2017年8月28日

大井川県政について

 橋本氏の功績はどれほど強調してもしすぎはないだろう。明らかにこの県がここまで発展してきたのは彼の有能さがあってこそだったのだし、現に東海第二原発による致命的被災から免れているのも彼の功績に他ならない。特に農工両全の潮流が果たした質実剛健な県政は、彼の茨城県に対する深い愛と思い入れを示しており、今回の選挙結果をみても総じて商業者に偏った都市部しか刷新を求めていない傾向にあったという意味で、中央政界に及ぶ経済強者の横行に対して水戸徳川家の思想を受け継ぎ農本的に全県民あたりの不公平を正し、堅実な県政によって地固めをした素晴らしい公選王政の期間だったというべきだろう。
 対して現状の大井川氏の政策理論は、水戸、日立、筑波の各商業中心都市が主に求めているだろう新産業、つまりは彼らの脳内ではIT業なのだろうが、そこへの政治的助成や何らかの補助政策を喚起するものだったといえる。経営学によれば、後発者にとって模倣は創造より費用が安い。この意味で、大井川氏は自民党と経産省をはじめとした官公庁に何らかの口利きをし、茨城を東洋のシリコンバレー化するつもりだろうし、実際にそれは筑波界隈等で可能かもしれない。現実にそれを推進するよう早速、大井川氏に県民は圧力をかけるべきだろう。この意味で農工両全の潮流を脱構築する可能性が大井川県政にはあると捉えられ、それは日本政府が日本経済全体の沈没中に望むところでもある為、自公政権は茨城県民に恩義があるうちに、茨城県域へのIT特区の設計に全力を費やすべきだろう。
 今後の先進国経済は金融とITを中心に成長していくことは明らかなのだから、農工業に関してはGDPに占める割合が更に減っていくことを前提に、省力化を図る方針に進むべきだろう。最少人数で最大の利益を図る事が農工業の今後の方向性であるべきで、効率を求め機械化や自動化を更に推進するべきなのだろう。第六次産業といわれる高付加価値的な農業、また農家を脱農協により会社化するといった方向については理論上可能としても、英仏米、或いはブランドに依存していた夕張市の様な先例を見る限りは、こちらは各種の県内農業政策上の規制緩和や民営促進策による自由競争市場に任せるしかないのだろう。グリーンツーリズム、或いは田舎住まい、週末の農村体験等の需要については、県民側の幸福に寄与し利益になる範囲でのみ実践するべきだろう。
 問題は、これらの新政策のうち、IT業をシリコンバレーの模倣によって仮に成功させたとして、それは模倣都市、つまりkitschな第二カリフォルニアにしかならないということだ。勿論それでも満足だという人もいるだろうが、私にいうことができるのは、シリコンバレーのIT技術者達はITを目的にああなったのではなく、アメリカのpragmatismに基づいて資本経済に適応しようとした結果、最も利益のえられる分野に集積した、ということなのである。しかもはじめはスタンフォード大学辺でショックレー研究所にいて軍需の下請けにあずかっていた人々が、のちのインテルなどを興して。だから茨城県政が産業育成面で今後なすべきなのは、実は模倣そのものではなく、またITの追従でもない。士農工商のどれであれ、単に利益の最大に上がる分野の市場を最大限に伸ばすこと、つまり国政県政が何らかの規制によって民間人の利益追求を阻害しない様にするばかりか、その種の高利益分野を減税によって集積することができるにすぎないのである。勿論これは調整、或いは福祉に対して格差拡大として働くものでもあるから、県民の幸福度からいえば累進課税と医療介護・教育・生活保護によって世帯所得の平準化を図った方がよいのであって、矛盾を孕んだ考え方だ。シリコンバレーの闇まで模倣する事なしに、即ち格差拡大を避けながら更に高利益率の産業構造に県の経済界全体を推移させていくのが、大井川県政に求められている課題なのだということができる。この格差は少なくとも県内の地域間、世代間を問わない。主に所得格差についていえることだろう。
 一言でいうと、茨城県は経産省と協調しながら県単位でBI(Basic income)を実験し(つまり社会保障の一本化によって再分配時にも徴税時にも節税し)、所得格差が開きすぎない様にしながら、シンガポールやシリコンバレーそのものより進んだ形で企業と個人に大幅に減税を行ったIT特区、金融特区を県内の特定地域に集積させる事で、高付加価値な新産業の誘致を進める事が有益なのだろう。結果、世界から安定した生活を求めてやってくる人口増大の効果も得られるはずだ。この政策が成功したとき、北欧型の高福祉な幸福な国家と、米国型の強い産業がわが県にあって調和しうるかもしれない。専らこれらの新産業と既存の十分強い農工業の両立を図りつつも、日本又は世界全体で最も所得の高い地域になる事をわが県は目標にするべきだろう。
