2020年2月22日

茨城e五輪

もう東京五輪おわったからこっちだけ知事と茨城e五輪やろうぜ世界中を驚かせ続けよう

2020年2月20日

初対面の印象と好ましい香りのタグづけ

茨城空港は入港時の印象がよくなるよう、県産の香水類をアロマオイルとして搭乗口付近で仄かにかぐわせる工夫をすべきだ。

2020年2月11日

趣味の格率

東京圏の卑俗な大衆商業文化に妄従している京都は、現代の反面教師だ。
 わが県が東京関西の自堕落な流れを断ち切り、風土記の昔から続く自身の高貴なる趣味に立ち返り、理非によって聖に親しみ俗を避けるのを望む。趣味の独立自尊こそわが県を国のみならず、地球文化の至宝へとおしあげるであろう。

2020年2月6日

2020年までの日本のロボットアニメの趣味は非常にいいので茨城発のロボ設計ベンチャーで国際競争に勝ち抜ける

ボストン・ダイナミクスのロボって何でこんなに気持ち悪いの、設計者の趣味が恐ろしく悪いのばっかり。恐らくみてきた代物がアメリカのSFとか最大でも『スターウォーズ』『スタートレック』みたいなのだから、ロボを可愛くする発想が皆無。ソニーの初代アイボとか全然ましだった。ミクは気持ち悪いが。

 ボストンダイナミクスのロボって実用本位で多分性能はいいのかもしれないが、日本人技術者が設計したら流石にここまで底なしに悪役っぽい、酷く醜いのは作れないんじゃないだろうか? 技術が優れてても美術面ではアウトってことがあるんだな。
 MITの人らって工学系のオタクなんだろうけども、ボストンロボをみるかぎりでは美術の素養は皆無といってもいいだろう。どんな和製アニメだのゲームに登場してもこれ、絶対敵役だろ。しかも主人公に蹴散らされる雑魚敵。そんなの作ってよく楽しいな。なんかイイネみたいな扱いされてる時点で美意識おかしすぎるだろ。気持ち悪いし。
 日本のロボット美意識てガンダムみたいのなんだから、圧倒的に上といわざるをえない。
あとは実際に筑波大だの茨大工学部辺りの人らがボストンダイナミクスぱくってロボ設計のベンチャー作ればいいんではないの? 恐らく普通に設計美の点で、アメリカに負けようがないのでは?

2020年2月5日

大手門復元に伴う将来的な水戸の現代日本までの歴史的物語を語る総合再開発計画

(高橋靖水戸市長の2020年2月4日、水戸城大手門完成記念式典及びくぐり初めについてのツイートへ寄せた返信集)

大手門の先になぜ水戸城がないのか、明治政府から薩長土肥の官吏が侵略してくる前に徳川の侍の誇りを守るべく自ら破壊した、という水戸の気骨までをぜひ物語として語り伝えていただきたい。

 自分の調べた範囲では、水戸城は1190年から1198年頃に馬場資幹が築いた時から長い歴史をもっている。
 慶喜公と縁が深い初代茨城県知事・山岡鉄舟の代行者だった佐賀出身の渡辺清が、徳川時代の徳治のより所を汚すのを当時の水戸の侍は潔しとせず自ら放火、これゆえ水戸城が現存しないと。

で桜田烈士・山口辰之介が叔父、藤田東湖妻が伯母の山口正定が2代目に就いたと。水戸人の気骨で忠節を守った史実でしょう。

もし城まで再現するとしたらスマホの観光ARアプリを作り幻視できるようにしたらどうでしょうか?

それと、水戸史学会や、新札の顔・渋沢栄一著『徳川慶喜公伝』などを通じ自分の知る限り、慶喜公は進んで天皇へ禅譲した世界史に最も傑出した偉人でしょうし、平和革命の第一人者といってもいいが薩長土肥ら西日本諸県の自慢の前で余りに過小評価されてます。

それは故郷にあたる水戸市でも、弘道館の肖像画を除けば小さな街角の銅像、あとは烈公による庭訓を現した七郎磨像しかないのでも明らかでしょう。
 水戸駅から弘道館まで周遊ルート上、最も目立つ箇所に、彼の世界で最も高潔な公徳を示す堂々たる銅像を建立するのが、市民や観光客に彼の偉大さを伝えるよすがになるのみならず、戦争の耐えない野蛮な世界で彼の平和を望む心を育んだ弘道館・偕楽園が輝かしい世界遺産になるにも役立つのではないですか?

『公伝』にみられる、少年の頃の慶喜公が烈公から勧められ馬術を習い、大洗まで出かけたり、千波湖の周りを巡った逸話が、のち日本人で最も立派で堂々たる体躯とイギリス貴族のミッドフォードの回想録(『英国外交官の見た幕末維新』)で語られている点など素材としていいのではないでしょうか?

具体的にいうと、皇居前の楠木正成の騎馬像(あれも水戸学の権化ですね)を参考に、ナポレオンから貰った洋装の慶喜公を最後の将軍としてできるだけ理想化した、全武家の頭領としての雄々しさを徹底的に強調表現した世界一の騎馬像を作り、文武不岐のコンセプトで弘道館の学問中の肖像画、七郎麿像と三対にしたらどうでしょうか?

渋沢栄一『徳川慶喜公伝』第4巻、逸事、父祖の遺訓遵守に、慶喜公は烈公から「義公以来の家訓」として、たとえ幕府と戦っても天皇に弓を引くべくにもあらずとの庭訓を受けた逸話が載っている。この庭訓の現場を現すのが七郎麿像と解釈できます。
 慶喜公騎馬像、弘道館の読書画、七郎麿像を周遊ルート上に繋げて、水戸の侍の高貴な精神性を総合表現する再開発がいい。

それと、水戸や茨城が近代化を先駆けるべく自ら払った犠牲であるところの回天神社や、戦後最初に水戸へ昭和天皇が行幸され、茨城県庁屋上から

たのもしく夜はあけそめぬ水戸の町うつ槌の音も高くきこえて

と詠んだ逸話も、現代日本の復興までの歴史的必然性を語るのに欠かせないと思うので、将来的な水戸の総合計画に含めるべきかと。

 これ以外にも戦中に台湾で水戸学愛民精神を発揮した飛虎将軍の生家跡地とか、戦後に現代美術の先駆け志した水戸芸術館建設まで、不可欠な歴史的経緯を持つ遺産が市内に沢山ありますので、総合計画の中におのおの孤立させず、なんらかの輸送機関でつなぎ、観光ルートとして全て周遊させるのがいいんじゃないかと。

2020年1月26日

撥音便は日本語一般にあるため訛り扱いして差別的言動を取る人々は単に知能が低いか悪意がある

撥音便は日本語で普通の現象だから県名で茨城(県民)以外に宮城・栃木・神奈川なども本来はミヤキ、トチキ、カナカワと読む。音便があっても通じる。清音が正式なイバラキをイバラギと呼んで侮辱している人達は撥音便を知らない無知を晒しながら無意味に地域差別している意味で二重に暗愚である。

2020年1月23日

東京都民全般及び東京圏観光客は茨城空港の利用者から積極排除すべし

東京都民なんて腐るほどカネ貪って原発までおしつけ差別まきちらしてる強欲の極悪衆愚なんだから7500万も補助してやる必要一切ない。寧ろ進んで排除すべし。
 茨城空港は茨城県民の利便を第一に考え、第二に関東北部の乗客の為にあるものなのだから、南関東の下衆と永久に縁きればよい。すばらしい。
 東京都民全般みたいな茨城への差別主義者なんて、民度からいっても公害でしかないんだから、どんどん排除でよい。ヘイトスピーチ法の趣旨にも叶う。
 茨城・関東北部への観光に興味がない人は羽田・成田で十分。どうせ都民なんて利己しか頭にないのだから、大井川氏の東京観光への補助廃止決断が100%正しい。下衆は排除。
 ここ(NHK水戸放送局の該当ツイート)の返信欄みてても明らかだろう。下衆なんてよびよせてはいけない。民度が東京レベルに下がってしまう。都民全般なんて、原発公害みたらわかるよう中華思想の塊である。そんな外道どもの為に大事な県税使うなかれ。
 こいつら、どうみても利己しか頭にない。他県の足元見てる品性下劣な東京圏住民またはヤクザに違いない。他県民の金で500円で移動させてもらっていたのに感謝の一つも述べない極悪人なぞわざわざ補助してやるべきではないだろう。カネ払わず茨城県民を差別までしてきてやがる。条例作って処刑でいい。
 今後は、茨城には世界中の大金持ちしか旅行できなくしていくべし。高が移動代ケチって、他県民様のカネむさぼって、感謝の念一つ述べず500円しか払わないだけでも品性下劣の極み。傲慢きわまりない典型的東京圏貧民どもは、わが県に一円の利益ももたらさないではないか。それだけでなく差別の元凶だ。
 これまで50年以上も原発で散々電気を融通してやっていたのにこれほど驕慢な衆愚を抱える東京圏なぞ近い将来滅亡することは神の目でなくとも明らかなことだ。わが偉大なる県は金輪際、東京圏に関わるな。他県民税を貪る目的で東京圏民の品性下劣な吝嗇ぶりに媚を売る下衆どもにも天罰が下るであろう。

