2011年9月5日

ということで壊さないでください

このままだと数年以内になくなってしまうかもだけど、いまの市立病院のたてものはあれでかなりすごいものだから、もし持つ耐震改修をほどこすならなにも壊すことはない、って真理にきづいた。あたらしい病院を「公共事業投資」としてつくるのは、何もしないよりは不景気の中でいい(勿論、もっと福利耐久性の高いなりわいへのそれ、なら猶更いいのだが。教育水準もそれに入る)。
 だがまだつかえるたてものを壊してしまう、というのは、あかねひらのときもそうだったが、まことに勿体ないしいきなり思い出が消えるので全然よくない。何だったんだあれは、くらいのかなしいできごとになってしまう。Scrap&build、はよくない考え方、又はあまりになりあがりでbubblyな姿勢だ。特に、それが持ちのいい種類の投機だと、ますます不経済となっていく。欧米、特に戦乱からはなれていたイギリスの古い城郭や地震の心配のない建物は、くりかえし使われる中で風格が高まる、という「経年優化」(要は「趣」)が見込まれていくので、観光資源にもなれば人々の精神的安定にも寄与している。他方では旧態墨守が欠点ともなりえるが、これはすくなくとも経済的にはあたらないということができる。使えるもの、特に構造のしっかりして手の込んだ建物は維持された方がよい。

たとえばあの病院をそのまま市立大学の建物にしてしまえばいい話ではないか? 病室はかなりまじきりをとってあたらしく塗りなおしたり、時のたつ風格のでやすい赤煉瓦などを表面に張って広い教室にすればよく、庭というか、テニスコートあたりを駐車場の場所につくりなおせばそれだけですむわけで、このテニスコート用の設備はすでにいまの北茨城高校あとにあるものをもってきてとりつけるだけでいい。あるいは教壇とか机とか体育館の中身とかプールの設備、これらも新病院建設のまえにすべて一時的に別のところへ保管し、この市立大学の備品として転用すればほとんど経費がかからない。というか、新病院建設の費用の一部をちょっと補填するくらいで寄付すらいらないくらいで済むのではないか?
 あとは講師を、募集した生徒から集める学費で雇うしくみをつくればおわりだ。まことにいいアイデアを思い付いた、とテトラポットの乱立で砂浜がへりおちこみの激しいかもめ界ではもっぱらの大騒ぎというかおまつりさわぎである。磯原だけに砂浜ってか磯の原がないと元気がない。
教育委員会とか市議会、あるいは公聴会や市民アンケートで教育内容を精査し、特に一流の学者をできたら英米系の一流の大学または筑波大・茨大・東大から”adviser・supervisor”として雇い入れ、かれらの忠告を入れるべきだ。自分がおもうに、これは大それたのぞみとおもうかもしれないが、スティーブン・ホーキング氏かリチャード・ドーキンス氏に意見をききたい。彼らは超一流すぎてやばいとアカデミズムからはいわれるかもしれないがしろうとの強みで何でも体当たりでやるべきだ。そのくらいこの地域は知識に遅れている。
日本でいうと、岡ノ谷一夫氏や筑波大つながりのあるノーベル賞受賞者の方々か。どういった学部構成にしたら世界の学術界についていけるかをききとって、その方針をとったらいい。ただ京都大系のひとは土着化されているほど、自分の推察や経験則では京都が一番と思ってるから東国へはあまり素直なアドバイスはくれない可能性が高い。そして懸案の美術関係施設、って構想があったわけだが、この市立大学と関連させて講座なりアトリエなりを大津駅前からあのできる道路で天心記念までひっぱってけばいい。

 一般に、成功する大学は「市街地から離す」必要がある。これは学生を学際環境へ閉鎖あるいは幽閉し、若者特有の血気から遊べなくするため、学業へ集中させるためだ。この点、あの市立病院あたりはほとんど遊び場所がない。ただ一つの懸案は、国道に面してゲーセンやらショッピングセンターやらパチンコやらが建つ余地があることだけだが、これらもパチンコだけを未成年入店禁止の条令でもつくればそれほど強い求心力をもつわけではない規模なら、彼らを堕落させる可能性は低い。
 この市立大学の学生の対象は、おもに地元の高校を出た生徒ではないか。それが今の段階では妥当だ。彼らを事実上収容する高等教育機関が有徳なのだ。ここらでテキトーにあそんですごすだけでは本当に人類にとってよい影響を与えることはできない。そのくらいの人というのは、日本を含め無数にいるからだ。
特に日立圏の技術力をおしあげるタイプの学生、つまりは理系のつよさを鍛えてから社会に出すなら、風評や放射能で第一次産業の全盛にはあまり将来性のとざされてきている、このあたりの工業力はより強化されていくとおもう。さらには美術や芸術の土壌はもとからあるのだから、純粋に地元から従来の日立マン的なキャリアが順調に育てばそういう郷土人たちはたとえば日本にとって才能が欠けていると言われる(つまり需要が高まりつつある)工業デザインの職能のよさ、へひとりでに結びつく可能性が高い。

これらの改修工事をおもに緊急雇用制度として手に力をあましてる漁師たちを使って安価な報酬ででもおこなってもらえば、難局ものりきれるし、松本氏の道徳感も立派に結果になるだろうし恨みっこなしで調度いい。