリカみてあきれ返ったり、ノルウェーの人がアメリカみて小馬鹿にしたり、フランスの人がアメリカみてまたアメリカのやつかと思う。これと相当同じ感情は、茨城人も東京に対して感じられる。民度が低いほうが威張ってるからね。千年後もそうだと思う。民度は変わらないのではないか?
 そうであれば、日本政府とかいう東京だの京都だの奈良だのにあった天皇の私的機関。あれも馬鹿みたいな侵略自慢ばっかりして腐敗政治ばっかりしていたが、やっぱ、残存してしまえば将来的にもくだらねー組織のままなんじゃないだろうか? 幕府が暫く改革したがやっぱ無能な世襲天皇くるとダメになる。
 逆にいうと幕府って本当にえらかったんだなと。今でいうなら茨城県庁くらいのものが、中央政府が腐敗してるからといって自分で国政単位の事を少ない予算の中で考え、腐敗政治家を無力化していったんだから。なんて偉いのでしょう。武士たちは。やはり関東人は偉かったのだなと改めて大いに感心する。

 平安京の受領とか、いまでいうアベトモでしょ。そんなのが国政ロビーで散々っぱら懐にカネいれて女遊びしかしていない。まさに源氏物語の世界。だから源平があらわれ、将門あらわれ、まともな政治をやりなおしていったわけでしょ。足利はさんで徳川まで。
 ということは、まだ希望はあるね。

 いまでいう東京政府(日本政府、都庁)が完全に腐ってんだから、なにせ福島潰して皇族が賄賂五輪招致するわ、それでまた経済効果ねらって原発暴利の自慢しながら再稼動要請してくるわ、本当に悪政しかしないからね。そんなの潰して当然なわけだから、いずれかの県庁が頑張ってぶっ倒すしかないんだよ。
 茨城県庁は大井川氏が自民の飼い犬みたいに権力にぎってナアナアにしてるけど、これは非常によくないね。だって受領政治にこびうって権益頂戴みたいな態度だよ。
 全国知事会を牛耳って国政倒す、代替するところまでいかないといけない。源氏長者から足利幕府からみんなそうだったんだから。

 国家百年、千年の計と考えて、僕がいっておくが、茨城県庁が将来の首都を握らないといけないよ。このまま国政があれだけ腐敗しきってたら福島潰してケラケラ笑って「東北復興なんて無用だ! 何もなかったんだ!」とかゴミビルの間で悪徳あきんど都民がいってるんだから。どうみても東京潰すしかない。
 しかしね、京都市長の門川と、京都府知事は連携しながら、文化庁や皇族をひっぱりこんで首都をなのりだそうとしてるんだよね、前から。都民もアホだから自分から文化庁わたして観光できてラッキーとかいってるが、庇を貸して母屋をとられる方式なのに気づいていない。
 この動きもよく注意すべき。
 京都人は中華思想しか目的ないから、首都が東京にうつってからも奠都や~とか天皇はんいつお帰りにならしゃいますのやらとか、挙句に文化首都や~とかプライド満たすためにあらゆる画策していると。京大スゴイ東大ザコイのノーベル賞ディスもその一部だし。
 基本的には完全無視でいいと思うよ。
 茨城人としては、国政をきちんと政治道徳にのっとってしっかりやってほしいだけだからね。徳政が目的みたいなもんだ。法もきちんと公徳にのっとって運用してほしいわけだ。だってこっちには水戸の徳川家という立派な模範がいて、愛民政治をしていたのだから。官民一致の先例がある。
 京都人は中華思想で全国差別しながら自分スゴイと威張りたいだけ。中世から何も変化はない。根底にある民情がそんなだから千年後も空威張ってるはずです。相手にするのがよくない。虚勢はりたければどうぞご勝手にって感じで外人の観光公害でも受けてればいい話で、国政も彼らからすると差別の道具と。
「文化庁あるんや~、だからこっちが文化首都や! 全国のイナカモンどもはこうべを垂れてひれ伏したらよろしおすえ」に次ぎ「皇族がたが住んではる京都こそ、やっぱり首都やんなあ。東京なんてエビスの住まう野蛮の地、文化もなければミカドもいらっしゃらない、ただの荒地や。クゲケ」といいたいの。

 茨城人は、当然だけれどもそんな中華思想だの自文化中心主義だのは持っていない。まあ水戸が徳川家の遺風で若干、県内で覇権ぶる場合があるが、それでも東京千代田区・港区や京都市ほどではないだろう。むしろその種の空威張り度からいったら仙台とか大阪のがはるかに激しい。京都を反面教師にすべき。
 私の県としては、中長期的に、茨城県庁が新政府・幕府状態で国政単位の仕事を実質的に代替できることが目的であるべきだ。腐敗した東京国政はあのまま放置してたら勝手に没落するとみられるし、これは平安京がつぶれたのと全く同じでしょう。
 茨城単位で経済成長率と民度を高めるのに注力すべきだ。
 もう国政を応援するのはやめて、茨城県政に全力を使い、「日本国王」こと将軍が外交してたのと同じ状況を現出するべきだ。というかそれ以外の仕方でこの亡国危機をのりきる方法がないと思う。