2020年1月10日

東京国政や京都の首都のっとり陰謀は無視して茨城県政を国家規模にするのに注力し結果として救国すべし

宮本エリアナっていう人が、BBCインタビューで「日本が好き」といってて、まあミスなんとかだからいうのかもしれないけど、よくこんな国好きになれるよねと思って、僕はかなりびびった。
 しかしこの意味で、今みたいな最悪国政みてて日本好きなれるひとは向いてるんだろう。
「日本を好き」と公言できる人って、今のこの国の状況でそういえる判断の持ち主なんだから、多分、よほどひどい目にあっても好きだといえるんだろう。そのウチラすごい根性(現実から目を背ける極端な自己愛?)みたいなのをもってる人しか今の日本で子供産もうと主体的には決して思えないだろうし。
 アフリカの人って遺伝子がよい意味で違って、奴隷制の下でも明るく笑ってたのでは? セロトニン恒常値とか大分違うのでなければ今の傾国状況を悲観しないとかありえない。
 既存の極東人の知能にとってIQと安心はトーレドオフだったはずだから、ある意味、日本人もアホが殖えやすいのは自然と思う。

 アホは明日の心配もしなければ安倍サンシカイナイ、とかすら思わず、なんも考えず深夜アニメみてプゲプゲいって、荒野行動やってプゲプゲいって、スノウ交換してプゲプゲいって、ミルのいう「満足した豚」として自己奴隷化しまくって社畜になりまくるのが趣味みたいなもんなんだから、日本に向いてる。
 逆にこの国に向いてないのは、賢い人とか、善良な人、将来を見通せる人だろう。だってそういう人からしたらアホ首相が悪政三昧で、アメリカ属国化されてゴミ捨て場にされてるわ、カネ搾取も税収奪もひどいし、洗脳目的の差別を東京民が流すから地獄じみた都会の満員電車につめこまれて全員発狂だし。

 賢い人、善い人ほど生きづらいとか、正真正銘の地獄じゃなかろうか? 馬鹿と悪人が全力で日本人デヨカッタとかいってても、いやお前らが消えれば随分よい国になるんだが、としかいえないのでは?
 消えればいいやつほど「普通の日本人」と称する。
 ナショナリズムほど邪悪な思想ってそうそうない。
 別に日本にいなくても「普通の日本人」って、海外のどこの国でも迷惑だと思う。現地で差別まきちらすしかできないんだもの。
 なんでそんな迷惑な人達が愛国ぶるのか? 性格悪いやつほど他人に迷惑かけても恥じないのと同じだけかと思うけど。
 恐らく自殺してしまった人のほうが善良だったのでは?

 あと拝金商人も全体として迷惑なんだが、当人達は威張りまくってるので解せない。お前らがカネをむさぼってなんでこっちが喜ぶと思ってるの? お前らが市場にあるカネを寡占するほど他人には迷惑に決まってるでしょ。だから嫌われるに決まってるのに、なんで金儲けを自慢してしまうのか? アホなの?
 商人自体、大体、好かれてた時代って基本的にないだろ。一番商人気質が激しかったのって多分オランダとアメリカと思うが、オランダへは性悪イギリスが戦争勝ってから悪口いってたし(もとオラニエ公の王のくせに)、アメリカも世界一嫌われてる。
 東京も京阪も嫌われ者なのは商売第一だからでしょ。

 僕は一体なんで今の民衆がショウバイショウバイいってるか調べてやろうと思って調べつくした。結果わかったのは、彼らはアホだってことですよ。民衆は本当に頭が悪い。頭だけでなく性格もしぬほど悪い。というか、サルとほぼ同じ程度の知能しかない。サルのほうがまだ賢い。利己心でカネカネいってる。
 日本人民衆がカネに目がないのはなんでなのか? なんで毎日、金儲けの為に必死なのか、なぜ社畜至上主義で商売やってない人を全力差別しているのか、これ、調べたらすぐわかるけど彼らがただの利己的な類人猿もどきだからですよ。自分の利己心をおさえられないし、他人も自分と同じと勘違いしている。
 つまりね、上述のハーフ? の女性かなんかが日本好きとかいってるのは、その人が楽観的だからでしょ、きっと。それかお世辞。
 しかし日本は嫌いになるだけの理由しかない国だよ。
「お上」もろくでなしだし、「民草」もヤクザなあきんどなんだから。しかも先ず以て全員。例外みたことないんだから。

 日本といってるが、正確に言うと、東京・神奈川・千葉・埼玉あたりと、京都・大阪・神戸あたりと、名古屋あたりと、福岡あたりと、仙台あたりと札幌あたりだろうけどね。商売人ばっかり集まって卑しい振る舞いばかりしてるのは。ホームレスとかそういう都会にしか基本いないからね。差別されてるので。
 宮本なんちゃらって人は、日本好きなんでしょう。僕は恐ろしく嫌いですね。だってうまれてから今まで一度も、一定水準より善良だったり賢かったりする人みたことがないんだもの。代わりに極悪人とサイコパスなら腐るほどみたし、賢い人だってまずいないというか1人もみたことないよ。冗談抜きで。

 思うに、善人には善人の国、賢者には賢者の国があるんじゃないだろうか? 国じゃなくて県とかの単位でもいえるかもしれない。僕は東京は住むの無理だった。都政が余りに幼稚でびっくりしちゃって、MXとかいう民放みたら余りの下品さに面食らって、茨城のほうが遥かに質の高い社会だったのに悟った。
 NHK水戸とか茨城新聞を、もし都民が読んだら、余りに中身が善良で平和で、上品なので、びっくりして反省なり尊敬するかと思えば、都民って全体として傲慢なだけにダニクル効果で馬鹿なんだよね。その意味で永遠にあのままじゃないか。千年後もいまの京都人みたいに空威張りしてると思う、嘘抜きで。
 イギリスの人がアメリカみてあきれ返ったり、ノルウェーの人がアメリカみて小馬鹿にしたり、フランスの人がアメリカみてまたアメリカのやつかと思う。これと相当同じ感情は、茨城人も東京に対して感じられる。民度が低いほうが威張ってるからね。千年後もそうだと思う。民度は変わらないのではないか?
 そうであれば、日本政府とかいう東京だの京都だの奈良だのにあった天皇の私的機関。あれも馬鹿みたいな侵略自慢ばっかりして腐敗政治ばっかりしていたが、やっぱ、残存してしまえば将来的にもくだらねー組織のままなんじゃないだろうか? 幕府が暫く改革したがやっぱ無能な世襲天皇くるとダメになる。
 逆にいうと幕府って本当にえらかったんだなと。今でいうなら茨城県庁くらいのものが、中央政府が腐敗してるからといって自分で国政単位の事を少ない予算の中で考え、腐敗政治家を無力化していったんだから。なんて偉いのでしょう。武士たちは。やはり関東人は偉かったのだなと改めて大いに感心する。

 平安京の受領とか、いまでいうアベトモでしょ。そんなのが国政ロビーで散々っぱら懐にカネいれて女遊びしかしていない。まさに源氏物語の世界。だから源平があらわれ、将門あらわれ、まともな政治をやりなおしていったわけでしょ。足利はさんで徳川まで。
 ということは、まだ希望はあるね。

 いまでいう東京政府(日本政府、都庁)が完全に腐ってんだから、なにせ福島潰して皇族が賄賂五輪招致するわ、それでまた経済効果ねらって原発暴利の自慢しながら再稼動要請してくるわ、本当に悪政しかしないからね。そんなの潰して当然なわけだから、いずれかの県庁が頑張ってぶっ倒すしかないんだよ。
 茨城県庁は大井川氏が自民の飼い犬みたいに権力にぎってナアナアにしてるけど、これは非常によくないね。だって受領政治にこびうって権益頂戴みたいな態度だよ。
 全国知事会を牛耳って国政倒す、代替するところまでいかないといけない。源氏長者から足利幕府からみんなそうだったんだから。

