前から書いてるけど、茨城県庁又は北茨城市は、日立出身の妹島和世氏を統括建築家として専任し、県内・市内の主要な公共施設の総合計画を氏に依頼、その計画に基づいて、各地の個別建築物をいわゆる設計競技などで通常の各建築家・士に設計させる形にするのがよい。
これは他の国内地域では、例えば都内では、他の建築家らとの競合などから妹島氏(及び氏の設計共同体であるSANAA)の作品を割と簡単に解体してしまい、歴史的建造物として保存する行政側の意志が殆ど見られないからだ。
だがガウディの例を鑑みても、超一流の建築家に専属化した地域全体が総合設計の出来栄えから長期的に見て、魅力度の向上はいうまでもなく、観光誘客の面で世界に冠たる都市景観を作り得るのは歴史上の真実だ。これは意見がばらつく(余り建築の専門性が高くない人々が好き勝手に、ろくでもない意見を言う)民主的プロセスによっては非常に難しい。その実例が国立競技場問題だった。
裏を返せば、行政の長の権限が非常に強い地域なら、比較的容易に総合都市計画を策定できるのだ。そしてその千載一遇といってもいいチャンスが今で、妹島氏は既に日立駅や日立市庁舎などに於いて世界に冠たる実績をもっているわが県出身者として誇るべき超一流の建築家なのが文化史上の事実なのだから、彼女に茨城県の建築景観に関する総合計画を、県庁の英断で是非とも策定させて欲しい。
前知事を現知事とつるんだ自民党派閥らが追い落とそうとした時、風説流布によって特定建築士との癒着がある云々とまあいつもの自民党の手段を選ばぬ汚いやり口だが、虚偽の噂によって前知事に濡れ衣を着せていた。だがこの考え方そのものが、長い目でみれば文化行政のがんみたいなものだ。
建築は芸術作品であり、その才能は産まれながら特定の人にしか与えられていない。天才を明らかに発揮している人物がいる場合、それはスペインならガウディだったろうし、フランスならコルビジュエ、ドイツならミース・ファン・デル・ローエだったろうが、その人物に集中投資してこそ、都市全体の魅力が確立しうるのである。それは文化行政として、かなり強い権限をもって、審美観の極めて優れた人物が判断しなければならないことだが、例えばパリのまちなかに当時は若手だったピアノとロジャースのポンピドゥーセンターを大統領が主導し設計競技で選定したなどは建築史で必ず習うけど、偉大な実例である。
現に、妹島氏・SANAAによって金沢21世紀美術館は今世紀の建築物の中でも、特筆すべき作品として石川県に重要な歴史建造物を残す結果になっている。わが県は氏の出身地にもかかわらず、彼女が若手の間は金馬車ビルとか古河の休憩所など小さな建物しか手掛けさせなかった。今後は大仕事を任せるべきだ。