勿論理想はその逆にあって、ロールズの第二原理にあるよう社会で最も恵まれない立場にある者の利益が最大化する場合にのみ、正義がある。
大井川氏にはこの種の正義に関する認知など今のところ全くないだろう。無学なのである。彼の演説を聴く限りそこで語られているのは、配分的正義だけである。それは民間企業でやるべきことだ。行政は弱者救済が第一でなければならないのだ。全体の奉仕者である行政が有能者へ集中配分をしてはならないのだ。いうまでもないが、安倍晋三氏も麻生太郎氏も不勉強すぎる為に国民全体を不幸にする悪政をしている訳だが、それを批判し正道に戻すだけの知恵や公徳がある国民一般ではない。だから筆者が自分自身の犠牲によって、一円にも名誉にもならないこの文章で公共の奉仕者達を叱咤しているのだ。そうせざるを得ないからである。これは行政人が愚劣であるという意味で、政治家候補者の不勉強が原因だ。
- ジョン・ロールズの正義
- 第一原理
- ・政治的自由や言論の自由、身体の自由などを含む基本的諸自由を全員に平等に配分する
- 第二原理
- ・社会的または経済的な不平等を機会の均等を図りながら、最も不遇な人々の利益を最大化する(機会均等原理)
- ・結果的に発生した社会的・経済的不平等に対しては、最悪の状況は可能な限り改善する(格差原理)
大井川氏は、もし自由主義を推進するなら市場介入の類であるベンチャー起業を促進するといった発言は矛盾しているし、民社的な福祉政策をとるつもりでもない様に見える。大井川氏の行政理論は自治体社会主義もしくは都道府県社会主義なのだ。それは国政にあっては安倍・麻生両氏が国家社会主義者であるという事にあたる。安倍氏に至っては企業に賃上げの圧力すら加えているのだ。勿論これらは市場放任を意味する自由主義から、新自由主義や自由至上主義(libertarianism)からさえ大幅に逸脱している。
辛うじて大井川氏の自治体社会主義政策、よくいえば修正資本的な新自由主義もどき政策が功を奏し、わが県が経済発展したとしよう。こういった可能性は皆無ではない。ケインズ政策、公共投資の矛先が福利耐久性のあるインフラ事業からICT関連を主とした情報関連の産業に移行していくことだろう。それは建設分野ほど耐久性がないから、お祭り騒ぎ、ITバブルの類へ火に油を注ぐ結果になるのではないか。勿論これ自体に、停滞している経済の促進効果がないわけではない。アベノミクス、安倍財政による一時的な株価バブルによって格差拡大と一部富裕層の資産増大が見られた事、また偶然ながら団塊世代の大量退職が重なり若者が非正規に置き換えられつつ雇用に吸収されたこと、これらの様な例があるから、大井川ミクスにも地域社会主義的ながら一定の有効需要の喚起があるかもしれない。しかもこの場合、新産業を促進すると明言している以上、IoT(Internet of Things、物のインターネット、つまネット日常化)やIT教育が進むという副作用があるだろう。それは農工業に対しても何らかの複合をもたらし、産業転換が進むかもしれない。だがこれらは政治と経済の役割の混同に基づく結果なのであって、経済弱者への福祉という県民全体の幸福にとって最も有用な点が完全に見逃されている。
税収が減るから金を儲けねばならないのだと大井川氏は言う。仮にそうだとしても、地方税と国税を混同している面もあるかもしれない。企業か個人の儲けの一部が国と県に徴収される。もし富裕層の集積を促進したければ、シンガポールの様な減税措置が必要だろう。ベンチャーを促したければ、スタンフォード大学の軍需産業の様に有効需要がなければならない。これらは格差拡大をも意味するのだ。停滞する国家での経済成長と、県民の幸福としての多少あれ結果平等な高福祉社会は、両輪でなければならない。そしてこの国家の殆どの自治体、三大都市圏を除くほぼすべての自治体は、地方交付税のおこぼれにただ乗りして楽して福祉政策をしようとするに違いない。東京が稼ぎその他の自治体が乞食する。この構図から、茨城まで稼ぎ頭になった場合、更に東京を追い抜いた場合、果たしてそれが茨城県民にとって幸福な未来だったろうか? 大井川氏はこのことについてもっと真剣に考えるべきではないだろうか。はっきりいえば、東京都民一般は首都を称する虚勢とひきかえに不幸な生活をしている。だがそれは彼らが野蛮だからで、営利の欲、性欲や物欲や名誉欲にあてられて金儲けに追い立てられているからだ。動物精神、アニマルスピリッツがそうさせているのだと解釈もできるが、大量のホームレスや生活保護を受けている経済弱者も量産している。大井川氏はマイクロソフトやドワンゴの起業精神に熱を入れられて、その精神の功罪について本気で問い直したことがないと、私には思われるのだ。なぜならそれらの企業がもたらしたのは決して、国民や県民の幸福ではない。単に、株主、経営者、労働者の金儲けであり、事業に付随したサービスや製品はそこにくっついてこの様な機械をもたらした。茨城県民の所得はまだ4位~11位ほどを行き来している。所得格差の拡大は、いわゆる幸福度を下げる事が北欧の実例でわかっている。配分、調整、それらの調和のうち、大井川氏が安倍政権の国政のもとで推進しようとしているのは配分的な正義でしかないが、日本の殆どの自治体が選択しようとしているのは地方交付税にぶら下がる事によるただ乗りでの得である。上述の侵略に対して無反省に違いない西日本の自治体のほぼすべてがそうしてきているし、今後もしていくつもりなのだろう。この様に集団埋没による怠惰と妬み、足の引っ張り合いの合理化でできているのが、日本国政や日本国民一般の現実のあり様なのに、大井川氏はあまりにお人よしな、あまりに世間知のない、努力が報われる人にのみ負担が行くような政策を執ろうとしている。
世界一の所得を持っているのはノルウェーという国だ。そして、私の意見では、世界中で最も模範になる政策を執っているのも、この国だ。この国はその所得の殆ど半分を福祉に回しているからだ。もし大井川氏が行政の最も重要な役割である調整について学べば、そしてマイクロソフトやドワンゴの呪縛から離れ心の余裕を取り戻し、光が強くなるほど濃くなる影の中に目を凝らせば、アメリカ、シンガポール、フランスの様な闇の深い国々とは異なって、真実に知恵ある政治をしている国、ノルウェー、スウェーデン、フィンランド、デンマークといった幸福な国々、真実の成功をしている国、経済成長という正の面のみではなくそこで必然に生じる敗北者達の救済義務という負の面に真摯に希求されている正義を高い公民度によって悟っている人々との差について知る事ができるだろう。私は大井川氏が県知事職の期間に、行政がいかに企業経営と違うか、金儲けをすればいいだけではないのだと、単に税収をあげて成功者により多く配分していればいいだけではないのだと、成功の影には表裏一体の悲惨があるのだと、より人間社会の深みについて学ぶ事ができるだろうと考えるが、それは期待しすぎだろうか。勿論、差別化という意味で、茨城に最も希望されているのは北欧の模倣でも米国の模倣でもなく、配分も調整もまこと公正に行われる調和的正義を極めるような第三のより理想的な社会なわけだが。