 国家百年、千年の計と考えて、僕がいっておくが、茨城県庁が将来の首都を握らないといけないよ。このまま国政があれだけ腐敗しきってたら福島潰してケラケラ笑って「東北復興なんて無用だ! 何もなかったんだ!」とかゴミビルの間で悪徳あきんど都民がいってるんだから。どうみても東京潰すしかない。
 しかしね、京都市長の門川と、京都府知事は連携しながら、文化庁や皇族をひっぱりこんで首都をなのりだそうとしてるんだよね、前から。都民もアホだから自分から文化庁わたして観光できてラッキーとかいってるが、庇を貸して母屋をとられる方式なのに気づいていない。
 この動きもよく注意すべき。
 京都人は中華思想しか目的ないから、首都が東京にうつってからも奠都や~とか天皇はんいつお帰りにならしゃいますのやらとか、挙句に文化首都や~とかプライド満たすためにあらゆる画策していると。京大スゴイ東大ザコイのノーベル賞ディスもその一部だし。
 基本的には完全無視でいいと思うよ。
 茨城人としては、国政をきちんと政治道徳にのっとってしっかりやってほしいだけだからね。徳政が目的みたいなもんだ。法もきちんと公徳にのっとって運用してほしいわけだ。だってこっちには水戸の徳川家という立派な模範がいて、愛民政治をしていたのだから。官民一致の先例がある。
 京都人は中華思想で全国差別しながら自分スゴイと威張りたいだけ。中世から何も変化はない。根底にある民情がそんなだから千年後も空威張ってるはずです。相手にするのがよくない。虚勢はりたければどうぞご勝手にって感じで外人の観光公害でも受けてればいい話で、国政も彼らからすると差別の道具と。
「文化庁あるんや~、だからこっちが文化首都や! 全国のイナカモンどもはこうべを垂れてひれ伏したらよろしおすえ」に次ぎ「皇族がたが住んではる京都こそ、やっぱり首都やんなあ。東京なんてエビスの住まう野蛮の地、文化もなければミカドもいらっしゃらない、ただの荒地や。クゲケ」といいたいの。

 茨城人は、当然だけれどもそんな中華思想だの自文化中心主義だのは持っていない。まあ水戸が徳川家の遺風で若干、県内で覇権ぶる場合があるが、それでも東京千代田区・港区や京都市ほどではないだろう。むしろその種の空威張り度からいったら仙台とか大阪のがはるかに激しい。京都を反面教師にすべき。
 私の県としては、中長期的に、茨城県庁が新政府・幕府状態で国政単位の仕事を実質的に代替できることが目的であるべきだ。腐敗した東京国政はあのまま放置してたら勝手に没落するとみられるし、これは平安京がつぶれたのと全く同じでしょう。
 茨城単位で経済成長率と民度を高めるのに注力すべきだ。
 もう国政を応援するのはやめて、茨城県政に全力を使い、「日本国王」こと将軍が外交してたのと同じ状況を現出するべきだ。というかそれ以外の仕方でこの亡国危機をのりきる方法がないと思う。

 大井川氏は経済成長率たかめる中継ぎみたいなことしたいんだろうが、自由主義を学び政経分離してほしい。
 計画経済が不可能なんてハイエクからずっと知られてた話で米英が日独に勝利した真因なのになんで未だに学ばない。大井川さんはまともにマクロ経済学をやり直したほうがいい。まあ彼が仕事しながら学ぶのは困難だから、少なくともハイエクとフリードマンをウィキとかで概略確認したらいい。
 ま、彼が退陣後につぎの知事がしっかり経済学やった人だったらまだましだから数年我慢するほうがいいのかもしれない。どんどん県の事業なんて畳んで民間委託したらいいのである。
 今後の課題としては県税の予算だけでも国家規模を超えることだ。金融中心の県にしたらいい。ルクセンブルクが模範だ。

 もし日本単位が嫌いでも、そんなの東京が首都、あるいは京都が首都モドキなのって性悪な馬鹿の癖に全国民をみくだしてきて、彼らがいばりちらしてるかぎりしょうがない。だれだって差別されて嬉しいやつなんていない。差別はする側が100%悪い。彼らが滅びきるまで着実に歩を進めるべきである。
 茨城がきちんとした国政を代替できる様になって、新政府が実質的に成立したら、京都や東京のやってきた悪政を反面教師に、できるだけ全国全ての自治体を等しく扱う、平等な政治をする。大体、差別は非常に卑しい事なのだから中華思想に耽るのは悪の起源といってもいい。天皇も要らぬ。差別の起源だ。
 自分は水戸にその種の新政体を樹立させるべく、新国会議事堂を勝手に設計していた。2016年の『全国知事会議事堂』。
 これは平等の象徴だ。全ての自治体を等しく扱う。今でいうレイクボウルの跡地から黄門像のあたりに建てようと考えた。

 全国知事会を国会に代替して、国会を無力化するのだ。そうすれば中期的に国会議員を0にできる。全国知事が国会議員を代替すればよい。腐敗した国政を直すには第一に、県知事の単位でしっかりした人物を各県が選べればなんとかなる。東京都知事一人がダメだろうがそれは47分の1人にすぎないからだ。

 冷静に見れば、腐ってるのは東京国政であって、あるいは京都市・京都府の文化中華思想であって、まあ他にも大阪府と市の維新支配とか愛知県と名古屋市の左右バトルとか懸念もあるが、いわゆる大都市しか多かれ少なかれ腐っていない。健全な田舎のほうが不当に貶められてるが事実は全く逆だろう。
 すなわち中長期的に、50年~100年以上でみて、自分が構想した全国知事会による国政代替でまだ救える。なぜなら、47分の2とか4とかその程度の腐敗なんて、ほかの43県の一般国民がしっかりしてれば多数決で潰せるんだから。これが唯一の希望で、確実に勝てる以上、勝負どころと自分は思う。
 国会議員は比例代表とかいって都会人が沢山数を送り込めてしまうので、アホの意見が通りやすくなっている。都会のほうが一般に、民度がピラミッド状になっていて、数として底辺になるアホが多い。したがって都会でタレント知事が出現しやすいわけだ。京都はワル知恵で妨害してくるだろうが無視すべし。

2019年12月26日

交通事故をへらした効果実証済みの自転車道の絵文字

以下のよう路面の絵文字を整備することで、大幅に京都市で交通事故がへったらしい。
 道路の実延長が日本最大規模で、交通事故も決して少なくないわが県は、全面で大いにまねるべきではないか?
 自転車の走る方向・路肩を指示用 絵文字

右折用バイクボックスの絵文字


ほか、駐輪場も参考になる。
 24時間利用可能。最初の1時間が無料で、5時間100円、1日駐めても200円。傘差し運転予防のため雨合羽ひとつ100円の自販機あり。子乗せ電動アシスト自転車用に、平置きの部分も用意した、清潔で車間に余裕のある設計らしい。

2019年12月16日

魅力度についての最終結論と関連する茨城県政の方向づけ

いわゆる魅力度問題について、これまでえられたあらゆる我々県民の知見をまとめ、私自身がこのブログ等で記述したあらゆる分析を加えた最終結論はつぎのものだ。

 結論から書くと、わが県民にとって魅力度ネタは、日本人を主とするわが県をとりまく人々の「愚かさ」一般の目安になる、検疫装置(PCでいうウィルスソフト的もの)として機能する。ドラゴンボールでいえばスカウターみたいなもので、相手の一般知能因子を、大まかにはかれる。そして現時点まで10年ほどのあらゆる状況解析結果から、それ以外どんな意味もない。以下詳しく説明する。

 この問題は一言でいえば差別問題であり、人々のうち、特に日本人一般のメディアバイアス(媒体偏見)での、情報の操作され易さを示す。簡単にいえばテレビを主としたマスメディアで、主に観光地としての印象を植えつけられがちな人達は、宣伝などで現実の有様にかかわらず或る偏見をもちだし、自らその反証を怠ってこじらせると差別(ひいきも差別の一種だ)をもちはじめる。
 ゴードンホドソンらの論文"Bright Minds and Dark Attitudes"で示されている一知見によると、差別し易さは一般知能(大まかにIQ)の低さと関連している。いわば一般知能因子の働きが低いほど、みずから批判的思考できず簡単に情報操作されがちなわけだ。
 すなわち魅力度は主観的で、現に県内外を知っている側には明らかだが当然のことながらいかなる地域でも、他県市外より優れた美質も沢山みつけられる。いいかえればこの宇宙にはどの場所でも魅力があるわけで、それを相対評価でゼロサムゲーム的な順位にするのは、ある集団の一般通念に関する思想的なプロパガンダなわけである。これが差別の生じるしくみなのだが、この場合、一般知能が低いほど魅力度問題に固執したり、特に差別的評価の方をそのまま鵜呑みにしている傾向があるのは当然ともいえる。彼らの脳がマスメディアの情報操作、或いは集団的な主観の偏向でのっとられている証拠だからだ。