 大井川氏は経済成長率たかめる中継ぎみたいなことしたいんだろうが、自由主義を学び政経分離してほしい。
 計画経済が不可能なんてハイエクからずっと知られてた話で米英が日独に勝利した真因なのになんで未だに学ばない。大井川さんはまともにマクロ経済学をやり直したほうがいい。まあ彼が仕事しながら学ぶのは困難だから、少なくともハイエクとフリードマンをウィキとかで概略確認したらいい。
 ま、彼が退陣後につぎの知事がしっかり経済学やった人だったらまだましだから数年我慢するほうがいいのかもしれない。どんどん県の事業なんて畳んで民間委託したらいいのである。
 今後の課題としては県税の予算だけでも国家規模を超えることだ。金融中心の県にしたらいい。ルクセンブルクが模範だ。

 もし日本単位が嫌いでも、そんなの東京が首都、あるいは京都が首都モドキなのって性悪な馬鹿の癖に全国民をみくだしてきて、彼らがいばりちらしてるかぎりしょうがない。だれだって差別されて嬉しいやつなんていない。差別はする側が100%悪い。彼らが滅びきるまで着実に歩を進めるべきである。
 茨城がきちんとした国政を代替できる様になって、新政府が実質的に成立したら、京都や東京のやってきた悪政を反面教師に、できるだけ全国全ての自治体を等しく扱う、平等な政治をする。大体、差別は非常に卑しい事なのだから中華思想に耽るのは悪の起源といってもいい。天皇も要らぬ。差別の起源だ。
 自分は水戸にその種の新政体を樹立させるべく、新国会議事堂を勝手に設計していた。2016年の『全国知事会議事堂』。
 これは平等の象徴だ。全ての自治体を等しく扱う。今でいうレイクボウルの跡地から黄門像のあたりに建てようと考えた。

 全国知事会を国会に代替して、国会を無力化するのだ。そうすれば中期的に国会議員を0にできる。全国知事が国会議員を代替すればよい。腐敗した国政を直すには第一に、県知事の単位でしっかりした人物を各県が選べればなんとかなる。東京都知事一人がダメだろうがそれは47分の1人にすぎないからだ。

 冷静に見れば、腐ってるのは東京国政であって、あるいは京都市・京都府の文化中華思想であって、まあ他にも大阪府と市の維新支配とか愛知県と名古屋市の左右バトルとか懸念もあるが、いわゆる大都市しか多かれ少なかれ腐っていない。健全な田舎のほうが不当に貶められてるが事実は全く逆だろう。
 すなわち中長期的に、50年~100年以上でみて、自分が構想した全国知事会による国政代替でまだ救える。なぜなら、47分の2とか4とかその程度の腐敗なんて、ほかの43県の一般国民がしっかりしてれば多数決で潰せるんだから。これが唯一の希望で、確実に勝てる以上、勝負どころと自分は思う。
 国会議員は比例代表とかいって都会人が沢山数を送り込めてしまうので、アホの意見が通りやすくなっている。都会のほうが一般に、民度がピラミッド状になっていて、数として底辺になるアホが多い。したがって都会でタレント知事が出現しやすいわけだ。京都はワル知恵で妨害してくるだろうが無視すべし。

2019年12月26日

交通事故をへらした効果実証済みの自転車道の絵文字

以下のよう路面の絵文字を整備することで、大幅に京都市で交通事故がへったらしい。
 道路の実延長が日本最大規模で、交通事故も決して少なくないわが県は、全面で大いにまねるべきではないか?
 自転車の走る方向・路肩を指示用 絵文字

右折用バイクボックスの絵文字


ほか、駐輪場も参考になる。
 24時間利用可能。最初の1時間が無料で、5時間100円、1日駐めても200円。傘差し運転予防のため雨合羽ひとつ100円の自販機あり。子乗せ電動アシスト自転車用に、平置きの部分も用意した、清潔で車間に余裕のある設計らしい。

2019年12月16日

魅力度についての最終結論と関連する茨城県政の方向づけ

いわゆる魅力度問題について、これまでえられたあらゆる我々県民の知見をまとめ、私自身がこのブログ等で記述したあらゆる分析を加えた最終結論はつぎのものだ。

 結論から書くと、わが県民にとって魅力度ネタは、日本人を主とするわが県をとりまく人々の「愚かさ」一般の目安になる、検疫装置(PCでいうウィルスソフト的もの)として機能する。ドラゴンボールでいえばスカウターみたいなもので、相手の一般知能因子を、大まかにはかれる。そして現時点まで10年ほどのあらゆる状況解析結果から、それ以外どんな意味もない。以下詳しく説明する。

