2012年2月18日

くらしとみた学問の意味

基本として、よりよいくらしをしたい、というのが人間フツウの心情ではないか。

 そこからみると、学問をするということ、なにか書かれたものからなにかをよみとるおおきなわけも、このよりよいくらしを知ること、よりよいくらしに役立てること、そしてよりよく文を読むことができる世界をつくることにさえあるだろう。

まこと千差万別もしくは一様のどちらかのあいだにすべての「ヒト」はいるわけだが、この個性の差をどう社会のなかにいかすか、がすべての学問のわけではないかとおもう。なぜこういうことを書いたかいえば、水戸が学問系をもりあげようとしているから。

 星の東西でかなりちがいもあったが、学問といえば要はむかしの、またはいまの文をよみかくことだろう。このばあいの文はすべての数理記号も、詩も、あるいは図形もdataも、すべてのことばの一切もふくめていう。いわば時系列的な重畳さをもつすべての情報からなにごとかを体系的にうけとることをいう。こういうもの、いわば文物のなかから、なにかしらみずからの個性にとって役立つ情報を得てそれによってよりよいくらしをする、というのが学問の、学業の本位ではないだろうか。

ごくわかりやすいたとえをひくと、もしサルがことばをもったとしよう。こういうサルはなにをするだろうか。サルとしてよりよく、よりすぐれた生きかたをするためにそれらのしくみをつかうのではないだろうか。
――ヒトが信じるところでは、サルなどの動物みんなより高等と全知全能の神さまから指定されているらしいのだから、あるいは単にダーウィニズムからみるだけでもサルよりあとに進化したいきものなのだからなおさらかもしれない。

 端的にいえばpragmatismというアメリカのなかにある哲学はこういう立脚点を古代ギリシアのアリストテレスの有用性のかんがえあたりから、もっとも基本的な場所にまでさかのぼってかんがえているととらえていい。これにくらべて、イギリスではutilitarianism(使用者のかんがえ、これは日本語では功利主義と慣習的に訳されてるが)、そこでは逆に「どうやってさまざまないきかたをする個性をつかうか」に焦点がある。このふたつは、にてはいるが同時に対照的といおうか、逆さでもある。
他人をつかうためにはどうしたらいいか、というのが最大多数の最高幸福をめざそうとする功利主義者らの基本にもったかんがえ。だからそれはつかわれるヒトにとってのかんがえ、つまり成長や自己実現のために道具をかきあつめみずからの成功をきわめようとする考えとは必ずしもいえない。

 これらを通しておもうのは、プラグマティズムであれユーティリティタリアニズムであれ、使う・使われるという雇用関係のかんがえであったというわけだ。そうしてみてくると、実はといおうか、水戸学の古典的体系とそれほど矛盾するわけではないといおうかほとんどおなじものでもありえる。君臣関係を正当化する理論が水戸学の本質であった。これを朱子学と儒学からひっぱってきたわけだ。

 弘道館(もしくは、自分がおもうにはだが、一張一弛的な意味で偕楽園すべての景観までいれれば確実に理想的な学際環境の理念として立派だから成功するとおもうが)を世界遺産に登録するにあたっては、国際機関だから当然ユネスコの中枢でも実権をもつ人物を説得する為にもこれらをみかえす需要がかなりあるのではないだろうか。要は近代にきわめておおきな力をしめした英米哲学を援用するべきなのだろう(*1)。