 こうしてさきにだした結論をさらにおしすすめると、茨城県という銘柄、ブランドを前面に押し出すと、簡単に愚か者をそうでない者から見分けられる。少なくとも日本国内では都内マスメディアの全国報道等で、テレビでも頻繁に流されることがあったのでその種の差別意識をそのまま、鵜呑みにしている層が相当数いる。誰も差別してくる相手と仲良くつきあったりしづらいだろう。裏を返せば、自動的にわが県民と交流が進むのは、国内でよりIQが高い人々、または一般知能が高い人々になるという算段である。
 IQや一般知能は同年代に対する偏差値だから、単に精神年齢が相対的に高い人々という 意味しかないにせよ、最近の科学によればその傾向は同時に、社会的成功とか金持ちになりやすさ(子供の時点で学業成績がよかった大人)、長寿(高IQは21%長生き)、性的魅力(もてやすさ。但しIQ120くらいがピーク)などとも一般に正の相関性があるとされている。無論IQも万能ではなく現実の成功には性格(誠実性、開放性など)の方が重要とされていたり(但し、最近では感情知能と能力のパフォーマンスには0.7%くらいの関係しかないが、認知能力には14.2%の関係があるとの見解もある(現論文14ページ))、そもそも一般知能やIQの基本モデルを考えたスピアマン自身がs因子による特殊能力もあるとしていたので、一般知能またはIQが高い人達が全能ではあたりまえだがまったくないし、定義からいっても同年代の人々に比べより複数分野で頭の働きが大人びているくらいの代物だが、それでも魅力度という田中章雄氏ことブランド総合研究所が特定会員ぐるみである種捏造してきた集団浅慮的な主観バイアス・トラップによる差別意識の検疫は、茨城県にデフォルトで偏見をもつか次第で、或る程度、低IQや低い一般知能、すなわち一般的にいって愚かといえる人々をふるい落とすことができる。
 この理由が同時に、もともと孔子が「人の己を知らざるを憂えず、己の人を知らざるを憂う」といっていた飛耳長目式の情報非対称性の徳でもあって、以前はこのブログでステルス性と表現していたある有利な状態の正体である。現実にくらす県民からすると、たしかにしばしば、又はかなり頻繁に差別してくる県外人に会って面食らうばかりか、県内ですら自虐的差別意識を公然と述べている「スティグマ」状態の、精神的に危うい人達もみかける。後者はときに精神科の助けを得る必要があるかもしれないが(他のスティグマと一緒で、その汚名とか自尊心低下は、根本的には自分の反復思考による鬱的症状なので、別の事で差別されてきた人達と同じで、自己効力感をえる成功体験の積み重ねとか、昇華や向けかえで自尊心を回復するなり、思念の中でその反復をみずから断ち切る必要がある)、すくなくとも、差別意識や偏見に脳を支配されやすい、一般的にいって頭が悪い人達を簡単にみわけられるという便利があるのは、客観的な事実なのである。それで私は寧ろ情報非対称性からきたステルス性、今回の論旨でいう「差別主義者の検疫」を利用すべきだと考える。ことさら県民が意識しなくとも、県内外での交流を抽出すれば、自動的により高い一般知能、高IQの人々、いいかえれば同年代に比べすこしより複数分野にわたる頭の働きがいい人達、大人な人達と、茨城県の相性は近づいていっていることになるだろう。

 ところで大井川知事はこの問題への対処で2つの側面がある。一つはイベントを企画していたよう、イバラッパー式「最下位もう一回」ネタ化で、負の名声を無名に勝る宣伝効果としてただのり利用しようという、いわばジョブス的な方針。もう一つは正攻法で魅力度向上にとりくむという、県内外の人達の主観的印象をぬりかえる方針。
 少なくともこのブログでの上記分析は、前者の方針について半分は肯定できるにせよ、わざわざ大騒ぎしなくとも自動で高一般知能との親近(低一般知能との離反)化がおこなわれる状況であるかぎり、悪乗りに税や労力を浪費せずせずとも完全無視で構わないのではないかともいえるが、このあたりは彼の情報企業で培った経営感覚にまかせるべきかもしれない。そもそも東京圏の全国報道マスコミは炎上商法と同じで、特定自治体を公然と差別し、ネガティブバイアスで視聴者をあおって閲覧数、すなわち広告売上を稼ぎたいだけだから、単なる嗜虐快楽目的の「荒らしを構うのも荒らし」式に、完全無視が本来、彼らに点数を稼がせない為にも最善なのである。無視すれば嗜虐快楽がえられないばかりか炎上商売にならないので、勿論これは単に視聴率稼ぎマスコミだけでなくアジテーター本体の田中章雄氏やブランド総研自体にもあてはまるが、別自治体に矛先をむけかえざるをえない。
 後者、すなわち魅力度向上策についてだが(個別案件については結果がでていないのでどちらともはっきりいえないため以下で少々詳しく批評していく)、本来の都市文化論にすれば、これは単に観光客文化に属する、おもに(特定少数であるブランド総研会員の)主観のぬりかえ課題である。なぜなら県民自身の生活満足度や自県への誇りは、県民調査でわかっているよう恒常的に高いのだから(特定少数であるブランド総研会員でない、より一般世論なのがポイント)。すなわち特定少数の会員らをまず総研側にといあわせるかなんらかの仕方で突き止めて後、その人々へ集中して以下の試みをする必要がある。或る論文によると次の3つがポイントらしい。
1.茨城へ都内マスメディアらが着せてきた汚名の観点を、たとえ否定するためであってもこちらから一切くりかえしてはいけない(誤解を解こうと少しでもその種の差別的偏見を反復すると却って強化される。あらぬ汚名は相手のものなので、完全無視しなければならない)
2.茨城の魅力をできるだけ微細にうがって、相手の未知な新情報として植えつけるのに啓蒙効果がある
3.さらに茨城の魅力について相手自身がみずから進んで見つけ、もっと調べるよう促す(これによってこれまで都内マスコミから洗脳されていた思い込み、又はおのれの無知を反証しはじめ、みずからの差別や先入観に懐疑をもちはじめる)
ただブランド総研会員を除く一般人への主観のぬりかえまで含めると、フェイクニュースの強固なバイアスのため先ず国内民については困難をきわめるので、日本語情報をうけとっていない海外民からが合理的かつ効率的になるだろう。

 個別の魅力度向上策についていえば、例えば烈公の愛民哲学を伝統改造してまで偕楽園本園を県外有料化することは茨城新聞によれば来園者アンケート的には賛成多数だったようだが、本来の愛民観が「朝な夕な飯食う毎に忘れじな恵まぬ民に恵まるる身は」式の農本的公僕意識だったとすると、理屈として茨城県庁も地方交付税交付自治体なんだから、実際は全国民から恵まれているともいえ、まあ筋が通ってないともいえる。でも民衆自身がそれに自覚ないどころか寧ろ賛意だからまあいいか、商売だし一石二鳥というのが大井川流なんでしょうが、いわゆる水戸っぽ的道理には大分反しているので(まあ伝統は変わるものもある)、遠からず彼の引退後とかにまた戻ることもあるかなと思う。特に貧しい県外人がたまたま本園付近まできたとき、お金払えないか払いたくないから梅みれなかったとかなったら、元も子もないわけです。勿論、最初は藩士だけに開かれていたんだから、全ては県庁の判断によるのだけど。
 自分の意見では、有料化するなら入園に対してではなく、内部は無料でも楽しめるが有料なら普通より高級なお茶が飲めるとか、高級な料理が食べられるとか、入園無料の課金モデルにすればいいのにと思う。