 この問題は一言でいえば差別問題であり、人々のうち、特に日本人一般のメディアバイアス(媒体偏見)での、情報の操作され易さを示す。簡単にいえばテレビを主としたマスメディアで、主に観光地としての印象を植えつけられがちな人達は、宣伝などで現実の有様にかかわらず或る偏見をもちだし、自らその反証を怠ってこじらせると差別(ひいきも差別の一種だ)をもちはじめる。
 ゴードンホドソンらの論文"Bright Minds and Dark Attitudes"で示されている一知見によると、差別し易さは一般知能(大まかにIQ)の低さと関連している。いわば一般知能因子の働きが低いほど、みずから批判的思考できず簡単に情報操作されがちなわけだ。
 すなわち魅力度は主観的で、現に県内外を知っている側には明らかだが当然のことながらいかなる地域でも、他県市外より優れた美質も沢山みつけられる。いいかえればこの宇宙にはどの場所でも魅力があるわけで、それを相対評価でゼロサムゲーム的な順位にするのは、ある集団の一般通念に関する思想的なプロパガンダなわけである。これが差別の生じるしくみなのだが、この場合、一般知能が低いほど魅力度問題に固執したり、特に差別的評価の方をそのまま鵜呑みにしている傾向があるのは当然ともいえる。彼らの脳がマスメディアの情報操作、或いは集団的な主観の偏向でのっとられている証拠だからだ。

 こうしてさきにだした結論をさらにおしすすめると、茨城県という銘柄、ブランドを前面に押し出すと、簡単に愚か者をそうでない者から見分けられる。少なくとも日本国内では都内マスメディアの全国報道等で、テレビでも頻繁に流されることがあったのでその種の差別意識をそのまま、鵜呑みにしている層が相当数いる。誰も差別してくる相手と仲良くつきあったりしづらいだろう。裏を返せば、自動的にわが県民と交流が進むのは、国内でよりIQが高い人々、または一般知能が高い人々になるという算段である。
 IQや一般知能は同年代に対する偏差値だから、単に精神年齢が相対的に高い人々という 意味しかないにせよ、最近の科学によればその傾向は同時に、社会的成功とか金持ちになりやすさ(子供の時点で学業成績がよかった大人)、長寿(高IQは21%長生き)、性的魅力(もてやすさ。但しIQ120くらいがピーク)などとも一般に正の相関性があるとされている。無論IQも万能ではなく現実の成功には性格(誠実性、開放性など)の方が重要とされていたり(但し、最近では感情知能と能力のパフォーマンスには0.7%くらいの関係しかないが、認知能力には14.2%の関係があるとの見解もある(現論文14ページ))、そもそも一般知能やIQの基本モデルを考えたスピアマン自身がs因子による特殊能力もあるとしていたので、一般知能またはIQが高い人達が全能ではあたりまえだがまったくないし、定義からいっても同年代の人々に比べより複数分野で頭の働きが大人びているくらいの代物だが、それでも魅力度という田中章雄氏ことブランド総合研究所が特定会員ぐるみである種捏造してきた集団浅慮的な主観バイアス・トラップによる差別意識の検疫は、茨城県にデフォルトで偏見をもつか次第で、或る程度、低IQや低い一般知能、すなわち一般的にいって愚かといえる人々をふるい落とすことができる。
 この理由が同時に、もともと孔子が「人の己を知らざるを憂えず、己の人を知らざるを憂う」といっていた飛耳長目式の情報非対称性の徳でもあって、以前はこのブログでステルス性と表現していたある有利な状態の正体である。現実にくらす県民からすると、たしかにしばしば、又はかなり頻繁に差別してくる県外人に会って面食らうばかりか、県内ですら自虐的差別意識を公然と述べている「スティグマ」状態の、精神的に危うい人達もみかける。後者はときに精神科の助けを得る必要があるかもしれないが(他のスティグマと一緒で、その汚名とか自尊心低下は、根本的には自分の反復思考による鬱的症状なので、別の事で差別されてきた人達と同じで、自己効力感をえる成功体験の積み重ねとか、昇華や向けかえで自尊心を回復するなり、思念の中でその反復をみずから断ち切る必要がある)、すくなくとも、差別意識や偏見に脳を支配されやすい、一般的にいって頭が悪い人達を簡単にみわけられるという便利があるのは、客観的な事実なのである。それで私は寧ろ情報非対称性からきたステルス性、今回の論旨でいう「差別主義者の検疫」を利用すべきだと考える。ことさら県民が意識しなくとも、県内外での交流を抽出すれば、自動的により高い一般知能、高IQの人々、いいかえれば同年代に比べすこしより複数分野にわたる頭の働きがいい人達、大人な人達と、茨城県の相性は近づいていっていることになるだろう。