 はなしをもどすと、かつ、これらからいえるのは、この小論でいう「よりよいくらし」とは人それぞれことなっている。全体主義的に一意でいえば幸福となるかもしれないが、このしあわせは習慣や感覚、うまれもった遺伝子によっておそらく人それぞれそれなりにちがいもあるのだろう。
だから分業の推進は、法規範というそれらの利害関係の調整をのぞけば、基本としては為されるほどよいといまのところいわざるをえない。ある個性が、そうでない個性と混同され、みずからに不向きなしごとにつかわれたり、そういう役目をなんらかの不条理、いわゆる世継ぎだとか伝統だからといった理由で当人へ不本意にあてがわれるのが市民のくらしを不幸にする最大の因習となるだろう。ただしこれらもきちんと法規範のとりしまりがおこなわれるといった前提で、あるいは自らが世襲に適応している場合はのぞくのだろうけど。
 もっともやさしくいえば、「適材適所」あるいは向き不向きというはなしになる。社会がこの道理をみのがしているほど、すなわち、どんな勉学や教育課程でもそうだが、個人へ向いてない仕事をさせてしまっていると結果として個人主義のつよい英米哲学との矛盾もおおきくなっていくだろう。やりたくなければやらなくていいのだ。なぜならその方が、よく経営学でも上位3割があと7割分の仕事をするとかいうが、向いているみなが得をするのだから。子女に普通教育をあたえる義務とやら、あるいは勤労の義務さえこの点ではかなりの寛容さをもたせられていいはずだ。

 はなしをすすめると、学問をすすめるのはいい。しかし、もともと勉学が好きではないとか向いてない人にそれを必要以上に強制しなくてよいのだ。孟子のいった教育(教え育む;おしえはぐくむ)と、孔子のいった啓発(啓き發る;ひらきゆみいる)のちがいとかもここにはいるだろう。ここでいっているのは、啓発が重要だが教育はまあそれほどでもなさそうだということ。もともと、孟子の場合はいわゆる義務教育ではなくて英才教育(*2)についていったことばであるのをかんがみてもなお。
要は、できるものはその特徴をしめすためだけにでも自分から勉強してしまうものだが、そうでない人にはかれらの興味にこたえておしえていくべきなのだろう。以下にわけを説明する。
 これらの「不勉強な」人は実は、日本社会では不足しがちでもある。
 ポスドク問題をみればあきらかであり、外国人労働者がもとめられてくる理由も実は、この日本国内ではだれもそうなりたがらない「不勉強なゆえに予想がつかず応募してくる単純労働者」が先進国の自然ではへってしまいがちだから、なのだから。これは一昔前は日本国内では女工が担っていた分野でもあり、男女雇用機会均等法のせいもあるのだろう。だが、ここにはある骨もある。いってしまうと、教育された程度が世界中の自由貿易圏でもっとも中間的なほどその社会は富みやすいのである。なぜなら、当分つづくだろう資本経済の浸透下ではかれら(少しはもしくはかなりの良識ある先進国の世界的にみて中程度の教育をうけた市民を中心とした)大衆を最大の市場としておおくの資本が投下される傾向があるからだ。しかし、最高の教育程度あるいは学問の段階に進歩した人と、そうでないかなり古代からかわらない祖先の姿をのこした人たちとの習性にまつわる幅、というものはどれほどの文明の高度化のもとであってもただ希少価値それそのもののために保守されていいはずだ(*3)。
重要なのは自由貿易についてより大きな国富を占めるという目的性があるばあいは、この中間的な人口をもつかどうかが鍵になるというわけ。実質、これがEUというものを成立させた根拠でもあるといっていい。
この不思議な道理といおうか労働力の二極性が、たとえば学歴制度にかけてマイケル・スペンス氏あたりのシグナリング理論なんかを通して水戸市内でも多くが当然わかってくるはずであり、藩士教育(つまり市場への「使用者」がわの思想啓発)というものをおこなったのは実はかなり先見的だったともいえる。
なぜかといえば、結果は天狗党の乱などをおよぼしたという副作用込みだったわけだが、単純労働者不足は教育格差をもうけることで逆説的におぎなえるからなのだ(*4)。それが安定した大国づくりの一つの骨なわけだ。
――経済学上みれば、社会の中の教育程度の二極性が法的もしくはすみわけにすぐれて調和しながら進むほど、その社会集団は多様な分業をおこなえるので全体と見た効率も高まるはずだ。ここに一般庶民とはあたえられる教育の程度が土台からちがうので特権化されていく貴族あるいは王室のおこる余地があったのだ。
 またこれは自分が歴史学からみちびいてきた一般則だが、帝国の強度はこの社会層の二極性を如何に国内につくりだすかにかかっているともいえる。いわばpyramid状に、世界一頭を抜いたきわめて強靭かつ強固な高等教育をうけた超少数の支配者層と、そうでない無教養な享楽的庶民のきわめて大きな数がおなじ国で調和的にかなり大勢生存できたとき、そしてこの中間にもっとも多くの国民がいればその国は成功する(*5)。この二極性が強ければつよいほどその帝国が結果としてほかの文明圏にも大変なちからをもつのがこの世の真相なのだろう。前例をひくと、ローマ字を含むラテン語や漢字として居残っている中国語、そしていまのアメリカから由来した英語がどれほどおおくの人々に影響をあたえたかはかりしれない。

