秋田沖でのメタンハイドレート採掘は当面、地震の原因になる可能性がのこっているかぎり秋田県が担当官庁の経済産業省へ申し立てしてやめさせるべきだ。ばあいによっては秋田県民が直接、科学的根拠をもとめて臨海採掘へ抗議する必要もあるかもしれない。
2013年1月12日
2013年1月10日
特産の気品
岡倉天心の著作と、野口雨情の著作を市内にそろえおくべき。書店、駅の観光案内所か売店、市役所、五浦美術館と雨情記念館、雨情生家に。
又、ウィキペディアによれば、実際には芹沢鴨という新撰組初代筆頭局長の人物が養子先の北茨城市中郷育ちであるかもしれない。生まれ、主要な拠点は行方市。芹沢といえば鉄扇が目印なので、中郷駅周辺をこれから再開発するにあたってまちぐるみですでに芹沢を振興している様である行方市と相談のうえ、この鉄扇を地場性のたかい観光物産として特産化などすれば宣伝効果も一理あるか。勤皇の士としての芹沢の実直さに焦点をあてて、小説や映画などをつかい、となりの磯原などあるいは北茨城の風土と関連しているかもしれないが子供好きで、水戸学の影響をうけ善意が深過ぎるゆえ誤解されがちである、物怖じしない勇壮なやんちゃ者、という本来の像へイメージチェンジをはかりつづけることも必要かもしれない。実際、芹沢はきわめて悲劇的な最期であり、むしろ新撰組こと壬生浪士隊の多摩出身近藤らが、芹沢ら実直な志で出発した水戸組をあやまってしりぞけた歴史は、かれらが無意味で自滅的な仲間割れによりすなわち実行力のある勤皇主義をうしない、時勢から脱落していくきっかけになったといえる。事実、のちに「水戸藩士を敵にした報いとして」東山道鎮撫総督府大軍監となり立派に皇軍を継いだ水戸藩士鯉沼伊織が直接、賊軍におちぶれることになった近藤勇を処刑する役になったのをみれば、芹沢と鯉沼との時勢を両面から見る水戸藩士としてのこの悲喜劇的軌跡はあきらかとなり、かれらの本懐である勤皇がどちらからみてさえ正しかったと立証できるだろう。
もしかすれば、オーパーツ(OOPArt: Out-of-place artifact)としての後醍醐天皇のものと想定される菊花紋の発掘物のある古墳などを勤皇の貫徹という文脈に絡めて整備する事も、これに関連しているかもしれない。
また立地的には長久保赤水の家は中郷駅から直進すれば高萩駅よりはるかにちかいので、この事跡を紹介するにあたって高萩市と協力していくことも重要。明治以降の市町村令以前も、事実上南中郷と現高萩市域は行政面でもほぼひとつづきであり、安藤朴翁『ひたち帯』によれば関もなく交通は自由だったのだろうから、赤浜そのものがどちらともいえない立地にある。
茨城県は鰻丼の発祥地だから、水戸藩士大久保今助を出身地の常陸太田市や牛久沼、水戸市の商工会議所は憲章し、地産地消の鰻丼を江戸から逆輸入し、真の特産とすべきだ。
又、ウィキペディアによれば、実際には芹沢鴨という新撰組初代筆頭局長の人物が養子先の北茨城市中郷育ちであるかもしれない。生まれ、主要な拠点は行方市。芹沢といえば鉄扇が目印なので、中郷駅周辺をこれから再開発するにあたってまちぐるみですでに芹沢を振興している様である行方市と相談のうえ、この鉄扇を地場性のたかい観光物産として特産化などすれば宣伝効果も一理あるか。勤皇の士としての芹沢の実直さに焦点をあてて、小説や映画などをつかい、となりの磯原などあるいは北茨城の風土と関連しているかもしれないが子供好きで、水戸学の影響をうけ善意が深過ぎるゆえ誤解されがちである、物怖じしない勇壮なやんちゃ者、という本来の像へイメージチェンジをはかりつづけることも必要かもしれない。実際、芹沢はきわめて悲劇的な最期であり、むしろ新撰組こと壬生浪士隊の多摩出身近藤らが、芹沢ら実直な志で出発した水戸組をあやまってしりぞけた歴史は、かれらが無意味で自滅的な仲間割れによりすなわち実行力のある勤皇主義をうしない、時勢から脱落していくきっかけになったといえる。事実、のちに「水戸藩士を敵にした報いとして」東山道鎮撫総督府大軍監となり立派に皇軍を継いだ水戸藩士鯉沼伊織が直接、賊軍におちぶれることになった近藤勇を処刑する役になったのをみれば、芹沢と鯉沼との時勢を両面から見る水戸藩士としてのこの悲喜劇的軌跡はあきらかとなり、かれらの本懐である勤皇がどちらからみてさえ正しかったと立証できるだろう。
もしかすれば、オーパーツ(OOPArt: Out-of-place artifact)としての後醍醐天皇のものと想定される菊花紋の発掘物のある古墳などを勤皇の貫徹という文脈に絡めて整備する事も、これに関連しているかもしれない。
また立地的には長久保赤水の家は中郷駅から直進すれば高萩駅よりはるかにちかいので、この事跡を紹介するにあたって高萩市と協力していくことも重要。明治以降の市町村令以前も、事実上南中郷と現高萩市域は行政面でもほぼひとつづきであり、安藤朴翁『ひたち帯』によれば関もなく交通は自由だったのだろうから、赤浜そのものがどちらともいえない立地にある。
茨城県は鰻丼の発祥地だから、水戸藩士大久保今助を出身地の常陸太田市や牛久沼、水戸市の商工会議所は憲章し、地産地消の鰻丼を江戸から逆輸入し、真の特産とすべきだ。
2012年12月22日
藤田東湖圧死エピソードのしめし
小石川後楽園と水戸弘道館に藤田東湖圧死時の母救出エピソードをきちんとしるしておくべき。いまの状態では相当に水戸学や藤田東湖についてすすんで学ばないと、呆気ない印象しかのこらないから。
2012年12月19日
遺伝子としての知能因子の分析
人類が社会をきずくときにもちこまれた要素のちがい、これがまちの個性といえる。人類はひびなにごとかのしごとをする。このしごとに個性の介在がある。需給といえる経済的行動も、個性によって相応にちがう。
地域によって社会性そのもののちがいや、総意としての政治性にちがいがでてくるのもおなじ。
一般に、知能はうまれつきの側面と後天的に再獲得される側面がある。このうち、おおまかに「性格のよさ」といえる側面は遺伝しやすいだろう。利他的資質は遺伝に依存している。学力テストの知識\活用比率がこれにちかいかもしれない。
地域によって社会性そのもののちがいや、総意としての政治性にちがいがでてくるのもおなじ。
一般に、知能はうまれつきの側面と後天的に再獲得される側面がある。このうち、おおまかに「性格のよさ」といえる側面は遺伝しやすいだろう。利他的資質は遺伝に依存している。学力テストの知識\活用比率がこれにちかいかもしれない。
県名の分析
茨城県の茨城は『常陸国風土記』の茨城郡条なる記述の中での天皇の侵略行為に由来がある、とされる。真偽は文献がなく辿れないから、もともとあった地名を、当時の奈良つまりやまとの役人が狡猾に利用した可能性もかなりあるだろう。『万葉集』などでも確認できるが、この各地でのなんらかの目撃された事例を当時の奈良の話屋は神話じたてにしてしまう、という嘘つきの才があった。『古事記』はまさにこの集大成だろう。かなり荒唐無稽な話が多いのでほぼ虚構だと考えていいし、とりたてて科学的な証拠が存在しえない古代のことなので(後生に捏造されるものも入れて)、天皇家を偶像化しようとした役人のしわざだとおもっていいだろう。
茨城という名前をかなり広域につかうことは、明治にはじまった慣習らしい。それまではいわゆる常陸という名が、常陸国風土記の作成時期からつづいていた。水戸のとなり大洗の手まえの茨城町に廃藩置県で県庁をおくときにこの名前が浮上して、そのまま県名になったらしい。
北茨城市は、自明だが、この県名を市町村配置時につかって、北という最北端の理由で県議会で採用された様だ。時期的にはきわめて最近の地名であり、それより昔はちがう名前だった。いろいろ文献を辿ると、もっとも古いのは多珂という名前で、上述の常陸国風土記にみえる。多賀山脈というのはここからきている。それより古くは辿れない。もっと最近では江戸時代のものとされる『新人国記』の地図に、足洗や花園と読めそうな地名記述がある。これはいまもどちらも存在している。また、いわゆる水戸黄門が巡遊時に雨情生家から五浦まで出掛けた証拠とよべそうなものが、立て看板や史実にある。実際、雨情の父は彼自身の全集内での回顧によれば藩士だったのだから交通の要所でもあるそこが、時に係留地になったのは自然だろう。
以下は哲学的な話だが、つまり価値づけみたいなことに関わるが、茨城という名義は二面性がある。水戸藩の存在時まで常陸国水戸藩の傘下にほぼ各地はあった。ところが、茨城という名はそもそも天皇による侵略の、場合によっては捏造された証拠なのだ。つまり過去の時点ではそうでなかったとしても天皇による犯罪行為の証拠をあげつらっているにひとしい。水戸の伝統的考証態度は尊王だったから、ここに名へ二重性が生じることになった。茨城は天皇の悪事を、国民からみれば単なる独裁権力の濫用をあげつらう示威行動の様な在来主権プロパガンダの名義であり、同時にすくなくとも水戸藩域は尊王的な風儀が依然濃厚なわけだ。
そして国栖(くず)と書いて、実際に天皇はこの古代の土着した県央人も含め言論でも人権侵害のうえ貶めてきた。これは屑、つまり役に立たないゴミという意味をもつ言葉との二重の意味のかさなりをねらった名誉毀損罪・侮辱罪であり、実際に日本書紀の中に天皇によってみられるものだ。奈良県吉野地方にいた土着の住民も同様のことばをあてられている。ところが、歴史考証によって英雄だろう義公はこの旧悪をおもわず、うらみを超越して皇族への忠誠という藩内の風紀をつくった。
ある意味では常陸国が先史の頃から戦国時代をへて幕末終了まで置かれた複合性の象徴なのかもしれないが、茨城という名はこういう意味で、天皇制度への批判的な理解力を示すものだろう。
自分のかんがえでは、幕末に皇統へ忠誠を示したにもかかわらず、賊軍あつかいをうけた水戸藩がこの批判的な名義を、いわばクーデターでつくられた明治新政府から「被征服プロパガンダの意図」を込めておしこまれた。いいかえると、当時幕府の長としての徳川慶喜は水戸学によって勤皇だったから、同時に二義性をもつscapegoat: 犠牲でもあった。慶喜公の悲劇の君主としての性質はこの二義性にあるといえる。これらのわけで、水戸県という名は成立しなかった。