 ところで大井川知事はこの問題への対処で2つの側面がある。一つはイベントを企画していたよう、イバラッパー式「最下位もう一回」ネタ化で、負の名声を無名に勝る宣伝効果としてただのり利用しようという、いわばジョブス的な方針。もう一つは正攻法で魅力度向上にとりくむという、県内外の人達の主観的印象をぬりかえる方針。
 少なくともこのブログでの上記分析は、前者の方針について半分は肯定できるにせよ、わざわざ大騒ぎしなくとも自動で高一般知能との親近(低一般知能との離反)化がおこなわれる状況であるかぎり、悪乗りに税や労力を浪費せずせずとも完全無視で構わないのではないかともいえるが、このあたりは彼の情報企業で培った経営感覚にまかせるべきかもしれない。そもそも東京圏の全国報道マスコミは炎上商法と同じで、特定自治体を公然と差別し、ネガティブバイアスで視聴者をあおって閲覧数、すなわち広告売上を稼ぎたいだけだから、単なる嗜虐快楽目的の「荒らしを構うのも荒らし」式に、完全無視が本来、彼らに点数を稼がせない為にも最善なのである。無視すれば嗜虐快楽がえられないばかりか炎上商売にならないので、勿論これは単に視聴率稼ぎマスコミだけでなくアジテーター本体の田中章雄氏やブランド総研自体にもあてはまるが、別自治体に矛先をむけかえざるをえない。
 後者、すなわち魅力度向上策についてだが(個別案件については結果がでていないのでどちらともはっきりいえないため以下で少々詳しく批評していく)、本来の都市文化論にすれば、これは単に観光客文化に属する、おもに(特定少数であるブランド総研会員の)主観のぬりかえ課題である。なぜなら県民自身の生活満足度や自県への誇りは、県民調査でわかっているよう恒常的に高いのだから(特定少数であるブランド総研会員でない、より一般世論なのがポイント)。すなわち特定少数の会員らをまず総研側にといあわせるかなんらかの仕方で突き止めて後、その人々へ集中して以下の試みをする必要がある。或る論文によると次の3つがポイントらしい。
1.茨城へ都内マスメディアらが着せてきた汚名の観点を、たとえ否定するためであってもこちらから一切くりかえしてはいけない(誤解を解こうと少しでもその種の差別的偏見を反復すると却って強化される。あらぬ汚名は相手のものなので、完全無視しなければならない)
2.茨城の魅力をできるだけ微細にうがって、相手の未知な新情報として植えつけるのに啓蒙効果がある
3.さらに茨城の魅力について相手自身がみずから進んで見つけ、もっと調べるよう促す(これによってこれまで都内マスコミから洗脳されていた思い込み、又はおのれの無知を反証しはじめ、みずからの差別や先入観に懐疑をもちはじめる)
ただブランド総研会員を除く一般人への主観のぬりかえまで含めると、フェイクニュースの強固なバイアスのため先ず国内民については困難をきわめるので、日本語情報をうけとっていない海外民からが合理的かつ効率的になるだろう。

 個別の魅力度向上策についていえば、例えば烈公の愛民哲学を伝統改造してまで偕楽園本園を県外有料化することは茨城新聞によれば来園者アンケート的には賛成多数だったようだが、本来の愛民観が「朝な夕な飯食う毎に忘れじな恵まぬ民に恵まるる身は」式の農本的公僕意識だったとすると、理屈として茨城県庁も地方交付税交付自治体なんだから、実際は全国民から恵まれているともいえ、まあ筋が通ってないともいえる。でも民衆自身がそれに自覚ないどころか寧ろ賛意だからまあいいか、商売だし一石二鳥というのが大井川流なんでしょうが、いわゆる水戸っぽ的道理には大分反しているので(まあ伝統は変わるものもある)、遠からず彼の引退後とかにまた戻ることもあるかなと思う。特に貧しい県外人がたまたま本園付近まできたとき、お金払えないか払いたくないから梅みれなかったとかなったら、元も子もないわけです。勿論、最初は藩士だけに開かれていたんだから、全ては県庁の判断によるのだけど。
 自分の意見では、有料化するなら入園に対してではなく、内部は無料でも楽しめるが有料なら普通より高級なお茶が飲めるとか、高級な料理が食べられるとか、入園無料の課金モデルにすればいいのにと思う。