 水戸学派は、現在に於いてこの支配者層をつかさどる目的をもって出立しているといえる。はじめからそれは儒教の理念を日本史のなかで窮めるために、当時の最高権力だった将軍家に最近侍であった義公によって創始されたという歴史がある。この理想は、すくなくとも現代までの状況では立派な志というしかない。最大の商圏としてのいまの東京都であれ、あるいはアジア、太平洋の市場でもいいが、何らかの理想もしくはすぐれた指導者が必要なのだから。そういう母体となるべき運命が、水戸にはある気がするのだが。


―――
��1 ――ここから数行はかなり哲学にくわしいひとむけにかくと、いわゆる封建制を脱却せずその中で主従秩序を完成させようというのが儒教の理念でもあったのだから、キリスト教の神と僕の関係、ほかイスラム教等でもみられるこれらの忠義もしくは忠誠の正当化はかなり古くからみられる普遍的意思でもある。英米哲学の中で講じられていた一切も、実はその上位集合としてのキリスト教的主従秩序の中で如何に人間性を導くかという話でしかない。そこでプラトニズムは象徴化され、清教徒思想になった。カルヴァンの考えの核、そしてそれに親和したアダム・スミスの素朴な資本主義的富の肯定はこの主従秩序をたくみに商業と一致させたものだった。帝国主義の意味もそこに求まる。(*参考文献マックス・ヴェーバー著『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』)。
 つまり、基本的姿勢としては水戸学がめざしていた皇室の擁護は、その神格化さえ除けば、すなわち「王権神授説の否定」(*参考文献ジョン・ロック著『統治二論』--原文‘Two Treatises of Government’ )さえ除けばまったく類似の態度だといえる。なにがちがったか。それはキリスト教がひろく伝わったか伝わっていなかったか、だけだろう。それがひろくつたわった場所では人そのものの神格化はおこなわれえなかったわけだ。
 この一点さえのぞけば、ほとんど同じことが水戸学の態度のなかには英米哲学の使用・被使用の関係性にはある。単にそこへは功利主義者つまりutilitarianには統治的優良さと、実用主義者つまりpragmatistには労働者の自己実現とがみられるにすぎないだろう。プロテスタンティズムを極端にした場合はそこに統治者の代表としての王権が除かれたわけだが、この方法が成功するか、それともそれを保ったままにしておいたイギリスなどの王室の方法が成功するかは歴史をみないと分からないところだ。ちなみに世界の王室は以下の分類がある。
現在1の帝室と20の王室と3の公室。
http://www.geocities.jp/operaseria_020318/kikyo/contents/royalfamily/oushitsu.html
��http://megalodon.jp/2012-0218-0257-49/www.geocities.jp/operaseria_020318/kikyo/contents/royalfamily/oushitsu.html)
http://www.geocities.jp/operaseria_020318/kikyo/contents/royalfamily/Royal/ichiran.html
��http://megalodon.jp/2012-0218-0259-13/www.geocities.jp/operaseria_020318/kikyo/contents/royalfamily/Royal/ichiran.html)
あるいは http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8E%8B%E5%AE%A4
