2021年8月13日

緊急事態宣言つき時短協力金の廃止にあわせ、憲法に定める全国民の生存権保障としての基礎所得(一律給付金)による全業種に公平かつ国民の自由権が保たれる効率的市場環境の再構築をおこなうべき、政経上の理論背景について

時短営業などの要請を、国のやり方にあわせて茨城県庁も助成金つきでやっているわけだけど、この方針が自由経済や自由権に対する侵害の疑いが濃厚である。

 これはもともと安倍晋三氏があまたの悪政・犯行をしながら東京地検の不正によって泳がされつつ緊急事態条項を立憲化するといったときに危惧されていた事態の一側面といえる。
 無論その究極の悪用は特高警察を使って民衆を手あたり次第に逮捕していく粛清劇とか民族虐殺、思想統制などに至るので、自称愛国の一部・低倫理右翼、今では安倍信者・自民党信者などとも呼ばれるネオナチにとっては明治から昭和の天皇制ファシズム(結束主義)下での暴政を再現できるので、かれら自身も非道に粛清されるとしても、かれらにはあまりにおろかで悪意があるため、あまたのぬれぎぬで気に入らない者を抹殺できると想像している点で、かれらが望ましいと考える筈のできごとだ。いいかえれば、緊急事態条項はネオ・ナチズム(新国民社会主義、新国社主義)の最終形態として、独裁を狙う安倍氏に用意されていた。
 いまのところは安倍氏が体調不良を建て前にした雲隠れの形で菅義偉氏をいけにえに矢面にたたせ、いざあまたの安倍氏による不正の結果がでて国が破綻したとばれてからそれらをスガ氏のせいにしたてあげ、自分は信者とともに復権を狙っている状態であるといえるだろう。そして安倍氏の根本目的は一種のサイコパシーによる浅薄な対米追従での日本の米属国化、特に自衛隊の米属国軍化のための改憲なわけである。ちなみに、マキャベリが『君主論』でのべるとおり属国軍は確実に宗主国から使い捨てられ属国の立場も滅亡に至るといわれているし、世界史の事実もその様な様相を呈する場面が多いが、現時点の地球情勢をすべてかえりみて、この国際政略が日本や世界にとって全体幸福の最大化に繋がるか、大分疑わしい雲行きになってきているわけである。理由として中国の台頭と、米国内部の退廃、そしてベトナム・中東などでの米国軍産によるケインズ政策的侵略の戦術的失敗が挙げられるだろう。最も典型的にこれらの問題が顕現したのがベトナム戦争での米軍撤退と、イラク戦争での大義なき冤罪復讐劇だったわけだが、自衛隊は、当時の首相ともこのどちらに際しても米軍側に就かざるを得ず、その後のシリア騒乱でも、イランの民兵将軍暗殺でも「テロ(恐怖政治)との戦い」という名目で実際には自分達が多国籍にテロをしかけ、軍産の需要喚起をおこなう、といったろくでもない事態に陥っている。端的にいうとさも薩長土肥京芸ら幕末西軍の同盟国として死の商人の片棒を担がされ大量虐殺へ間接加担させられているがごとしなだけでなく、それらの米軍側の戦費は実際には日本と中国が主に買っている米国債をつかっている、という資金源にさえされているわけである。要するにジャイアン米国の手先でカツアゲされているスネオ日本的ポジションに置かれており、このままではまずいという自覚はかなりの程度、日本国内の良識派と左派はしているが、日本国内の対米追従派(自称愛国派、明治美化右翼、ネット右翼、安倍信者、皇族含む神道原理主義者、反中・反共論者、男系論者、自称保守あるいはビジネス右翼ら)と右派(保守派)一般は、さりとて米軍追放ののろしを上げるところまで戦略的に愛国ではないわけだ。もっというと、後者の対米追従派と右派は、幕末西軍と同様に、戦争に勝つ事や侵略被害を受けない事を上位価値に置く権術主義者で、みずからが他人や他国に害やわざわいを為す事、具体的には侵略したり差別したりするについては基本的になんの痛痒も感じない、という自民族中心主義あるいは中華思想の傾向をもっている。