 ほか、あいちトリエンナーレ2019(以下あいトリ)の大炎上模様と過去最大の興行収入を他山の石とし、大井川氏はどうもドワンゴ出身のせいかハイカルチャーよりサブカルへの親近性のほうが遥かに高いわけである。茨ひよりは、オタクカルチャー嫌いの或る女からみたら「キモイ」らしいし(なにしろ究極的には、アニメもそうだけどバーチャルアイドルVチューバーは偶像嗜癖、偶像崇拝の要素を含んでいる。宗派や良識によっては眉を顰める代物だ)、大洗関連のガルパン推し云々ふくめ私自身その意見も重々わかるし、正直いって北茨城市長もまるでかわいくない(まあ描いたのが高萩の子供だからその子が傷つくかなあと言いづらくて、誰もいわないんだけども)センス的には疑問しかないゆるきゃらを、駅でもイベントでもやたらべりべりはりつけたり登場させるので、その種の意味不明な地方行政間の猿真似的横並び意識はやめていただきたいと恵まれない人への福祉の為の税支出が優先だろうなと判断する大人としても、旧約聖書くらい少しは読んでいる一哲学者としても思っているのだが。つまり、その種の大井川氏の趣味は、ごく世俗的といっていいし、もっといえば大衆の中の特にオタク系と変わらない。ここは評価が分かれると思うが、日本のサブカルは村上隆氏らのスーパーフラット理論による欧米への翻訳輸出以後は、まれな場合にはハイカルチャーとしての顔をもかねて、まあ外国人にもオタクがふえてかなり威張っている。しかし前知事の橋本昌氏は、県北芸術祭の企画については現代アート系のハイカルチャー推しだった。あいトリは某監督のスキャンダリズムでとんでもないことになったが(炎上商法ともいえるが右派に潜在的しこりを残したか)、大井川氏によるイースポーツ推しの方は、話題の大きさとしてはイマイチだったかもしれないが、大勢として流行も先端性も兼ね安全飛行で決着した。愛知県知事の大村氏の結果からみたら過激派といわざるをえない施策方針(彼も愛知でコスプレとかやってサブカル側にも足を踏み込んでいる)と、穏健派でありながら進歩的かつ大衆的な大井川氏の姿勢を見比べると、まあ比べる例が極端ともいえるが自分は最初、橋本氏のある種高踏的な文化政策から比べると、パンダ誘致論も入れて大井川氏のはなんか堕落なんじゃないかと思っていたが、評価を再考せざるをえない。「みんな」(但し主に日本人)から見てどうか、という貴族性を無視した観点では、文化政策にあっても、大井川氏のそれは、あいトリの例や橋本氏主導の芸術祭より、結果からみて功利的(最大多数の最高幸福という意味で)というしかないのではないか。
 裏を返せば、たとえばベルサイユ宮殿みたいな思いっきり行政側がハイカルチャーをごり押ししていた貴族文化の色彩は、大井川県政ではだいぶ後退してしまうのかもしれない。彼が町人社会の延長にあるといってもいい東京からもちこんだ、大衆商業主義の傾向だからだ。現東京都も知事がハイカルチャーの造詣にどうやら欠けているとみえ大分似た傾向というか、「バンクシーらしきネズミの絵」伝説が典型例だけど、例えば石原知事時代からやっていたとおもわれるファインアート系のワンダーサイトを終わらせて、アールブリュット(いわゆるアウトサイダーアート)に傾倒とかいっているわけである。別に障害者美術を支援するのもいい。しかしそれは一美術ジャンルである。現代アート全体を見渡して、はっきり王道を貫く支援なり、環境整備という姿勢ではない。まあこの点、サブカルの評価がまだ美術史内の位置づけ的に曖昧なことともあわせ(そもそもスーパーフラット派は、ファインアートを核とした現代アート全体からみても一ジャンルにとどまり、日本のサブカル全体が一般的先進国でハイカルチャーとみなされたわけでない現状にも要注意がいる。裏を返せば、いつサブカルの評価が歴史的でなくなってもおかしくない。つまりオタクアートそのものが後世からごみ扱いされる可能性も、まだ全然あるわけです)、美術的評価の定まっていない段階の前衛のうち、どれに肩入れするなり、あるいは放任するなり、アートメセナ的立場を行政がやるときには、正直いって美術史の教養を主とするアートリテラシー、すなわち目利きが必要である。自分が知るかぎり国内でこの点、最も成功したのは金沢21世紀美術館だろうと思う。いうまでもなく青森の十和田とか、直島とか、フランスのランスが目をつけるずっと前である。まだ駆け出しに近かった海のものとも山のものともつかぬ(もちろん専門家の間では既に注目株だったけれども)SANAAをあれだけするどく大抜擢した金沢市政には、生存者バイアスを考慮しても最大限の敬意を表したい。
 話題をサブカルそのものの評価論にもどすが、たとえばサウジアラビアで、イスラム法学者が宗教令(ファトワ)でポケモン禁止令を、偶像崇拝にあたるとして出したというニュースがあった。サブカル内での趣味自体のよしあしからいって茨ひよりは、まあそこまで下品でもないというか、相当上品側に属するだろう、無論サブカル内部でだけれども。であるが、この偶像崇拝に抵触しうる点は、ハイカルチャーなら抽象芸術とかは部分的に否定できるのであるが、まあかなり、信仰の自由への懸念がある。行政が、偶像崇拝(嗜癖)を公費で煽るのはどうなの、という批判なり突っ込みに、知事は明確な回答がだせるのだろうか。偶像禁止系の宗教とか、その種の良識・趣味にも、いくら文化的寛容さといってもそっちにも配慮する必要があるかもしれず(理屈をいえば偶像禁止も自由だけど偶像崇拝も自由、よって行政はいずれにも肩入れすべきでないとなるが)、あいトリなら反天皇ふくむ極左表現がそれだったわけだけど、やたらとサブカル系のバーチャルアイドルだとかへ公費いれるのは、やりすぎではないか。この辺、とっても繊細な話題なので、結局は現実感覚に基づいた程度問題になる気がする。直接の采配権はあらゆる信仰をもつ全有権者の県民が、大井川氏に一任してるわけだから、クラッシュしないようやっていただきたい。
 ついでにもう少し掘るが、知事記者会見でも質疑されてた気がするが上野にすでにパンダがいるのになんで日立で差異化(差別化)になるのかという謎については、大井川氏の経営センスがうかがい知れないので、一般市民レベルではまじでまったく分からん。普通に考えて後追いだし、それで例えば西日本からみて上野から日立に北上する動機には絶対ならないであろう。ではなぜパンダなのか。ま、別に茨城空港とか未来みすえて日中友好が本音ですとかなら商業的センスは抜群という最終評価なんだろうが、真意は会見だけではよく分からんレベルだ。これはツイッターで県民世論とか一部みてても、勿論、日立市民とか県北民からいったらパンダいてもいいだろうけれども、そこまで大金払う価値があるのか大体の人がわからないとおもう。でも全国報道される可能性とか、下手すると上野のが死ぬ可能性も考慮してるんだろうし、ここも疑問符ながら見守るしかない。上野のが死んでも都庁は金余してんだから余裕綽々また買うだけと思うが。