 より長い目でみれば、致命傷にさえならなければ保守的な方をえらぶのが賢慮あるといわざるを得ない気もする。礼をおしむ、あるいは間接的に失うなと云った孔子(参考文献『論語』八?第三、十七、「子曰く賜や、爾は其の羊を愛む。我は其の禮を愛む。」)はその儀式のなかの精神的態度を擁護したのだろうが、単に装飾とみてもそうかもしれない。これらの儀式は、きわめて不合理かついわゆる非科学的な通過儀礼であって現実の世界情勢とおおはばに矛盾して負担が過剰になりすぎるといった特別な事情がないかぎりは、伝統的壮観をあたえるという効用がある、という可能性をもっている。しかし、たとえば受験地獄の様な「役立ちもしない」異様な風習は勿論この虚礼にあるのだろうが、それらを避けていく自由まで規制しなければ、一定数これらの風習が残存した方がまだ伝統的格式を高めるのかもしれなかった。
 もっと科学的に無用の用とみたとき、これらの集団の礼儀にさえなっている種類の風儀は、なんらかの意味で現代まで人々を社会文化の環境でいまある姿まで淘汰もしくは選択してきたわけになっているのだろう。通過儀礼のたぐいも、比較文化論なんかみればあきらかだがなんらかの意味でその土地や地政でかつてもとめがあったかそれをrunawayのきっかけとした性選択の際の特徴の強化なのかもしれなかった。だから、ここでいう「礼(旧字体では禮)」は、いわゆる人間のばあいのなんらかの特徴の強化のためのなれなのだろう。日本人全般が他人にあたまを下げるのはなるほど、巨視的にみればまことに奇妙な風習で、ほかの土地のひとびとはそんな習慣や礼儀をもってさえいない。しかしこの礼儀が維持されている範囲の外では、赤の他人に済まなさを示すときはみぶりではなくかならず言葉でおこなうしかないわけだ。むかしでいう言行一致(近世の文献では新渡戸稲造著『武士道』あるいは、陽明学の「知行合一」までさかのぼれる)という哲学がうみだしたひとつのいきのこりの戦術として、この「あたまを下げる」という演劇的行動の風習は働いているはずだ。だれであれ目の前にあたまを下げている、どう見ても弱ったよわそうな人物をひとまえで暴虐であつかったりすればすこしはそうされている降参しているがわが第三者からさえ同情される可能性があるかもしれなかったろう。
おそらく人類学とみたその一つの起源は、武士の戦いの儀礼化にあったのかもしれない。問答無用の戦国時代に二本差しからその場で首を取られるのを防ぐ目的でもあったのだろう土下座という降参の儀礼、つまり命乞いの風習が軽くなったのが、そのいまにのこるあたまを下げるという慣習でありならわしなのではないか(和辻が郷里で家族の葬儀の際に済まなさの表現のためにならわしから土下座したときに涙を流して感激的にこの意義を感じたという逸話もあった)。この風習がいまに生きているのは、たとえば小泉首相がブッシュ大統領との対話のなかで、日本では変わった風習があるらしいな等と質問されたとき、小泉首相はその場で演技として土下座してみせ、「わたしはあなたへこうしなければならないな」といったなかばあぶないjokeを言ってみせたらしかった。これは推測だが、およそ日米安保条約のことが念頭にあるんだろう。それがfairかどうかはわからないが、まさにいまは座をおりている当時の大統領、ブッシュさんはアメリカ人らしくこのperformanceで大声で笑って気をよくしたらしい。効き目とみればおよそこの法則を、ほとんど人体の物理的には無意味な運動である頭を下げるという言行一致の慣習は示しているのだろう。

��2 『孟子』尽心・上、「天下に英才を得てこれを教育するは三の楽しみなり」。原文は「得天下英才而教育之、三楽也。」。ちなみに孟子のいう他の二つの楽しみはまず家族の安泰、もう一つは天を仰いでにも人間にあってもはずかしさがないこと。

��3 「上知と下愚とは移らず」、と孔子曰く『論語』陽貨第十七・三、にある。どの社会の常態でも形質あるいは姿の幅はつねにあるという意味だろう。

��4 おもに福沢諭吉なんかには旧態依然な愚民政策の根源としてさかんに攻撃されていた点だが、『論語』泰伯第八・九「民に知らしむべからず由らしむべし」の意味も、およそここにあるかもしれない。

��5 たとえばアリストテレスの『政治学』やマキャベリ『君主論』にもこの要諦が部分的にかかれているとおもう。