永井俊哉氏によると、「スケープゴートとは、システムと環境との境界線上に位置する両義的存在者を排除することにより、増大するシステムのエントロピーを縮減し、無秩序から秩序を再創造すること」。これは最も端的になぜ勤皇であり将軍である徳川慶喜が反乱を起こした新政府側から排除されたか、の明白な理由そのものといえる。幕府は反皇的なもの、というのが水戸学の成立していなかった関西での理解であったので、関東あるいはそれ以北とは真逆の、水戸藩的な尊皇思想への無理解がかれら西日本人に大きくて深刻な勘違いを及ぼしそうさせたのだ。そしてこのことは、あまり智恵のない反幕府派の公家でも同様だった。両義的というここでのことばは、対立するか違っている両方にある部分で属しているという意味で二義ともいいかえられる。
実はこの性質は佐竹氏にもみられた、というのが面白いところだ。反徳川ではないにもかかわらず旧豊臣方であったので、転封をうけた。
ところでこの茨城なることばの二義性は、常陸国現茨城県の古代史から一貫したある天皇理解を示しており、そしてより緻密にいうと、北茨城もふくめ、あるいは佐竹氏支配の時代もいれて、権力を振るう事によっての侵略行為への服従しながらの反意といったものがそこにはいくらかよりみられるきがする。この「侵略」とそれに伴う「征服」状態への態度が、忠誠的であると同時に批判あるいはいくらかの抗議を含んでいるというのが、幕末に常陸圏内で集約的にみられた内部抗争でもあったのを省みる必要がある。
この県の人にとって必要なのは、犠牲にならない様に最大限大勢を二義のうちどちらかに属させる事なのかもしれない。そしてこれは常に判断をする、2つのうちどちらかを選択する、というはっきりした決断の習慣によって可能になるだろう。茨城県という名義は以上のために棄却すべきであり、「みなと」が語源といわれるみとの美化語として美都、御都をふくみ、常陸県、水戸県または水戸都、常陸都などこれらのうちどれか一義性に近いことばにもどす方が合理的といえる。
茨城という名前をかなり広域につかうことは、明治にはじまった慣習らしい。それまではいわゆる常陸という名が、常陸国風土記の作成時期からつづいていた。水戸のとなり大洗の手まえの茨城町に廃藩置県で県庁をおくときにこの名前が浮上して、そのまま県名になったらしい。
北茨城市は、自明だが、この県名を市町村配置時につかって、北という最北端の理由で県議会で採用された様だ。時期的にはきわめて最近の地名であり、それより昔はちがう名前だった。いろいろ文献を辿ると、もっとも古いのは多珂という名前で、上述の常陸国風土記にみえる。多賀山脈というのはここからきている。それより古くは辿れない。もっと最近では江戸時代のものとされる『新人国記』の地図に、足洗や花園と読めそうな地名記述がある。これはいまもどちらも存在している。また、いわゆる水戸黄門が巡遊時に雨情生家から五浦まで出掛けた証拠とよべそうなものが、立て看板や史実にある。実際、雨情の父は彼自身の全集内での回顧によれば藩士だったのだから交通の要所でもあるそこが、時に係留地になったのは自然だろう。
以下は哲学的な話だが、つまり価値づけみたいなことに関わるが、茨城という名義は二面性がある。水戸藩の存在時まで常陸国水戸藩の傘下にほぼ各地はあった。ところが、茨城という名はそもそも天皇による侵略の、場合によっては捏造された証拠なのだ。つまり過去の時点ではそうでなかったとしても天皇による犯罪行為の証拠をあげつらっているにひとしい。水戸の伝統的考証態度は尊王だったから、ここに名へ二重性が生じることになった。茨城は天皇の悪事を、国民からみれば単なる独裁権力の濫用をあげつらう示威行動の様な在来主権プロパガンダの名義であり、同時にすくなくとも水戸藩域は尊王的な風儀が依然濃厚なわけだ。
そして国栖(くず)と書いて、実際に天皇はこの古代の土着した県央人も含め言論でも人権侵害のうえ貶めてきた。これは屑、つまり役に立たないゴミという意味をもつ言葉との二重の意味のかさなりをねらった名誉毀損罪・侮辱罪であり、実際に日本書紀の中に天皇によってみられるものだ。奈良県吉野地方にいた土着の住民も同様のことばをあてられている。ところが、歴史考証によって英雄だろう義公はこの旧悪をおもわず、うらみを超越して皇族への忠誠という藩内の風紀をつくった。
ある意味では常陸国が先史の頃から戦国時代をへて幕末終了まで置かれた複合性の象徴なのかもしれないが、茨城という名はこういう意味で、天皇制度への批判的な理解力を示すものだろう。
自分のかんがえでは、幕末に皇統へ忠誠を示したにもかかわらず、賊軍あつかいをうけた水戸藩がこの批判的な名義を、いわばクーデターでつくられた明治新政府から「被征服プロパガンダの意図」を込めておしこまれた。いいかえると、当時幕府の長としての徳川慶喜は水戸学によって勤皇だったから、同時に二義性をもつscapegoat: 犠牲でもあった。慶喜公の悲劇の君主としての性質はこの二義性にあるといえる。これらのわけで、水戸県という名は成立しなかった。
永井俊哉氏によると、「スケープゴートとは、システムと環境との境界線上に位置する両義的存在者を排除することにより、増大するシステムのエントロピーを縮減し、無秩序から秩序を再創造すること」。これは最も端的になぜ勤皇であり将軍である徳川慶喜が反乱を起こした新政府側から排除されたか、の明白な理由そのものといえる。幕府は反皇的なもの、というのが水戸学の成立していなかった関西での理解であったので、関東あるいはそれ以北とは真逆の、水戸藩的な尊皇思想への無理解がかれら西日本人に大きくて深刻な勘違いを及ぼしそうさせたのだ。そしてこのことは、あまり智恵のない反幕府派の公家でも同様だった。両義的というここでのことばは、対立するか違っている両方にある部分で属しているという意味で二義ともいいかえられる。
実はこの性質は佐竹氏にもみられた、というのが面白いところだ。反徳川ではないにもかかわらず旧豊臣方であったので、転封をうけた。
ところでこの茨城なることばの二義性は、常陸国現茨城県の古代史から一貫したある天皇理解を示しており、そしてより緻密にいうと、北茨城もふくめ、あるいは佐竹氏支配の時代もいれて、権力を振るう事によっての侵略行為への服従しながらの反意といったものがそこにはいくらかよりみられるきがする。この「侵略」とそれに伴う「征服」状態への態度が、忠誠的であると同時に批判あるいはいくらかの抗議を含んでいるというのが、幕末に常陸圏内で集約的にみられた内部抗争でもあったのを省みる必要がある。
この県の人にとって必要なのは、犠牲にならない様に最大限大勢を二義のうちどちらかに属させる事なのかもしれない。そしてこれは常に判断をする、2つのうちどちらかを選択する、というはっきりした決断の習慣によって可能になるだろう。茨城県という名義は以上のために棄却すべきであり、「みなと」が語源といわれるみとの美化語として美都、御都をふくみ、常陸県、水戸県または水戸都、常陸都などこれらのうちどれか一義性に近いことばにもどす方が合理的といえる。
2012年11月12日
原子力労働組合の必要
原発は費用高で夜間過剰電力をもたらす意味しかないから、自発的に再生可能エネルギー特需につないでいく県民行動をとる方がよい。つまりわたしたちは東海第二原発が原発を時代遅れの発電方式となしていくさきがけとなるべきで、即時廃炉を県民の方針にした方がいい。
たとえば茨城県内では条例で各戸へソーラーパネルの設置を義務づけるか、国家的助成によって原子力発電と同等以上の余剰電力をうみだす、という方途がありえる。この方が将来性がある公共投資であり、なおかつ家庭用蓄電池普及とくみあわせて売電によって県民主体で利潤をあげることができるうえに、電力会社にとっても廃棄物処理問題がないだけ未来まで安定して採算のあう県内電力事情につなげられる。
ここで東海村村民の生計のみちが課題になってくる。事実、日本原子力発電株式会社から買収され、被雇用者となっているひとたちは労働者として弱者のたちばにあるのだから、このひとたちの生計の権利がまもられねばならない。「原子力労働組合」をつくり、日本原子力発電をあいてに、廃炉と原子力依存からの脱却をかねて雇用の安定確保をたねに議論していくべきだ。このひとたちが原子力村、という曖昧な表現でなかばマスコミから敵視されかねないのはすべて勘違いで、かれらは実質、株主から犠牲になっている弱い立場の者であり、報道面からは大資本の悪と暴威、勝手きままに翻弄される存在として擁護されるべき存在といえる。
もし原子力発電所の維持という国家的方針があったとして、これらのウラン燃料が原子力爆弾の原料として重要だという意図がわけとしてあるなら、その点をきちんとおおやけにすべきであり、ダーティボムの生産能力も同様に計画されるべき、といえる。なぜならそうすることで原子力発電所ではないかたちでウラン燃料を蓄蔵すること、あるいは使用済み核燃料を蓄蔵することを国民として公認のもと再計画できるみちもひらけるだろう。
たとえば茨城県内では条例で各戸へソーラーパネルの設置を義務づけるか、国家的助成によって原子力発電と同等以上の余剰電力をうみだす、という方途がありえる。この方が将来性がある公共投資であり、なおかつ家庭用蓄電池普及とくみあわせて売電によって県民主体で利潤をあげることができるうえに、電力会社にとっても廃棄物処理問題がないだけ未来まで安定して採算のあう県内電力事情につなげられる。
ここで東海村村民の生計のみちが課題になってくる。事実、日本原子力発電株式会社から買収され、被雇用者となっているひとたちは労働者として弱者のたちばにあるのだから、このひとたちの生計の権利がまもられねばならない。「原子力労働組合」をつくり、日本原子力発電をあいてに、廃炉と原子力依存からの脱却をかねて雇用の安定確保をたねに議論していくべきだ。このひとたちが原子力村、という曖昧な表現でなかばマスコミから敵視されかねないのはすべて勘違いで、かれらは実質、株主から犠牲になっている弱い立場の者であり、報道面からは大資本の悪と暴威、勝手きままに翻弄される存在として擁護されるべき存在といえる。
もし原子力発電所の維持という国家的方針があったとして、これらのウラン燃料が原子力爆弾の原料として重要だという意図がわけとしてあるなら、その点をきちんとおおやけにすべきであり、ダーティボムの生産能力も同様に計画されるべき、といえる。なぜならそうすることで原子力発電所ではないかたちでウラン燃料を蓄蔵すること、あるいは使用済み核燃料を蓄蔵することを国民として公認のもと再計画できるみちもひらけるだろう。