 で最後になるが、イバラキセンスとかいうアンテナショップ。私はあれはなくていいと思っている。都民になんで奉仕する必要があるのだろう。全国または世界の人が東京にくるから、といっても銀座まで出ないといけないんだろうけど茨城の物産を買いたければ便利だから、とか色々言い訳あるんだろうが、これもあしき行政横並びレッドオーシャンにしか自分には見えない。もしそこでの収益が莫大で県政を助けまくっている事実があるなら、もっとやれとなるんだろうけど、この点で行政だろうと第三セクター(官民協業)的な行政主催の個別店舗だろうと上場してないわけで、決算がさっぱりわからん。決算書あるならBLとか全部だしてほしいものである。もしかしたら私がしらないだけでもう県HPにあるのかもだが。ぶっちゃけ、民業圧迫じゃないの? と私には見えるんだが、この点は完全に行政論(社会主義的か自由主義的かの濃度論)になるし、もしかすると個別の農家とか製造業側からみると少なくとも目先の卸し先でありがたいのかもしれないし、まあ断定まではできないのだけど。大井川さんは小売出身ではないだろうし(米マイクロソフトは技術セクター、ソフトウェア業)、付加価値あげるんだっていう大方針はわかるにしても、行政が直接小売店ひらくのは社会主義政策といわざるをえないのではないか? もし私が知事だったらさっさと閉じて、その予算は削ると思うけど。最大でも県内の民間業者の通販サイトとか、小売店をまとめて紹介する県のホームページはあってもいいかなくらいの話で、それだって正直、県庁の仕事じゃないから商工会議所とかにそういうのやったらどうですかっていうくらいでいいんじゃないでしょうか? またこれも大井川氏の方が私よりずっと経営うまいのかもしれないんで(というより多分そう)、たとえば茨城空港の評価は(ま、都内マスコミにその点で不当に虐められていたけれども前知事の英断とかもあり)すごくあがってきているみたいだし(以下の日経新聞の図とか相当すばらしい成績)、断言まではしないけど。