それはかれらが根本的には、一般知能の比較的な低さと関連している、つまり他人への共感認知とか思いやりとかいう点で異質な他者への理解度が低い点が挙げられる(ゴードン・ホドソンらによる"Bright Minds and Dark Attitudes"の説)。大雑把にみて、自国の全人民にIQが正規分布している時、飽くまで傾向としてなので個別の人物では例外がありうるが、IQの上半分は諸々の異質な他者への理解度がたかいゆえ結果として包摂的か比較的寛容な考えをもつにいたり良識派や左派に与しやすいが、IQの下半分は異質な他者理解が生育中に困難であればあるほど自己中心的・利己的かつ排外的・害他的な考え――例えばその典型例が神道原理主義に基づく皇居御所・都心中華思想や帝国主義、全体主義、侵略主義、天皇制結束主義、国社主義などなわけだが――に容易に引き寄せられやすい。なぜなら一般知能が低い人にとっては自分と似た傾向の同質的他者とならば簡単に意思疎通ができるので楽だと感じるからであり、また、自己愛を延長させれば、当然この自集団も自分をひいきしてくれるはずだ、というしばしば誤った前提、自集団ひいきの妄想を置きやすいからだ。これが愛国心または民族主義(nationalism、国家主義)と呼ばれているものの正体である。
 米国内の右派については、自分のみるところおもに2つに分裂しており、一派は単なる愛国保守派と、もう一派は排外保守派だ。たとえば人種差別や移民排斥を容認するかどうかでこの2つが相当程度、別れる。愛国保守派はこれらの非アメリカ的な考えを受け入れないが、排外保守派は進んでこれらの国社主義的考えを採用する。ドナルド・トランプ氏があれだけの力をもったのは、少なくとも当選時にはこの両者を支持に巻き込み得たからではなかったか。特に、米国にとって対外貿易赤字の相手国であるところの日中への攻撃的姿勢は、極めて米国の両保守派にとって都合がよかったのである。しかし現実には安倍氏が最初にトランプ氏の懐に入り込んだことでより重くするつもりだった対日関税や米国有利になる不公平な取引について在日米軍撤退をちらつかせながら脅しにかかる砲艦外交宜しくの戦術が序盤でなかば挫かれ、戦闘機を無理にでも買わせるとか米国不利とみたTPPから離脱するとか、トウモロコシを送りつけるとかトヨタを公聴会に呼んで米国工場新設を誓わせるとか、色々と中途半端に終わった。一方で中国に対してもファーウェイを国ぐるみで敵視させ、ティクトク禁止令の間際までいくなど、ファーウェイそのものにはスパイウェア疑惑があるからまだしも、民間企業への個人攻撃を中共(中国共産党)との共謀罪式にくりかえしたわけだが、これらも見るべき成果を挙げられなかった。シリアからは撤退をしたようだったが、そのうえで突如スレイマニ暗殺をおこなうなど、軍事面では大量破壊兵器の証拠がない段階での有志をつどってのイラク侵略を決行した子ブッシュに比べればそこまで過激ではなかったにせよ、過去の米国政府に比べれば相対的にだが、鳴りを潜める様な行動をとった。これで鷹的な愛国保守派としてはトランプ氏に見切りをつけるだけの理由が十分すぎる程できたわけである。同時に、メキシコとの国境封鎖など排外主義傾向の政策については、特にニューヨークとかカリフォルニアの様なエスタブリッシュメント(エスタブ。