2012年11月10日
No title
POLA化粧品の美肌県ランキングの分析。
http://www.pola.co.jp/special/bihadaken/
年間相対湿度(気象庁)
http://todo-ran.com/t/kiji/13690
で茨城は5位で、
納豆消費量(家計調査)は2位。
http://todo-ran.com/t/kiji/11483
且つ、女子小中学生体力テスト(全国体力・運動能力、運動習慣等調査結果、2010年)は2位。(2013年度は茨城県が1位)
http://todo-ran.com/t/kiji/13471
大豆イソフラボンは女性ホルモンの同位体なのでこの消費によって当然肌に対して美化の効果があるはずだから、これらの指標をみてとるかぎり、美肌というPOLA化粧品の調査で最下位になるいわれは皆無といえる。
いいかえると、POLAという株式会社は私企業なこともあり、なんらかの恣意的な調査結果をさも科学かの様にてらっている可能性が非常にたかい。さもなければ、なんらかの逆の事実をしめす指標があるはずだから。
魅力度調査の実態もそうだが、こういった疑似科学的な統計がさまざまな公的ではない機関によって複数でてきているところに、国民は非常に注意がいる。ここにはなんらかの情報操作の意図がかくされているととらえるのが妥当で、科学的な厳密性とは無縁のものであるとかんがえるべきだ。
POLA化粧品は売上高とも関係しているかもしれないが、水戸に美人がすくないという風評と歩調をあわせた結果を用意して俗の好奇に適合させた側面もかんがえられる。もともとのこの風評は、参勤交代の結果つくりあげられた東京商業社会での遊郭世界との対比として、都会の風俗にまみれて外面を飾るという面から俗化していない農村社会がはるかにおおかった常陸国の状態を俗塵目線で風刺したものとおもわれる。また、化粧は一般に素がよくないばあいにつかわれるものだから、株式会社としては売り上げの将来に期待がもてる場所へ宣伝の意図をもっている可能性が非常にたかい。
現実には健康性の指標である肌の状態は、上述の指標にみられるとおり茨城の方が東京よりもよいととらえるのが自然だ。具体的に対比すると、
年間相対湿度(気象庁) 茨城5位 東京47位
納豆消費量(家計調査) 茨城2位 東京20位
女子小中学生体力テスト(全国体力・運動能力、運動習慣等調査結果) 茨城2位 東京40位
あきらかに女性の健康性をしめすはずこれらの統計値とはおおはばにちがう指標であるということは、「茨城県では健康な女性が化粧をしない」という端的な事実をしめす。どちらかといえば、これは化粧という男性の目を健康性とは真逆の技術であざむく決してよい風習とはいえないものをしりぞけている点で醇風美俗にちがいない。よって同美肌ランキングなる指標は、むしろこれとは逆のうまれつきの健康性を化粧でもってあざむこうとする勘違いしたおろかさ、もっといえば醜悪卑俗の指標であるといえる。たとえば茨城同様の類型として女子小中学生体力テストで1位、同指標で44位の福井県がある。
それとは逆に東京をふくめ、POLA化粧品をつかっているたぐいのひとびとにとって、あきらかにその上位県である島根、山梨、高知、(東京8位)、といった都道府県は、「化粧品をつかう必要のないひとびとまで化粧をする」、といういわば都会ずれした低俗な風習、もっといえば悪い風俗がPOLA化粧品使用者層にあるととらえるのが自然だ。
これらの指標を誤解をあたえる様な美肌、ということばでいいあらわそうとしている点に株式会社たるPOLA化粧品のあざむきと、統計学的無理解性がある。
http://www.pola.co.jp/special/bihadaken/
年間相対湿度(気象庁)
http://todo-ran.com/t/kiji/13690
で茨城は5位で、
納豆消費量(家計調査)は2位。
http://todo-ran.com/t/kiji/11483
且つ、女子小中学生体力テスト(全国体力・運動能力、運動習慣等調査結果、2010年)は2位。(2013年度は茨城県が1位)
http://todo-ran.com/t/kiji/13471
大豆イソフラボンは女性ホルモンの同位体なのでこの消費によって当然肌に対して美化の効果があるはずだから、これらの指標をみてとるかぎり、美肌というPOLA化粧品の調査で最下位になるいわれは皆無といえる。
いいかえると、POLAという株式会社は私企業なこともあり、なんらかの恣意的な調査結果をさも科学かの様にてらっている可能性が非常にたかい。さもなければ、なんらかの逆の事実をしめす指標があるはずだから。
魅力度調査の実態もそうだが、こういった疑似科学的な統計がさまざまな公的ではない機関によって複数でてきているところに、国民は非常に注意がいる。ここにはなんらかの情報操作の意図がかくされているととらえるのが妥当で、科学的な厳密性とは無縁のものであるとかんがえるべきだ。
POLA化粧品は売上高とも関係しているかもしれないが、水戸に美人がすくないという風評と歩調をあわせた結果を用意して俗の好奇に適合させた側面もかんがえられる。もともとのこの風評は、参勤交代の結果つくりあげられた東京商業社会での遊郭世界との対比として、都会の風俗にまみれて外面を飾るという面から俗化していない農村社会がはるかにおおかった常陸国の状態を俗塵目線で風刺したものとおもわれる。また、化粧は一般に素がよくないばあいにつかわれるものだから、株式会社としては売り上げの将来に期待がもてる場所へ宣伝の意図をもっている可能性が非常にたかい。
現実には健康性の指標である肌の状態は、上述の指標にみられるとおり茨城の方が東京よりもよいととらえるのが自然だ。具体的に対比すると、
年間相対湿度(気象庁) 茨城5位 東京47位
納豆消費量(家計調査) 茨城2位 東京20位
女子小中学生体力テスト(全国体力・運動能力、運動習慣等調査結果) 茨城2位 東京40位
あきらかに女性の健康性をしめすはずこれらの統計値とはおおはばにちがう指標であるということは、「茨城県では健康な女性が化粧をしない」という端的な事実をしめす。どちらかといえば、これは化粧という男性の目を健康性とは真逆の技術であざむく決してよい風習とはいえないものをしりぞけている点で醇風美俗にちがいない。よって同美肌ランキングなる指標は、むしろこれとは逆のうまれつきの健康性を化粧でもってあざむこうとする勘違いしたおろかさ、もっといえば醜悪卑俗の指標であるといえる。たとえば茨城同様の類型として女子小中学生体力テストで1位、同指標で44位の福井県がある。
それとは逆に東京をふくめ、POLA化粧品をつかっているたぐいのひとびとにとって、あきらかにその上位県である島根、山梨、高知、(東京8位)、といった都道府県は、「化粧品をつかう必要のないひとびとまで化粧をする」、といういわば都会ずれした低俗な風習、もっといえば悪い風俗がPOLA化粧品使用者層にあるととらえるのが自然だ。
これらの指標を誤解をあたえる様な美肌、ということばでいいあらわそうとしている点に株式会社たるPOLA化粧品のあざむきと、統計学的無理解性がある。
2012年10月28日
スカートのつかわれかたからみた服装様式と文化の関係
女性がスカートをはく、という生活形態はイングランドから流行としてやってきて、日本の中学生や高校生の制服にとりこまれて定着してしまったが、かならずしも普遍的ではない、とケルト文化のキルトスカートが男性にもはかれること、そもそも日本にはスカートという物体がなかったことなどがしらせる。睾丸の外部化が精巣を冷却化する為だったという系統発生の説をかえりみると、その文脈のうえではだが単に機能面からみればもともと男性がはいてしかるべきしろものとさえいえなくもない。
おそらく、日本では他国とくらべて女性の貞操観念が必要以上にうすまって、誘惑的な服装をする、という決して保守的とはいえない風習がひろまってしまったとおもえる。
貞操あるいは純潔は男女とわずもともと結婚契約を履行させる信念なので、この内的信念がうすまれば当然、離婚率もあがるはず。中世の民族衣装に、儒教圏で共通してみられる女性の第二次性徴をかくそうとする様式は、この結婚契約への封建制度内での適応化がみちびいたかもしれない。
対照できる男性の服装がネクタイというそれなりに機能を逸脱しているかわった部分をもつことをのぞけば、男装そのものには歴史の推移でもそれほど極端な変形がない様にみえる。男性にとってむしろおどろくべきなのはかみがたがおおきく変化してきたことかとおもう。もともとは男性社会にとって機能をもつすがたにしようとすることが極端にすすむと、戦場でかぶとをかぶるためにあたまをそりあげたところからくるのだろうちょんまげの様な風習もでてくる。ネクタイがへそのあたりまで無用にながいという無駄でかわった点は、くびにまくおび、というtieのもつ忠誠的な意味を紳士社会で延長させた象徴化なのかもしれない。Informalなせきでのネクタイをはずすことがもつ社会的な意味をかんがみると。
逆選択が女性の服装へかなりつよくはたらいているのがあきらかで、スカートというものも機能性をそれて単に誘惑以外の意味はなさそうな状態が慣習化されてしまっているところに、現代人類の一個の社会がおかれたある特殊な条件がありそう。つまり少子化という、一般の高貴化に由来した結婚可能性の減退が、そのまま女性にとっての過度の誘惑の必要をよんだのだろう。スカートをはいたことのない女性がいるとすれば、こういった社会風潮から超然としていられるあかしになるが、すくなくとも日本ではほとんど例外もないのではないか。よりながいめでみると、この風習のなかから異性への身体的な誘惑というかなり原始的な方法でいきのこってくる女性の形質はそうでない条件にあるより貞操観念がうすくなっているだろう。いわば、liberalismという状態がそれをつくりだしたのだ。それでも結婚契約の保守的妥当性はつづくだろうから、こういった貞操のないひとびとと、純潔のある安定した家庭をもつひとびととのあいだには、それなりにうめがたいさができるだろう。この2つの社会階層的すみわけは、高貴化、gentrificationの一般的結果とかなう。