 ほか、あいちトリエンナーレ2019(以下あいトリ)の大炎上模様と過去最大の興行収入を他山の石とし、大井川氏はどうもドワンゴ出身のせいかハイカルチャーよりサブカルへの親近性のほうが遥かに高いわけである。茨ひよりは、オタクカルチャー嫌いの或る女からみたら「キモイ」らしいし(なにしろ究極的には、アニメもそうだけどバーチャルアイドルVチューバーは偶像嗜癖、偶像崇拝の要素を含んでいる。宗派や良識によっては眉を顰める代物だ)、大洗関連のガルパン推し云々ふくめ私自身その意見も重々わかるし、正直いって北茨城市長もまるでかわいくない(まあ描いたのが高萩の子供だからその子が傷つくかなあと言いづらくて、誰もいわないんだけども)センス的には疑問しかないゆるきゃらを、駅でもイベントでもやたらべりべりはりつけたり登場させるので、その種の意味不明な地方行政間の猿真似的横並び意識はやめていただきたいと恵まれない人への福祉の為の税支出が優先だろうなと判断する大人としても、旧約聖書くらい少しは読んでいる一哲学者としても思っているのだが。つまり、その種の大井川氏の趣味は、ごく世俗的といっていいし、もっといえば大衆の中の特にオタク系と変わらない。ここは評価が分かれると思うが、日本のサブカルは村上隆氏らのスーパーフラット理論による欧米への翻訳輸出以後は、まれな場合にはハイカルチャーとしての顔をもかねて、まあ外国人にもオタクがふえてかなり威張っている。しかし前知事の橋本昌氏は、県北芸術祭の企画については現代アート系のハイカルチャー推しだった。あいトリは某監督のスキャンダリズムでとんでもないことになったが(炎上商法ともいえるが右派に潜在的しこりを残したか)、大井川氏によるイースポーツ推しの方は、話題の大きさとしてはイマイチだったかもしれないが、大勢として流行も先端性も兼ね安全飛行で決着した。愛知県知事の大村氏の結果からみたら過激派といわざるをえない施策方針(彼も愛知でコスプレとかやってサブカル側にも足を踏み込んでいる)と、穏健派でありながら進歩的かつ大衆的な大井川氏の姿勢を見比べると、まあ比べる例が極端ともいえるが自分は最初、橋本氏のある種高踏的な文化政策から比べると、パンダ誘致論も入れて大井川氏のはなんか堕落なんじゃないかと思っていたが、評価を再考せざるをえない。「みんな」(但し主に日本人)から見てどうか、という貴族性を無視した観点では、文化政策にあっても、大井川氏のそれは、あいトリの例や橋本氏主導の芸術祭より、結果からみて功利的(最大多数の最高幸福という意味で)というしかないのではないか。
 裏を返せば、たとえばベルサイユ宮殿みたいな思いっきり行政側がハイカルチャーをごり押ししていた貴族文化の色彩は、大井川県政ではだいぶ後退してしまうのかもしれない。彼が町人社会の延長にあるといってもいい東京からもちこんだ、大衆商業主義の傾向だからだ。現東京都も知事がハイカルチャーの造詣にどうやら欠けているとみえ大分似た傾向というか、「バンクシーらしきネズミの絵」伝説が典型例だけど、例えば石原知事時代からやっていたとおもわれるファインアート系のワンダーサイトを終わらせて、アールブリュット(いわゆるアウトサイダーアート)に傾倒とかいっているわけである。別に障害者美術を支援するのもいい。しかしそれは一美術ジャンルである。現代アート全体を見渡して、はっきり王道を貫く支援なり、環境整備という姿勢ではない。まあこの点、サブカルの評価がまだ美術史内の位置づけ的に曖昧なことともあわせ(そもそもスーパーフラット派は、ファインアートを核とした現代アート全体からみても一ジャンルにとどまり、日本のサブカル全体が一般的先進国でハイカルチャーとみなされたわけでない現状にも要注意がいる。裏を返せば、いつサブカルの評価が歴史的でなくなってもおかしくない。つまりオタクアートそのものが後世からごみ扱いされる可能性も、まだ全然あるわけです)、美術的評価の定まっていない段階の前衛のうち、どれに肩入れするなり、あるいは放任するなり、アートメセナ的立場を行政がやるときには、正直いって美術史の教養を主とするアートリテラシー、すなわち目利きが必要である。自分が知るかぎり国内でこの点、最も成功したのは金沢21世紀美術館だろうと思う。いうまでもなく青森の十和田とか、直島とか、フランスのランスが目をつけるずっと前である。まだ駆け出しに近かった海のものとも山のものともつかぬ(もちろん専門家の間では既に注目株だったけれども)SANAAをあれだけするどく大抜擢した金沢市政には、生存者バイアスを考慮しても最大限の敬意を表したい。
 話題をサブカルそのものの評価論にもどすが、たとえばサウジアラビアで、イスラム法学者が宗教令(ファトワ)でポケモン禁止令を、偶像崇拝にあたるとして出したというニュースがあった。サブカル内での趣味自体のよしあしからいって茨ひよりは、まあそこまで下品でもないというか、相当上品側に属するだろう、無論サブカル内部でだけれども。であるが、この偶像崇拝に抵触しうる点は、ハイカルチャーなら抽象芸術とかは部分的に否定できるのであるが、まあかなり、信仰の自由への懸念がある。行政が、偶像崇拝(嗜癖)を公費で煽るのはどうなの、という批判なり突っ込みに、知事は明確な回答がだせるのだろうか。偶像禁止系の宗教とか、その種の良識・趣味にも、いくら文化的寛容さといってもそっちにも配慮する必要があるかもしれず(理屈をいえば偶像禁止も自由だけど偶像崇拝も自由、よって行政はいずれにも肩入れすべきでないとなるが)、あいトリなら反天皇ふくむ極左表現がそれだったわけだけど、やたらとサブカル系のバーチャルアイドルだとかへ公費いれるのは、やりすぎではないか。この辺、とっても繊細な話題なので、結局は現実感覚に基づいた程度問題になる気がする。直接の采配権はあらゆる信仰をもつ全有権者の県民が、大井川氏に一任してるわけだから、クラッシュしないようやっていただきたい。
 ついでにもう少し掘るが、知事記者会見でも質疑されてた気がするが上野にすでにパンダがいるのになんで日立で差異化(差別化)になるのかという謎については、大井川氏の経営センスがうかがい知れないので、一般市民レベルではまじでまったく分からん。普通に考えて後追いだし、それで例えば西日本からみて上野から日立に北上する動機には絶対ならないであろう。ではなぜパンダなのか。ま、別に茨城空港とか未来みすえて日中友好が本音ですとかなら商業的センスは抜群という最終評価なんだろうが、真意は会見だけではよく分からんレベルだ。これはツイッターで県民世論とか一部みてても、勿論、日立市民とか県北民からいったらパンダいてもいいだろうけれども、そこまで大金払う価値があるのか大体の人がわからないとおもう。でも全国報道される可能性とか、下手すると上野のが死ぬ可能性も考慮してるんだろうし、ここも疑問符ながら見守るしかない。上野のが死んでも都庁は金余してんだから余裕綽々また買うだけと思うが。

 で最後になるが、イバラキセンスとかいうアンテナショップ。私はあれはなくていいと思っている。都民になんで奉仕する必要があるのだろう。全国または世界の人が東京にくるから、といっても銀座まで出ないといけないんだろうけど茨城の物産を買いたければ便利だから、とか色々言い訳あるんだろうが、これもあしき行政横並びレッドオーシャンにしか自分には見えない。もしそこでの収益が莫大で県政を助けまくっている事実があるなら、もっとやれとなるんだろうけど、この点で行政だろうと第三セクター(官民協業)的な行政主催の個別店舗だろうと上場してないわけで、決算がさっぱりわからん。決算書あるならBLとか全部だしてほしいものである。もしかしたら私がしらないだけでもう県HPにあるのかもだが。ぶっちゃけ、民業圧迫じゃないの? と私には見えるんだが、この点は完全に行政論(社会主義的か自由主義的かの濃度論)になるし、もしかすると個別の農家とか製造業側からみると少なくとも目先の卸し先でありがたいのかもしれないし、まあ断定まではできないのだけど。大井川さんは小売出身ではないだろうし(米マイクロソフトは技術セクター、ソフトウェア業)、付加価値あげるんだっていう大方針はわかるにしても、行政が直接小売店ひらくのは社会主義政策といわざるをえないのではないか? もし私が知事だったらさっさと閉じて、その予算は削ると思うけど。最大でも県内の民間業者の通販サイトとか、小売店をまとめて紹介する県のホームページはあってもいいかなくらいの話で、それだって正直、県庁の仕事じゃないから商工会議所とかにそういうのやったらどうですかっていうくらいでいいんじゃないでしょうか? またこれも大井川氏の方が私よりずっと経営うまいのかもしれないんで(というより多分そう)、たとえば茨城空港の評価は(ま、都内マスコミにその点で不当に虐められていたけれども前知事の英断とかもあり)すごくあがってきているみたいだし(以下の日経新聞の図とか相当すばらしい成績)、断言まではしないけど。

