2020年2月5日

大手門復元に伴う将来的な水戸の現代日本までの歴史的物語を語る総合再開発計画

高橋靖水戸市長の2020年2月4日、水戸城大手門完成記念式典及びくぐり初めについてのツイートへ寄せた返信集)

大手門の先になぜ水戸城がないのか、明治政府から薩長土肥の官吏が侵略してくる前に徳川の侍の誇りを守るべく自ら破壊した、という水戸の気骨までをぜひ物語として語り伝えていただきたい。

 自分の調べた範囲では、水戸城は1190年から1198年頃に馬場資幹が築いた時から長い歴史をもっている。
 慶喜公と縁が深い初代茨城県知事・山岡鉄舟の代行者だった佐賀出身の渡辺清が、徳川時代の徳治のより所を汚すのを当時の水戸の侍は潔しとせず自ら放火、これゆえ水戸城が現存しないと。

で桜田烈士・山口辰之介が叔父、藤田東湖妻が伯母の山口正定が2代目に就いたと。水戸人の気骨で忠節を守った史実でしょう。

もし城まで再現するとしたらスマホの観光ARアプリを作り幻視できるようにしたらどうでしょうか?

それと、水戸史学会や、新札の顔・渋沢栄一著『徳川慶喜公伝』などを通じ自分の知る限り、慶喜公は進んで天皇へ禅譲した世界史に最も傑出した偉人でしょうし、平和革命の第一人者といってもいいが薩長土肥ら西日本諸県の自慢の前で余りに過小評価されてます。

それは故郷にあたる水戸市でも、弘道館の肖像画を除けば小さな街角の銅像、あとは烈公による庭訓を現した七郎磨像しかないのでも明らかでしょう。
 水戸駅から弘道館まで周遊ルート上、最も目立つ箇所に、彼の世界で最も高潔な公徳を示す堂々たる銅像を建立するのが、市民や観光客に彼の偉大さを伝えるよすがになるのみならず、戦争の耐えない野蛮な世界で彼の平和を望む心を育んだ弘道館・偕楽園が輝かしい世界遺産になるにも役立つのではないですか?

『公伝』にみられる、少年の頃の慶喜公が烈公から勧められ馬術を習い、大洗まで出かけたり、千波湖の周りを巡った逸話が、のち日本人で最も立派で堂々たる体躯とイギリス貴族のミッドフォードの回想録(『英国外交官の見た幕末維新』)で語られている点など素材としていいのではないでしょうか?

具体的にいうと、皇居前の楠木正成の騎馬像(あれも水戸学の権化ですね)を参考に、ナポレオンから貰った洋装の慶喜公を最後の将軍としてできるだけ理想化した、全武家の頭領としての雄々しさを徹底的に強調表現した世界一の騎馬像を作り、文武不岐のコンセプトで弘道館の学問中の肖像画、七郎麿像と三対にしたらどうでしょうか?

渋沢栄一『徳川慶喜公伝』第4巻、逸事、父祖の遺訓遵守に、慶喜公は烈公から「義公以来の家訓」として、たとえ幕府と戦っても天皇に弓を引くべくにもあらずとの庭訓を受けた逸話が載っている。この庭訓の現場を現すのが七郎麿像と解釈できます。
 慶喜公騎馬像、弘道館の読書画、七郎麿像を周遊ルート上に繋げて、水戸の侍の高貴な精神性を総合表現する再開発がいい。

それと、水戸や茨城が近代化を先駆けるべく自ら払った犠牲であるところの回天神社や、戦後最初に水戸へ昭和天皇が行幸され、茨城県庁屋上から

たのもしく夜はあけそめぬ水戸の町うつ槌の音も高くきこえて

と詠んだ逸話も、現代日本の復興までの歴史的必然性を語るのに欠かせないと思うので、将来的な水戸の総合計画に含めるべきかと。

 これ以外にも戦中に台湾で水戸学愛民精神を発揮した飛虎将軍の生家跡地とか、戦後に現代美術の先駆け志した水戸芸術館建設まで、不可欠な歴史的経緯を持つ遺産が市内に沢山ありますので、総合計画の中におのおの孤立させず、なんらかの輸送機関でつなぎ、観光ルートとして全て周遊させるのがいいんじゃないかと。