高い教育で確立した人、有力者)が割と多い地域での市民間の反感を買うと同時に、最終段階では南軍の旗をもった暴徒が米国議会に乱入するに至って、ある種のカリフォルニア人イデオロギ―あるいは情報統制の意図に基づいてGAFAMらが勝手に団結し、これらのビッグテック側は裁判上もいまだに表現規制・検閲行為として違憲の疑いが濃厚であるが、自分達の社内ルールで大統領の社交媒体を暴徒扇動の魔女裁判にかけ、アカウントごと消してしまったわけである。このとき、地球中の政治支配者で唯一冷静だったといえるのは、ドイツ首相のメルケルだったことを我々は世界史に明記すべきだろう。彼女は検閲は国法に基づいて行わねばならず、企業にその采配を与えるべきではないといった。米国はこの指摘に耐えられるだけの法倫理、法秩序を兼ね備えていない。俗的には米英法と大陸法の違いと解釈されていたが、現実の方が法に優越し、法と矛盾した現実が現れた時、米国、少なくともGAFAMの大部分が属していたカリフォルニア州などでは、米国憲法どころか州法にさえ個々の企業の利己心が優先されてしまったのである。だから我々は、一定以上の法的理解と認知力があれば、この部分でもはや米国ビッグテックを自由、特に自由権の擁護者だとは到底おもえなくなった。単純にかれらの利害勘定で勝手に社内ルールを使って、法秩序を破ることをなんとも感じていない人々の集まりだった、という意味では、違法なタダ電話装置が製品開発経歴の初陣を飾っているスティーブ・ジョブスとか、好みの女性との席次を調整するシステム開発が同じくそれの様な面があるビル・ゲイツとか、あるいはウィンクルボス兄弟からの盗作疑惑がついてまわっているザッカーバーグらの、一種の反体制的な色彩がいまだにカリフォルニア人イデオロギーの中には内在されていることがここでは露わになった。いわゆるお里が知れるというやつである。裏を返せば、元が不良学生が金儲けに夢中になって大学中退で始めた様な企業が主になっている米国ビッグテックは(但しこの文脈で、院生が意図的に起業したグーグルの親会社アルファベットと、脱サラ企業のアマゾンは除く)、基本がエスタブ発の企業では決してないのだから、所詮はその程度の軽薄な法・倫理観しか持ち合わせていない事が明らかになった、という話だ。

 ただ、これらのおそるべき経緯のうち、自分個人はイスラエルとパレスチナの複雑な宗教的聖地を巡る争いについては、今まで、ある中東のニュース・ブログが発端になった陰謀論の一種だったのだろう中東でのイスラエル軍とその諜報機関モサドによるスズメバチの巣作戦なるものが実在しうる、というかそのとおりと、ユダヤ人の親友がいるとあるイギリス人から証言された事で、半ば一定の可能性を置いてしまっていた時期がある。もっといえば、あるパレスチナの人と会話したところ、イスラエルの人と呼ばれる事を大いに憤激した様な呆れた様な感じで全力で拒絶された、などの実体験もあった。
 しかし、特にサイモン・ヴィーゼンタール・センター(SWC)の人道主義的言説を色々と辿った結果、確かにモサド側がどんなことを考えて中東攻略を図謀っているかは我々には知る由はないとしても、「推定無罪」の必要はあると考え直す事になった。というのは、イスラエル悪玉論のたぐいには、根底にヒトラー風のナチズム(国社主義)に通じる所がある。これはヴィーゼンタール自身が激しく啓蒙していた反ユダヤ主義への批判の文脈をかえりみれば、誰の目にも明らかな事ではないか。確かにユダヤ教のなかには選民思想と呼ばれるものが旧約聖書の頃から計画されているので、それを純粋に宗教的に旧態墨守している一部の保守的ユダヤ人らのなかには、異国集団へ容易に同化しないために、排斥や迫害されやすいだけの条件があったことになるだろう。そして上記メルケルの大いなる間違いとしては、「多文化主義は完全に失敗した」と公言し、その種の異種共存的な包括的多様性をドイツ単位で拒絶してしまっていることにある。