国土交通省からの委託を受け、空港振興・環境整備支援機構(東京・港)と日経リサーチが実施した「国管理空港等における空港満足度に関する調査」
現時点では県営(公社)部分があるだろうに、これは凄い。鵜の岬国民宿舎もだけど、行政側に優秀な経営者がいるとこうなる。でも県庁の一部茨城人が優秀だっただけで奇跡ともいえる。要はこんな感じで、ガチでイバラキセンスも、競争的にアンテナショップの色んな評価で最上位を占める事になる可能性までは否定できないが、根本的な大方針レベルで「アンテナショップ業」自体が、株式会社として民営化されるべきかなと私は思うのだ。なんでかなら社会主義批判と同一趣旨、つまり効率とか競争原理、民業圧迫の点なのだが。
 大井川氏は商人出身でもあるから商業的なのはわかるにしても、民営化に積極的というわけではなく、官営部門をより合理化するのが得意で、やりたがる傾向みたいにみえる。今のところだけど。まあそこ経産官僚の基礎が発想の根底に残ってるのかもしれない。
 純粋に経済学でいうと、自分はフリードマンとかハイエクを尊敬してるくらいで、かなり自由主義寄り、しばしば自由至上主義(ここではlibertarianismの訳語)に接近する考えなので、大井川氏の思想とはだいぶ離れてる節もあり、ここでも県庁的には外部監査者みたいな意見にきこえてしまうのだろうけども(ここをもっとこうすれば経営合理化されるみたいな)、たとえでいうと、飽くまでたとえだが県を株式会社と仮定すると、株主は有権者で県民となるわけで、株主資本主義でいえばなんで都民に奉仕するのという話なわけだ。この辺すこし複雑だから混乱しないよう丁寧によんでほしいが、勿論、消費者から利益をあげてそれを公税として県民に再配分(調整)するともいえるが、でこのたとえの限界でもあるけど、アリストテレスの古典的枠組みに帰れば、実際はその役割ってほとんど民間企業がやる「配分的正義(能力に応じた配分)」なわけである。だから政府は純粋に利益追求だけできない。なぜかというと、そうして生じた不公平を矯正する「調整的正義」が伝統的な政府の役割だからだ。もう一度、純粋に経済学的な話にもどすと、自由至上主義では一般に、政府による市場介入をかぎりなく最小化しようとする。しかし現実的にはいわゆる外部不経済の内部化とよばれる公害防止とか、独占禁止法のよう状況的に市場の失敗を解消する必要がまったくないとはいえないのが現実だったので、飽くまで必要最小化にすぎない。ところが、大井川氏のようまあ修正資本主義に近い国家社会主義(県社会主義)的な市場介入をやる人の考えというのはこれとは、大分違う。すなわち日本の中央政府、経産官僚の基本通念も、リバタリアン式では全然ないわけで、よく「日本は成功した社会主義国家」と半ば揶揄こめていわれるのもその為だ。歴史的経緯からいうと、明治の薩長藩閥はおもいっきり国家社会主義で政府が財閥とつるんで殖産興業ばんばんやったわけだし、徳川時代も完全なリバタリアニズムではなかったにしても儒教の影響で、商売は商売とそれに比べれば少しは民業を放置していた節がある。これについてより詳しく私は現徳川宗家のご当主、家広氏のご著書で学んだが(たしか『なぜ日本経済が21世紀をリードするのか ポスト「資本主義」世界の構図』にその種の記述がある)、ごくおおまかにいうと徳川時代は物価高騰(インフレ)には貨幣鋳造でブレーキ、物価下落(デフレ)には財政出動でアクセルと、既に現代貨幣理論(Modern Monetary Theory, MMT)レベルの実践をして250年をのりきっていたという。
 ケルトン流MMTのほうは、日本市場を赤字国債をどれだけ積みましても破綻しないはずというハイパーインフレ耐性の実験台にしたいみたいだから、徳川氏みたいに自分が、財政面では最高経営責任者的な状態だったよりはるかに、他人事でどうしようもないわけだが、そんで経産官僚でもさすがにそのレベルの経済学的無知なのがいるとは、いくら一億総白痴化とかいわれていたこともあったとしても信じたくないわけだし、実際、いても少数派だと思う。でもまあ私も経産官僚じゃないし、自分がみた東大講義ではそこまで教えてなかったので省内の上位者がどれ程の学力水準かあるいはどの学派に肩入れしてるのか外部からわからんので、これは余談だが。
 でこれでなにが説明したいかといえば、自分は茨城県の単位でも、自由主義、自由至上主義に近い経済政策をとってもらいたいし、それと同時に税収は、相対貧困対策で福祉に回せばいいと思う。殖産興業でうまくいくのは、一般論だがそもそも民需がない開発独裁国であり、ケインズ用語でいう「有効需要」(要は無理やりの消費喚起)を政府自身が作り出す必要があるせいだ。しかし日本みたいに成熟した国で、茨城も現に所得水準は国内で中上位にあるのに政府主導で殖産興業やってると、単に民需圧迫にしかならないというのが自分の意見だ。一番いい例がアベノミクスの失敗、特にトリクルダウンが起きなかったことで格差拡大しただけに終わった国政レベルでの経済政策の誤りではなかったか。当然だが中流の形成に失敗したらその国は民需の絶対量が減るから、衰退期に入ってしまう。よって同じ事は先進国で最も格差が大きい(相対貧困率が高い)アメリカ経済にも多少あれいえるわけだが、人口減少が起きていないし、移民もいて需要が底上げされるからまだましだ。勿論、私の経済学的な立場が、上述の思考経路で民間委託を主要な手法とする自由至上主義的な完全競争市場への漸近、かつ、税収は最弱者への福祉に回すという、まあこれまでの経済学だと何々主義とまとめられていない考え方なので今の政府と違っても当然だけれども、ここで仮に「自由至上福祉主義」と名づけておく。
 大井川氏は現に県(国の支社)を経営してるみたいなもんだから、私がいまいった立場をそのまま採用してくれるかは当人次第で、まあ自分もそうだけど究極目的は功利主義と一緒で最大多数の最高幸福になるわけだが、現実的に可能な範囲で自分のみている、より進んだ考え方を使ってほしい。イバラキセンスのサンクコストがいくらかしらないけれども、正直自分に言わせていただくとアマゾンと楽天、できればタオバオにも県のアンテナショップだすとかならまだスケールから理解できるけど、これだって最初から民間委託すればいい。
 このブログには前から書いてるが、民営化と民間委託は、微妙に違っている。民営化は既に市場で競争優位を失っている(つまり民業でまかなえる)事業を県が保有している理由はないので売却すべきという意味で、民間委託は必須の公益事業をより効率的に運営するため競争入札先を探すというものだ。ここで注意が必要なのは、なんらかの公益度が高い事業は、民業で代替できない段階で民営化してはいけない。例えば十分な収益がみこめない遠隔地バス、あるいは競争相手のいない水道の様なもの。もし水道を民営化した場合、当然だが現時点で独占・寡占が生じるから水道料金があがるだけでなくサービス自体が低下する可能性もある。だがこれらも、独占・寡占が生じえないかぎり例えば不可欠な警察消防のようどうしても必須の部分以外は、積極的に民間委託し、できるだけ競争原理を採用すべきなのである。一方、民営化していいのは既に市場に競争相手が複数いて、公営部門が単なる民業圧迫にすぎない様な部分だ。これが、なぜ私がアンテナショップを民営化、あるいは新たに作るなら県営ネットショップを民間委託すべきと考えるかの基本理論である。アンテナショップは茨城県産品を主に扱う小売業にすぎないのだから、無数の小売店がある中でわざわざ、県がもっている理由がよくわからないくらいだ。日本の行政に典型的あしき横並び意識ではないかとおもうし、それこそ付加価値をみずから低めるレッドオーシャン志向で自殺行為ではないか? 一方なぜ自分が県営ネットショップならまだありうると考えるかなら、ネットショップなら在庫は民間業者側においておけばよく、そもそも県(民間委託先)側は通販の仲介をするだけで民業圧迫にならないばかりか、卸売り先から手数料をとったとしても最少人数で運営でき、黒字にしかならないと思うからである。その種の優良事業を県が保有しているなら、恐らく鵜の岬国民宿舎や茨城空港といった例でそうあるよう、歳入をますのですぐに手放す必要はないのかもしれない。

