魅力度差別は100%偏見にすぎないが、その種の差別をうのみにし、侮辱的言動をとってくる人達が見分けられるという利点において(当然だが、愚か者や卑しい人達とは縁を切った方が優れているし、現に感性のよしあしについても、わが県の美質は明らかなのだから、それを見分けられない人々について同じことがいえる)、寧ろわが県以外のいずれかの県が同様に、この差別を捏造しているブランド総研の数十人とその会員の千人ほどの人達、また彼らの差別的偏見に煽られる衆愚のいずれについても、今後とも法的に門地差別を罰されでもしない限り反省や自己の偏見を見直す余地はないであろうから、全く相手どらないのが最も優れている。
わが県もしくはいずれかの都道府県自体に原因があるのではなく、差別主義者自身に全原因があり、その責めも落ち度も全て、差別する側のみに求められる。つまり我々は県庁も含めこの点で何も変えたり、変わる必要はない。そして自動的に、差別主義者自身の自滅によって状況が真逆に変わるであろう。なぜなら、差別という悪徳へ永遠に安住できる者はいないのだから。