端的にいえば、先進国内では離婚率のたかい不安定で相対的にまずしげな社会と、それがひくく安定かつゆたかな社会とに純潔への価値観でわかれゆく途上にある。このうち、女性のスカートという服装はそのたけという部位をふくめそれが誘惑というもとの衣服としての機能なはず身体保護から逸脱した役割をもちいている分だけ特殊で、逆選択的に貞操観念のうすい人間が早期に身体の媚態という原始的で不安定な性関係をもつ早熟な風潮をつくりだしやすいとおもわれ、結果、そうでない集団、特に第二次性徴をあえておおいかくすtypeの服装をするひとびとにくらべればとみをたくわえる機会がそれだけへるだろう。
おおまかにこの2つのかたを、誘惑型女装と貞操型女装とする。
この誘惑型女装の系にあるひとびとは、まずしいかわりに早熟なだけかずがおおい傾向がつよくなるはずだ。いわばreproduce strategicな経過をとる。対して貞操型女装の系はKapacity strategicにゆたかでかずのすくない高貴化をへるだろう。この階層性は、現に義務教育から初期高等教育levelの子社会でもみることができる。高学歴にすすむ者は比較的に高貴化しやすく、あまり学力がないひとびとは早期の就業や早期に校内での配偶選択的恋愛行動がみられる。おみあいという日本独特の制度は武家が将軍へのうかがいなしに藩のあいだのむすびつきをさけるためだろう勝手な結婚を禁じた家康発の武家諸法度に直接のちなみがあるとおもわれるが、いいなづけといったそういった配偶の計画性から展開したとかんがえられる風習が封建社会では世界各国でかなりみうけられるから、これも高貴化によってきたものだろう。
高貴化は先進国内での社会風潮化された流行で、かならずしも永遠とはいえない。しかし、早熟そのものには子のかずや不安定な家庭条件からくるまずしさという不可避の欠点もつきまとうだろう。人類の一部という単位でみると、総じて絶滅への衰退をさける範囲で徐々に高貴化しようとするのが大体のながれといえるだろう。当時の服装、つまり流行の様式はそういった社会風潮を、さらにおのおのの社会階層が要請されている機能を強化cycleにのせる様に特定のみためで強調し、象徴化する側面があるらしい。
おそらく、日本では他国とくらべて女性の貞操観念が必要以上にうすまって、誘惑的な服装をする、という決して保守的とはいえない風習がひろまってしまったとおもえる。
貞操あるいは純潔は男女とわずもともと結婚契約を履行させる信念なので、この内的信念がうすまれば当然、離婚率もあがるはず。中世の民族衣装に、儒教圏で共通してみられる女性の第二次性徴をかくそうとする様式は、この結婚契約への封建制度内での適応化がみちびいたかもしれない。
対照できる男性の服装がネクタイというそれなりに機能を逸脱しているかわった部分をもつことをのぞけば、男装そのものには歴史の推移でもそれほど極端な変形がない様にみえる。男性にとってむしろおどろくべきなのはかみがたがおおきく変化してきたことかとおもう。もともとは男性社会にとって機能をもつすがたにしようとすることが極端にすすむと、戦場でかぶとをかぶるためにあたまをそりあげたところからくるのだろうちょんまげの様な風習もでてくる。ネクタイがへそのあたりまで無用にながいという無駄でかわった点は、くびにまくおび、というtieのもつ忠誠的な意味を紳士社会で延長させた象徴化なのかもしれない。Informalなせきでのネクタイをはずすことがもつ社会的な意味をかんがみると。
逆選択が女性の服装へかなりつよくはたらいているのがあきらかで、スカートというものも機能性をそれて単に誘惑以外の意味はなさそうな状態が慣習化されてしまっているところに、現代人類の一個の社会がおかれたある特殊な条件がありそう。つまり少子化という、一般の高貴化に由来した結婚可能性の減退が、そのまま女性にとっての過度の誘惑の必要をよんだのだろう。スカートをはいたことのない女性がいるとすれば、こういった社会風潮から超然としていられるあかしになるが、すくなくとも日本ではほとんど例外もないのではないか。よりながいめでみると、この風習のなかから異性への身体的な誘惑というかなり原始的な方法でいきのこってくる女性の形質はそうでない条件にあるより貞操観念がうすくなっているだろう。いわば、liberalismという状態がそれをつくりだしたのだ。それでも結婚契約の保守的妥当性はつづくだろうから、こういった貞操のないひとびとと、純潔のある安定した家庭をもつひとびととのあいだには、それなりにうめがたいさができるだろう。この2つの社会階層的すみわけは、高貴化、gentrificationの一般的結果とかなう。
端的にいえば、先進国内では離婚率のたかい不安定で相対的にまずしげな社会と、それがひくく安定かつゆたかな社会とに純潔への価値観でわかれゆく途上にある。このうち、女性のスカートという服装はそのたけという部位をふくめそれが誘惑というもとの衣服としての機能なはず身体保護から逸脱した役割をもちいている分だけ特殊で、逆選択的に貞操観念のうすい人間が早期に身体の媚態という原始的で不安定な性関係をもつ早熟な風潮をつくりだしやすいとおもわれ、結果、そうでない集団、特に第二次性徴をあえておおいかくすtypeの服装をするひとびとにくらべればとみをたくわえる機会がそれだけへるだろう。
おおまかにこの2つのかたを、誘惑型女装と貞操型女装とする。
この誘惑型女装の系にあるひとびとは、まずしいかわりに早熟なだけかずがおおい傾向がつよくなるはずだ。いわばreproduce strategicな経過をとる。対して貞操型女装の系はKapacity strategicにゆたかでかずのすくない高貴化をへるだろう。この階層性は、現に義務教育から初期高等教育levelの子社会でもみることができる。高学歴にすすむ者は比較的に高貴化しやすく、あまり学力がないひとびとは早期の就業や早期に校内での配偶選択的恋愛行動がみられる。おみあいという日本独特の制度は武家が将軍へのうかがいなしに藩のあいだのむすびつきをさけるためだろう勝手な結婚を禁じた家康発の武家諸法度に直接のちなみがあるとおもわれるが、いいなづけといったそういった配偶の計画性から展開したとかんがえられる風習が封建社会では世界各国でかなりみうけられるから、これも高貴化によってきたものだろう。
高貴化は先進国内での社会風潮化された流行で、かならずしも永遠とはいえない。しかし、早熟そのものには子のかずや不安定な家庭条件からくるまずしさという不可避の欠点もつきまとうだろう。人類の一部という単位でみると、総じて絶滅への衰退をさける範囲で徐々に高貴化しようとするのが大体のながれといえるだろう。当時の服装、つまり流行の様式はそういった社会風潮を、さらにおのおのの社会階層が要請されている機能を強化cycleにのせる様に特定のみためで強調し、象徴化する側面があるらしい。
2012年10月27日
深海魚について
海底魚の汚染レベルによっては、鮟鱇料理というものそのものをあきらめるしかないのではないか? もし安全ならばそれなりの科学的根拠を提出する方がかえっていい。なぜどういう理由でどのベクレル検出数値だから安全なのかを説明できる状態が必要だといえる。
http://www.afpbb.com/article/environment-science-it/environment/2909413/9740186
福島沖の魚介類、放射性レベル下がらず 国際調査
2012年10月26日 18:23 発信地:ワシントンD.C./米国
【10月26日 AFP】福島沖で獲れた魚介類に含まれる放射性セシウムの濃度は、原発事故から1年半が経過した後も下がっていないと指摘する米ウッズホール海洋研究所(Woods Hole Oceanographic Institution、WHOI)の調査論文が25日、米科学誌「サイエンス(Science)」に掲載された。
WHOIの海洋化学者、ケン・ブッセラー(Ken Buesseler)氏は、日本政府の公式データを基に、東京電力(TEPCO)福島第1原子力発電所の沖合いで獲れた魚介・海藻類の放射線レベルを調査。依然としてセシウム濃度が高い理由として、福島第1原発から低レベルの放射能漏れが起きているか、汚染物質が海底に堆積している可能性があると結論付けた。
2011年から国際調査チームを率いて福島第1原発による放射能汚染状況を船で調査してきたブッセラー氏は、福島沖で獲れた魚介類の40%は日本政府の放射性セシウム基準値に照らして消費用として適さないと試算している。だが同氏はまた、時の経過とともに汚染状況がどのように変化していくかを予測するには、魚介類の調査だけでは不十分だとも指摘している。
「本当に必要なのは、福島沖でわれわれが目にしていること(魚介類の汚染)の原因となっているセシウムなどの放射性物質の出所や、汚染堆積物について、よりよく理解することだ」(ブッセラー氏)
研究によると、検出されたセシウムの濃度は魚の種類によって異なるが、海底近くに生息するいわゆる底魚で最も高かった。また、汚染レベルに差はあっても、全ての魚介類でセシウム濃度は下がっていなかったという。
一方、東北沖で獲れた魚介類の大半は、食べても心配のないレベルのセシウム濃度だったと研究チームは強調している。
ブッセラー氏は東京大学(University of Tokyo)の植松光夫(Mitsuo Uematsu)教授とともに、11月12日から2日間の日程で都内で開かれるシンポジウムで今回の調査結果を発表する予定だ。(c)AFP
2012年10月15日
朝鮮学校の位置づけについて
http://synodos.livedoor.biz/archives/1929030.html
朝鮮学校「無償化」除外問題Q&A 金明秀
このページでは、水戸市議会が北朝鮮拉致問題とからめて朝鮮学校へ判断した無償化の否決的態度は、単なる「人種・民族少数派」への差別に該当している、という見解がみられる。
水戸市の内政の問題かもしれないが、知識としてはどちらもそれなりの言い分がある。
自分の意見としては、もし外国人学校的な私学が文科省の方針を採用していないとき、ここに「公費」というものを適用するのはまちがっている。公的利益は正義を以下に引用した類型のうち特に格差原理にたくしているはずだから、この人種・民族minorityの権利は本来保証されるべきといえるが、公費は全体の利益をめざすものだから、「部分の奉仕者」としてはあつかえない。いいかえると、公的利益つまり福祉の最大化をめざす文科省の方針を採用しているばあい、朝鮮学校には公費をつかってもかまわないことになる。
