2011年9月19日

おおきな都市公園による復興計画

大津や平潟、磯原の雨情記念館あたりはもし居住放棄者がでれば市が買い取って海の見える砂浜公園みたいにすればいいと思う。*1
ただし、また住みたいという人は、建築条例でピロティを義務づける。
こうすればここにもう一度住む人は広い公園にかこまれて住み心地はずっとよくなるだろうし、市から補填される買い上げ資金での移住よりあやうさをとってでも再び自分の土地所有権を守る魅力もでてくる。
 そもそもこの方式が有効なのは、海岸線の後退(つまり陸地の浸食)がおそらく、これから数百年つづくからどうせ居住放棄はしなければならないか、またはインドネシアやヴェネチアみたいにどうしても住みつづけたいなら海上住宅化するしかなくなる確率がこれからさき高いから。温暖化でかもめも大迷惑。というほどではない。

 この計画(読んで字のとおり磯原公園化計画となづける)は、さらに「有料公園化」すると一層、都市公園として効用が高い。
 一般に有料公園は中がごく綺麗に保たれる。当然、毎日清掃と美化作業をひとを専用に雇って行えるからだが、それに加え施設や花壇などの増強もでき、なかにちょっとした休憩所(喫茶程度か、自販機と展望できるデッキスペース)などをもうければ市に定常収入まであるのだからやった方がいい。入場料は子ども一人100円学生300円大人500円とかで一帯は海水浴場と隣接させ、夏はそっちと行き来のゲートも開くとか。日用できる地元民のためには年間1500円のやどかりパスポート、基本的飲み物と駐車券自由で3000円のかもめパスポート発行とかだ。これは運動場や憩いの場が少ない狭い市にとっては救いだし高校生もサボってつまらんサブカル買い物映画いかなくなるわおおうなばらをながめ心が広くなり多少荒れなくもなれば、災い転じてこういう機会にしか、GHQ農地改革以来のきわめて広い公有地はもてない。

一部には(可能ならばデザインを公募して、また審査は公開か投票させ、この市の不透明指名発注な土建票型公共物ではそうありがちだからできるかぎり野暮ったくならない)津波慰霊碑をたてればいいだろう。これは観光客にも「なぜ公園ができたか」「どうして天皇が震災直後お参りにきたか」を教えておとずれたひとへ過去におもいをはせさせ、次世代が津波と原発事故を伴う大地震による被災の悲惨を安易に忘れその貴重な場を悪用させないためでもある。

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��1 現物の砂浜じゃなくても(砂丘みたいになるだろうから)それに似た素材でもいいが、東京のお台場埠頭や大川端リバーシティ21の公園などでの実例があるけどにせの砂浜というものはあまり気分のいいものではない。
波の浸食での砂浜のかたちの変形、その洗い流しの効果によるまっさらな海岸線のたえまない復活という現象が、いまの段階では再現できていないから、もある。だから人工の砂浜まがい素材での偽物海岸線というのはきたなくなる、とかんがえていい。中郷の足洗や大津の風船爆弾跡あたりの「無垢な」海岸が最も参考になる。
現磯原海岸はテトラポッドで波をよわめ海水浴場化したのであの程度の砂浜の状態だが、完全に放置するとこのあたりの砂浜は理想的に綺麗になっていく。
この「砂浜を放置することによる美化」というのが磯原公園化の最も重要な骨。だからそういう工事のためには、防波堤を国道がわまで後退させ、むしろ砂浜のがわを広げるといいとおもわれる。海浜工学として。
 さらに、テトラポッドは座れるくらいの椅子がわりに使える。これは一つの「なにもない綺麗な砂浜」をつくりなおすわざとして。なにかしら海岸線に段差とか降りていける階段とかそういうのを、土木のみの業者はコンクリートでつくりたがるけど、どちらかといえばなにもない海岸の方が人々の心をまっさらに洗う。そういう場所は、人が入れる場所では全国をめぐると意外や少ないというか、無意識的ケインジアンだらけの土建国家ジャパンにはほとんどないものだ。