2012年10月6日

ゆるキャラ悪風の忌避

 市役所がゆるキャラとか募集しだしているが、防衛に集中するのが政府第一の仕事だ。やめてほしい。明日にでも朝鮮兵・中国兵に攻め込まれたら、ゆるキャラで首をはねられておわりになるつもりだろうか。まともな武器と構成をもつ自警団の費用にする方がよほどまし。
 もし費用があまっているのなら、防災庁舎を高台に建設するなり、消防を移動させるなり、新規に耐震化を十分にした学校をつくりなおすなり、おとなの仕事をきちんとやってほしい。市役所員や市長が耄碌しているのなら、むしろ市民がはやく、狂った使い物にならない市役所を改造させねばならない。いくらなんでも商業主義的なかずかずの愚行のうち、もっとも恥ずかしい幼児退行のまねをするのはやりすぎ。わるふざけしている人間にはばちがあたるにちがいない。みなが悪風にのまれているからといって赤信号を渡る市長や市役所員は、はやくまちがった職、仕事を退任してもらわないと将来的に市民全員が征服者に殺されることによって滅亡するかもしれない。過去の人類史みてればこれはあながち極端な説ともいいきれない。
 武家の教訓として「先憂後楽」を忘れるべきではないだろう。平時にあって戦時を忘れない事、治に居て乱に備えよもそれに入る。
 おそらくだが、この偶像礼拝的悪習をはじめた第一人者として彦根市があるのかもしれない。だが、天罰はまちがいなくその市をおそうだろう。無益な風習をするほど、経済損失はふくらむから。

仲尼曰く、始めて俑を作る者、其れ後無らんかと。:『孟子』孟子 梁惠王上
→仲尼がのたまうに、はじめて俑(ヨウ:にせもののひとがたの像)をつくる者、その子孫は絶たれるであろう、と。
��偶像で殉死の風習のはじまりを作る結果になる、という意味。)
http://www.kokin.rr-livelife.net/koto/koto_yo/koto_yo_1.html

孔子、芻霊を為る者を善しと謂ひ、俑を為る者を不仁と謂ふ。:『礼記』戴聖 檀弓下
→孔子はいう、本物の人には似ていないわらの形ならばよいが、人にそっくりの人形では仁でないという。
��これも偶像の埋葬でいずれ人の殉死の風習を起こしかねない事から、偶像の禁止をいう文言。)
http://www.kokin.rr-livelife.net/classic/classic_oriental/classic_oriental_255.html

あなたは自分のために刻んだ像を造ってはならない。上は天にあるもの、下は地にあるもの、また地の下の水の中にあるものの、どのような形をも造ってはならない。:『聖書』申命記5:8
��前後の文脈から、神以外のものを信仰する事の危険を警告する内容。神というのは「信のミーム」ともいいかえられるから、それ以外のすべての物のうしなわれやすさ、信仰の前でのにせものさをいいあてているとおもわれる。聖書の中では人は神の似姿ということになっているので、人型の人形、つまり偶像でもおなじことになる。)
http://ja.wikisource.org/wiki/%E7%94%B3%E5%91%BD%E8%A8%98%28%E5%8F%A3%E8%AA%9E%E8%A8%B3%29#.E7.AC.AC5.E7.AB.A0


 もし芸術によってこころの慰めを得たいのならば、音楽・詩歌・建築美術などまっとうな純粋芸術を奨励するべき。環境の中で劇作の背景と化し偶像礼拝にあたらないそれらは、人類が悪徳とはみなしてこなかったばかりか人々の心情を鼓舞するよい効果をもつとかんがえられてきた。