国土交通省からの委託を受け、空港振興・環境整備支援機構(東京・港)と日経リサーチが実施した「国管理空港等における空港満足度に関する調査」
現時点では県営(公社)部分があるだろうに、これは凄い。鵜の岬国民宿舎もだけど、行政側に優秀な経営者がいるとこうなる。でも県庁の一部茨城人が優秀だっただけで奇跡ともいえる。要はこんな感じで、ガチでイバラキセンスも、競争的にアンテナショップの色んな評価で最上位を占める事になる可能性までは否定できないが、根本的な大方針レベルで「アンテナショップ業」自体が、株式会社として民営化されるべきかなと私は思うのだ。なんでかなら社会主義批判と同一趣旨、つまり効率とか競争原理、民業圧迫の点なのだが。
 大井川氏は商人出身でもあるから商業的なのはわかるにしても、民営化に積極的というわけではなく、官営部門をより合理化するのが得意で、やりたがる傾向みたいにみえる。今のところだけど。まあそこ経産官僚の基礎が発想の根底に残ってるのかもしれない。
 純粋に経済学でいうと、自分はフリードマンとかハイエクを尊敬してるくらいで、かなり自由主義寄り、しばしば自由至上主義(ここではlibertarianismの訳語)に接近する考えなので、大井川氏の思想とはだいぶ離れてる節もあり、ここでも県庁的には外部監査者みたいな意見にきこえてしまうのだろうけども(ここをもっとこうすれば経営合理化されるみたいな)、たとえでいうと、飽くまでたとえだが県を株式会社と仮定すると、株主は有権者で県民となるわけで、株主資本主義でいえばなんで都民に奉仕するのという話なわけだ。この辺すこし複雑だから混乱しないよう丁寧によんでほしいが、勿論、消費者から利益をあげてそれを公税として県民に再配分(調整)するともいえるが、でこのたとえの限界でもあるけど、アリストテレスの古典的枠組みに帰れば、実際はその役割ってほとんど民間企業がやる「配分的正義(能力に応じた配分)」なわけである。だから政府は純粋に利益追求だけできない。なぜかというと、そうして生じた不公平を矯正する「調整的正義」が伝統的な政府の役割だからだ。もう一度、純粋に経済学的な話にもどすと、自由至上主義では一般に、政府による市場介入をかぎりなく最小化しようとする。しかし現実的にはいわゆる外部不経済の内部化とよばれる公害防止とか、独占禁止法のよう状況的に市場の失敗を解消する必要がまったくないとはいえないのが現実だったので、飽くまで必要最小化にすぎない。ところが、大井川氏のようまあ修正資本主義に近い国家社会主義(県社会主義)的な市場介入をやる人の考えというのはこれとは、大分違う。すなわち日本の中央政府、経産官僚の基本通念も、リバタリアン式では全然ないわけで、よく「日本は成功した社会主義国家」と半ば揶揄こめていわれるのもその為だ。歴史的経緯からいうと、明治の薩長藩閥はおもいっきり国家社会主義で政府が財閥とつるんで殖産興業ばんばんやったわけだし、徳川時代も完全なリバタリアニズムではなかったにしても儒教の影響で、商売は商売とそれに比べれば少しは民業を放置していた節がある。これについてより詳しく私は現徳川宗家のご当主、家広氏のご著書で学んだが(たしか『なぜ日本経済が21世紀をリードするのか ポスト「資本主義」世界の構図』にその種の記述がある)、ごくおおまかにいうと徳川時代は物価高騰(インフレ)には貨幣鋳造でブレーキ、物価下落(デフレ)には財政出動でアクセルと、既に現代貨幣理論(Modern Monetary Theory, MMT)レベルの実践をして250年をのりきっていたという。
 ケルトン流MMTのほうは、日本市場を赤字国債をどれだけ積みましても破綻しないはずというハイパーインフレ耐性の実験台にしたいみたいだから、徳川氏みたいに自分が、財政面では最高経営責任者的な状態だったよりはるかに、他人事でどうしようもないわけだが、そんで経産官僚でもさすがにそのレベルの経済学的無知なのがいるとは、いくら一億総白痴化とかいわれていたこともあったとしても信じたくないわけだし、実際、いても少数派だと思う。でもまあ私も経産官僚じゃないし、自分がみた東大講義ではそこまで教えてなかったので省内の上位者がどれ程の学力水準かあるいはどの学派に肩入れしてるのか外部からわからんので、これは余談だが。
 でこれでなにが説明したいかといえば、自分は茨城県の単位でも、自由主義、自由至上主義に近い経済政策をとってもらいたいし、それと同時に税収は、相対貧困対策で福祉に回せばいいと思う。殖産興業でうまくいくのは、一般論だがそもそも民需がない開発独裁国であり、ケインズ用語でいう「有効需要」(要は無理やりの消費喚起)を政府自身が作り出す必要があるせいだ。しかし日本みたいに成熟した国で、茨城も現に所得水準は国内で中上位にあるのに政府主導で殖産興業やってると、単に民需圧迫にしかならないというのが自分の意見だ。一番いい例がアベノミクスの失敗、特にトリクルダウンが起きなかったことで格差拡大しただけに終わった国政レベルでの経済政策の誤りではなかったか。当然だが中流の形成に失敗したらその国は民需の絶対量が減るから、衰退期に入ってしまう。よって同じ事は先進国で最も格差が大きい(相対貧困率が高い)アメリカ経済にも多少あれいえるわけだが、人口減少が起きていないし、移民もいて需要が底上げされるからまだましだ。勿論、私の経済学的な立場が、上述の思考経路で民間委託を主要な手法とする自由至上主義的な完全競争市場への漸近、かつ、税収は最弱者への福祉に回すという、まあこれまでの経済学だと何々主義とまとめられていない考え方なので今の政府と違っても当然だけれども、ここで仮に「自由至上福祉主義」と名づけておく。
 大井川氏は現に県(国の支社)を経営してるみたいなもんだから、私がいまいった立場をそのまま採用してくれるかは当人次第で、まあ自分もそうだけど究極目的は功利主義と一緒で最大多数の最高幸福になるわけだが、現実的に可能な範囲で自分のみている、より進んだ考え方を使ってほしい。イバラキセンスのサンクコストがいくらかしらないけれども、正直自分に言わせていただくとアマゾンと楽天、できればタオバオにも県のアンテナショップだすとかならまだスケールから理解できるけど、これだって最初から民間委託すればいい。
 このブログには前から書いてるが、民営化と民間委託は、微妙に違っている。民営化は既に市場で競争優位を失っている(つまり民業でまかなえる)事業を県が保有している理由はないので売却すべきという意味で、民間委託は必須の公益事業をより効率的に運営するため競争入札先を探すというものだ。ここで注意が必要なのは、なんらかの公益度が高い事業は、民業で代替できない段階で民営化してはいけない。例えば十分な収益がみこめない遠隔地バス、あるいは競争相手のいない水道の様なもの。もし水道を民営化した場合、当然だが現時点で独占・寡占が生じるから水道料金があがるだけでなくサービス自体が低下する可能性もある。だがこれらも、独占・寡占が生じえないかぎり例えば不可欠な警察消防のようどうしても必須の部分以外は、積極的に民間委託し、できるだけ競争原理を採用すべきなのである。一方、民営化していいのは既に市場に競争相手が複数いて、公営部門が単なる民業圧迫にすぎない様な部分だ。これが、なぜ私がアンテナショップを民営化、あるいは新たに作るなら県営ネットショップを民間委託すべきと考えるかの基本理論である。アンテナショップは茨城県産品を主に扱う小売業にすぎないのだから、無数の小売店がある中でわざわざ、県がもっている理由がよくわからないくらいだ。日本の行政に典型的あしき横並び意識ではないかとおもうし、それこそ付加価値をみずから低めるレッドオーシャン志向で自殺行為ではないか? 一方なぜ自分が県営ネットショップならまだありうると考えるかなら、ネットショップなら在庫は民間業者側においておけばよく、そもそも県(民間委託先)側は通販の仲介をするだけで民業圧迫にならないばかりか、卸売り先から手数料をとったとしても最少人数で運営でき、黒字にしかならないと思うからである。その種の優良事業を県が保有しているなら、恐らく鵜の岬国民宿舎や茨城空港といった例でそうあるよう、歳入をますのですぐに手放す必要はないのかもしれない。

