2012年2月13日

工学の知識について

 現実社会と自然現象に数理modelをあてはめること、が科学(scienceつまり「知り」の訳語)がしてきた発明であり発明だった。このおこないが、人類のできたことのなかでもっともおどろくべきだろう。なぜそれができたのか、ある地球の奇跡というしかない。いいかえれば、定量を法則的にとらえられた、というのがあたまのしたすべてのしごとのなかでもおどろくべき才だった。川とか山ということば、あるいは万有引力とかentropy増大則がどれほどおおくのことを簡単に説明できるだろう。ことばがもっているある可能性は、しるということ、なにかをとらえるということにすばらしい力をもっている。
 また、知識は「ことばや記号による、つくりごと、つくりもの」であるのもたしか。これはほかの惑星にいる生命体に通じるかもわからないわけだ。われわれの三世代前の個体は、情報量ということばからなにをしりえただろうか。Computerと情報理論がでてくるまえは、熱力学をしっているすくないひとをのぞけば、entropyははっきりとした概念でさえなかったのだった。

 こうしてみかえしてみると、実用性をもった技術、日用にされるある技術、わざ、というものが、われわれが科学をいかす本当のみちだとわかる。ここで安定的に応用されている分野は、すでにくらしにとって不可欠なほどそれらの文化にすごす人間のうえにくいこんでくる。
 火が燃える、という単純な酸素燃焼の式
H2+1/2(O2)→H20+286kJ
は、地球上ではものがもえると酸素がへっていくという事実を密室の危険さとともにおしえている。同時に、閉鎖系での情報理論とみた混沌度、つまり物理量とみた‘熱量⇔entropy’増大の法則もおしえているわけだ。
 結局、実用や実利性つまりutilityをもった、なんらかの工学に応用されていく種類の知識、これがもっとも重大なのだろう。

 知識も千差万別あるが、形而上学という「現実にはたしかめられないか、たしかめがたい」ある曖昧な学識もふくめて(避けようとしても倫理とか道徳、法律がのこるかぎり完全に排除しきれないので)、ほかのすべてより重要なのは工学的に日用化される範囲の知識の系列なのだろう。
 そしてこれが立派なほど、その種族集団は未知の道具をつくりだしくらしていけるのだから、不測の事態にもそうだろうし、普段から経済効率をたかめて、結果的にはほかの集団にまさって生存確率をたかめていけるのだろう。