自分がみるに、同化政策と、国社主義には同根がある。メルケルは当人が気づいているかいないかにかかわらず、再びナチと類似の根本思想、つまりヘーゲルが世界精神として語った様な、ドイツ自民族中心主義に陥ってしまっているのである。たとえメルケルのそれがヒトラーと異なって、種族主義の偏見を表層的にぬぐっていたとしても、今度は「文化」とか「民族」とかいった別の抽象概念で、やはり、同じ排斥的なドイツ人風土に、同発言で間接的お墨つきをあたえてしまっているのである。排斥する理由を人種にするか、文化にするか民族にするかは、それをおこなう狭量な、低共感知能な、あるいは悪意ある人々が恣意的にラベル貼りをするばかりなので、実際の憎悪のあらわれは遺伝子だけに理由をかぎったものではないのである。したがって、このメルケルの失敗をかんがみると、SWCのおこなってきている様な寛容の風土に向けての「推定無罪」の原理を、全ての人種、民族、国籍の人々にあてがうのが、本質的に日帝が与していたナチへの真の批判であり、また、日本としての反省になるのは誤りない事である。その点で、モサドやイスラエル軍が具体的に日本国や、パレスチナ市民や民兵を含む諸国軍に、なんらかの非人道措置を十分な証拠をとれる形でおこなったときにかぎってそれを責める権利が人道主義者にはある。それ以外の場面で、ユダヤ人全員とかイスラエル政府とか、あるいはパレスチナ政府と市民に対してもなんらかの偏見から有罪の推定をするのは全く人間的ではないことになるだろう。無論、それとは別の次元で、モサドあるいは米国側のCIAなど諸国より我々が主体的に諜報活動を洗練させる必要があるのはいうまでもない。

 では上記の論旨を前提に冒頭の主題に戻るが、時短営業を要請する事による協力金の支払いは、巨視経済学的に、相当おかしな政策なのは確かである。
 まずこの方法では、市場干渉によって各市場参加主体(企業ら)の競争性を損なう。競争力がある、いいかえれば製品・奉仕について効率がいい会社・個人と、そうでない会社・個人の間に等しい協力金を支払うのは、いわゆる国社(国民社会主義、国家社会主義。ドイツ語でNationalsozialismus)政策にすぎない。自分は最初からこの方法には、経済学的観点から反対だった。上記の市場の効率的秩序を損なうのに加え、そもそも全ての営利活動の中で、飲食店など特定の業種に片寄って補償するのは、市場全体の効率を甚だ損なう事が明らかだったからだ。よって、自分は国民一律補償金が望ましいと考えていた。そのために予てから議論されてきている、格差社会下での生存権保障の文脈での基礎所得(Basic Income、BI)をこの際、導入するのがいいと考え、その為の財源を捻出する方法も個人ブログで提案していた。『月額7万円から10万円のBI財源論』(後述)
 しかし国政府の単位で、時短協力金の方が強行された。そこにあったのは、いわば飲食店を中心にした一部ガス抜き政策の様なものに過ぎず、憲法や国家公務員法などで国民全体への奉仕者と定められている公務員の義務については完全に逸脱した政策であった。その様な判断をしてしまう時点で、なるほど、前安倍政権から続いている内閣の弱知化が進んでいるのは確かだ。安倍政権下で連打されてきた違憲立法も、そもそも違憲立法の悪や不手際について安倍氏が理解しているかは大分疑問がある。世襲の箔を含む派閥闘争目的に安倍氏を首脳陣に担ぎ上げている今の自民党員一般は、法律体系を理解していないから違憲な立法が最終的に無効になる意味も、それにもかかわらずわざわざ立法させることに伴う国家的損失の意味も、まるで分かっていないのだと思う。