2012年10月28日

スカートのつかわれかたからみた服装様式と文化の関係

 女性がスカートをはく、という生活形態はイングランドから流行としてやってきて、日本の中学生や高校生の制服にとりこまれて定着してしまったが、かならずしも普遍的ではない、とケルト文化のキルトスカートが男性にもはかれること、そもそも日本にはスカートという物体がなかったことなどがしらせる。睾丸の外部化が精巣を冷却化する為だったという系統発生の説をかえりみると、その文脈のうえではだが単に機能面からみればもともと男性がはいてしかるべきしろものとさえいえなくもない。

 おそらく、日本では他国とくらべて女性の貞操観念が必要以上にうすまって、誘惑的な服装をする、という決して保守的とはいえない風習がひろまってしまったとおもえる。
 貞操あるいは純潔は男女とわずもともと結婚契約を履行させる信念なので、この内的信念がうすまれば当然、離婚率もあがるはず。中世の民族衣装に、儒教圏で共通してみられる女性の第二次性徴をかくそうとする様式は、この結婚契約への封建制度内での適応化がみちびいたかもしれない。

 対照できる男性の服装がネクタイというそれなりに機能を逸脱しているかわった部分をもつことをのぞけば、男装そのものには歴史の推移でもそれほど極端な変形がない様にみえる。男性にとってむしろおどろくべきなのはかみがたがおおきく変化してきたことかとおもう。もともとは男性社会にとって機能をもつすがたにしようとすることが極端にすすむと、戦場でかぶとをかぶるためにあたまをそりあげたところからくるのだろうちょんまげの様な風習もでてくる。ネクタイがへそのあたりまで無用にながいという無駄でかわった点は、くびにまくおび、というtieのもつ忠誠的な意味を紳士社会で延長させた象徴化なのかもしれない。Informalなせきでのネクタイをはずすことがもつ社会的な意味をかんがみると。

 逆選択が女性の服装へかなりつよくはたらいているのがあきらかで、スカートというものも機能性をそれて単に誘惑以外の意味はなさそうな状態が慣習化されてしまっているところに、現代人類の一個の社会がおかれたある特殊な条件がありそう。つまり少子化という、一般の高貴化に由来した結婚可能性の減退が、そのまま女性にとっての過度の誘惑の必要をよんだのだろう。スカートをはいたことのない女性がいるとすれば、こういった社会風潮から超然としていられるあかしになるが、すくなくとも日本ではほとんど例外もないのではないか。よりながいめでみると、この風習のなかから異性への身体的な誘惑というかなり原始的な方法でいきのこってくる女性の形質はそうでない条件にあるより貞操観念がうすくなっているだろう。いわば、liberalismという状態がそれをつくりだしたのだ。それでも結婚契約の保守的妥当性はつづくだろうから、こういった貞操のないひとびとと、純潔のある安定した家庭をもつひとびととのあいだには、それなりにうめがたいさができるだろう。この2つの社会階層的すみわけは、高貴化、gentrificationの一般的結果とかなう。

 端的にいえば、先進国内では離婚率のたかい不安定で相対的にまずしげな社会と、それがひくく安定かつゆたかな社会とに純潔への価値観でわかれゆく途上にある。このうち、女性のスカートという服装はそのたけという部位をふくめそれが誘惑というもとの衣服としての機能なはず身体保護から逸脱した役割をもちいている分だけ特殊で、逆選択的に貞操観念のうすい人間が早期に身体の媚態という原始的で不安定な性関係をもつ早熟な風潮をつくりだしやすいとおもわれ、結果、そうでない集団、特に第二次性徴をあえておおいかくすtypeの服装をするひとびとにくらべればとみをたくわえる機会がそれだけへるだろう。
 おおまかにこの2つのかたを、誘惑型女装と貞操型女装とする。
 この誘惑型女装の系にあるひとびとは、まずしいかわりに早熟なだけかずがおおい傾向がつよくなるはずだ。いわばreproduce strategicな経過をとる。対して貞操型女装の系はKapacity strategicにゆたかでかずのすくない高貴化をへるだろう。この階層性は、現に義務教育から初期高等教育levelの子社会でもみることができる。高学歴にすすむ者は比較的に高貴化しやすく、あまり学力がないひとびとは早期の就業や早期に校内での配偶選択的恋愛行動がみられる。おみあいという日本独特の制度は武家が将軍へのうかがいなしに藩のあいだのむすびつきをさけるためだろう勝手な結婚を禁じた家康発の武家諸法度に直接のちなみがあるとおもわれるが、いいなづけといったそういった配偶の計画性から展開したとかんがえられる風習が封建社会では世界各国でかなりみうけられるから、これも高貴化によってきたものだろう。

 高貴化は先進国内での社会風潮化された流行で、かならずしも永遠とはいえない。しかし、早熟そのものには子のかずや不安定な家庭条件からくるまずしさという不可避の欠点もつきまとうだろう。人類の一部という単位でみると、総じて絶滅への衰退をさける範囲で徐々に高貴化しようとするのが大体のながれといえるだろう。当時の服装、つまり流行の様式はそういった社会風潮を、さらにおのおのの社会階層が要請されている機能を強化cycleにのせる様に特定のみためで強調し、象徴化する側面があるらしい。