ただ、この観点は私学にもかよいにくい経済条件下にある人種・民族minorityにとってきびしいという意味ではこころがせまい、とうけとれる部分もあるから、よく議論をかさねて次善の策をとっていく必要もあるとおもわれる。はじめはごく少数だったゲルマン傭兵が西ローマ帝国を瓦解させた例もあるわけで、水戸市の現状の方針のなか、文部科学省的方針の採用をその学校の法とするか、がむしろ主題になるかとおもえる。
朝鮮学校「無償化」除外問題Q&A 金明秀
このページでは、水戸市議会が北朝鮮拉致問題とからめて朝鮮学校へ判断した無償化の否決的態度は、単なる「人種・民族少数派」への差別に該当している、という見解がみられる。
水戸市の内政の問題かもしれないが、知識としてはどちらもそれなりの言い分がある。
自分の意見としては、もし外国人学校的な私学が文科省の方針を採用していないとき、ここに「公費」というものを適用するのはまちがっている。公的利益は正義を以下に引用した類型のうち特に格差原理にたくしているはずだから、この人種・民族minorityの権利は本来保証されるべきといえるが、公費は全体の利益をめざすものだから、「部分の奉仕者」としてはあつかえない。いいかえると、公的利益つまり福祉の最大化をめざす文科省の方針を採用しているばあい、朝鮮学校には公費をつかってもかまわないことになる。
ただ、この観点は私学にもかよいにくい経済条件下にある人種・民族minorityにとってきびしいという意味ではこころがせまい、とうけとれる部分もあるから、よく議論をかさねて次善の策をとっていく必要もあるとおもわれる。はじめはごく少数だったゲルマン傭兵が西ローマ帝国を瓦解させた例もあるわけで、水戸市の現状の方針のなか、文部科学省的方針の採用をその学校の法とするか、がむしろ主題になるかとおもえる。
ロールズ、正義の原理
第一原理
各人は基本的自由に対する平等の権利をもつべきである。その基本的自由は、他の人々の同様な自由と両立しうる限りにおいて、最大限広範囲にわたる自由でなければならない。
第二原理
社会的・経済的不平等は次の二条件を満たすものでなければならない。
1. それらの不平等がもっとも不遇な立場にある人の利益を最大にすること。(格差原理)
2. 公正な機会の均等という条件のもとで、すべての人に開かれている職務や地位に付随するものでしかないこと。(機会均等原理)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%82%BA
2012年10月14日
万引き認知件数の分析
万引き認知件数は、値切り的な風習が寧ろ掛け値を抑制、万引きをへらす効果をもつ可能性を示唆してる。大阪では商人が多いはずだから、万引きをする側の人間をみつけても通報をしないという同情的な世論があるのでなければ、余計そうなる。香川県では大型店だらけという環境にくわえ、通報体制がととのっている事が不自然なくらい偏差値をひきあげているらしい。
いいかえれば、万引きをへらすには掛け値をしない事をあえて客へしめすうりかたをするか、小型店舗でめのとどきやすい状態にする、あるいは実際に競り市でおこなわれる様な値切りという風習がもしかすると効果的なのかもしれない。
順位 都道府県 認知件数 人口1万あたり認知件数 偏差値
1香川県1,674件16.76件78.83
2東京都19,033件14.79件68.61
3兵庫県8,080件14.47件66.95
4京都府3,571件13.62件62.52
5岡山県2,644件13.61件62.49
6栃木県2,680件13.36件61.17
7千葉県8,197件13.35件61.13
8茨城県3,944件13.32件60.98
9鳥取県770件13.03件59.45
10愛媛県1,865件12.99件59.23
11福岡県6,551件12.96件59.11
12山口県1,773件12.19件55.06
13徳島県952件12.07件54.44
14長野県2,573件11.92件53.67
15三重県2,228件11.91件53.65
16島根県846件11.78件52.97
17高知県898件11.72件52.66
18新潟県2,784件11.71件52.57
19和歌山県1,169件11.64件52.24
20群馬県2,329件11.60件52.04
21岐阜県2,427件11.60件52.02
22山梨県998件11.51件51.55
23奈良県1,604件11.47件51.32
24福島県2,328件11.41件51.04
25埼玉県8,121件11.39件50.92
26広島県3,240件11.32件50.54
27青森県1,511件10.96件48.67
28神奈川県9,713件10.86件48.17
29愛知県7,901件10.65件47.08
30佐賀県895件10.50件46.32
31宮崎県1,168件10.32件45.35
32秋田県1,097件10.01件43.74
33沖縄県1,372件9.93件43.32
34長崎県1,412件9.87件43.04
35静岡県3,742件9.87件43.01
36滋賀県1,377件9.80件42.66
37宮城県2,244件9.61件41.65
38山形県1,130件9.58件41.54
39熊本県1,720件9.48件41.00
40福井県743件9.20件39.51
41富山県1,003件9.16件39.33
42北海道5,015件9.11件39.05
43石川県1,055件9.06件38.79
44岩手県1,082件8.07件33.69
45鹿児島県1,359件7.96件33.07
46大分県925件7.74件31.95
47大阪府6,802件7.73件31.89
万引き認知件数
データ出典 警察庁 犯罪統計資料 2006年~2010年
http://todo-ran.com/t/kiji/13999
他県では万引を通報すると警察に直接被害届を出しに行く必要があり、調書作成に何時間も拘束されるケースも。店の負担が大きく「わざわざ通報しなくても…」となりがちという。その点、香川は通報があれば警察官が店まで出向き、店舗管理者から委任された保安係らの書類作成も認めている。店にとって通報しやすい環境が認知件数を押し上げている側面もあるようだ。
四国新聞社:万引き多発県・香川
http://www.shikoku-np.co.jp/feature/tuiseki/497/
いいかえれば、万引きをへらすには掛け値をしない事をあえて客へしめすうりかたをするか、小型店舗でめのとどきやすい状態にする、あるいは実際に競り市でおこなわれる様な値切りという風習がもしかすると効果的なのかもしれない。
順位 都道府県 認知件数 人口1万あたり認知件数 偏差値
1香川県1,674件16.76件78.83
2東京都19,033件14.79件68.61
3兵庫県8,080件14.47件66.95
4京都府3,571件13.62件62.52
5岡山県2,644件13.61件62.49
6栃木県2,680件13.36件61.17
7千葉県8,197件13.35件61.13
8茨城県3,944件13.32件60.98
9鳥取県770件13.03件59.45
10愛媛県1,865件12.99件59.23
11福岡県6,551件12.96件59.11
12山口県1,773件12.19件55.06
13徳島県952件12.07件54.44
14長野県2,573件11.92件53.67
15三重県2,228件11.91件53.65
16島根県846件11.78件52.97
17高知県898件11.72件52.66
18新潟県2,784件11.71件52.57
19和歌山県1,169件11.64件52.24
20群馬県2,329件11.60件52.04
21岐阜県2,427件11.60件52.02
22山梨県998件11.51件51.55
23奈良県1,604件11.47件51.32
24福島県2,328件11.41件51.04
25埼玉県8,121件11.39件50.92
26広島県3,240件11.32件50.54
27青森県1,511件10.96件48.67
28神奈川県9,713件10.86件48.17
29愛知県7,901件10.65件47.08
30佐賀県895件10.50件46.32
31宮崎県1,168件10.32件45.35
32秋田県1,097件10.01件43.74
33沖縄県1,372件9.93件43.32
34長崎県1,412件9.87件43.04
35静岡県3,742件9.87件43.01
36滋賀県1,377件9.80件42.66
37宮城県2,244件9.61件41.65
38山形県1,130件9.58件41.54
39熊本県1,720件9.48件41.00
40福井県743件9.20件39.51
41富山県1,003件9.16件39.33
42北海道5,015件9.11件39.05
43石川県1,055件9.06件38.79
44岩手県1,082件8.07件33.69
45鹿児島県1,359件7.96件33.07
46大分県925件7.74件31.95
47大阪府6,802件7.73件31.89
万引き認知件数
データ出典 警察庁 犯罪統計資料 2006年~2010年
http://todo-ran.com/t/kiji/13999
2012年10月6日
ゆるキャラ悪風の忌避
市役所がゆるキャラとか募集しだしているが、防衛に集中するのが政府第一の仕事だ。やめてほしい。明日にでも朝鮮兵・中国兵に攻め込まれたら、ゆるキャラで首をはねられておわりになるつもりだろうか。まともな武器と構成をもつ自警団の費用にする方がよほどまし。
もし費用があまっているのなら、防災庁舎を高台に建設するなり、消防を移動させるなり、新規に耐震化を十分にした学校をつくりなおすなり、おとなの仕事をきちんとやってほしい。市役所員や市長が耄碌しているのなら、むしろ市民がはやく、狂った使い物にならない市役所を改造させねばならない。いくらなんでも商業主義的なかずかずの愚行のうち、もっとも恥ずかしい幼児退行のまねをするのはやりすぎ。わるふざけしている人間にはばちがあたるにちがいない。みなが悪風にのまれているからといって赤信号を渡る市長や市役所員は、はやくまちがった職、仕事を退任してもらわないと将来的に市民全員が征服者に殺されることによって滅亡するかもしれない。過去の人類史みてればこれはあながち極端な説ともいいきれない。