安倍氏が学生としてもそれ以外の時期も、かれの担当教授も誤った指導について反省しているとおりまともに法学をやっていなかった事について今では万人のうち誰も疑う者はいないだろうし、もしいたとしてもその人も法学の知識がないだけにすぎないのである。このため、安倍氏の独裁期は、戦後最悪の恥知らずな上に最長期の最悪政権となっていたわけだが、結果として仮病だった退陣後の今も、内閣や政府へ向け彼が自民党最大派閥内の実力者として事実上の院政を布いているうえに、次々彼と同等以下の法学知識や倫理観しか持たない人々ばかりを重用するので、ある種の悪の組織、いってみれば長州ヤクザ組織状態で彼ら安倍一味は国の権力機構を専横している。同時に、安倍一味は検察人事権まで内閣人事局制度を無理に作り、検察庁長官の采配として握っているので、いってみれば天皇・皇族に次ぐ絶対権力によっていかなる不法行為、いかなる悪質な蛮行をしようとも決して逮捕・刑罰されない状態にあり、完璧な政治腐敗を極めている状態といっていいだろう。しかし、驕れる者は久しからず、いつまでもその種の政治腐敗が続けられるわけではない。第一に、国内に良識派が残っているかぎりつねに革命権の行使によって、第二に国外に良識派が残っているかぎりつねに外交上の外圧によって、それらの政治腐敗した独裁・寡頭政治勢力が退けられる。逆に、近視眼的にこの種の政治腐敗が超時代的に永久化できる、と考えている安倍信者を含む自民党信者らは、自分達が自分達の最も損害をこうむる最悪の悪徳政治を延々とつづけていきたいと考え、それこそ愛国だとおもいこんでいるならば、なるほど、この自称愛国右派こそが最もその言葉面と逆に、反国民的、反国家的な勢力なのが事実である。国会答弁内ですら最低118回も偽証罪にあたる嘘を連発してきた安倍氏だが、この種の極悪人がのさばりつづけるとすれば、そこは法治国家ではないどころか、近代文明と呼ぶにすら値しない、と日本国民全般ならびに諸国民全般は、仮に理性が錯乱でもしていないかぎり確実に理解できる範囲にある事例である。
 話をふたたび戻すと時短協力金は、この種の安倍一味による自民党・縁故主義政治が、GoToキャンペーンの延長上で大規模に試みられたもの、と言ってまず間違っていない筈だ。第二次以後の安倍政権で自民党幹事長の二階俊博氏は全国旅行業協会の長だったので、旅行業界の利権を主張した。和牛商品券についても同じだった。この様な利権の嫌疑は諸野党からの追及でもうほとんど事実だろうと明らかになっているわけだが、要するに党閥縁故主義によって政権が一部の利益をはかり、全体の利益を犠牲にしている。飲食店・百貨店、のち大規模店舗と安倍・スガ両政権にどんな縁故があったかは自分にははっきりしないが、仮に何の縁故もなかったとしても、なにゆえすべての業種の中でこれらの分野だけが協力金の対象になっているのか、まったく経済学的に筋のとおる理論が示されていない。要するにそれは縁故政治の延長上で堕落した形、もっといえば幼稚化、または弱知化した姿というべきである。くりかえすが、この政策はどう間違っているかならば、さまざまな業種間で特定業種へのみ不公平に補償金(協力金)を手渡す事で、市場全体の効率を損なうばかりか、それは全体の奉仕者としての公務員の義務を法的・倫理的に逸脱している点にある。