 もう一度結論を述べると、メディアバイアスの植えつけによる魅力度差別は完全無視が基本で、仮に存在しても一般知能の低い集団を遠ざけ、高い集団を近づける結果になるのでわが県民には結果有利である。またもしこの偏向を変えたければ、先ずブランド総研会員へ直接、都内マスメディアの着せてきた汚名を無視した上で、県の魅力を詳細に渡って説明し、且つみずから更に調べるよう促すのに効果がある。また都内マスメディアによるバイアスをまだ植えつけられていない外国語圏の人々への方が、一般的にこの種の宣伝に効果がある。
 さらに大井川知事の為政方針のうち、偕楽園本園有料化は様子を見る必要があるが、園自体の哲学と照らすと理論的に破綻しているので、入園無料の課金モデルがいい。また知事のサブカル趣味は現代ファインアートの教養やセンスがない以上しかたないし、その文化について歴史的評価がどう転ぶか(低俗な悪趣味とみなされ終わる可能性も十分のこっている)も不確定な現状だが、少なくとも偶像崇拝を禁じる信仰の自由を顧慮して偶像嗜癖系(特にVチューバーなど)のタブー表現をやり過ぎない必要があるかもしれない。パンダについては上野とかぶるし高額誘致費からいっても謎なので説明責任を果たして欲しい。イバラキセンスについては競争過多で高い付加価値がみこめないので自分の経済学上の立場からも民営化(事業売却)、代わりに県内事業者からの直接通販を中継ぎする、アマゾン、楽天、タオバオでの茨城県ネットショップを民間委託で競争入札すればいい。

2019年11月2日

他県に知られず他県を知ってあるべし

魅力というものは多くの人達にわからないものであればこそ、貴いものだ。
 マスコミに洗脳され易い衆愚にあわせ自己を宣伝するより、謙遜しつつ至善に止まっていた方が遥かに優れている。それでも、歌人はいながらにして名所名跡を知っているし、それは外国人とて同じなのである。『常陸国風土記』を読まずに、現代東京人の虚偽や悪意、偏見と差別に満ちたマスコミを信じている人達など、相手にするかいはこれまでもこれからも、何もない。
 人に知られず貶されていようが、自らを知り相手を知っている側に立っていた方が、全ての面でより優れた結果になるだろう。己が人を知らざるを憂い、人に知られざるのを憂うべきではない。

2019年10月29日

差別はする側のみに原因がある

魅力度差別は100%偏見にすぎないが、その種の差別をうのみにし、侮辱的言動をとってくる人達が見分けられるという利点において(当然だが、愚か者や卑しい人達とは縁を切った方が優れているし、現に感性のよしあしについても、わが県の美質は明らかなのだから、それを見分けられない人々について同じことがいえる)、寧ろわが県以外のいずれかの県が同様に、この差別を捏造しているブランド総研の数十人とその会員の千人ほどの人達、また彼らの差別的偏見に煽られる衆愚のいずれについても、今後とも法的に門地差別を罰されでもしない限り反省や自己の偏見を見直す余地はないであろうから、全く相手どらないのが最も優れている。
 わが県もしくはいずれかの都道府県自体に原因があるのではなく、差別主義者自身に全原因があり、その責めも落ち度も全て、差別する側のみに求められる。つまり我々は県庁も含めこの点で何も変えたり、変わる必要はない。そして自動的に、差別主義者自身の自滅によって状況が真逆に変わるであろう。なぜなら、差別という悪徳へ永遠に安住できる者はいないのだから。