武家の教訓として「先憂後楽」を忘れるべきではないだろう。平時にあって戦時を忘れない事、治に居て乱に備えよもそれに入る。
おそらくだが、この偶像礼拝的悪習をはじめた第一人者として彦根市があるのかもしれない。だが、天罰はまちがいなくその市をおそうだろう。無益な風習をするほど、経済損失はふくらむから。
もし芸術によってこころの慰めを得たいのならば、音楽・詩歌・建築美術などまっとうな純粋芸術を奨励するべき。環境の中で劇作の背景と化し偶像礼拝にあたらないそれらは、人類が悪徳とはみなしてこなかったばかりか人々の心情を鼓舞するよい効果をもつとかんがえられてきた。
もし費用があまっているのなら、防災庁舎を高台に建設するなり、消防を移動させるなり、新規に耐震化を十分にした学校をつくりなおすなり、おとなの仕事をきちんとやってほしい。市役所員や市長が耄碌しているのなら、むしろ市民がはやく、狂った使い物にならない市役所を改造させねばならない。いくらなんでも商業主義的なかずかずの愚行のうち、もっとも恥ずかしい幼児退行のまねをするのはやりすぎ。わるふざけしている人間にはばちがあたるにちがいない。みなが悪風にのまれているからといって赤信号を渡る市長や市役所員は、はやくまちがった職、仕事を退任してもらわないと将来的に市民全員が征服者に殺されることによって滅亡するかもしれない。過去の人類史みてればこれはあながち極端な説ともいいきれない。
武家の教訓として「先憂後楽」を忘れるべきではないだろう。平時にあって戦時を忘れない事、治に居て乱に備えよもそれに入る。
おそらくだが、この偶像礼拝的悪習をはじめた第一人者として彦根市があるのかもしれない。だが、天罰はまちがいなくその市をおそうだろう。無益な風習をするほど、経済損失はふくらむから。
仲尼曰く、始めて俑を作る者、其れ後無らんかと。:『孟子』孟子 梁惠王上
→仲尼がのたまうに、はじめて俑(ヨウ:にせもののひとがたの像)をつくる者、その子孫は絶たれるであろう、と。
��偶像で殉死の風習のはじまりを作る結果になる、という意味。)
http://www.kokin.rr-livelife.net/koto/koto_yo/koto_yo_1.html
孔子、芻霊を為る者を善しと謂ひ、俑を為る者を不仁と謂ふ。:『礼記』戴聖 檀弓下
→孔子はいう、本物の人には似ていないわらの形ならばよいが、人にそっくりの人形では仁でないという。
��これも偶像の埋葬でいずれ人の殉死の風習を起こしかねない事から、偶像の禁止をいう文言。)
http://www.kokin.rr-livelife.net/classic/classic_oriental/classic_oriental_255.html
あなたは自分のために刻んだ像を造ってはならない。上は天にあるもの、下は地にあるもの、また地の下の水の中にあるものの、どのような形をも造ってはならない。:『聖書』申命記5:8
��前後の文脈から、神以外のものを信仰する事の危険を警告する内容。神というのは「信のミーム」ともいいかえられるから、それ以外のすべての物のうしなわれやすさ、信仰の前でのにせものさをいいあてているとおもわれる。聖書の中では人は神の似姿ということになっているので、人型の人形、つまり偶像でもおなじことになる。)
http://ja.wikisource.org/wiki/%E7%94%B3%E5%91%BD%E8%A8%98%28%E5%8F%A3%E8%AA%9E%E8%A8%B3%29#.E7.AC.AC5.E7.AB.A0
もし芸術によってこころの慰めを得たいのならば、音楽・詩歌・建築美術などまっとうな純粋芸術を奨励するべき。環境の中で劇作の背景と化し偶像礼拝にあたらないそれらは、人類が悪徳とはみなしてこなかったばかりか人々の心情を鼓舞するよい効果をもつとかんがえられてきた。
クール茨城活動
Cool茨城(格好いい茨城)のコンセプトで、ブリタニア(UK)や韓国がやってきた事、日本政府の単位でやろうとしている事をさきどりすべきだ。
魅力度を上げる事も多少あれともなうかもしれず、県単位での「芸術活動の奨励」はくにのanti agingをかねた公共投資になる。この為に予算を十分確保すればいい。
魅力度を上げる事も多少あれともなうかもしれず、県単位での「芸術活動の奨励」はくにのanti agingをかねた公共投資になる。この為に予算を十分確保すればいい。
2012年10月4日
茨城五輪の誘致策
オリンピックを茨城県が主体となって誘致すべきだ。
東京都は既に尖閣問題で敗北したので、その成果を被災地でもある茨城県で代替すればいい。
http://kamomenome.exblog.jp/16731240/ 国々の2種類の特徴
にしめしたとおり、五輪開催によって最上位まで魅力度があがる可能性がたかい。
東京都は既に尖閣問題で敗北したので、その成果を被災地でもある茨城県で代替すればいい。
http://kamomenome.exblog.jp/16731240/ 国々の2種類の特徴
にしめしたとおり、五輪開催によって最上位まで魅力度があがる可能性がたかい。
2012年10月2日
除染方法の示唆
・低濃度汚染地域の表層土を削り取り、それを高濃度汚染地域の汚染土の上に覆い被せる。
・高濃度汚染地域にナタネやトウモロコシを植え、バイオディーゼルやバイオマスエタノールを製造する。
・バイオ燃料製造でできる農業廃棄物をガス化して、発電の燃料とする。
・ガスに含まれるセシウム等の有害物質はゼオライトで分別吸着し、処分する。
ひまわりによる除染の問題点は
・福島原発事故による土壌の放射能汚染のほとんどは、表面数センチメートルの土に固着したセシウム134, 137によるもので、ヒマワリを植えるために土を掘り起こしてしまうと、セシウム134, 137を深く混ぜ込んでしまうことになる。
・ヒマワリの根が汚染さえた表層土壌に根を張るとは限らない。また、ヒマワリは、水耕栽培でもしない限り、セシウム134, 137をほとんど吸い上げない。菜の花も、1年間に吸い上げる放射能は土壌中の数%にすぎないが、農地の安全利用に対しては効果がある。
・ヒマワリは大きく育つので、その処分が問題になる。ヒマワリにはリグニンが多く含まれるため、メタン菌による分解・発酵には向かない。焼却するには、放射性物質の拡散を防ぐために、焼却灰の処理が必要になる。
http://www.systemicsforum.com/ja/viewtopic.php?f=17&t=22 永井俊哉氏より。傍線筆者。
・高濃度汚染地域にナタネやトウモロコシを植え、バイオディーゼルやバイオマスエタノールを製造する。
・バイオ燃料製造でできる農業廃棄物をガス化して、発電の燃料とする。
・ガスに含まれるセシウム等の有害物質はゼオライトで分別吸着し、処分する。
ひまわりによる除染の問題点は
・福島原発事故による土壌の放射能汚染のほとんどは、表面数センチメートルの土に固着したセシウム134, 137によるもので、ヒマワリを植えるために土を掘り起こしてしまうと、セシウム134, 137を深く混ぜ込んでしまうことになる。
・ヒマワリの根が汚染さえた表層土壌に根を張るとは限らない。また、ヒマワリは、水耕栽培でもしない限り、セシウム134, 137をほとんど吸い上げない。菜の花も、1年間に吸い上げる放射能は土壌中の数%にすぎないが、農地の安全利用に対しては効果がある。
・ヒマワリは大きく育つので、その処分が問題になる。ヒマワリにはリグニンが多く含まれるため、メタン菌による分解・発酵には向かない。焼却するには、放射性物質の拡散を防ぐために、焼却灰の処理が必要になる。
http://www.systemicsforum.com/ja/viewtopic.php?f=17&t=22 永井俊哉氏より。傍線筆者。
2012年10月1日
茨城空港の民営化
茨城空港はできるかぎりはやく民営化すべきだ。すでに競合多数のばあい、民営企業が合理的。
東京のマスコミは2つの点から茨城空港の解釈をまちがえている。
1つは、それが単に自衛隊基地の未使用時間帯を民間活用したrenovationな事が理解できないという記者クラブが震源なのだろう東京のマスコミの愚かさ。だからこのある都道府県の行政単位で実現した首都圏の一員ための空港を非難する、というのは石原都知事や羽田を優先させて成田を非難したのと同じ東京ジャイアニズムの愚劣さや悪業しか示しておらず、かりにその行政が起動単位になっている段階での経営がうまくいかなくなったとしても再び自衛隊基地にもどるだけなので国政や国家の財政にはなんの関係もないので、この茨城県の空港が無駄だとのべる者は無知なばかりか悪意をもっていてかつ傲慢で恥知らずである。単に茨城県の単位の財政支出が県民のためにつかえないとしたら、一体なんのために行政区画があるのか。国政レベルと都道府県レベルの行政どちらの単位にも無知なばかりか、首都圏や関東の利便を単に東京のジャイアニズムのためだけに恣意的な悪意ある情報操作で弾圧したがっているあしき東京人の愚鈍へ猛省をうながしたい。またこういった愚劣きわまりない都民は、もし羽田と成田がなにかの被害で封鎖されれば、いままで悪辣な東京のマスコミがいわれなく誹謗してきた分きちんと責任をとり、調布飛行場だけで我慢すべきである。いざとなって茨城空港へ助けをもとめてきてもあとのまつりだ。いままで散々意味もなく愚劣な侮辱をしてきた責任は、ローコストオブザイヤーも受賞している茨城空港の合理的現代性が理解できなかった土台馬鹿な都民にそのあしきマスコミ組織もろとも、脱出不能性の地獄としてきっちりとらせねばならない。
2つは、これは2chのネット右翼傾向の衆愚にみられる発言だが、韓国の航空会社が就航している事を誹謗している。だがこれもかれらの本意にさからって愚である。なにも茨城県は韓国からの移民をうながしているのではないからだ。単純に就航さきを通した観光収入をとる事、これさえ日本国民の経済性にかなわないとでもいうつもりだろうか? それらのネット右翼の一部にいるマスコミに扇動されやすい衆愚は、まず自分たちのあしもとからみなおすといい。統計は在日韓国人のわりあいをきちんとしめしている。