 もう一度結論を述べると、メディアバイアスの植えつけによる魅力度差別は完全無視が基本で、仮に存在しても一般知能の低い集団を遠ざけ、高い集団を近づける結果になるのでわが県民には結果有利である。またもしこの偏向を変えたければ、先ずブランド総研会員へ直接、都内マスメディアの着せてきた汚名を無視した上で、県の魅力を詳細に渡って説明し、且つみずから更に調べるよう促すのに効果がある。また都内マスメディアによるバイアスをまだ植えつけられていない外国語圏の人々への方が、一般的にこの種の宣伝に効果がある。
 さらに大井川知事の為政方針のうち、偕楽園本園有料化は様子を見る必要があるが、園自体の哲学と照らすと理論的に破綻しているので、入園無料の課金モデルがいい。また知事のサブカル趣味は現代ファインアートの教養やセンスがない以上しかたないし、その文化について歴史的評価がどう転ぶか(低俗な悪趣味とみなされ終わる可能性も十分のこっている)も不確定な現状だが、少なくとも偶像崇拝を禁じる信仰の自由を顧慮して偶像嗜癖系(特にVチューバーなど)のタブー表現をやり過ぎない必要があるかもしれない。パンダについては上野とかぶるし高額誘致費からいっても謎なので説明責任を果たして欲しい。イバラキセンスについては競争過多で高い付加価値がみこめないので自分の経済学上の立場からも民営化(事業売却)、代わりに県内事業者からの直接通販を中継ぎする、アマゾン、楽天、タオバオでの茨城県ネットショップを民間委託で競争入札すればいい。

2019年11月2日

他県に知られず他県を知ってあるべし

魅力というものは多くの人達にわからないものであればこそ、貴いものだ。
 マスコミに洗脳され易い衆愚にあわせ自己を宣伝するより、謙遜しつつ至善に止まっていた方が遥かに優れている。それでも、歌人はいながらにして名所名跡を知っているし、それは外国人とて同じなのである。『常陸国風土記』を読まずに、現代東京人の虚偽や悪意、偏見と差別に満ちたマスコミを信じている人達など、相手にするかいはこれまでもこれからも、何もない。
 人に知られず貶されていようが、自らを知り相手を知っている側に立っていた方が、全ての面でより優れた結果になるだろう。己が人を知らざるを憂い、人に知られざるのを憂うべきではない。

2019年10月29日

差別はする側のみに原因がある

魅力度差別は100%偏見にすぎないが、その種の差別をうのみにし、侮辱的言動をとってくる人達が見分けられるという利点において(当然だが、愚か者や卑しい人達とは縁を切った方が優れているし、現に感性のよしあしについても、わが県の美質は明らかなのだから、それを見分けられない人々について同じことがいえる)、寧ろわが県以外のいずれかの県が同様に、この差別を捏造しているブランド総研の数十人とその会員の千人ほどの人達、また彼らの差別的偏見に煽られる衆愚のいずれについても、今後とも法的に門地差別を罰されでもしない限り反省や自己の偏見を見直す余地はないであろうから、全く相手どらないのが最も優れている。
 わが県もしくはいずれかの都道府県自体に原因があるのではなく、差別主義者自身に全原因があり、その責めも落ち度も全て、差別する側のみに求められる。つまり我々は県庁も含めこの点で何も変えたり、変わる必要はない。そして自動的に、差別主義者自身の自滅によって状況が真逆に変わるであろう。なぜなら、差別という悪徳へ永遠に安住できる者はいないのだから。

2019年10月20日

地域美学としての茨城県各地の独自性

茨城県や北茨城市は、単に都市として先進国とみなしたモデルのまねだけをするのではなく、世界のあらゆる文明、都市、町、村、人類や他生物の生活など森羅万象を参考に、単に自らの内なる趣味の格率、真善美を兼ね備えた聖なる掟に従ってみずからのくらしをつくっていくがいい。
 現代では奈良・平城京や京都・平安京が中国・長安を模していた経緯から、古都となって両者は観光地化しているが、似た様な近代文明の遺構に、東京圏の一定領域もなることは確かだろう。
 しかし茨城は、筑波圏を除いて厳密にはこの領域にとりこまれていない。そして水戸をはじめ、各地のその都市構造や環境は殆ど全く独自性を保っている。北茨城市も全く同じで、我々はその種の県内各地の文化多様性を、全宇宙をひきだした縮図としてさらに高める方に、創造的に工夫すべきなのである。

 長い目でみれば、この独自性をますます高めている文化圏の方が、古都として多かれ少なかれ定型化した地域に比べ、より魅力的になるのは間違いなく、すなわち茨城人は、自ら世界の美質を選択的に学び取りながらも、同時にそれへ依拠せず、かけがえのない地域性をつくりあげるべきなのだ。

2019年10月15日

妹島和世氏を茨城県総合都市計画の統括建築家に専属化する案

前から書いてるけど、茨城県庁又は北茨城市は、日立出身の妹島和世氏を統括建築家として専任し、県内・市内の主要な公共施設の総合計画を氏に依頼、その計画に基づいて、各地の個別建築物をいわゆる設計競技などで通常の各建築家・士に設計させる形にするのがよい。

 これは他の国内地域では、例えば都内では、他の建築家らとの競合などから妹島氏(及び氏の設計共同体であるSANAA)の作品を割と簡単に解体してしまい、歴史的建造物として保存する行政側の意志が殆ど見られないからだ。
 だがガウディの例を鑑みても、超一流の建築家に専属化した地域全体が総合設計の出来栄えから長期的に見て、魅力度の向上はいうまでもなく、観光誘客の面で世界に冠たる都市景観を作り得るのは歴史上の真実だ。これは意見がばらつく(余り建築の専門性が高くない人々が好き勝手に、ろくでもない意見を言う)民主的プロセスによっては非常に難しい。その実例が国立競技場問題だった。
 裏を返せば、行政の長の権限が非常に強い地域なら、比較的容易に総合都市計画を策定できるのだ。そしてその千載一遇といってもいいチャンスが今で、妹島氏は既に日立駅や日立市庁舎などに於いて世界に冠たる実績をもっているわが県出身者として誇るべき超一流の建築家なのが文化史上の事実なのだから、彼女に茨城県の建築景観に関する総合計画を、県庁の英断で是非とも策定させて欲しい。

 前知事を現知事とつるんだ自民党派閥らが追い落とそうとした時、風説流布によって特定建築士との癒着がある云々とまあいつもの自民党の手段を選ばぬ汚いやり口だが、虚偽の噂によって前知事に濡れ衣を着せていた。だがこの考え方そのものが、長い目でみれば文化行政のがんみたいなものだ。
 建築は芸術作品であり、その才能は産まれながら特定の人にしか与えられていない。天才を明らかに発揮している人物がいる場合、それはスペインならガウディだったろうし、フランスならコルビジュエ、ドイツならミース・ファン・デル・ローエだったろうが、その人物に集中投資してこそ、都市全体の魅力が確立しうるのである。それは文化行政として、かなり強い権限をもって、審美観の極めて優れた人物が判断しなければならないことだが、例えばパリのまちなかに当時は若手だったピアノとロジャースのポンピドゥーセンターを大統領が主導し設計競技で選定したなどは建築史で必ず習うけど、偉大な実例である。
 現に、妹島氏・SANAAによって金沢21世紀美術館は今世紀の建築物の中でも、特筆すべき作品として石川県に重要な歴史建造物を残す結果になっている。わが県は氏の出身地にもかかわらず、彼女が若手の間は金馬車ビルとか古河の休憩所など小さな建物しか手掛けさせなかった。今後は大仕事を任せるべきだ。

2019年10月13日

磯原中央公園調整池および磯原市街地外郭放水路計画

磯原中央公園の地下部分は、調整池をつくるべきだろう。



https://twitter.com/gameaka777666/status/1183193502298980353
http://www.kensetsu.metro.tokyo.jp/jimusho/yonken/koji2/chikacho.html
https://twitter.com/awagadu/status/1183183969199607809

 調整池が満杯になる水量の計算上、それで十分に市街地の浸水を防げないなら、別により大規模の放水路を、市内のどこかに設置し、少なくとも花園川・大北川の氾濫を防ぐ必要がある。