 また懸案の魅力度問題については、今までの分析から県外人の無知が原因であり、その県外の無知はわが県に対外発信のマスメディア、特に地上波テレビ局がないため、ステルス的効果を持っている。そしてこの点は、皇居や政府があり人口最多な首都として、国内に対して傲慢な差別感を持ち、特にメディア依存度の高い東京都を含む南関東や、全体として所得が低く国内旅行に使う余裕もない上、そもそも東京以外の東日本に対して無関心な西日本に、茨城県そのもの(と北関東)への更なる誤解を招いているということだ。日本のネットの衆愚民度は真実を探求するより、自分達に都合がいいサイバーカスケード現象による炎上を広告収益を目的としたマスマーケティングとして好む為、このステルス性は東京以西の衆愚による、誤解に基づく偏見や地方差別的報道とその鵜呑みという状態をもたらしている。これがこれまで分析できたことであった。そして橋本県政にあってこの現象に対して県庁によるネットテレビ(いばキラTV)の開局や、おはよう茨城の打ち切りと磯山さやか氏による「旬刊!いばらき」による発信、銀座のアンテナショップ・茨城マルシェ等での情報展開を試みているが、これらはマスマーケティングとずれがある為、西日本の大衆一般に訴える内容ではなかった、ということになる。魅力度調査(ネット上の偏見を集めた類のもの)をしている東京の小さくて底意地の悪い犯罪的会社・ブランド総合研究所の田中章雄によれば、わが県(とおそらく同様の傾向を持つ関東北部)に関する情報をほぼ全く持っていないし関心もないのは西日本だということがわかっている。また東京圏は「都会」に憧れてでてきた地方人の塊であることもあって、農地面積が日本一の茨城を(彼らの故郷であった、何らかの事情で捨ててきた)「田舎」としてカテゴライズし、主に合理化(酸っぱいブドウの論理)による捻くれた物の見方で蔑視なり差別的言辞を吐くという悪質なもしくは低俗な傾向も持っている。これらすべての事情を顧みると、大井川県政が魅力度問題に対してどんな解決策をとろうとするのか注視する必要があるといえるだろう。ニコ動(ニコニコ動画。動画投稿のウェブサイト)に関係を持っていたことを利用して、ネット衆愚やニコ厨(ニコニコ動画のマニア)に何らかのアプローチをするのかもしれないし、その種のネットテレビ関連の発信局を強化するのかもしれない。ただ、私としていえることは、茨城のもってきたステルス性は孔子や孫子の哲学を水戸学を経由して延伸させてきた根強い徳目によるのであって、それは単に今の時点においてのみならず長い目でみても、わが県の得であると考えられる。情報の非対称性が茨城側に有利になるよう県全体の情報条件を維持促進するべきなのだから、発信力を強化せず、むしろますます受信力を再強化するべきであって、あらゆる情報収集機関をわが県に集めていく方向にさらに進んでいくべきだと思う。マスメディアは衆愚に効果があるが、賢者へはそうでない。欧米側でマスメディアをうのみにする傾向は非常に低く、単にG8先進国では日本だけが扇動に弱い衆愚社会なのである。日本の県であるからこの傾向に合わせるべきだと思うかもしれないが、独自性とはその種の横並びを拒否する事なのである。少なくとも、西洋でも東洋でもマスメディアの扇動に弱いというのは欠点なのであり、県民自身が批判的思考力、懐疑的な物の見方を身に着けている上に、発信より受信を選好する傾向の徳目を有しているという事が望ましい文化性向に繋がると自分には思える。この最後の発信力の抑制については諸意見あるだろうが、「沈黙は金、雄弁は銀」という諺がある。何らかの無知に基づく偏見によって、非科学的なり不道徳に誤解する県外人が侮辱的態度や差別をしてくるとしたら、彼らが損害するだけである。我々茨城県民側が科学的に正しい情報を受信し取捨選択でき、県内外で自分達の功利性(即ち県民及びその他の人類の最大幸福)に合致する様に道徳適応できることが合目的なのである。
 大井川氏は日立出身なこともあり、これを機に茨城県を元来のひたち県に戻す事を主張したい。漢字は常陸(ひたみちに由来したもの)と日立(義公によるもの)があり、風土記によれば浸しにも由来があるが、単にひらがなでいいのではないだろうか。それは全国で唯一のひらがな県名にもなるし、日立製作所によって国際的にも有名だからだ。