http://todo-ran.com/t/kiji/11618 在日韓国・朝鮮人
(データ出典 法務省登録外国人統計
www.moj.go.jp/TOUKEI/index2.html
http://www.moj.go.jp/content/000078095.pdf )
順位 都道府県 在住者数 人口10万あたり在住者数 偏差値
1大阪府 133,396人 1,538.54人 90.01
2京都府 33,027人 1,290.85人 82.05
3兵庫県 54,635人 978.73人 72.02
4東京都 114,961人 922.48人 70.21
5愛知県 41,598人 578.90人 59.16
6山口県 8,081人 546.07人 58.11
7滋賀県 6,102人 442.85人 54.79
8福井県 3,554人 435.89人 54.57
9神奈川県 34,838人 395.96人 53.28
10福岡県 19,478人 387.17人 53.00
23茨城県 5,783人 193.93人 46.79
圧倒的にその数がおおいのは大阪と東京であり、茨城など上記の様その相対的な在住者の割合の偏差値は46.79と平均よりはるか下、もののかずにもはいらないのはあきらかだ。
首都圏にある一空港がアジアの軸となる空港とむすんだことを、なぜか移民のうながしと勘違いして誹謗中傷するのは、ネット右翼の理解力のひくさ、馬鹿さからくる愚行をとおりこしてアジアの巨大な市場秩序を軽視した自滅行為でしかない。そして現に政治的次元では、茨城県が在日外国人の犯罪対策チームをくんだり、ほか都道府県とおなじく朝鮮学校をもつ政令指定都市の水戸市が拉致問題とのかねあいを重んじて組織犯罪を日本側へおこなうばあいは一律の補助金を再考している。そうしていないのは東京、あるいは空港でもLCC市場のニッチをゆずることができず切羽つまってケチを目的に陰謀風説で誹謗をしてきた卑劣な商業主義にそまった軽薄としか言い様のない千葉県の方ではないのか。
県政の視野はアジアの成長しつづける巨大市場についているのであり、決して偏狭なナショナリズムではない点でむしろ現都政よりもすぐれた行動を選択しているのがまちがいない。
むしろ2ch系ネット右翼と記者クラブをはじめとした東京マスコミは、国際的にはずかしい首長である石原都知事の連続再選と、キー局が韓国の政府ぐるみでのドラマや歌手のうりこみに簡単にだまされ買収された結果おのれどもが日本の伝統芸能といえるドラマ水戸黄門を軽視して中止、韓流をはやらせたのを猛反省しろ。こっちはひとことも韓国文化すばらしいとはいっていない。友好的な近隣国とはなかよくしましょう、敵対的な近隣国へは制裁しましょうときわめて常識的な態度で接しているにすぎない。むしろ悪いのは東京なのである。Racismやnationalismをおもいっきり時代逆行で主張しているあしき東京が報道組織の独占からくる腐敗で、国政にとっても合理的としかいえない首都圏第3の補完的空港を自費で整備したらいわれない冤罪であしをひっぱってくるとは、とんだジャイアニズムにこりかたまった極悪東京としかいいようがない。
くりかえすが、茨城空港はむしろ首都圏にある自衛隊基地のリノベーション空港として合理的であり、民営化によってさらに発展性が期待できるので決して邪悪で愚かな東京ジャイアニズムによって非難されるいわれはない。実際、大震災時に県民にとっては空の足、自衛隊にとっては主要基地として有効に機能することになった。そのときすこしでもジャイアンにすぎぬ悪質な東京都民が羽田をよろこんで県民へ貸与してくれたろうか。そんな素振りはすこしもないばかりか、当のマスコミ組織にもいのちづなである電気をおくっている茨城県の被災地からさきに停電させようとし、首都圏のほとんどの食糧をになっている茨城県でみられた自主的な弱者への分けあいやひとりあたり供給制限とは逆に、東京の企業であるコンビニでは被災し死人のいる現地でもかねもうけを優先させ販売封鎖しつつ首都圏の食料を集団で買い占めまでするなどがみられたのであって、すなわち悪魔きわまりない東京都こそがさきにマスコミから積極的に注意され総攻撃されるべきなのだ。というか、茨城県の徳行を誹謗する東京都民やそれにだまされた国民のがわが悪にしたしむ結果、はなはだしい損害をこうむるのはまちがいない。
いままでネットやテレビ、新聞その他のマスメディアでいわれなく県政を冤罪で非難してきた東京には、行政単位および民間の単位できちんとかりをかえさねばならない。それにはまず茨城空港運営の民営企業化をあわてずいそぎ、県政は着実なインフラのみへ空港関連事業の整備を限定することが必要。
東京のマスコミは2つの点から茨城空港の解釈をまちがえている。
1つは、それが単に自衛隊基地の未使用時間帯を民間活用したrenovationな事が理解できないという記者クラブが震源なのだろう東京のマスコミの愚かさ。だからこのある都道府県の行政単位で実現した首都圏の一員ための空港を非難する、というのは石原都知事や羽田を優先させて成田を非難したのと同じ東京ジャイアニズムの愚劣さや悪業しか示しておらず、かりにその行政が起動単位になっている段階での経営がうまくいかなくなったとしても再び自衛隊基地にもどるだけなので国政や国家の財政にはなんの関係もないので、この茨城県の空港が無駄だとのべる者は無知なばかりか悪意をもっていてかつ傲慢で恥知らずである。単に茨城県の単位の財政支出が県民のためにつかえないとしたら、一体なんのために行政区画があるのか。国政レベルと都道府県レベルの行政どちらの単位にも無知なばかりか、首都圏や関東の利便を単に東京のジャイアニズムのためだけに恣意的な悪意ある情報操作で弾圧したがっているあしき東京人の愚鈍へ猛省をうながしたい。またこういった愚劣きわまりない都民は、もし羽田と成田がなにかの被害で封鎖されれば、いままで悪辣な東京のマスコミがいわれなく誹謗してきた分きちんと責任をとり、調布飛行場だけで我慢すべきである。いざとなって茨城空港へ助けをもとめてきてもあとのまつりだ。いままで散々意味もなく愚劣な侮辱をしてきた責任は、ローコストオブザイヤーも受賞している茨城空港の合理的現代性が理解できなかった土台馬鹿な都民にそのあしきマスコミ組織もろとも、脱出不能性の地獄としてきっちりとらせねばならない。
2つは、これは2chのネット右翼傾向の衆愚にみられる発言だが、韓国の航空会社が就航している事を誹謗している。だがこれもかれらの本意にさからって愚である。なにも茨城県は韓国からの移民をうながしているのではないからだ。単純に就航さきを通した観光収入をとる事、これさえ日本国民の経済性にかなわないとでもいうつもりだろうか? それらのネット右翼の一部にいるマスコミに扇動されやすい衆愚は、まず自分たちのあしもとからみなおすといい。統計は在日韓国人のわりあいをきちんとしめしている。
http://todo-ran.com/t/kiji/11618 在日韓国・朝鮮人
(データ出典 法務省登録外国人統計
www.moj.go.jp/TOUKEI/index2.html
http://www.moj.go.jp/content/000078095.pdf )
順位 都道府県 在住者数 人口10万あたり在住者数 偏差値
1大阪府 133,396人 1,538.54人 90.01
2京都府 33,027人 1,290.85人 82.05
3兵庫県 54,635人 978.73人 72.02
4東京都 114,961人 922.48人 70.21
5愛知県 41,598人 578.90人 59.16
6山口県 8,081人 546.07人 58.11
7滋賀県 6,102人 442.85人 54.79
8福井県 3,554人 435.89人 54.57
9神奈川県 34,838人 395.96人 53.28
10福岡県 19,478人 387.17人 53.00
23茨城県 5,783人 193.93人 46.79
圧倒的にその数がおおいのは大阪と東京であり、茨城など上記の様その相対的な在住者の割合の偏差値は46.79と平均よりはるか下、もののかずにもはいらないのはあきらかだ。
首都圏にある一空港がアジアの軸となる空港とむすんだことを、なぜか移民のうながしと勘違いして誹謗中傷するのは、ネット右翼の理解力のひくさ、馬鹿さからくる愚行をとおりこしてアジアの巨大な市場秩序を軽視した自滅行為でしかない。そして現に政治的次元では、茨城県が在日外国人の犯罪対策チームをくんだり、ほか都道府県とおなじく朝鮮学校をもつ政令指定都市の水戸市が拉致問題とのかねあいを重んじて組織犯罪を日本側へおこなうばあいは一律の補助金を再考している。そうしていないのは東京、あるいは空港でもLCC市場のニッチをゆずることができず切羽つまってケチを目的に陰謀風説で誹謗をしてきた卑劣な商業主義にそまった軽薄としか言い様のない千葉県の方ではないのか。
県政の視野はアジアの成長しつづける巨大市場についているのであり、決して偏狭なナショナリズムではない点でむしろ現都政よりもすぐれた行動を選択しているのがまちがいない。
むしろ2ch系ネット右翼と記者クラブをはじめとした東京マスコミは、国際的にはずかしい首長である石原都知事の連続再選と、キー局が韓国の政府ぐるみでのドラマや歌手のうりこみに簡単にだまされ買収された結果おのれどもが日本の伝統芸能といえるドラマ水戸黄門を軽視して中止、韓流をはやらせたのを猛反省しろ。こっちはひとことも韓国文化すばらしいとはいっていない。友好的な近隣国とはなかよくしましょう、敵対的な近隣国へは制裁しましょうときわめて常識的な態度で接しているにすぎない。むしろ悪いのは東京なのである。Racismやnationalismをおもいっきり時代逆行で主張しているあしき東京が報道組織の独占からくる腐敗で、国政にとっても合理的としかいえない首都圏第3の補完的空港を自費で整備したらいわれない冤罪であしをひっぱってくるとは、とんだジャイアニズムにこりかたまった極悪東京としかいいようがない。