参考:首都圏外郭放水路



https://twitter.com/Sen_Nakamura/status/1182292601648467968

2019年10月12日

県知事は銀座アンテナショップをさっさと撤退しその分の税を恵まれぬ県民への調整的奉仕に用いよ

茨城のアンテナショップを県庁が都内につくるのは今すぐやめ、茨城県民の為の公共福祉の充実に集中しなければならない。なぜなら県税は県民の福利厚生のため支払われるもので、かねもうけだか農産物の売り込みは商人の領域であり、公務員は県全体で生じる不公平の調整に税をつかい、具体的なかねもうけには不干渉なのが原則だからだ。
 都民に奉仕するのは都税の領域なのだから、県税を使ってやる意味はまったくない。そしてかねもうけしたいなら、県知事は民間で起業して、県税をたくさんあげる様にしたらいいだけなのである。
 そして県庁として県内経済を興隆させるための自由市場原則は、民間で競争の妨げになっている公共事業と民間企業の癒着や寡占による市場干渉の部分をなるだけなくす規制緩和に集中しなければならず、自ら起業するなら民間で、という話なのである。その最終目的は完全競争市場の実現であり、管理価格、独占や公害など少数の場合を除けば政府自身が市場に参加するのは、根本的に効率を害する一方で短・中・長期的にどの場面でもなんの得にもならないであろう。同じ意味でアベノミクス共産経済だの消費減退につながる民間増税を推進し、市場国有化を進めてきた東京政府は今後長らく国規模で日本に致命傷を与えるだろう低成長の起源であり、完全に理論的にも実践的にも、反面教師だ。それだけ経産官僚が堕落し、米日本操縦者に安直に騙されるほど不勉強になったのである。
 まあ芸術祭とeスポーツの選択結果をみると、愛知県知事よりはずっとましな判断をしたといわざるをえないが、現知事もこの意味で、アベノミクス理論で堕落した経産省や自民党閥に媚びを売る限り、永遠にわが県の世界経済牽引力を更に強化しえないというほかないであろう。

茨城空港は世界最高の主要ハブ空港となり愚劣な差別主義と中華思想の極悪東京マスゴミ都民へ必ず復讐完遂せよ

極悪東京マスゴミが首都圏北部や世界の為に国が自衛隊基地を民間共用化した茨城空港を南関蛮族である卑しい商売人にすぎないおのれの利己心の一方で侮辱差別三昧してたのは永遠に忘れない必ず復讐してやるぞ
https://twitter.com/nikkei_young/status/1159736117836558336


2019年10月11日

無電柱化の蓋つきU字鋼による低費用化案

無電柱化に際し、路面アスファルトの一部を浅く陥没させ、そこにケーブルを埋設するとき、ケーブル上部を埋め戻さず、ケーブルを収納したプレキャストコンクリート製またはステンレス製の規格化した側溝状U字鋼の上部に蓋をするだけでいいのではないだろうか? これはケーブル交換または増設時に再び埋め直す費用の節約になるし、そしてケーブルの被害時に復旧作業ふくむメンテナンス時に利便性があるからだ。
https://www.mlit.go.jp/road/ir/ir-council/chicyuka/pdf04/07.pdf

2019年9月24日

KPOPは世界的成功によって地域差別を乗り越えられる証拠であり茨城圏の一つの模範

KPOPをあれだけ馬鹿にしてた人達、完全に大差でTWICEとかBTSとかにユーチューブの視聴回数でも世界的な人気でも負けて、今頃どう思っているのだろうか? この意味で芸術もやはり、公平な土壌で戦っていると思う。日本的・東京的な忖度空間って世界次元だと完全に無視される、嘘と悪意の集まりだ。裏を返すと、都民全般が「周り」である都民の多数派がいい、いいといっているものが、単に彼らのローカルな、「東京地方」のはやりにすぎないのに、それ以外をダサいといって中華思想バイアスで貶めている文脈そのものを、KPOPが完璧に彼ら以上の商業芸術で乗り越えたのだと思う。
 僕はTWICEがやってる(JYPにやらされている)ことを、茨城県の単位でどこかの芸能事務所にやってほしかった。これからでもできるならやってほしい。それは東京都民による差別の悪意を暴くからだ。トゥワイスも大阪人や韓国人いるし、完全に東京的な門地・人種差別の枠組みを批判的に潰していると思う。
 KPOPの男性アーティストは、私が男だからかもしれんけどあんまり魅力的にみえないんだけど、女性に関してはいわゆる妓生文化の延長にあって、完璧な歌舞を洗練させるという方に最大の才能を発揮してるのではないだろうか? この点で、中途半端アキバ芸妓の類がなんなのかさっぱり今の今までわからん。
 秋元康は、「会いに行けるアイドル」とかいい、ヘタウマ素人臭さをわざとなんだろうけど出しまくらせ、飲み屋の酌婦みたいなののの少女買春版みたいな、世界的に見ても異様な奇形文化を作り出した。そして僕は最初から今までそれが物凄く嫌いだった。それはTWICEが世界標準と証明してくれたと思う。東京のオタク文化に媚を売り、児童買春モドキの女衒ごっこをしていたのが秋元康、そしてつんくのお二方であって、日本人全般はそれが当たり前みたいに洗脳されつつあった。しかし少女時代とTWICEというKPOPで流行した女性アイドルが出てきたお陰で、より大人の女性が普通に魅力的と証明されたわけだ。
 僕はKPOPの男性アイドルについては、まだ「いいね」と思ったことないので、これは自分は芸術鑑賞者なので、単に異性愛者だからじゃないと思うのだが、それは構造的な意味がないからじゃないだろうか。KPOPの文脈的な意義は、今述べた東京ロリコン業界を潰してくれたのと、東亜人種差別の脱構築だ。日本のネット右翼の人らは、少女時代が出てきた時も娼婦みたいだといいやたらめったら差別していた。確かに、妓生的構造があるから曲によってそういう色彩があったと思うのだが、結局は、次にTWICEが日韓台の国を超えたアジア人で構成され世界で流行するという、脱人種差別的枠組みの前置きになった。

 ま大抵の人達は、アイドル音楽の置かれている構造なんて「純粋音楽的に」分析してないだろうし、単に金かけて整形美女みたいのが艶めかしく歌って踊ってるから紅白に出すんだろうが、根底にあるのは文化差別に対する戦いなんだろうな、と私は思う。イスマンもそういう意図で芸能事務所作ってたと思う。
 少なくとも女性観に関する限りは、イ・スマンとパク・ジニョンが世界文化史に果たした役割はかなり特筆すべきで、オリエンタリズムの強化に過ぎなかったとしても、アジア人女性が美に関して人種差別される構造的枠組みはなくなったに等しいと思う。それは彼らが韓国・東亜系芸能人を流行させたからだ。しかし、秋元康やつんくがそういう差別に対する戦いという構造的意図をもっていたかといえば、全くもっていなかったと思うので、私はこの点で、文化史的に全く評価していない。別に私に評価されなくてもどうでもいいだろうが。世界的影響も大してなく、東京ローカルのロリコン受けに過ぎなかった。
 BTSくらいしかしらないけども、韓国人の男性アイドルに関しても、恐らくアジア人男性が置かれている人種差別的位置を、歌舞の芸能によって一部改善してるのだろうと思うのである。そしてこの仕事は、東京ローカルでかっこつけ自慢しつつ田舎搾取するしか目的がなかったジャニーズにはできなかった。

 一体何が明暗をわけたかだが、第一に、東京ローカル文化は、国内市場搾取・田舎差別を目的として志が低すぎた。だから最初から最後まで国内で自画自賛して金儲けして、正に東京的で低俗かつ奇形な三流芸能で終わった。対してKPOPは、最初から日本市場含む、世界に打って出ていた。しかも志も高かった。
 嘗てビートルズが流行した。しかし現時点での音楽市場に最適化している度合いでいったら、ユーチューブの反応みてるとKPOPも世界規模でそれとほぼ同じくらいの所に到達してると思う。アジア人でそういう大衆性の次元に行ってたのはスキヤキソングくらいだったので、圧倒的に凄い話ではないだろうか。

 私は東京が全般的に嫌いだから(お前らの持ち物な東海第二原発さっさと片付けろ、人んちの近くに置くな)、東京圏の芸能事務所もできたら応援したくないのだが、もう完全に、完膚なきまでKPOPに、全面負けてるのは明白なので、いい気味だと思ってこれを書いてるのだ。しかも差別されていた側が勝った。
 ま、茨城県も東京人一般、いや関西人だの中部人だの含め(誰がどんな発言してたか私は神の如く記憶力がいいので全部覚えてるのだが)一部の県外人から普段から差別されまくっているので、このKPOP勢が東京ローカル文化を完璧に乗り越えた点を参考に、世界的成功を果たせば茨城単独で勝てると言いたい。いずれ東京ローカル文化を、或いは京都ローカル文化を、このKPOP勢の完全勝利の如く、完膚なきまでに叩きのめす。しかもコンセプト段階から意図的に完全に乗り越えて、誰の目がみても上位に立ったことが分かる状態に到達する。これは全く不可能ではないし、寧ろ世界的成功だけに集中すればいいのだ。
 私がなぜそうしたいかといえば、私を差別してきた極悪人どもに制裁する義務があるからである。そしてそれはこの世の正義なので、必ずきっかりと地獄で落とし前をつける必要があると確信し、そのため手段を選ばず全世界にあらゆる戦略を張り巡らすと共に、着実に地歩を進め続けるだけの話ということだ。