 この件についてしばしばネットでみられる批評として、例えば企画制作者自身によるロッキンジャパンフェス中止判断等のときにそう叫んでいる民間の人物がいたが、私権制限論がある。では私権の制限だから時短協力金が問題なのだろうか。私はそうではないとみなす。なぜなら、緊急事態宣言では、政府は直接、私権の制限をしていないからである。単に営業自粛要請をして協力金を払うといっているにすぎない。同様に各地医師会や医師らも行動制限論などの要請をしているだけで、政府の強制力やなんらかの暴力装置によって国民・法人各自の自由権を制限しているわけではない。なるほど事が日本だけに和の同調圧力で実質的にその空気を破って営業するのが難しくなる、などのこの国特有の文化風土から、実質的には強要ではないか、という論点も成り立つ余地がある。実際、脅迫などをおこなう人々もでてくるかもしれないし、私個人はしらないが実際、そうしているひともいるのだろう。その場合、かれらは営業妨害罪になるのが事実ではないか。だからといって、各地の警察・検察が腐敗していて、営業妨害罪をされてる側へ無理やり自粛しないお前たちが悪いといって被害者と加害者を悪意で混同しつつ冤罪きせているだろうか? もしかしたらそういう事例があるかもしれない、特高や安倍自民党政権の横暴のかずかずを擁護していた近現代の日本の法的民度をかんがみると十分ありうることだ。ゆえに私権制限論による時短営業その他の自粛批判は、その事実がないとしても、日本では、特に法的理解が薄い衆愚側に一定の説得力をもってしまうわけである。こうしてラッドウィンプスのボーカルや、彼のファンらに煽られた様な反社会的ヤクザたちが、遂には人命保護を使命とした医師や、罪のない一般民衆へ悪意ある冤罪をきせながら暴言を吐き、差別的言動をくりかえすばかりか、実際に京都市民が脅迫事件で警察に逮捕されるような事態に至るのである。
 だが、もしわが県が文明圏の一端に属しているならば、この私権制限論は、立憲法治主義の観点から、別案件と峻別されねばならない。いいかえれば、安倍氏が強行採決させようとしていた緊急事態条項の方は、確かに名義がよく似ているが、完全に政府による私権制限目的そのものだったという事だ。端的に言えば米軍の手先として自衛隊や自国民を、自民党御用学者・三浦瑠璃氏の扇動する国民皆兵令のもとで、あるいは安倍・スガ内閣の副総理・麻生太郎氏による天皇国家元首化の扇動する戦前退行の形で、総皇軍化へ強制しようとしていたといっていいだろう。安倍一味の派閥が排除したからまだ結果としては先送りされたものの、石破茂氏が今の首相になっていたら、実際、その様な軍国化が、良心的兵役拒否権を否定する形で改憲に結びつけられていたかもしれない。だからそれらの自民党ネオナチ政権、自民新国社政権の前座として、私権制限に国民を徐々に慣れさせる目的で、緊急事態宣言なるものが発布されている、と考えるのが、現代日本政府の分析として的確だろう。結局これ以外になんらかの主要目的が背後にあるとは、諸々の分析でも出てこないほど不公平すぎる案件なのだから。

 政府に従順にさせる事。上からの命令に、全国民が和、空気、正義などと名づけた不寛容の悪意による相互監視のもとで進んで従う状況をつくりだし、これを采配する形で、自身が絶対権力を握る事。それが安倍氏の主眼に置いている事態で、いってみれば僭主としての絶対権力願望というべきだろう。そしてこの絶対権力を完成させ、最終的には彼が妄想の中で愛顧している祖父・岸信介の亡霊を追いかけ、自主改憲という形式を踏むこと、さらには戦犯逃れの米国CIAスパイとして岸がおこなった米軍の間接統治状態を、自分の手によって自衛隊の米属国軍化で新自民憲法のもと完成させる事。これらが、安倍氏の全人生を思想背景から分析したときにみえてくる彼の主要行動目的といえる。そして安倍氏は、対米追従、もしくは臣従が、日本の国益になる、という信念を少しも疑えないのである。なぜなら、岸というかれの祖父が実際に、その様に、日帝軍の文官側の幹部であったにもかかわらず米国側に魂を売る事で生き延びた、私的な命の恩人への悪の契約であり、一種の魂の明け渡しだからである。