くりかえすが、茨城空港はむしろ首都圏にある自衛隊基地のリノベーション空港として合理的であり、民営化によってさらに発展性が期待できるので決して邪悪で愚かな東京ジャイアニズムによって非難されるいわれはない。実際、大震災時に県民にとっては空の足、自衛隊にとっては主要基地として有効に機能することになった。そのときすこしでもジャイアンにすぎぬ悪質な東京都民が羽田をよろこんで県民へ貸与してくれたろうか。そんな素振りはすこしもないばかりか、当のマスコミ組織にもいのちづなである電気をおくっている茨城県の被災地からさきに停電させようとし、首都圏のほとんどの食糧をになっている茨城県でみられた自主的な弱者への分けあいやひとりあたり供給制限とは逆に、東京の企業であるコンビニでは被災し死人のいる現地でもかねもうけを優先させ販売封鎖しつつ首都圏の食料を集団で買い占めまでするなどがみられたのであって、すなわち悪魔きわまりない東京都こそがさきにマスコミから積極的に注意され総攻撃されるべきなのだ。というか、茨城県の徳行を誹謗する東京都民やそれにだまされた国民のがわが悪にしたしむ結果、はなはだしい損害をこうむるのはまちがいない。
いままでネットやテレビ、新聞その他のマスメディアでいわれなく県政を冤罪で非難してきた東京には、行政単位および民間の単位できちんとかりをかえさねばならない。それにはまず茨城空港運営の民営企業化をあわてずいそぎ、県政は着実なインフラのみへ空港関連事業の整備を限定することが必要。
2012年9月29日
ダウンロード刑事罰の忌避
ダウンロードの刑事罰実施は、茨城県では最大限、おこなわない方がいい。
これは過去の人類史で「先端技術」分野をおくれた思想をもった国家権力が弾圧したばあい、その国が後進化してしまったから *1)。
*1) プロテスタントとむすびついた毛織物産業者を駆逐したスペインやフランス、ユダヤ人とむすびついた科学者や資本家を放逐したドイツがそれにあたるか。
参考URL http://www.systemicsarchive.com/ja/a/hegemony.html
刑事罰という国家権力による事実上の検閲で潜在的・顕在的抑圧がおこり、インターネットをとおした通信の秘密がこわされ、結果、全体からみればごく少数の音楽・映画業者の利権のためだけに先端技術への適応がおくれがちになるだろう。単に民事罰のままにしておけば権力が最小しか介在しなかったはずで、こういった少数者にとっても容易に個別賠償請求できるから公費を無駄につかわないですみおおきくみて合理的なばかりか、情報の後進化にはつながらなかったろう。
ダウンロード違法化はこうして、国家にとって害がおおきい悪法とよべるが、県警というレベルでこれをできるかぎりもちいない様に工夫することで、県内の情報産業がほかよりまさる誘因をもてるだろう。
これは過去の人類史で「先端技術」分野をおくれた思想をもった国家権力が弾圧したばあい、その国が後進化してしまったから *1)。
*1) プロテスタントとむすびついた毛織物産業者を駆逐したスペインやフランス、ユダヤ人とむすびついた科学者や資本家を放逐したドイツがそれにあたるか。
参考URL http://www.systemicsarchive.com/ja/a/hegemony.html
刑事罰という国家権力による事実上の検閲で潜在的・顕在的抑圧がおこり、インターネットをとおした通信の秘密がこわされ、結果、全体からみればごく少数の音楽・映画業者の利権のためだけに先端技術への適応がおくれがちになるだろう。単に民事罰のままにしておけば権力が最小しか介在しなかったはずで、こういった少数者にとっても容易に個別賠償請求できるから公費を無駄につかわないですみおおきくみて合理的なばかりか、情報の後進化にはつながらなかったろう。
ダウンロード違法化はこうして、国家にとって害がおおきい悪法とよべるが、県警というレベルでこれをできるかぎりもちいない様に工夫することで、県内の情報産業がほかよりまさる誘因をもてるだろう。
2012年9月27日
2012年9月22日
天心役
天心役へふつうに佐藤健とかつかってほしい。
http://www.asahi.com/showbiz/pia/AUT201209220005.html
によると、映画『るろうに剣心』で興行収入25億円突破、動員200万人をこえるらしい。
そういう時代感覚がないというのは致命的なきがする。
監督をえらんだ人が市役所のどこにいるのか、市長自身なのかわからないが、映画界であれ芸能界であれ人材をみぬく目をもっていない人がえらんでいるとしたらどうしようもない。
映画はモノとして永遠にのこる可能性があるから本当に下手なことしてほしくないのだが。しかも市の名義でやられると、全員が被害うけるから迷惑きわまりない。気味のわるいすじがきを、格好わるい人材やひどい暴力や退廃のてらいでもって糊塗されるきがする。市税で、というわけでほんとうにすくえない。関係ないひとにまで、偏見にみちた退廃的な映画をつくって迷惑かけるのはほんとうにまちがえている。
http://www.asahi.com/showbiz/pia/AUT201209220005.html
によると、映画『るろうに剣心』で興行収入25億円突破、動員200万人をこえるらしい。
そういう時代感覚がないというのは致命的なきがする。
監督をえらんだ人が市役所のどこにいるのか、市長自身なのかわからないが、映画界であれ芸能界であれ人材をみぬく目をもっていない人がえらんでいるとしたらどうしようもない。
映画はモノとして永遠にのこる可能性があるから本当に下手なことしてほしくないのだが。しかも市の名義でやられると、全員が被害うけるから迷惑きわまりない。気味のわるいすじがきを、格好わるい人材やひどい暴力や退廃のてらいでもって糊塗されるきがする。市税で、というわけでほんとうにすくえない。関係ないひとにまで、偏見にみちた退廃的な映画をつくって迷惑かけるのはほんとうにまちがえている。
いじめをとめる理論
いじめはほまれとたがいに反するむきで、もしその作用をおさえたければ、ほまれをあたえればよいことになる。
これはよわいものいじめ、つまりscape goatingが喜劇の作用なのに対して、ほまれをあたえるいけにえの作用が悲劇なのと類比できる。『水戸黄門』は公権力による喜劇作用の浄化であり、これは勧善懲悪とよばれる。それはentropyのたかい集団の最大の情報者としてのあらくれものを退治し、その集団のみだれをまわりにとっていごごちよくおさえるから。くらべて、悲劇は徳川慶喜がもっとも類型にあてはまる。例えば『徳川慶喜の英略』の様、きわめてすぐれたほまれだかい人物が当然そうあるべきところへまつりあげられることなく、悲運にめぐまれたとき最大の同情がおこる。これは集団にとってもともと公益をあたえる負のentropyの情報者を集団にとって適切に処理できなかったことへ後悔と残念さ、惻隠の情、しのびなさ、同情のなみだ、つまり武士の情けをあたえるから。そしてこれは劇作用としては、ひどい混沌でよごれているひとびとにとっての浄化になる。
たとえば『トムとジェリー』や『ドラえもん』は混沌をおさめる喜劇で、Jesusという救世主の受難を伝道するはなしである『新約聖書』や『平家物語』「敦盛最期」で熊谷直実の出家した経緯は秩序をひろめる悲劇といえる。
このうち、学校という劇場でいじめがおこなわれがちになるのは、喜劇作用がつねに集団におこりがちになっているから。いわばあれていればいるほど、そのクラスには最大の情報量をもつ者が排除されやすい環境が自生的にできあがる。社会集団を維持する方法として人類が祖先からうけついだ作用が劇なのだろう。だから、こういったあれたクラスを再生させるためにはきわめてたかい秩序をつねに生じさせればいいことになる。たとえば先生が優等生をつねに褒章しつづける。そうするとこの人物へのほまれをあたえることの方がおなじ恒常性をもつ集団維持にとって効率がよくなるので、いじめはやむはずだ。逆にだれもほめないばかりかしかること、つまりいじめを禁止したまま集団の個々の情報源である個人間を平等にしようとしていると、entropyは自然に増大するからかならず時間とともにふたたびクラスはあれはじめ、かえっていじめをおこなっている段階より集団維持そのものはむずかしくなるはず。
これはよわいものいじめ、つまりscape goatingが喜劇の作用なのに対して、ほまれをあたえるいけにえの作用が悲劇なのと類比できる。『水戸黄門』は公権力による喜劇作用の浄化であり、これは勧善懲悪とよばれる。それはentropyのたかい集団の最大の情報者としてのあらくれものを退治し、その集団のみだれをまわりにとっていごごちよくおさえるから。くらべて、悲劇は徳川慶喜がもっとも類型にあてはまる。例えば『徳川慶喜の英略』の様、きわめてすぐれたほまれだかい人物が当然そうあるべきところへまつりあげられることなく、悲運にめぐまれたとき最大の同情がおこる。これは集団にとってもともと公益をあたえる負のentropyの情報者を集団にとって適切に処理できなかったことへ後悔と残念さ、惻隠の情、しのびなさ、同情のなみだ、つまり武士の情けをあたえるから。そしてこれは劇作用としては、ひどい混沌でよごれているひとびとにとっての浄化になる。
たとえば『トムとジェリー』や『ドラえもん』は混沌をおさめる喜劇で、Jesusという救世主の受難を伝道するはなしである『新約聖書』や『平家物語』「敦盛最期」で熊谷直実の出家した経緯は秩序をひろめる悲劇といえる。
このうち、学校という劇場でいじめがおこなわれがちになるのは、喜劇作用がつねに集団におこりがちになっているから。いわばあれていればいるほど、そのクラスには最大の情報量をもつ者が排除されやすい環境が自生的にできあがる。社会集団を維持する方法として人類が祖先からうけついだ作用が劇なのだろう。だから、こういったあれたクラスを再生させるためにはきわめてたかい秩序をつねに生じさせればいいことになる。たとえば先生が優等生をつねに褒章しつづける。そうするとこの人物へのほまれをあたえることの方がおなじ恒常性をもつ集団維持にとって効率がよくなるので、いじめはやむはずだ。逆にだれもほめないばかりかしかること、つまりいじめを禁止したまま集団の個々の情報源である個人間を平等にしようとしていると、entropyは自然に増大するからかならず時間とともにふたたびクラスはあれはじめ、かえっていじめをおこなっている段階より集団維持そのものはむずかしくなるはず。