岸は日本の戦友を裏切る事を或るサイコパシーによって正当化したので、その孫である安倍晋三も、敬愛する岸と本質的に同じ系列にある行動をとることで、岸と同じ「宗主国への売国による支配」という二重基準に自らをなぞらえたかったのである。これが私がこれまで積み重ねてきた安倍の心理分析の現時点での最終結論といえるが、この様なかれの行動原理によれば、今の時短協力金策も、究極では自分が闇の僭主としておこなうべき憲法改悪、すなわち自衛隊の米属国軍化のための陰謀の序章部分にすぎないのである。そのために、飲食店・百貨店・大型店舗以外の業種は余裕で犠牲にするつもりなのである。もしくは、表面の人気さえ取れれば、巨視経済学に通じているわけでもないので、そこまで機転が回らないというべきか。

 安倍信者と自民党信者が、神道原理主義右派一般ともども最も憂うべきは、かれらの信じている皇族やら安倍晋三氏やらが、最も宗主国への売国によって、或いは自分に縁故上の利益がある一部の者を除く全般的棄民の正当化によって、自分達の地位を築き上げ、保全している真の反日勢力だという真実である。無論、これに気づいている者は、皇族や安倍一味を国政から何とか追放しなければならないと以前から考えその為に政治行動してきている。だが、あまりに衆愚の愚かさ、悪徳のほどは酷いので、かれらの真の愛国愛民行動には頭ごなしに最悪級の汚名が、自称右派に煽られた一般民衆からさえ、つぎつぎ着せられるばかりである。そもそも、これらの右派一般は上記ゴードン・ホドソン論文の指摘するとおりならば、相対的に一般知能が低い傾向もあるので、真の自己犠牲をかえりみない愛国・愛民心と、偽りの愛国・愛民心こと私利私欲とを、厳密にみわける能力が凡そ寸分もない。それで却って偽りの愛国・愛民者に最大の権力と名誉を与え、真の愛国・愛民者には最大の汚辱と冤罪をくり返してきている始末なのだ。この意味で、愚か者や悪人の無数に溢れている場には、真に清らかな国はつくりえないというべきである。

 同様に、特定業種への肩入れにすぎない時短協力金の実態が上記の様な安倍一味の改憲計画の前座、すなわち政府による全体主義的な私権制限の第一段階としての国民全員への慣れさせが真の目的に基づいて出てきている国社主義政策であれば、我々はこの最初の芽の段階、つまり今の時点で、自民ネオナチ勢の横暴を完全に除去してしまう必要がある。いいかえれば緊急事態宣言の放置で至りつくところが寡頭政党・自民党とその裏君主の安倍氏による緊急事態条項の立憲化による国民全体への全体主義独裁及び全幅の思想統制であれば、それは当然ながら国の良識を司る自由権、人格権ふくむ全人権の潜在的消滅と、結果としての国の滅亡を意味するので、緊急事態宣言と時短協力金のセット販売での国民騙しについては、鋭い批評を加え、特定業種への利権誘導にすぎないとし、これを次期衆院選までの早期にやめさせ、代わりに、国民の自由権を制限しない形でまたいかなる業種へも不公平をもたらさない形での、一律補償金へとコロナ禍での福祉制度改革をおこない直す必要がある。もし一律補償をおこなっても、所得税の西洋並の累進化をおこなえば税制全体として、調整的(所得再配分的)な公平性は保てることになるからだ。なお、この際の基礎所得状態での一律補償金が財源として不足することについては、前述論文で詳細に挙げた通り(『月額7万円から10万円のBI財源論』)、節税目的の赤字演出が可能な法人税と、実質的に企業への法人税との二重課税になっている消費税を廃止し、企業側がごまかしえない企業自体の内部留保税(税引前利益として毎年の費用・経費との差し引きをおこなわず、企業の実質的な利益蓄積量を基にした課税)という形にする事で、永続的な形で十分まかなえることになる。